シーン8 信じる者は馬鹿を見た
シーン8 信じる者は馬鹿を見た
ハイロウシティは、月面の裏側に位置していて、おおよそ5千万人が暮らしている。
その8割が、地球系人類、いわゆるテラスだ。
以前も説明したが、地球本星では大きな戦乱が相次いで、その余波は数十年前まで続いていた。その大乱を免れた運の良い、もしくは先見の明を持っていた人々が築き上げた大都市が、この「ハイロウシティ」である。
それだけに、もはや本星では失われた、旧地球然とした世界や街の風景が、ここには残っている。
その一つが、ハイロウTV局前ストリートの左右に伸びる繁華街だ。
月にまたがる可愛い熊の看板の下をくぐると、アルコールや人々の汗、そして食べ物の匂いが入り混じる。オレンジ色の照明が、目に厳しい。
人々の話声は騒音のようで、アタシは自分がよっぽど場違いな所にきてしまったと、少しだけ後悔した。
しかしながら、シェードの情報は正確だった。
見間違えることの無い太鼓腹をした、薄毛の男が、カウンターで飲んでいた。
アタシは意を決して、こみ上げる怒りを笑顔に包み込んだ。
「ハーイ、モーリスじゃない?」
精一杯、明るい声で話しかけると、彼は驚いた顔で振り返った。
「やあ、ラライじゃないか。奇遇だねえ」
彼は、アタシが誰だか分かった瞬間に、満面の笑みを浮かべた。
って。
あれ、アタシを散々悪く言ってたくせに、何なのよこの態度。
あ。
そうか、気まずさを隠そうって気だな。こいつ。
「散々な目にあいましたねー、お互いに」
アタシは隣に腰を下ろした。
「そうだね。心配したよ、怪我をしたって聞いたからさ」
モーリスは、悪びれるそぶりも無かった。
誰のせいで、そうなったと、思ってるのよ。
イラっときたが、我慢した。
「モーリス、お前の彼女かい」
突然、店のマスターらしい男が声をかけてきた。
彼は慌てた様子で否定して、少し顔を赤くした。
「良ければ、あっちに移動しないか」
モーリスはテーブル席を指さした。
たしかに、向こうの方がゆっくりと話も出来そうだ。
アタシが同意すると。
「飲み物はどうする? ここは良いビールを出すんだ。ラライはテアードだよね、ビールって飲む?」
彼はなんだか、心底嬉しそうに言った。
・・・。
ちょっと、緊張していた気が抜けた。
「アルコールは苦手なの。アタシ弱くって。ノンアルコールはあるかしら」
「シャーリィテンプルはどう?」
シャーリィ?
何だか癖のありそうな名前の飲み物ねえ。地球のカクテルか。
アタシはそれを貰う事にした。
「カインに聞いたんですけど、会社、辞められたんですか」
単刀直入に、アタシは聞いた。
彼の表情が明らかに曇った。
「辞めたっていうより、クビさ。乗客を危険に晒して、無謀なツアーを計画したってね。冤罪も良い所だよ」
「あのツアーは、モーリスさんが企画してたんですよね」
「表向きはね。あーあ、だけど、そんな話に乗るんじゃなかった。客は集まりにくくても、今までと同じ、金星との往復便を担当していればよかった」
「表向き?」
「そうだよ」
彼は、少し言いあぐねたが、自分はどうせ会社を辞めたのだからと、気が大きくなったものらしい。
「全部デイジーのせいさ」
彼は言った。
「今回のトマス経由、ザンタ星系への弾丸ツアーは、デイジーの企画なんだ」
彼は大きすぎるほどのコップで、ビールを一気に飲み干した。
アタシはカクテルを飲んで、甘さと酸っぱさの混じった味わいに、ちょっぴり満足した。
「地球人ってのは、昔っから人の不幸が大好きでね、ついこの間まで自分たちも戦争で大変だったくせに、少し平和に慣れてくると、今度は対岸の火事が見たくなるんだ」
モーリスはどこか不満げに言った。
「トマスはほら、昔の地球みたいだろ。適度なスリルを味わいながら他人が苦しんでる光景を見て、それからあまり地球にはなじみのないザンタの心洗われる風景を見に行く。悪趣味なツアーだよね。だけど、集客はあるんだよ」
その気持ちは、わからなくもない。
人は、誰かの不幸を目にする事で、自分は大丈夫とか、自分はまだ良い方だ、とか、安心を求める性分を、少なからず持っている。
「僕は正直、ツアーを企画するのが不得意でね、会社でも成績は良くなかった。だから、デイジーがこの企画を僕にくれる、って言った時、簡単にのってしまった。まさか、本当にこんな目にあうなんてね」
そうか。あのツアー企画もデイジーのものだったのか。
「君にも悪いことをしたよ。せっかくの初仕事だったのに。でも、良かったね、クビは繋がったんだろ。フォボスに行ったって、聞いたからね」
「ええ、ありがとうございます」
アタシは応えながら、拍子抜けというか、明らかな違和感を覚えずにはいられなかった。
カインはモーリスが、最後までアタシを悪く言っていた、と話していた。
だけど、彼のこの態度や言葉はどうだろう。
ものすごく裏表のある人なのか。
いや、どう見てもそうは思えない。
むしろ、こうしてみると、意外に善良な男に見えてならない。
テーブルに串に刺さった焼いたチキン料理が届いた。
