シーン37 耐久レースは命がけ
シーン37 耐久レースは命がけ
リンはトマスの巨大太陽を見上げた。
「この化学兵器の拡散温度は0℃から40℃って、モランが言ってたの覚えてる? それ以上になれば、不活化して毒素を排出しなくなるって」
確かに、モランはそんな事を言っていた。
「でも、不活化するだけで、消滅しないんじゃなかったっけ?」
「例えそうでも、救援が来るまでの、時間は稼げるって事でしょ」
リンは時計を見た。
確かにそうだ。このままだと、いずれ毒素がばらまかれ、アタシ達は死ぬ。
リンはレナイスンに顔を向けた。
「中尉、連合軍が来てくれるとして、時間はどのくらいかかる?」
「まずは救援信号を出さない事には始まらないが、俺の手持ちの発信器だと、キャッチから到着まで30時間ってところだな」
「時間が、かかりすぎるわね」
リンは厳しい表情になった。
「船の通信設備で増幅すれば、少し早まる。24時間以内には」
「それでも厳しいけど、今のところは、それに期待するしかないか」
リンは頭の中で、何かを計算し始めた。
彼女のこういった姿を見るのは、実に久し振りだった。
「蒼翼」の頼れるオペレータ―、作戦参謀の顔が戻ってきていた。
「このクラスの船ともなると、外側からの干渉で船内の温度を上げるには、かなり太陽に接近しないと無理ね」
「危険だな、うかつに近づきすぎると、重力にひかれて、そのまま太陽に飲まれるぞ」
「確かにね」
リンの眼が、挑戦的にアタシを見つめた。
あなたなら、出来るわよね。
その眼はアタシにそう言っていた。
レナイスンは、アタシ達が交わした、一瞬のアイコンタクトには気付かなかった。
「太陽まで近づくにしても、距離がある。おそらく20時間では間に合わない」
彼は残念そうに首を振った。
「それは、安全航行した時の場合でしょ」
「トマスの太陽付近は、重密度の小惑星が機雷のように飛んでいるんだ。高速で近づいて、もし衝突でもしたら、毒素にやられる前に、船がバラバラになるぞ」
「どうせ死ぬのなら、試してみる価値はあるわ」
リンは事もなく言った。
レナイスンは顔を顰めて、頭を掻いた。
「中尉」
リンは言った。
「良い女の条件を、もう一つ教えてあげるわ」
アタシに悪戯っぽく目くばせをする。
彼女の言いたいことが、なんとなく伝わった。
アタシ達は声をそろえた。
「良い女ってのはね、男以上に、度胸があるものなのよ」
よし。
リン、気持ちがつながった。
「ったく、何て奴らだ」
レナイスンが、あきらめたように言った。
アタシ達は、船のメインコクピットを目指して走った。
「中尉、邪魔する奴がいても、殺さないでね」
「おそらく、操縦クルーはセントラルの手先だ、敵だぞ」
「カインとウィルに騙された連中よ、それに、アタシはどんな悪人だとしても、殺したくはないの」
「甘い事を」
言いながらも、彼はブラスターの出力をミニマムに設定した。
ありがとうレナイスン中尉。
あなた、イケメンの割には、意外と良い人みたいね。
もし警察じゃ無かったら、友達になれたかも。
でもごめん。
アタシってば、警察って言葉だけで、どうしても拒否反応おこしちゃうの。
「お客さん、ここから先は関係者以外・・・」
オペレーションブロックの入り口で、警備のスタッフが飛び出してきた。
「ごめん」
リンの手刀が唸って、一人の警備員が一瞬で卒倒した。
一人をレナイスンが倒し、通報しようとしたもう一人を、アタシのヘルシオンβが撃った。
レベルは低めにしてあったが、それでも一撃で相手は麻痺した。
リンが、警備員のパスを奪って、オペレーションブロックの隔壁を開きにかかる。
セキュリティもかかっている筈なのに、僅か数分で、扉は開いた。
アタシ達は中に突入した。
不意を突かれたクルーの反応は様々だった。
