100.領地運営模索中2
「『沼田城下の塩原太助』。塩原太助ってわかる?」
「ごめん、わかんない」
記憶を探るみたいな表情で、桜井くんが諳んじた。
この人、歴史の教科書に載っていたかな?
お互い群馬には詳しくない。頼りは桜井くんの知識だけで、それも桜井くんが群馬出身の友達から聞いたという『上毛かるた』からヒントを得ようとしているんだから、領地運営は大変、心許ない。
そこで解ったのは、群馬は温泉の他に『生糸推し』だって事だ。
「県都前橋生糸の市」や「日本で最初の富岡製糸」「繭と生糸は日本一」といった感じで、みっつもある。
「じゃあここでの冬の内職は、採った生糸で『真田紐』作りを推奨してみようか。日本史で真田さんが作るのは九度山に行ってからだけど。せっかく糸を作るんだしね。ところで富岡ってどこらへん?」
「榛名山の向こう。ここらへんかな」
「そこ辺りは徳山領かも。前橋は?」
「沼田の南あたり。前橋市は覚えておこうよ、県庁所在地だぞ?」
おおう、ここらへんは「歴史選択してました」が通用しない常識問題だった。
とりあえず同じ群馬だし、沼田でも蚕は育つよね?
笑って誤魔化しながら、私は ふと気が付いた。
「そういえば、そろそろひと月たつね。越後に戻らなきゃならない時期かぁ。ずっとこっちに居てくれたらいいのに。うう、領地運営のフラグがたったというのに、私のブレーンが……ッ」
「かるたの知識がここまで重宝されるとは。俺、心許ないブレーンだな……」
中身が男の人でも、見た目が可愛い女の子だから、桜井くんとは女の子同士みたいに話しやすい。
秘密なしで素を晒せる分、根津子よりも気楽なくらいだよ。
でも桜姫は、越後の侍女衆とも仲良しだから、きっと向こうも寂しがっている。
それにこれは『影勝様との約束』だから、破る訳にはいかない。
無理だよね。
お互い無言で頷き合った後、私はもう一度地図に目を落とした。
「そう言えば越後までのルートなんだけど。街道無視して春日山城を目指すなら三国山脈山越え。街道を行くなら、上田を経由して北国街道ルート。桜井くんはどっちがいい?」
春日山城付近まで、直通で行ける街道があれば良かったけれど。沼田を通っている清水峠越往還は、越後中部あたりに続いていて、日本海側にある春日山城とは離れている。
山越えは、距離が短い代わりに道中が過酷。街道行きは時間がかかるって感じで、迷いどころだ。
「急ぐ用事がないなら、上田に寄ってから越後に向かわないか? 雪だって、信倖としばらく会ってないだろ?」
桜井くんの一言で、今後の方針が決まった。
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数日後、私と桜姫は 上田を経由して越後に向かう予定で、約束の期日より早めに沼田を発った。
「矢木沢、六郎、しばらく頼むね。他のみんなも留守を頼む」
「遊んでいないで、さっさと戻って下さいよ。あんたは城代なんですから」
六郎の憎まれ口を笑って聞き流していると、桜姫がつんっと顔をそびやかした。
「六郎殿は主君に対して、口が過ぎると思うわ。越後の執政殿は義兄上様に、そんな無礼な口をきいた事がなくてよ?」
澄ました口調で取り成した途端に、六郎がさっと顔を赤らめて背けてしまい、私は六郎と桜姫を交互に眺めて感心した。
おおー美少女の喝は絶大だなー。さすがの六郎もしょんぼりだね。
じゃあそろそろ行きますか。
「見たでしょ? 六郎殿は兼継殿を引き合いに出せば、一発で黙るわよ」
桜姫は悪戯っぽく笑っているけれど、あれは家老の格の違いというより、美少女に非難されたのがショックな顔だと思う。
桜姫がほむらの上から振り返り、元気に手を振った。
「ではまた、ひと月したら戻りますわ!」
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出発してすぐに、空間の歪み――『歪』を見つけた。
「桜井くん、ショートカットする?」
「いやあ。せっかくの外出だし、ゆっくり行こうぜ」
私達はそのまま、のんびりと街道を進んでいった。
この世界には『歪』という既成概念があって、怨霊は、人界と霊界の境目である『歪』から出てくるとされている。
『霊獣』も霊界の生き物だから『歪』に入れる。最寄りの『歪』に入って、 目的地に近い『歪』から出たら、道中のショートカットが出来たりもする。
前に大阪から越後までほむらを走らせた時に、比較的短時間で越後に着いたのは、この『歪』を使ったからだ。
ちなみに豊臣秀吉の『中国大返し』も、こっちの世界では富豊家の霊獣『白猿』を抱いた兵たちが、『歪』でショートカットを繰り返して戻っている。
これは白猿が『大量の猿の集合体』だからこそ出来た作戦だ。
ショートカットが出来て便利な『歪』だけど、怨霊が湧いてくるから一長一短ってところだ。
ちなみに越後で怨霊が出ないのは、越後領内の『歪』を全部塞いでいるから。
だから越後領内では、ショートカット不可になる。
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「のんびり行くなら、浅間山に寄ってもいい?」
桜井くんの了承を得て、私はほむらを山に向けて走らせた。