サーカス
真っ暗で少々空気が悪い。
この場所の感覚はどこかで感じた事がある。
そうだ!雨の日の体育館。
学校の全体朝礼で校長先生が話をしている時、生徒同士がヒソヒソ声で会話をしている音。
長話に飽きた生徒が重心を変えて床がきしむ音。
高い天井からポツポツと心地の良い雨音が静かに、でも確かに鳴り響いているような音。
しかし、ここが体育館でない事は分かる。
靴ごしでも分かる感触。
地面は...絨毯かな?
すると突然、不気味な照明がスポットライトになって、ステージ上のオルガンを主役にする。
わずかな照明で、なんとなくこの場所が分かった。
...劇場???
あたりはシーンと静まり返っていた。
この暗さに目が慣れた頃、恐る恐る周りを見渡すと、大勢の人がオルガンのあるステージを囲むように円状になって席を立っていた。
唖然となり、恐怖で身体がこわばる。
...全員...首が...無い。
心拍数が上がり、今、自分が置かれている状況を理解するのに必死だった。
冷や汗で意識が遠くなる。
"ガーン"
突如ひとりでにオルガンの盤が沈み、気味の悪い音色が鳴り響く。
私はビックリして飛び上がった。
一刻も早くこの場から逃げなきゃ。
また周りを見渡した。
首のない人達がその場に立ち尽くし、ユラユラと縦に横に揺れている。
しかし不十分な照明ではこの場所の広さすら分からない。
出口は!?出口はどこ!?
"パーパラッパッパー"
今度は急にトランペットの音色が天井から聞こえた。
恐怖で涙が込み上げてくる。
首の無い人達が歓声をあげ、会場が湧いていた。
もう、意味がわからない。
しばらくすると、拍手も途絶え、期待で溢れんばかりの熱気が中心に集まっていた。
不気味なオルガンの上、スポットライトの中心に、華奢な男が歓声を浴びるように腕を広げ、ゆっくりと顔を上げた。
私は一瞬恐怖を忘れ、その立ち姿に引き込まれるように、視線を送った。
その男は不自然な姿勢をしており、顔こそ人間だが、まるで本物の猫が立ち上がっているようだった。
「皆さん、今宵は迷子になる事でしょう。あの子も、この子も、あなたも、私も!でもご安心ください!これは悪夢ではありません!美しい曲芸、音楽、それを目の当たりにした時、きっとあなたは迷子になる。さて...ここは暗い暗い森の中。あなたは帰り道が分からない。天気も悪いみたいですねぇ。おやおや?泣いているのですか?ほら、大丈夫。こちらにおいで。」
なんとも不思議な声だった。
猫なで声とはこの事を言うのかもしれない。
それでも心地が良く、暗い森の中の情景が目に浮かぶようだった。
オルガンの男はスルッとステージに着地し、エナメルの先のとがった靴の音をコツコツと鳴らし、ある場所へと向かっていった。
そこはまるで洞窟の入口。
さほど広くないステージだが、奥行があり、なんとも不思議な光景だった。
「パパが居ないのよ、どこにも居ないの」
ウサギのような仮面を被った小汚い少女が、オルガンの男に向かってシクシク泣きながら呟いた。
「案内してあげようね」
オルガンの男は優しく少女の手を取った。
ウサギの少女はコクリと頷いた。
"パパ"の場所へと案内するのだろうか。
いつの間にか、彼らのいるステージの反対側に可愛らしいクマのぬいぐるみが落ちていた。
ウサギの少女はクマのぬいぐるみを見つけると、オルガンの男の手を解き、興味津々にぬいぐるみに向かって走っていった。
「わぁ!!!かわいい!!!名前をつけてあげなくちゃ!!!う〜んとね!!!あなたの名前は〜」
"ドッカーンッ"
「きゃぁぁぁ!」
急に雷が鳴り、雨の音が強くなった。
ウサギの少女はクマのぬいぐるみを一生懸命抱きしめながら、周りを見渡した。
「パパ!!!助けて!!!」
ウサギの少女は孤独と恐怖に怯え、新しく友達になったクマのぬいぐるみとたった2人ぼっちでその場にへたりこんでいた。
もちろんパパの助けは来ない。
気づいたらオルガンの男はステージから消えていた。
ウサギの少女は泣きながら立ち上がり、茂みをかき分け前へ進みだした。
クマのぬいぐるみに話しかけ、パパと約束した事、ママが嫌いな事、弟がムカつく事、大きくなったらケーキ屋さんになる事、テレビゲームが欲しい事、沢山のお話を聞かせていた。
「誰だい?うるさい子ネズミがまた来たのかい?」
突然ヤギのような仮面を被った老婆が茂みから現れた。
「おばあさん、パパを探しているのよ」
すると老婆は手に持っていた銀色のナイフを空中に投げ、手をかざした。
ブツブツと呪文のような言葉を口ずさむと、ナイフはそのまま空中に浮き、ゆっくりと刃先が少女に向いて止まった。
「子ネズミは何か勘違いをしているな?お前が迷子になっているだけだろうに」
「違うわ!パパが家から出ていったのよ!だから探しに来たの!」
「ほう、ではなぜ刃先はお前に向いている」
見ているのが怖い。
今にもナイフがウサギの少女に向かって飛んでいきそうだ。
「もう知らない!あなたなんて嫌い!」
ウサギの少女は老婆に背を向け、一目散に茂みをかき分け走った。
息を切らして、転んでも立ち上がり、また走った。
決して後ろは振り向かない。
しばらくするとウサギの少女は立ち止まり、クマのぬいぐるみに話しかけた。
皆が嫌いな事、誰も助けてくれない事、ひとりぼっちという事を教えていた。
行くあてもなくさまよい続けているのだろうか...