モーリスのまねをしてかぶりつくと、甘じょっぱくて、これまた大好きな味だった。
「そういえば、不思議なんですよね」
ハムハムしながらアタシは訊いた。
「アタシ、会社に入ってから、まだデイジーさんとモーリスさんの他、2.3人しか社員の方を見かけてないんですよね。やっぱり、月40件もツアーをしてるから、みんな出払っているんですかね」
「月、何件だって?」
モーリスが目を丸くして、そして笑い出した。
「月40件もツアーをしてたら、とてもじゃないけど、やってられないよ。あの事務所の規模だと、せいぜい月10件あるかないかさ。船だって、まともに稼働してるのは4隻くらいしかないんだから」
「そうなんですか?」
「ああ。社員だって、全部で10人とちょっとだよ。添乗員なんてつかないか、レンタル人員で済ますことも多いんだから」
彼は、少し気の毒そうな顔をして、声をひそめた。
「君にこれを言うのは、気が引けるけど、正直に言って、僕はあの会社、辞めさせられて、逆に良かったと思ってるよ」
彼のビールのおかわりが届いた。
なるほど、太鼓腹には、ちゃんと理由があるわけだ。
彼はもう、大分真っ赤な顔になっていた。
「嬉しいなあ。君みたいな美人と一緒に飲めるなんて」
「あら、冗談ばっかり」
いや。きっと本心ですよねモーリス君。
君はなかなか良い目をしているじゃありませんか。
すこしだけ好感度アップしましたよ。
「本当だよ。一緒に仕事した時から思ってたんだ。君ってその、美人だなって」
「まあ」
太鼓腹でも、アタシを褒める奴に悪い奴はいない。
アタシは機嫌が良くなった。
もっと褒めろ。
アタシは褒められるのは大好きなんだ。
「そりゃあ、首になった直後は腹も立ったけどね」
彼は話題を戻した。
「でも、一緒に入った同僚も、皆辞めちゃったしね。みんな、いつの間にかいなくなってしまってさ」
「いつの間にかって、どういう事なんですか?」
「僕がツアーから帰ってくると、彼はもう辞めたよ、みたいなことが何度かあって。で、それ以来、音信不通さ。結構仲の良い奴もいたのにね」
ふうん。それって、ちょっと怖い話かも。
「なんだか、最近よくない話も聞くし。今回の事件もそうだけど、トラブルも少なくはないみたいなんだ。実のところ、経営も危ないんじゃないかって話もしてたくらいね」
「・・・・。」
アタシは何とも言えなかった。
せっかく就職出来て喜んでいたのに。
シェードの話といい、モーリスの話といい、なんだかおかしな具合になってきている。
ってーか。
なんだかやばい会社っぽく、感じてきたんだけど。
折角だからどんどん飲ませて、色々と聞いてみた。
けれど、モーリスはそれ以上の事はよく知らなかった。
あまりにも酔いすぎて、随分と愚痴っぽくなってきたので、アタシはそろそろ潮時かと考えた。
ただ一つ、はっきりと感じたことがあった。
彼が、アタシの事を悪く言っていたってのは、嘘だ。
こうやって向かい合って、話してみてわかったが、彼は誰かの悪口をいう性格ではない。
むしろ、見た目で損をしているだけの、善良な紳士だ。
考えてみれば。
彼が船の中で銃を取り出したのは、もしかしたらアタシを助けようとしたのかもしれない。
アタシが銃を向けられているのを知ったから、彼はあんなに震えていたのに立ち向かったのだ。
そう考えると、彼は一番の被害者なのかもしれない。
帰る頃には、モーリスは完全な千鳥足になっていた。
「車を呼びますか?」
訊くと、彼は首を振った。
「いつもの事さ。歩くからいいよ。それより、僕のクレジットキーを使ってよ。今日は、僕がおごるよ」
彼はカバンを差し出した。
そんな、悪いですよー。
らっきー。
大好きよモーリス。今だけー。
アタシはカバンを受け取って、支払いを終えた。
外に出て、彼にカバンを返した時、アタシはその持ち手にストラップが下げてあるのをみつけた。
「あれ、これって?」
あたしが、カインに貰ったのと、同じものだ。
「ああ、そうだった」
彼はにこっと笑った。
「君にお礼を言うのを忘れてたよ。これ、カインから、ちゃんと受け取ったよ。フォボスからのお土産なんだってね。僕のために、わざわざ買ってきてくれたって聞いて、嬉しかったよ」
・・・。
・・・・え?
・・・・・・それって。どういう事?
アタシの頭の中で、疑問符がぐるぐると回った。
そして。
気付いた。
アタシは自分のカバンを見た。
同じビー玉のストラップ。
カインに貰った。
まさかこれ。
アタシはモーリスを置いて走った。
裏路地に入ったところで、ストラップを外し、思い切って地面にたたきつけた。
ビー玉が割れて、ストラップの付け根部分にある金色の飾りの中から、米粒大の機械がこぼれ落ちた。
やられた。
小型の発信器と、盗聴器。そして、やだ、針先ぐらいだけど、これカメラよね。
アタシの話、全部聞かれた?
アタシはシェードの所に行くべきだと考えて、そこで、止まった。
「そこまでだ」
銃口が見え、冷たい声がした。
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