空いた穴
ここはまるで井戸の底のようだった。
深く、そして暗い。
湿った土のような香りと、苔の青々しい感触が全身を伝ってくる。
(こうやって会うのは初めてだよね)
それに変な声がする。
女の人?少女?ママ?おばあちゃん?を織り交ぜたような声だ。
それは、決して井戸の中や、外から聞こえてくる声ではない。
私の中から...鼓膜の内側から響いているような...
(ここが怖い?)
ううん、全然怖くない。
だって私は、ここがどこなのか、知っている。
ような気がする。
なぜだか分からない。
でも夢で見た覚えがあるような、それか前世の記憶かもしれないし、とにかくよく分からないけど、魂が知っているような...
ゆっくり上を向いたが遥か遠くに空が見えるような気がした。
うーーーん。
多分...気のせい。
ほとんど何も見えない。
そう、そうなの。
何も見えないのだ。
なのに、土の香りを感じ、苔の感触を味わっている。
(やっとだね)
井戸の蓋がゆっくりと開いたのか、ぼんやりと底に光がさしていった。
その先に誰かいた。
((((やっとだね))))
私はただ、光を見ていた。
その光はゆっくりと、確かに、誰かを照らしているようだった。
しかし、私はどんどん遠ざかっていった。
というよりかは、光が遠くへ行ってしまったという方が正しいかもしれない。
最後の言葉が頭の中で何回も何回も響き渡る。
結局何も分からなかった。
私はそのまま力が抜けひっくり返って頭を打ち、気を失った。
******************
「いい加減にしなさいよ」
古びたアパートの中ですね。
玄関近くで、少女が大人2人に押さえつけられています。
だからといって"僕"は何も出来ません。
ただ、ヤツを。
扉が開いてしまったら手遅れになりますから。
"僕"は少女を助ける事は出来ませんが、その代わりに門番の仕事をさせて頂きます。
しかし、"僕" は "外"の世界を見る事が出来ます。
見守るのはいいでしょう?
(構わないよ、見守るだけならね)
彼は許可を出してくださいました。
あぁ、"僕"は彼の忠実なる下僕として、生きる事に生き甲斐を感じます。
この時間が1番幸せなのです。
いけないいけない、"僕"は時々幸せを噛み締めてしまいます。
"外"の様子を見なくては!
少女を押さえつけているのは、少女の両親でした。
凄いですね。
両手は母親の方が足で押さえつけて馬乗りになっていますよ。
見えますか?
(今は耐えるしかないよ、分かるね?)
はい、分かりますとも。
あぁ、"僕"は幸せだ。
ん?父親の方が針を持っていますね。
「アルファ、これで素敵なレディになれるぞ、すぐ終わるから」
少女は泣き叫んで首を横に振っていますが、それも時間の問題でしょう。
ほら、母親が少女の首にまたがり、少女は息が出来ていない。
こちらはガタガタと扉が揺れています。
今にも開きそうですよ。
まずいですね。
いかがいたしましょうか。
(絶対に扉を開けてはならない、頼むよ)
命令を下さるなんて、あぁ、なんて幸せなのでしょうか。
"彼女"は苦しい思いをしているのに、"僕"はこんなにも幸せなのです。
僕は一生懸命扉を封じております。
ご安心下さいね。
「すぐ終わるから!じっとしてないとずっとこのままだよ!いいの!!?」
母親が少女を怒鳴り、押さえつけてかれこれ3分程たったでしょうか。
少女は限界のようでした。
まあ、それは一瞬の出来事でしたね。
少女の左耳、そして右耳に、どうやら穴が空きました。
父親がピアスというのを、付けたようです。
すると父親は、ありがとうといい、少女の額にキスをし、アパートを出ていきました。
こればかりは理解が出来ません。
つい最近離婚したばかりなのでは...?