降り続ける雨に、さぞ体力が奪われる事だろう。
私は世にも奇妙な劇場のいち観客として、すっかり夢中になっていた。
心做しか、少女の足取りが重くなっているような気がする...
大丈夫なのだろうか...
あれから何分たったのだろう?
見ているこちらが疲れる程に、時間がたっている気がした。
それでも私は少女から目が離せなかった。
すると突然、少女がスキップし始めた!
大きな木が現れて嬉しかったのか、飽きるまでグルグル木の周りを回っている。
本当に楽しそうに。
しかし、気になった事があったのか急に立ち止まり、一点を見つめ首を傾げている。
なにかあったのだろうか?
するとウサギの少女はゆっくりと大きな木の下にへたりこみ、脚を抱え、静かに泣きだした。
きっと、1人で寂しいのだろう。
でも、なんだろうこの気持ち。
私何でここにいるんだっけ...
そもそもこの劇場、どこかで見た事あるような...?
ハッとしてステージを見た。
ウサギの少女は泣き疲れたのか首がコクリと傾き、眠りについたようだった。
"ガサガサ"
葉が擦れるような音が劇場に鳴り響いた。
「ニンゲン、ミテミテ、ニンゲン」
「オイシカッタ」
「食べたらダメですよ、客人ですから」
するりするりと枝から枝へとアクロバットに移動
する3人組が姿を現した。
彼らは、細い枝にぶら下がったり、片足で立ったり、横になったりして少女を眺めていた。
1人は猿の仮面を。
1人は獅子の仮面を。
1人はカラスの仮面を付けていた。
「タベル」
獅子の仮面を付けた男が、届く距離ではないが、ウサギの少女へ手を伸ばした。
「ダメですよ。この森では迷子の人間はお客様。丁重におもてなしをしなければなりません」
カラスの仮面を付けた中性的な声の人が、獅子の男を止めた。
「ミテミテ、クマ、トモダチ」
猿の仮面の男がクマのぬいぐるみを指さし、物凄い高さから飛び降りた!
しかしツタを持っていたようで、地面に叩きつけられる事は無かった。
そして猿の仮面の男は、クマのぬいぐるみを拾い上げ、片手でいとも簡単にツタを登り、枝から枝へジャンプした。
かなりの高さだが、全員命綱は無い。
「それは、彼がお招きしたお客様の印ではありませんか。我々の出る幕はありませんね。ここで眠っていては危険だ。疲れているでしょうが、起こさなくては。それも、うんと、ビックリする方法で」
カラスの仮面の中性的な人が指をパチンと鳴らした。
途端に、猿が牙を向いているような、獅子が威嚇しているような声が劇場に鳴り響いた。
まるで本物のようだった。
人間の本能が隠れろと騒いだ。
私は気づいたら耳を塞いでいたが、それでもステージから目は背けられない。
暗がりから湧いてでるように現れたケモノ達が少女を囲った。
ざっと見る限りで、20人程だろうか。
形や色こそ様々だが、全員猿や獅子の仮面を付けていた。
槍を持っている者。
鋭い爪をかかげている者。
うずうずして仲間割れをしている者。
見るからに気性が荒い群衆だった。
「さあ、悪夢から導いてあげましょう!」
カラスの仮面の中性的な人が、狂気じみた声を荒らげ、両手を広げた。
同じ木の上の猿の仮面の男と、獅子の仮面の男は、じっと群衆を見下し、誇らしげに様子を見ていた。
きっとこの3人は、下のケモノ達のリーダー的な存在なのだと、無知ながらも理解した。
「きゃぁぁぁぁああ!」
ウサギの少女はケモノ達に強引に捕まれ、両手両足をロープのようなモノで縛られていた。
「パパァァァ!助けて!離してぇえええ!」
見るに耐えない光景だった。
大人達が寄って集って、幼い少女を押さえつけるなんて...
演出とはいえ...いくらなんでも...
私はその光景を...
薄気味悪い劇場にぽつり、少女の行く末を黙って見る事しか出来なかった。