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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ホラー小説集

夜泣きする石膏像

作者: 大浜 英彰

1枚目の挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。

2枚目と3枚目の挿絵の画像を作成する際には、「Ainova AI」を使用させて頂きました。

 あれは確か、私が母校の石津川高校で教育実習を始めて1週間目の事だった。

 最初は不安で一杯で、「早く実習を終えて河南芸大に帰りたいなあ…」と考えていた私だけど、その頃には大分慣れてきて、「実習生の茨木先生」という呼び名も気に入っていた。

挿絵(By みてみん)

 教職員の方々は皆さん優しいし、生徒も素直でよい子達ばかりだし。

 もっとも後者に関しては、美術教師志望である私は通常科目の実習生よりも生徒と直接触れ合う時間が限られていて、生徒達がボロを出す所を見ずに済んでいただけなのかも。

 それも、あんな事が起きるまでの話だったけど…


 その日の1年生向け授業は静物デッサンで、石膏像を運ぶ人手が必要だったの。

 そこで私は美術部所属の生徒2人を助手に伴い、美術準備室を訪れたんだ。

「山里さんも松賀本(まつがもと)さんも、付き合わせてしまって申し訳ありませんね。」

挿絵(By みてみん)

「そんな恐縮しないで下さいよ、みずおん先生!私と穂津美(ほづみ)ちゃんは美術部員で、しかも下っ端の1年生ですから。備品の搬入出は慣れてるんです。ねっ、穂津美ちゃん?」

 快活な笑顔で応じたのは、うなじの辺りで濃いめの茶髪をポニーテールに結い上げた、女子生徒の片割れだった。

 この山里浅黄(やまさとあさぎ)という女子生徒は、下の名前である「瑞生(みずお)」をモジった「みずおん」という徒名で私の事を呼んでくる。

 最初は怪獣の名前みたいで違和感があったけど、この頃になると受け入れる事が出来たの。

 生徒の私への親しみと解釈する事でね。

挿絵(By みてみん)

「う、うん…そうだね、浅黄さん…」

 艶やかな黒髪が美しい女子生徒は、同輩とは対照的に控え目な所作で頷いた。

 松賀本穂津美(まつがもとほづみ)さんは物静かで儚げな雰囲気の生徒だけど、入学当時は今より多少は明るかったみたい。

 何か悩み事を抱えているのかも知れないから、何回か問い掛けてみたけど、その度に「大丈夫です。」の一点張り。

 美術部顧問の板滝(いただき)先生や担任の庄栄(しょうえい)先生にも同じ反応なのだから、会って間もない教育実習生風情に打ち明けられないのは、無理もないのかも知れないけど。


 美術準備室に入室すると、その情報量の多さにいつも圧倒されてしまう。

 整然と並べられたキャンバスやイーゼルといった画材達。

 生徒や美術部員達の提出作品がズラリと陳列された作品管理棚の隣には、デッサン用の静物を保管する棚が設けられていて、ギリシャやローマ期の作品を模した石膏像が並べられていた。

