109.対峙と来訪3 ~side K~
「お前の仕事振りを見たい」
兼継が雪村を外に連れ出したのは、二人きりで部屋に居ることを、雪村を怯えられたくなかったからだ。
だからと言って、こんな事になるとは。
+++
「兼継殿、市が立っています!」
雪村が楽しげに、店先に並べられた品を覗き込んでいる。
沼田城下ならば微笑ましい光景なのだろうが、ここは徳山領だ。
混み合った市のおかげで、余所者が目立たないのは幸いだった。
「榛名山付近で、生糸を作っているはずなのです。それを見に行きたいのですが……良いですか?」
深く考えずに承知したまでは良かったが、まさか山を越えて、徳山領に入り込むとは思わなかった。
おまけに養蚕の手筈を調べるにしろ、生糸を見るにしろ、その手立てに関しては無策ときた。
無鉄砲、というより、この世界に不慣れなのだろう。
このような所は異世界から来た娘らしいな。
内心苦笑しながら、兼継は城下町へと足を向けた。
*************** ***************
呉服座に並ぶ店のひとつに入り、生糸はどこから買い付けているのか等を聞き出していると、店内を見ていた雪村が、片隅に置かれた白い紬の前で立ち止まった。
紬とは、出荷できないくず繭を使って織った、普段着扱いの布地だ。たとえ上質なものでも、改まった席では着られない。
『妻への土産』を装ったが、情報を得る対価として買う品など何でも良い。その程度にしか思わなかった兼継は、雪村が目を止めた白紬を購入する事にした。
そういえば先刻、小袖に酒を零させてしまったからな。その詫びだとでも言えば引き取るだろう。
さほど上等な品ではないが仕方がない。
袖を引かれ、兼継はふと我に返った。
隣を見ると雪村が前方を指差している。
「茶屋があります。たくさん歩きましたし、お茶にしましょう。ここは私に出させて下さい。『接待』ですから!」
兼継の返事も待たずに、雪村が小走りに駆け出した。
慣れない城主の仕事で、気疲れしていたのだろう。今朝方は顔色も良くなかったが、今は頬に赤みが差している。
気分転換になったようで、兼継はほっとした。
そのように考えれば、徳山領まで遠征したのも悪くないか。
雪村ではない筈なのに、子供の頃の雪村のようにはしゃぐ雪村を、兼継は不思議な気持ちで眺めた。
*************** ***************
「私が持っていても仕方がない、引き取ってくれ」
わざわざ沼田城付近に戻ってから白紬を差し出したのは、今朝方の『馬上の男』を、帰途の道中で見かけたからだ。
越後へ帰る前の 最後の仕掛けだ。
男が女に贈り物をしているのだ。察しの良いものなら誤解する。
親しげに見えるよう装えば 尚更だ。
誤算だったのは、雪が思いのほか、その贈り物を喜んだ事だ。
要らぬ小袖を引き取らせよう。
その程度にしか考えていなかった兼継は、白紬に顔を綻ばせる雪村を見て、今更これが『初めての贈り物』になる事に気がついた。
もっと真剣に選ぶべきだった。
それこそ『妻への土産』を本気で選ぶつもりで。
少なくとも、桜姫への土産に紬を持ち帰った場合。侍女衆に「舐めているのか、本気を見せろ」と罵倒されること請け合いだ。
たとえ兼継にとっての桜姫が『庶民の普段着』程度の価値しかなくても、それを許さないのが女性というものだ。
意中の女性に高価な反物を強請られて贈ったはいいが、それを「質に売られた」と男泣きする同僚を、兼継は何人見てきたか知れない。
そのような女性と比べれば、紬で喜ぶ娘など希少価値が高いだろう。
もっと端的に言ってしまえば…… 可愛いすぎる。
雪を手放したくない。そして『雪村』の中にも戻したくない。
そうなると『ひとつの身体に宿るふたつの人格を、ふたつの身体に分ける』方法を見つけなければならないのか。
……難しいな。
兼継は雪村のほんのりと染まった頬に触れ、小さな顔を上向かせた。
身体を半分に切れば『ふたつの身体』となって生き続ける生き物が、居ない訳ではない。しかし人の身体はそのように出来てはいない。
そんな事が可能なら、戦で死ぬ者は居ないだろう。斬られた数だけ増殖したら、それはそれで阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
そして『明王の神力』をもってしても、兼継の望みが叶うとは思えない。
「お前は何でも、ひとりで抱え込み過ぎるきらいがある。無理が祟れば病を得るぞ」
身体を厭うように忠告する兼継に、 そっちこそ、と口答えをして 雪村が笑っている。
今度は城門に『馬上の男』を見い出した兼継は、それに気づかぬ振りをしたまま、見せつけるように雪村に顔を近寄せた。
顔色を確認している風を装いながら。
長年の付き合いである兼継が、怖がらせずに攻め込めるぎりぎりの線だ。
一朝一夕の家臣如きに、太刀打ち出来る訳がない。
雪村を戻す方法は難易度が高い。その前に、勝手な事をされては困るのだ。
一昨日来るが良い。
城門内に引っ込んだ人影に向け、兼継は内心で 丁寧に罵倒した。