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110.兼継 来訪 ~side R~

「宇野。これを至急、殿に届けてくれ」


 筆頭家老の矢木沢殿から書簡(しょかん)を渡されたのは、越後の執政(しっせい)が沼田に来るという まさにその日だった。

 信倖様に知らせなければならない火急(かきゅう)の用件などあっただろうか。いや、ない。


「これは急ぎの書簡ですか? 別に俺でなくとも……」

「何か言ったか?」


 老年に差し掛かった貫禄(かんろく)ある(まなこ)が、渋る俺をじろりと(にら)む。

 これはいくらゴネても無理だ、行くしかない。



 ***************                ***************


 数日前から城内は、妙に浮き立った空気を(かも)し出していた。……特に侍女どもが。


 俺は高崎(こうさき)殿の所に居たから会った事はないが、越後の執政は大層(たいそう)な美男らしい。春先に上田城に来た時には、侍女どもが発情期の猫のような騒ぎだったと聞く。

 その男が雪村様を訪ねてくるというのなら 一度は見ておきたい。いや、真木家の家老(代理)として挨拶しなければ。そう思っていたのにこのざまだ。


 それならとっとと用事を済ませて、戻ってくるしか無い。

 俺は身支度もそこそこに、城を飛び出した。



 ***************                ***************


 上田までの道のりは、坂を下った後で西へと伸びる街道(かいどう)を進むのが一番早い。


 街道に差し掛かった俺は、遠くに見覚えのある後ろ姿を見つけた。

 畑で作業していた領民が、汗を()きながら雪村様に話しかけている。その隣に居るのが例の執政だろうか。

 俺は馬を道脇に寄せて、(しばら)く様子を(うかが)がった。


 遠目で顔までは分からないが、背が高い 均整のとれた身体の男だ。お育ちの良さそうな(あい)の小袖と(はかま)を身に付けているが、その色が男をすらりと細身に、なおかつ洗練(せんれん)された雰囲気を(かも)し出している。

 くそっ、俺がその色を着てもそうは見えないぞ、どうなってんだ。ぎりぎりと(ほぞ)を噛みながら様子を(うかが)っていると、藍の男はぐいと雪村様に近づいた。

 それに対して雪村様は、別段(あわ)てるでもなく、そっと顔を寄せている。


 そんなに親しげに話している雪村様など、俺は見たことがない。


 後ろ姿だけでも楽しげなのが伝わってきて、俺は馬に(むち)をくれて走り出した。

 ……矢木沢殿の使いがあって良かったかも知れない。

 今はどんな顔をして、あの執政に挨拶をしたらいいのか決めかねる。



 ***************                ***************


 上田に到着し、書簡を渡してさっさと帰ろうとする俺を、信倖様は(ふみ)に目を落としたまま引き留めた。


「あ! ええと六郎、こっちも久し振りでしょ? 父君に会ってから帰りなよ。だいぶ腰も良くなったよ。やっぱり歳かな? ちょっと寂しがっているみたいだし」


 あの頑固親父が、俺の不在を寂しがるもんか。何を考えているんだ、信倖様は?


「これでも俺は忙しいんですよ。今日も来客の予定があったのに、矢木沢殿が急ぎの書簡だと言うから来たんですから」

「六郎への客じゃないでしょ?」

「は?」

「あ、いや。それじゃ返事を書くからさ、(しばら)く待っていてよ」


 愛想笑いしながら部屋を出て行った信倖様は、随分(ずいぶん)と長い間、戻って来なかった。



 ……何かおかしくないか?

 俺が戻らないように、引き留められているような気が……


 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 

 俺を忘れて昼寝でもしているんじゃないか? と疑いたくなるくらい時間が過ぎ、信倖様はやっと文を手に戻ってきた。


「随分と長文の文を書いたんですね。その割には厚みがないようですが」


 俺の嫌味を聞き流して、信倖様が苦笑する。

 文を懐に部屋を出ようとして、ふと思いつき、俺は信倖様を振り返った。


「信倖様は、越後の執政と親しいんですよね? 俺はお会いした事が無いんですが、どのような方ですか?」


 ちょっと黙った信倖様は、俺の顔をじっと見た。

 そして言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開く。


「例えば真木家では、複数の家老を置いての合議制で国を治めているだろ? 大抵のところはそうしている。でもそれだと、意見が分かれてなかなか方針が決まらない。上森家も最初はそうしていたけど、物事を迅速(じんそく)に決める為に『一人の執政にすべてを取り仕切(しき)らせる』事にしたんだ。兼継が()()執政だって言えばわかる?」


