103.対峙 再び2 ~side S~
考えまくった結果、俺は兼継に判断を委ねることにした。
ぶん投げた、とも言う。
俺は雪村みたいに鈍感じゃないから、誰が誰を好きかなんて、見てりゃわかる。
だが、兼継が好きになったのは『女になった雪村』なのか『雪村に入っている雪』なのかまでは、さすがに解らない。
だがもうどっちでもいい。雪村を元に戻して欲しい。
雪は「信倖と兼継には知られたくない」と必死だが、孤軍奮闘にも限度がある。
実際の問題として、六郎の存在が厄介なんだ。まさかこんなに速攻で『女の雪村』がモブの男に惚れられるとは思ってもみなかった。
雪村が男に戻るには、『長年のご愛顧感謝イベント』が必須。
今は根津子や小介が何気に抑えているが、こっちとしては『モブが兼継イベントに出張ってきた』状況に気が気じゃない。
越後に戻る前に、雪を言いくるめて上田に立ち寄る事にしたのは、信倖に六郎の件をチクるためだった。
「六郎殿が、雪村のことを好きみたいなの。離した方が良くなくて?」
雪の目を盗んで信倖を捕まえ、言葉も濁さずストレートに訴えたが、信倖はあははと笑いながら、とんでもない台詞を言い放った。
「知ってますよ。嫁にくれって言われたからね」
「はあ!?」
「大丈夫ですよ、断ったから」
ちょっと待て、いつの間にそんな話になってんだよ!? 信倖、お前も何でそんなに、のほほんと笑ってられるんだ!?
さすが雪村の兄というべきか、ソッチ方面の危機管理が全くなってない。
「僕が駄目だと言ったら、六郎は何も出来ませんよ。昔からそういう男です」
ドン引いてる俺の雰囲気を察したのか、信倖は取り繕うように付け足したけれど、もう信倖のとこに嫁取りの話を持ち込んでいる六郎の素早さに、逆に俺は深刻な危機感を覚えた。
何かあってからじゃ遅い。
でも『ひ弱な桜姫』な今の俺じゃ、雪を庇うなんて出来そうにない。
そして信倖が当てにならないなら、腹立たしいが兼継を味方につけるしかない。
今の雪村は中身は別人だが、身体は『雪村』だ。例え元の雪村が好きだとしても、契れば戻るなら嫌だとは言わないだろう。
雪だって、好きでもない六郎に戻されるくらいなら、兼継の方がいいだろうしな。
変に遠慮せずに「推しは兼継」だと言ってくれれば、こんな根回しをしなきゃならない俺としても、気が咎めずに済んだんだが……
ああそうだ、これだけは言っておかなければ。
俺は黙ったままの兼継から目を逸らし、申し訳程度に頭を下げた。
「だが先刻も言ったが、雪はこの事を知らない。男に戻れるなら拒絶はしないだろうが、心の準備はさせてやって欲しい。雪には俺から話すから、『雪村』に戻す時は、先に俺に言ってくれ」
「……何故、お前の許可が必要る?」
押し殺した低い声。思わず総毛立ち、俺は身動きが取れなくなった。
それでも怒鳴り返せたのは、無茶苦茶な現状に、俺自身がムカついていたからだ。
「怨霊も戦も知らない女の子が、ひとりでこの世界を生きているんだ。どれだけ気を張り詰めてるかなんて、想像もつかねえよ! 自分の落ち度でもないのにこれ以上、可哀そうな事はさせたくない。そう思って何が悪い!」
「いい加減にしろ! 黙って聞いていれば「心の準備をさせろ」だの「可哀そうな事」だのと、まるで私と契ることが罰だとでも言いたげだな!? 彼の娘には他の方法を探すと伝えてある! 怖がらせてまで強いるつもりなど毛頭ない!!」
いきなりブチ切れて立ち上がった兼継を、俺は茫然と見上げた。
……うん、いや、どうでもいいんだけどよ。
「……そんなにでかい声を出したら、周りに聞こえるぞ?」
目を見開いて俺を見た後、頭を掻きむしりながら崩れ落ちた兼継を、やっぱり俺は茫然と見守った。
そうか……前に「雪が怖がるからしない」と言っていたけど。怖がられたことが、何気にショックだったんだな。
そう思うとこいつに、今まで感じた事がない親近感が湧いてきた。
こんな時代を生きているせいか大人びて見えるが、よく考えれば現世の俺と同年代じゃないか。
初めてこいつの、年相応な顔を見た気がする。
何だか「怖い」としか思ってなかった兼継が、ちょっと可愛く見えてきたぞ。
そんな事を考えたと知られたら、速攻で昇天させられるだろうけどな。
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額を押さえて黙り込んでいた兼継が、やっと口を開いた。