まあ、"僕"にも知らない世界があるのでしょう。
ひとまず少女は母親の縛りから解放され、布団にくるまって身を隠し、眠りについたようでした。
この出来事で僕を含めて"5"人が犠牲となり、今少女の身体で"メイ"が"仕事"をしております。
彼女はとても優秀です。
痛みに強い、そして状況の判断が上手に出来る唯一の"変わり"です。
しかし彼女には1つ大きな欠点がありました。
食べ物が嫌い。
味覚がほとんど無いそうです。
なので"僕"が"変わり"に食事をしてもいいのですが、門の見張りは"僕"にしか出来ない。
残念ですが、しばらくは"メイ"に任せるしかないでしょう。
もう1人"アリス"という少女がおりますが、恐怖のせいで母親の前では"外"へ出る事が出来ません。
それから...しばらくは"メイ"が"アルファ"として外の世界に"仕事"へ行きました。
しかし、あまりにご飯を食べないので昔から何度も病院にて入退院を繰り返しています。
ですが、これは"彼"の思惑なのです。
病院に入院出来れば、"アリス"が外で遊べますからね。
幼い彼女達にはこのような方法でしか逃げる術が無いと"彼"は申しておりました。
彼女は"彼"の言う通り従っているのです。
そして"メイ"は見事にまた病院へ入院する事が出来ました。
ところが、入院期間はたったの3日だとか。
今や身体は5歳と6ヶ月。
そう思い通りにはいかなかった。
彼女達はすぐに退院し、やっと住み慣れたアパートに戻ると、そこには見ず知らずの男がおりました。
どうやら母親の彼氏みたいです。
その男は"パパ"と呼んで欲しいようでした。
すぐに状況を理解した"メイ"は笑顔で"パパ"と呼び、"パパ"が喜びそうな事をやってのけました。
なんと、見ず知らずの男に抱きついたのです。
"僕"は"メイ"が少し怖い。
年齢にすると"メイ"はほとんどアルファと変わりませんが、性格はまるで違う。
魔性の女の娘に相応しい、母親の思い描く完璧な娘は恐らくアルファではなく"メイ"なのです。
"メイ"はすぐに"パパ"と打ち解けました。
いや、打ち解けたというよりかは、手玉に取ったという方が正しい。
"パパ"は"メイ"の望むものを何でも買い、なんでもしてくれました。
きっと、母親に気に入られたいのでしょうが、そんな魔性の女とその娘に"パパ"はもてあそばれている。
そんな事もしらずにのうのうと笑っている"パパ"は哀れですね。
まあ、僕には関係ないですが。
それから数ヶ月の間は、よく"パパ"が家に来るようになりました。
一緒にお風呂に入ったり、ゲームをしたり、絵を描いたり、弟のルートをあやしたり、散歩をしたり、公園に行ったり
そこには幸せな家庭がありました。
が、その中身は薄っぺらく、空っぽです。
はたから見たら、間違いなく仲睦まじい家族に見えるでしょうが、"僕"には単なる家族ごっこにしか見えないのです。
今まで通り"メイ"は母親と"パパ"が喜ぶ事だけをやってのけました。
それも"本物"のように。
"僕"でも錯覚してしまう程でした。
本当に"メイ"はこの形を望んでいるのではないか?
本当に"パパ"が大好きなのではないか?
「そんな訳ないでしょ、こんなやつら大嫌い」
"メイ"はトイレでそう呟きました。
恐ろしい。
ありえませんが、"僕"の娘がもしも1人になった時、トイレでこんな事を呟いていたらと思うと...