 ラオコーン等の胸像やアグリッパを始めとする首像ならまだしも、「ヘルメスの足」やロダンの「カテドラル」のような部分像は、切断されたバラバラ死体を連想してしまう。

 考え過ぎだとは重々分かっているんだけど…

「あれ…こんな石膏像、あったっけ?」

 青年マルスの首像を手にした山里さんが、不思議そうに首を傾げている。

 アレクサンダー大王と聖フォルトゥナトゥスの傍らに隠れていた真新しい石膏像は、私が現役生徒だった頃には無かった物だ。

「あっ!このマルス像、2年の武関仁史(たけせきひとし)先輩にそっくり!」

 山里さんが誇らしげに抱えた首像には、校内屈指の美男子と噂されるサッカー部エースの面影が確かに宿っていた。

「に…似てないわよ!大体、なんでギリシャ神話の神様が、日本人の武関先輩に似てるんだか…」

 松賀本さんの口調は強く、ほとんど拒絶に近い反応だった。

「どうしちゃったの、穂津美ちゃん。そんなムキになっちゃって?」

 私も教育実習生という立場でなければ、呆れ顔で首像を台車に下ろした山里さんに同調したくなる程だった。


「変な穂津美ちゃん…まあ、良いや!ねえ、みずおん先生?この特別教室棟で怖い話が噂されてるんですけど、御存知ですか?」

 妙な空気になったのを切り替えようとして、山里さんが選んだ話題は所謂「学校の怪談」だった。

「いいえ、私が現役生だった頃には聞いた事はありませんが…?どのようなお話なのでしょうか?」

 私としても、今の空気は居たたまれない。

 山里さんの提供する話題には、喜んで乗らせて頂いた。

 それにせっかく生徒側から歩み寄っているのだから、教育実習生として無碍には出来ないだろう。

「これはですね、警備員さんや宿直の先生に聞いたんですけど…」

 私を怖がらせようという魂胆なのだろう。

 それまでは気さくで快活だった山里さんの語り口が、怪談話を語るに相応しい陰々滅々とした口調になっていた。

「半月前から、この特別教室棟を夜中に通ると、おかしな声が聞こえてくるんです。まるで、赤ちゃんの夜泣き声みたいな…」

「ひっ…!あっ、赤ちゃんが…?」

 内気そうに見えて、松賀本さんは案外ノリが良い。

 部活仲間の語る怪談に、ここまで怖がる芝居をしてあげるなんて。

 視線を不安気に彷徨わす青ざめた表情に、自らの肩を抱きガタガタ震える仕草。

 たとえ芝居だとしても、ここまで真に迫った反応をしてくれるなら、山里さんも語り甲斐があるだろう。

「それも…この美術準備室の前で聞いたって証言が、特に多いんですよ~っ!」

 静かな語りから一変。

 一呼吸置いた山里さんが上げたのは、室内に響き渡る大音量の叫びだった。

「いっ…嫌ああっ!!」

 その直後に松賀本さんの上げた絶叫もまた、負けず劣らずの大声だったけど。

「ちょ、ちょっと…!松賀本さんも山里さんも、声が大き過ぎますよ。もうすぐ授業が始まるのに…」

「アハハハハハ!すみません、みずおん先生。穂津美ちゃんのノリが良くって、ついつい羽目を外しちゃいました。」

 ポニーテールの頭を掻きながら赤い舌を出す山里さんの口調に、あまり反省の色は感じられない。

 まあ、単なる怪談話で罪悪感を抱けなんて、酷な相談なのだけど。

「尻餅つく程に驚いてくれるなんて、私としても語り甲斐があるよ。さあ、穂津美ちゃん!そろそろ気持ちを切り替えて、石膏像の搬出に取り掛からないとね。」

 美術準備室の床にへたり込んだ同級生に、笑顔で手を差し伸べる山里さん。

 ここで松賀本さんが照れ臭そうに起き上がれば、単なる青春の1コマになったんだけど…

「いっ…嫌!聞こえる!赤ちゃんの泣き声が!」

 次の瞬間、松賀本さんは差し伸べられた手を払いのけ、全身を激しく震わせながら後退りし始めたのだ。

「ま、松賀本さん?!」

 幾ら耳を澄ませても、私には赤ちゃんの泣き声なんて聞こえない。

「もう、穂津美ちゃんったら…気持ちはありがたいけど、やり過ぎだって…」

 それは山里さんも同様みたいで、呆れたような顔で部活仲間を見つめていた。

「違う…私のせいじゃない!私だけが悪いんじゃない!」

 ところが松賀本さんはまるで聞く耳を持たず、ガタガタ震えながらの後退りを止めなかった。

 オマケに見えない何かから逃れるつもりか、虚空を腕で薙ぎ払う動作付きだ。

「こ、来ないで!近寄らないで!」

 その怯えた表情は、まるで殺人鬼に追われる被害者のようだった。

「危ないっ、穂津美ちゃん!」