「……前にお前は「雪村を男に戻せば『未来』が元ある形に戻る」と言ったな。危機的状況に陥ったとしても救える と。今、私に選択させようとした理由は何だ」
そうだ、信倖が当てにならないから、兼継を味方につけるのが目的だったんだ。
今は『雪村を男に戻す』つもりが無いなら、他の方法を考えなければならない。
まさに今が『危機的状況』だよ。
「真木の家臣に宇野六郎って男がいる。信倖の乳兄弟で、次期家老と目されているんだが、こいつが雪村に惚れてるんだよ。何か間違いでも起こる前に、手を打たなきゃと思ってさ」
「真逆。その男は雪村が男だと知らないのか? 信倖は「雪村は男として扱う」と言っていたが」
「知らない訳ないじゃん。信倖の乳兄弟だぞ?」
まさかひと月やそこらで、そんな問題が発生するとは思っていなかったんだろう。兼継の表情は訝しげだ。
「それならまずは、信倖の耳に入れるべきだろう。雪村にその気が無い以上、暫く引き離せば目が覚める」
「入れたよ。信倖にはもう「嫁にくれ」って言ったらしいぞ。ただ信倖は「断ったから大丈夫」だとさ」
雪村と六郎の関係性なんて、ひとことも話してないのに「雪村にその気が無い」と言い切っているあたり、兼継も「男だろうが女だろうが、雪村は色恋沙汰に疎い」って認識なんだろう。だがそれに、信倖も加えなければならないかも知れない。
「いやあ、さすが雪村の兄貴だと」
思うよな? と最後まで言えず、俺は固まった。
再び黙り込んだ兼継の周囲には、底抜けに冷たい空気が満ち満ちている。
いつだったか越後の野原で、蓬菊を手に対峙した時みたいな……
「おい、兼継?」
「私は雪村と『元に戻す方法を探す』約諾をしているが、これがなかなか難しい。横から邪魔をされては困るな」
兼継は澄ました顔で呟くと、仕方が無い、と言いたげに続けた。
「ならば止むを得まい。手立てを講じよう」
……うん。俺にはもう、そういう小芝居はしなくていいぞ。
さっきのアレでお前の気持ち、まるわかりだから。
「嫁にくれって言ったらしい」って台詞、相当効いたらしいな。
とりあえず、兼継が雪の味方になってくれそうだって事に、俺は心底ほっとした。
だが雪は今、領地の統治や家臣の統率やらでいっぱいいっぱいだ。これを知らせるのは少し待とう。
「それとさ。雪は『雪村』が居なくなった事で、信倖とあんたに気兼ねしているから。あんたが気付いている事は、しばらく伏せてやってくれ」
最後にそれだけ念押しして、俺は立ち上がった。
気づけば随分と時間がたっているし、緊張しすぎたせいで立ち眩みがする。
ホントにこの身体はひ弱だな!
「さてと。そろそろ帰るわ」
「姫、その荷は邪魔だ。持ち帰ってくれ」
キノコを置いたまま部屋を出ようとした俺を、兼継が速攻で引き留めた。
中身はどうあれ、お土産は受け取れよ。
いつもの調子を取り戻した兼継は、やっぱり可愛くない。
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長時間の正座で足が痺れた。よろよろ歩いていると、さっきの取次が部屋から顔を出した。
兼継の怒鳴り声が聞こえたんだろう。心配そうに、そして可哀そうなものを見る目で、俺とキノコの包みを交互に見る。
「姫、お土産を受け取ってもらえなかったのですか……?」
ここに来て、俺は兼継からとんでもない仕打ちを受けた事に気づかされた。
このシチュエーションは傍から見て『土産を受け取って貰えなかった挙句に怒鳴られた』可哀そうな美少女じゃないか!
気の毒そうな取次の表情が、俺のハートに突き刺さる。
やめろ、そんな目で俺を見るな……!
「よろしければ私に譲って貰えませんか? 姫様もお手元に置いては、気が滅入るでしょうし」
「まあ……!」
「姫が採ってきて下さったのです。汁物にして振舞えば、皆も喜びますよ!」
親切な取次は、にっこり笑って提案してくれた。
ありがとう取次! お前が気づいてくれなかったら、侍女衆にも憐れまれるところだったよ! とんだ羞恥プレイだぜ……!
取次のお言葉に甘えた俺だったが、どうやら毒キノコが混じっていたらしい。
キノコ汁を食った家臣の皆さんが、豪快に腹をくだした。
俺はその後、兼継どころか影勝にまで、豪快に叱られることになった。