111.観楓会のお知らせと家臣の懇願
兄上宛てに、富豊家主催「観楓会のお知らせ」が届いたのは、秋も深まりかけた神無月のある日だった。
ちょうど上方に行きたいと思っていた私は、兄上に「ご一緒してもいいですか?」とお願いした。
「いいけど どうしたの? 珍しいね」
暑気あたりで倒れて以来、私は上方に行っていない。真木に下賜された 元・武隈邸の改修が済んでも見に行かなかったくらいだから、兄上はびっくりしたみたいだ。
「はい。探したいものがあるのです。ほむらが熱溜まりを見つけられるのはお話しましたよね? 隠し湯を作る事が出来たら、湯治に加えて療養も出来るようにしたいのです。しかし私は生薬に詳しくありません。それらを纏めた書籍が欲しいのです」
「生薬の書籍?」
「はい、例えば野花の紫苑は生薬です。それに乾燥させた桔梗などを加えると、鎮咳去痰の薬になるのですが、漢方薬は同じ材料を配合しても、配分量次第で別の薬になってしまいます。その配合などが纏められた書籍があれば、役に立ちます」
偉そうに説明しているけれど、これらは全部、兼継殿の受け売りだ。
生薬の本は昔、兼継殿の部屋にあるのを見た事があるけれど、タイトルまでは覚えてない。
だからそれを訊ねる文を出したら、桜姫から「兼継殿は少し前から上方に上っていて留守にしている」と返事が来た。
観楓会参加の準備かな? この世界の大名は、上方でのイベントを利用して政治的な駆け引きをする。執政が前乗りしていてもおかしくない。……けれど、それにしても少し早すぎるような?
だからと言って、上方の上森邸宛てに文を出すほどの案件じゃない。
まあいいか。本は現物を見て選ぶのが一番いいし、どちらにせよ上洛したら兼継殿に会えるだろう。
知りたければ、その時に聞けばいい。
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「という訳だから、霜月の半ば頃に、兄上と大阪に行ってくるね。矢木沢にも言ってあるけど、暫くよろしく」
「お土産、ヨロシクですよ」
視察の途中で、領民に貰った栗でお手玉していた小介が、にかりと笑う。
よく手に刺さらないな、と感心して眺めていたら、ぽんぽん栗を放り上げながら、何でもない事みたいに聞いてきた。
「このこと、六郎は知ってるんすか?」
「……兄上か矢木沢から伝わると思う」
私もさらりと返したけれど、お互い黙り込んでしまった。
兼継殿が来た日の夜。私と六郎は少し揉めてしまった。
そしてそれを見ていた者が居たらしく、結構な問題に発展してしまった。
「主君に狼藉を働くとは何事か!」
筆頭家老という立場に加え、私の状況に同情的だった矢木沢が大激怒してしまい、六郎は謹慎……というか、私の近侍から解かれている状態だ。
そしてそれは上田にも伝わって、兄上の方でも、六郎を上田に戻す算段に入っているという。
私もあれから、六郎に会えていない。
矢木沢に「私は気にしてない」と伝えても聞いて貰えないし、そもそも何処にいるんだか、全然姿が見えない。
「ところで小介は、六郎に会えているの?」
「ええ、まあ」
そうか、私が会えてないだけか。
会えてないというより、避けられているんだろうな。
「六郎は私が嫌いだったからね、ちょうど良かったのかも」
いつも喧嘩腰だったし、六郎にしてみれば、兄上のところに戻れるんだから願ったり叶ったりだろう。
仕方が無いよ。私は気分を切り替えて、城の方へと歩き出した。
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「じゃあ今日は、城の南を通って帰ろうか。森月がね、南の林に池を掘って、上田の池にいた鯉を移してくれたんだ。さすが隠し湯堀りの名人だけあって、水源を見つけるのが上手いよ」
『上田にいた鯉』とは、雪村が越後を出る時に、影勝様から「餞別に」と頂いた鯉だ。丹頂みたいな赤模様が額にあって、その模様がハートマークみたいで可愛い。