いえ、やめましょう。
"メイ"は少々怒りっぽいのです。
こんな事が聞こえたら、黙ってはいないでしょう。
そんな奇妙な日常は着々と進んでいきました。
本当に何事も無かったかのように。
やがて"メイ"とアルファは6歳になりました。
誕生日ケーキに、チキンやハンバーグ、プレゼント、食卓には家族全員が集まり、どこからどうみても幸せな家庭でした。
"メイ"は笑いながら味のしないご飯を食べ、吐き気を飲み込んで美味しいといいました。
そして誕生日プレゼントを開けると、中にはどうでもいい興味のないゲームが入っていましたが、ずっと前から欲しかったと笑いながら言いました。
やはり彼女は少々怖いです。
そしてその日の夜、思いがけない出来事が起こりました。
薄っぺらい日常が、一瞬にして一変したのです。
"メイ"が苦労して作り上げた数ヶ月間。
もしかすると"メイ"が"パパ"の本性を呼び覚ましたのかもしれません。
それは片付けが終わり、ルートと"メイ"の2人が寝室で寝ついた時の事でした。
ふすまがゆっくりと開き、忍び足で誰かが近づいてくるのです。
確か母親は音から推測するに、今お風呂に入っていますから、恐らく"パパ"が来たのでしょう。
"メイ"は寝たふりをしていました。
ゆっくりと"パパ"が"メイ"の横に寝て頭を撫ではじめました。
「なんでアルファはいつも俺の言う事を聞いてくれるの?」
小さい声でパパが呟きました。
「これからする事はママには内緒だよ」
"メイ"は起きたふりをして、あからさまに背中を向けました。
「アルファこっちむいてごらん」
「なにするの?」
「いいから、こっちむいてごらん。パパの言う事聞けるでしょ」
"メイ"は仰向けになりました。
すると、"パパ"は"メイ"の身体を不自然に撫で始めました。
それだけにはとどまらず、上からゆっくりとボタンを取り始めたのです!
「いや」
"メイ"はこれからされる事が分かったのか服を直そうとしましたが、口を押さえつけられました。
「大丈夫だから、静かに。気持ちいい事してあげるよ」
すると"メイ"の服を首までずらし、胸を触り始めたのです。
ほんの一瞬の出来事でした。
"メイ"は耐える事ができず、こちらに戻ってきました。
「"ブルウ"お願い!!!もう嫌なの!!!奴を殺して!!!」
(ブルウ、頼むよ)
"僕"はすぐに外の世界へ出ました。
何ヶ月ぶりでしょうか。
いつもそうです。
言い方は悪いですが、後始末に利用されます。
まあ、それが幸せなのですが。
少々埃っぽい空気を肺いっぱいに吸い込み、いつも中から見ていた"パパ"の方を向いて、ため息をつきました。
それでも"パパ"は夢中になって"僕"に気が付かない。
"パパ"ズボンを脱がそうとしていた所でした。
うええ。
気持ち悪。
「あの、ママがそろそろお風呂から上がるけど大丈夫?」
純粋にそう思ったから言いました。
しかし、久しぶりの身体ですから、発した声が不自然だったかもしれない。
しかし、そんな事を言っている場合ではありません。
"パパ"は目を向き、驚いた顔でこちらを見ました。
「気持ちよくないの?」
はっ、何を言い出すのですかこの男は。
「なにも」
今度は思ったよりも低く声が出ました。
やはり慣れない作業です。
男はさらに驚いた表情を浮かべ、アルファ?と問いかけてきました。
これは少々まずいかもしれません。
バレたかもしれない!
するとお風呂のドアが開く音がして、慌てた様子で"パパ"は立ち上がりました。
「この事はママには内緒ね。今度またマッサージしてあげるよ」
そう呟き、部屋から出ていきました。
"僕"は初めて母親に感謝すら覚え、ホッとしました。
しかし、こればっかりは分からない。
あの男が何をしたかったか...
僕には理解が出来なかったのです。
あっ、そういえば後ろから叫ぶ声がしますね。
「なんで殺さないの!あんなやつ!なんでよ!」
まるで怒った時の母親そのものでした。
「"メイ"さすがにそれはできないですよ。変われます?」
「むり!もういや!」
断られてしまいました。
我慢の限界だったようです。
しかし、"メイ"はここまでよくやってくれました。
おかげで、"僕"も助かりましたからね。
あぁ、アルファ、ごめんね。
本当に、本当にごめんね。
"僕達"は今回の件で限界を迎えてしまいました。
そして、明日からはアルファに任せる事にしたのです。
思ったより長く、思ったより短い1年でした。
"僕"はこれからも扉を守り続けますから。
どうか、頑張って下さい。