 叫ぶような山里さんの忠告も虚しく、半狂乱の後退りを続けた松賀本さんは、石膏像を乗せた台車にぶつかってしまったの。

 そしてバランスを崩した石膏像が倒れ、準備室の床に叩きつけられてしまった。

「もう…怒るよ、穂津美ちゃん!こんな大げさな真似、やり過ぎだよ!石膏像まで壊しちゃって、どう始末をつける気なの?」

 すっかり御立腹な山里さんが示す先を見ると、青年マルスの右頬が砕け、詰め物と思わしき焦げ茶色の切れ端が覗いていた。

「こ、これは…?!」

 何とか修復出来ないかと石膏像に近寄った私は、血の気がサーッと引いていくのを自覚した。

 ボロ布とばかり思っていた、焦げ茶色の詰め物。

 それは、半ばミイラ化した未熟児の死体だった。

「あ、ああ…赤ちゃんが、赤ちゃんが…」

 腰が抜けて床に崩れ落ちた私は、声にならない譫言をアワアワと洩らす事しか出来なかった。

「もう…みずおん先生まで、穂津美ちゃんの発作が伝染したんですか?」

 教育実習生とはいえ、こんな光景は生徒に見せるべきではなかったのだろう。

「や、山里さん…」

 しかし、なけなしの理性を寄せ集めた私が声を出した時には、既に遅かった。

「うわあああっ!赤ちゃんの死体がぁぁっ!!」

 山里さんの断末魔めいた絶叫が野次馬を集め、たちまち特別教室棟は騒然となってしまった。


 当然ながら授業どころではなくなり、直ちに駆け付けた地元警察による現場検証が行われた。

 石膏像に塗り込められていたのは、死後半月は経過したと思われる男の未熟児。

 首の折れた痕跡から、生後すぐ絞殺されたらしい。

 赤ちゃんの母親と絞殺犯は、あっさり判明した。

 遺体発見時に異常な反応を示した松賀本さんは、婦人警官による事情聴取で、自らの犯行を自供した。

 サッカー部の武関君と交際していた松賀本さんは、武関君の子供を妊娠。

 しかし、大会を控えていた武関君は妊娠を無視し、松賀本さんは誰にも相談出来ずに自宅のトイレで出産してしまったそうだ。

 育てられないと悩んだ松賀本さんは赤ちゃんを絞殺し、処理に困った死体を石膏像に塗り込めたのだ。

 後に生徒指導室へ呼び出された武関君は、教頭先生達の前で全てを自供し、サッカー部を退部に追いやられたらしい。

 一方、松賀本さんには過失致死と死体遺棄の容疑がかけられたものの、不起訴処分となった。

 未成年という理由もあるが、それよりも精神に異常を来した事が大きいらしい。

 取り調べの最中に「赤ちゃんの泣き声が聞こえる!」と叫び出し、刑事さんから奪い取ったボールペンで自分の鼓膜を突き破ろうとしたのだという。

 精神鑑定の結果、芝居や狂言ではないと認められ、彼女は心神喪失者として治療が施される事になったが、回復の目処は立っていないようだ。


 私と山里さんには何故、赤ちゃんの泣き声が聞こえなかったのだろう。

 宿直の先生や警備員さんには聞こえたのに。

 もしかしたら、自分の母親が誰か分からなかった頃の赤ちゃんは、無差別に泣き声を聞かせていたが、松賀本さんを母親と察知してからは、母親である松賀本さんにピンポイントで泣き声を聞かせていたのかも知れない。

 迎えに来て欲しいとばかりに。


 あれから1年程の年月が経ち、芸大を卒業して教員免許も取得した私は、堺県立御子柴高等学校に美術教師として職を得た。

 教育実習で起きた忌まわしい事件も、今となっては遠い夢のようだ。

 しかし私は、今でも石膏像を目にすると、思わず身構えてしまう。

 何処からともなく、赤ん坊の夜泣き声が聞こえて来ないかと…

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「あの一作企画」から拝読させていただきました。 構成や伏線の張り方がお上手で、背筋の寒くなるホラーに仕上がっていました。 読ませていただきありがとうございます。
[一言] ドキドキしながら読ませて頂きました。 赤ちゃんは見付けて欲しかったのでしょうね。 松賀本さんの末路が恐ろしかったです。 確かに主人公の立場だと石膏像を見る度に思い出してしまうかも……怖かった…
[一言] (´;Д;`)松賀本さん……!辛かったねぇ。ひとりで抱え込んでいたんだねぇ…。 石膏像をひとりで色々細工するのは高校生の女の子ひとりで…。しかも体がボロボロなのに。 サッカー部の男、許すまじ…
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