先日、「隠し湯堀りの名人」森月と、その配下が沼田に来て、さっそく地質を探ってくれた。
火山近くにはマグマ溜まりが出来やすく、そこに地下水があれば『温泉』になるけれど、そこをピンポイントで探すのは、隠し湯掘りの名人たちでも難しいみたい。
土を調べていた森月が、土を払って腕を組む。
「水源は、土の湿り具合で探ります。熱溜まりも地表の温度を探るんですが、深い場所だとなかなかねぇ……」
「試しに掘ってみるのはどうですかね? 熱はともかく、水気はある。上手くいけば井戸を作れるかも知れませんぜ」
「ここから水が出そうなの? じゃあ、出来たら池を作って欲しいな。上田に置いて来た鯉を放したい。上森家を出る時に頂いた、大切な鯉なんだ」
「ん? 城から離れていますが、ここでいいんですかい?」
「うん。だって城には、食物ばかり植えているだろう? 籠城用に。……あそこに池を作ったら、鯉も食用だと思われるから……」
……気の毒そうな顔になった森月は、優しく微笑んで私の希望を叶えてくれた。
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城の南側、崖が切り立った林のそばに「森月・隠し湯プロジェクトチーム(仮)」はあっという間に池を掘って、更に滝まで作ってくれた。
そんなつもりで言った訳じゃなかったけれど「越後では『滝を昇りきった鯉は龍になる』って故事に倣って、池には滝も作られていたんだ」って話をしたら、対抗意識が芽生えたらしい。
彼らはあれよあれという間に横井戸を掘って、そこから引き込んだ水で、小さな滝まで作ってくれた。
予想外に立派な池が出来て、私は大喜びですよ。
おまけにこの横井戸、豊富な地下水を引き当てたらしく、溢れんばかりの水量で、いきなり川が出現したみたいだ。
これならきっと、城下の畑仕事が楽になる。
隠し湯作りはまだまだだけど、水利の開削の方は少し進展した気がする。
そうだ、ハートマークの鯉、略してハトこが龍になれたら、真木の霊獣になってくれるかな?
そんな事をうきうき考えていたら、小介が情けない顔をして頭を抱えた。
「ちょ、雪村様、切り替えが早すぎい!」
「何が?」
「六郎の事っすよ! あの、あんまり気にならない?」
まだその話だったか。
「うーん、気にならなくはないけど。六郎にとってはこれで良かったと思うよ」
他に言いようがなくてそう答えると、小介が困り顔で頭を掻こうとした。
明らかに手にした栗の始末に困っている。
「あのね雪村様、こんなにあっさり流されたら、あいつがあまりに不憫だから言っちゃうけど。六郎は雪村様に存在を認めて欲しくて、こう……ツンツンッとしちゃうというか、ね? 子供の頃は、信倖様ほど懐いてくれないのが悔しかったからっつか。嫌いな訳じゃないんすよ。いや、今はむしろ好きっつーか?」
「ふうん」
「うわあ。すっげえ気のない返事。あの、この栗あげますからもう一度六郎に挽回の機会を与えてくれましぇんかねよろしくお願いします!」
がばりと頭を下げつつ、小介は勢いよく、両手に持った栗を差し出してきた。
でもこの栗はもともと『城のみなさんで』と貰ったものだから小介のじゃないし、お手玉するのにふたつ持っていただけで、籠に入った残りの栗は私が運んでいるし。おまけに小介、噛んだ。
ツッコミ所はたくさんあるけど、仕方なく私は、栗が入った籠を差し出した。
小介が両手の栗を ぽとりと落とす。
「ありがとう、雪村様」
「矢木沢と兄上に話すだけだよ。『そんなに武隈がいいなら、武隈の子になっちゃいなさい!』って言ったのは、私も言い過ぎたから」
礼を言う小介に冗談っぽく返したのは、いつもいい加減そうな小介が、珍しく真剣な眼をしていたからだ。
また元の緩そうな雰囲気に戻った小介に、私はちょっとだけ安心した。