 ようするに独断専行(どくだんせんこう)専制君主(せんせいくんしゅ)って事か。


 出がけに少し見かけただけだが、確かに押しが強そうに見えた。そもそもそんなに迅速(じんそく)に物事を進めたがる男なら、どこか(すき)がある雪村様などチョロイものだろう。


 ……まずい、とっとと戻らねば。


「兼継殿は私の客人だから、接待は私がするよ」


 雪村様はそう言っていた。酒が飲めないのに、小介も代打に使わないのだ。

 返杯でも求められたらどうするつもりだ。


「雪村は兼継に、子供の頃から(なつ)いているからね。そこはちゃんと(わきま)えなよ」


 信倖様の声が聞こえたけれど、(かま)うことなく、俺は部屋を飛び出した。



 ***************                ***************


 いくら急いだところで上田~沼田間はそれなりに遠い。沼田城に戻ったのは、陽が落ちる直前だった。


 城門を潜った所で、外出していたらしい雪村様と越後の執政の姿が目に入った。

 (やま)しい事など何もないのに、思わず門扉(もんぴ)に隠れてしまった。


 一体俺は何をやっているんだ……とは言え、こんな時間になってから「ヤア、はじめまして」と言って出ていくのも気まずい。


 こっそりと(のぞ)いていると 例の執政が、手にしていた包みを雪村様に差し出した。雪村様は慌てたように手を振って、それを拒絶しているようだ。

 ……やがて、折れたらしい雪村様がそれを受け取ると、越後の執政と雪村様は楽しげに、顔を寄せて笑い合った。


 そういえば。

 今更ながらに俺は、愕然(がくぜん)とした。


 こんなに楽しそうな雪村様を、俺らは見た事があったか? 笑ってはいても、あの人はいつも愛想笑いじゃないか。



 ()(たま)れなくなって、俺は逃げるように城内へと駆けこんだ。



+++


「雪村様」


 湯着を持った雪村様とすれ違いざま、俺は思わず声を掛けた。

 振り返った雪村様が、きょとんとした顔になる。


「あれ六郎? そういえば今日は会ってなかったね?」


 今更いまさら気づいたのか。俺の事なんてその程度だ。

 (おのれ)の臣下を「今日いた?」とは何事だろう。少し(いら)ついたまま、俺は雪村様へと向き直った。


「俺は信倖様のところへ、使いに出されていました。今日は随分(ずいぶん)とお楽しみだったようですね」

「うん」


 嫌味(いやみ)で言った台詞にも、平気で返してくる。さらに苛ついた俺は、顔を(しか)めて駄目出(だめだ)しした。


「あのねぇあんた、ちゃんと接待出来ないからって、領内を案内するなんて止めて下さいよ。真木と上森は、同盟組んでいる訳じゃないんだ。攻め込む時の下見をさせてどうするんですか!」

「兼継殿はそんなつもりで来てないよ。そもそも戦前の下見なんて、やるなら間者にやらせると思う」


 あっさり(かわ)して、雪村様は(きびす)を返す。

 言われた事は(もっと)もだが、言い返された事が面白くなくて、俺は強引に雪村様の腕を(つか)んで引き留めた。


「上森は長い事、武隈の宿敵(しゅくてき)だった。主家の敵と慣れ合っているなんて信じられませんよ。越後の執政が切れ者だっていうなら、あんたに(かま)ってんのも策略の内かも知れないだろ。少しは考えろよ!」

「そんなに武隈がいいなら、出奔(しゅっぽん)でも何でもしたらいい。止めないよ」


 雪村様に真顔で切り返され、俺は軽く逆上した。


 武隈は滅亡した。それなのに「出ていけ」と平気で言えるのか。

 俺はその程度か。


 掴んだ腕に力が入り、雪村様が悲鳴のような声を上げた。


「痛……っ!」


 息を呑むような声、少し力を入れただけで折れそうな、華奢(きゃしゃ)な手首。

 振り解こうと暴れた雪村様を(とら)え、そのまま抱き寄せようとした瞬間。

 俺の腕が 逆に()じり上げられた。



 雪村様を(かば)うように、小町が間に割り込んでいる。

 俺の手首を掴んだ小介が、険しい顔で俺の腕を後ろ手に回した。


「バカ六郎! 信倖様んとこで呑みすぎなんだよ。すいませんねぇ雪村様。こいつ、酔ってるんすよ。ね? 顔が赤いでしょ?」

「そうそう。ほらあ雪村さま、お湯が冷めちゃいますう」


 小介がへらりと笑い、小町も雪村様の肩を抱いて、その場から引き離す。


「……私も少し言い過ぎた。ごめん六郎」


 小町に連れていかれつつ、少し先で振り向いた雪村様が(つぶや)いたけれど。俺は()(たま)れない気持ちのまま、顔を()らした。



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