106.兼継 来訪3
結局、一日いっぱい私に付き合わされただけで、兼継殿は帰っていった。
泊まっていくと思っていたらしい侍女たちが、一斉に溜め息をつく。
沼田に戻った頃には遅い時間になっていたから、「ぜひ泊って行って下さい」と引き留めたけど「信倖が居る時にな」と断られてしまった。
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「素敵な小袖ですねえ。清楚な雪村さまに、よくお似合いですよぉ」
白い紬を広げて 根津子が溜め息をついている。
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「そういえば茶屋で「礼をする」と言っていたな? ならばひとつ、私の言うことを聞いて貰おう」
城近くまで戻ってきたところで、兼継殿が急にそんな事を言い出した。
そして、さっき買った白紬を渡してくる。
「私が持っていても仕方がない。引き取ってくれ」
「駄目ですよ。これは桜姫へのお土産ではありませんか」
「なぜ私が桜姫に、土産など買わねばならんのだ」
即座に返してきたけれど、私としては、どうして桜姫へのプレゼントを渋るのか、そっちの方が理解できないよ。アナタ、『攻略対象』ですよ?
困っている私を見返して、兼継殿が溜め息をつく。
「そのように渋ると思ったから、先に「言う事を聞け」と言ったのだ。私は最初から、お前に渡すつもりで買っている。今朝方、小袖を酒で汚してしまっただろう? その詫びだ」
「詫びるも何も、私が勝手に零したのです。それに洗えば済む事ですから」
「では洗い替えだと思え」
そもそも今日は さんざん付き合わせてしまったのに、小袖まで貰ってしまっては申し訳ない。……とは思うけれど。
この小袖は、お店で見た時から可愛いなと思っていたから、最初からくれるつもりだったとしたら……正直 嬉しい。
「……兼継殿は私を甘やかし過ぎです」
受け取った後で、思わず顔を逸らしたのは、お店で『妻への土産』って言っていたのを、いきなり思い出したからだ。
でもあれは、嘘も方便っていうか、言葉の綾だし……
何だかちょっと、顔が熱くなってきた気がする。その時、ひんやりとした手が頬に触れて、私はびっくりして顔をあげた。
「今朝と比べ顔色が良くなったな。お前は何でも、ひとりで抱え込み過ぎるきらいがある。無理が祟れば病を得るぞ。適当に気分転換はしろ」
すぐにお説教してくるところは、いつも通りの兼継殿だ。
顔色が良く見えるのは、多分照れているせいだけど、何だか私だけが意識しているみたいで恥ずかしい。
「でも私は、兼継殿に比べたらまだ全然です。私が病に罹る前に、兼継殿の方が仕事量的に危ないですよ。兼継殿も少しは休んで下さい」
「そうだな、ではそうしよう。そうだお前、先日越後に来た時は、私に挨拶もせずに帰ったな!? 今のお前は『沼田城城主代理』だ。次からは接待させろ」
照れ隠しに、口を尖らせて文句をいう顔が面白かったのか、兼継殿が笑い出した。
「酒が要らない接待をしてやる」
楽しそうに笑う兼継殿に、私も「期待してます」と笑って返した。
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「雪村さまぁ、何かいいことあったんですかー? にやにやしてますよぉ?」
笑いを堪えるような根津子の声に我に返り、私は自分の頬に手を当てた。
何だかちょっと熱い気がする。でもにやにやって……私、そんな顔してた!?
「今日は、秋の割に暑かったからね。遠出もしたし」
慌てて言い訳したけれど、「にやにや」の理由になっていない。根津子はくすくす笑ったままだ。
「お風呂に入ってくる」と言い残して、私は部屋から逃げ出した。
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普段だったら「お風呂に入ってくる」「はいどうぞ」とはならない。
この時代の内風呂は基本、お湯を張った桶を簀子の下に置いたサウナみたいな感じだから、準備に時間がかかる。
今日は兼継殿が泊っていくだろうと、家臣たちが気を利かせてくれただけだ。
ちなみに上田の真木邸には、隠し湯があったから、お湯に浸かるタイプのお風呂だった。うう、やっぱりここにも温泉欲しい。
ああそうだ。
この『お風呂を振舞う』のも、この時代では『接待』になるんだって。
奥深いよね『接待』。