1.ゲームのはじまり
「何やら大きな勘違いをなさっているようだが、この娘は雪村ではない。真木縁者の娘で、名を雪と言う。侍女として仕えていた頃に見初めてな。内々で縁組の打診をしていたところだ」
朗々とした声が辺りに響く。
私は強く抱きしめられたまま、ぼんやりとその人を見上げていた。
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気が付いた時、私はひとり 薄暗い山中に立っていた。
朽ち果てた枝が、昏い空を引っ掻くように伸びている。
闇深い森の奥。そこかしこで瘴気が渦を巻き、黒い靄が辺りを包み込む。
壊れた輿。
恐怖に竦む侍女と、傷つき倒れた男たち。
その前では、赤い5つの目を光らせた巨大な蜘蛛が、耳障りな音を立てて威嚇している。
土蜘蛛だ。
ひと際大きな額の赤目が、少女を抱き締めた侍女を映す。
それを獲物と見定めた妖蟲は、鋭く尖った前足を無造作に振り下ろした。
ああ、私はこのシーンを知っている。
先日、改訂版が発売された乙女ゲーム『花押を君に』。
通称『カオス戦国』の冒頭シーンだ。
鋭利な爪が侍女を裂く寸前、前脚が斬り飛ばされて 宙を舞った。
咆哮を上げ、闇雲に暴れまわる巨体が、まわりの木々をなぎ倒す。
右手に持った槍を握りなおし、私はもう一度、跳躍する。
土蜘蛛の弱点は、額の中央にある ひと際大きな赤い目だ。
そこに思いっきり槍を突き立てると、ずぶりという嫌な感触とともに、十文字槍の先端が赤目に沈み込む。
と同時に。
のたうち回っていた巨体が 煙のように消え失せた。
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震える侍女が抱いていたのは、小柄で可憐な少女だった。
このゲームの主人公、桜姫だ。
卵型の小さな顔に、小動物を思わせる大きな瞳。
桜の髪飾りをつけた髪は、薄闇の中でも柔らかく輝いている。
誰がみても嫋やかな超絶美少女で、庇護欲を誘いまくりですよ。
さて、ここで選択肢が出るはずだ。
① 誰……?
② 雪村なの……?
③ (気絶する)
この場合、当然②が最良選択肢だ。
雪村は五年ぶりに再会した幼馴染だから、これを選べば“好感度+5”になる。
ちなみに①は好感度変化なしで、「お忘れですか? 昔、尼寺でよく遊んだ雪村です」とちょっと寂しそうな表情になり、③だと好感度-5になる。
それなら選ぶ選択肢は『②』しかないだろう。えい。
と思っているのに。
目の前の桜姫は ゆっくりと気絶した。
何で!?
慌てて倒れかけた姫を抱き支え、そこでやっと気が付いた。
桜姫があったかい。
そして姫を抱く腕は、間違いなく男のもの。
取り落とした赤い柄の槍、鎧で覆われたぺたんこの胸元。
ゲームでこのアングルは見たことはないけど、この所持品は間違いない。
私、プレイヤーキャラの『桜姫』じゃなく、攻略対象の『真木雪村』になっている!?