驚いて逃げ出してくれる奴も中にはいたが、時々、やけに必至に立ち向かってくるのもいた。とはいえ、銃撃戦ではアタシとレナイスンの敵ではなかったし、格闘戦はリンの独壇場だった。
アタシはレナイスンの銃を見た。
シャーク22。
46よりは軽量でコンパクトだけど、反動と扱いにくさは同レベル。
カリブの時の滑稽な仕草は、演技だったって事か。
訂正。やっぱりこんな裏表のありそうな人、友達にはしたくない。
アタシ達は、ついにメインコクピットに辿り着いた。
パイロットは5人いた。
アタシ達が銃で脅かすと、パイロットは両手を上げて降参した。
どうやら、こいつらは戦闘訓練を受けたような連中ではないらしい。
コクピットから追い出して、レナイスンに入り口の守りを頼んだ。
「それは良いが、二人で操縦する気か?」
レナイスンが怪訝そうにアタシ達を見た。
彼が心配するのも分かる。
この船は軍艦クラスだ。
通常は5名以上で操縦する事が多い。
メインパイロットに、航路をナビゲートするサブパイロット。更に周囲の危険物やトラブルを確認するフィールドキーパー。機内の環境をコントロールして、適性を維持するためのライフオペレータ―。それに、通信員が加わることがある。
「二人でも、十分よ」
リンは言いながら、何かを探した。
彼女は、緊急時に着用する生命維持機能のついたスペーススーツを見つけ出した。
「ラライも着なさい。ちゃんと体内重力と血流コントロールしないと、宇宙酔いを起こして、操縦に支障が出るわよ」
「なるほど、随分荒っぽい運転をさせようってわけね」
アタシは穴の開いたつなぎを脱ぎ捨てた。
「中尉、こっち見ないで」
「誰が見るか」
「・・・」
可愛くない奴だ。
なんか、カリブの方がましに思えてくるな。
きっと、バロンだったら、顔を真っ赤にしてあたふたするのに。
と、余計な事を考えているうちに、支度は整った。
メインコクピットにはアタシが、サブシートにはリンが乗り込んだ。
「行くわよ。リン、ナビゲートはお願い」
「覚悟は良い? 出力は、最初から最後までフルスロットル。私の指示に、1秒でも遅れたら、あの世逝きになるわよ」
「上等だわ」
アタシはペロリと唇をなめた。
周囲の星々の輝きが、前触れもなく点から線にかわった。
「最高速度でも、目標地点までの到達は18時間。余計な機能は全部落として、推進力に回すわ。速度計に2%の誤差が出るはず、修正は、感覚勝負よ」
「了解っ」
船内の重力が失われた。
後方で、レナイスンが浮いた。彼は片手でバーを掴んで姿勢を保ちながら、それでも警戒を緩めなかった。
左手にあるモニターには、船内の様子が映し出されていた。
急に重力を奪われ、乗客があらゆるところでパニック状態になっていた。
「ふふ、一等客船の連中、慌ててるでしょうね」
リンが楽しげにつぶやいた。
こっちの船が急に全速力で離れ始めたのだ、そりゃあ驚いたに違いない。
「追いかけてきた?」
アタシはそっちを見るほどの余裕がなかった。
こんな障害の多い宙域を、これ程巨大な宇宙船で最高出力を出すのは、10トンのダンプカーで300キロ以上を出しながら、カーブだらけのレース場を走るようなものだ。
「向こうも動き出したわね、でも、そう簡単には追いつけない筈よ」
「だといいけど」
「なんて、無茶をしやがる」
レナイスンが額に汗を浮かべながら呟くのが聞こえた。
「こんな真似をして、命がいくつあっても間に合わんぞ」
「昔なら、日常茶飯事だったわね」
リンが、少しだけ懐かしむように言った。
まあ、確かにね。
確かにあの頃は、こんなの当たり前で、毎日が命懸けだった。
だけど。
あの頃はあんまり怖くなかった。
アタシも、まだ自分の命の重みに気付いていなかったんだろうって、今になって思う。
だから他人の命だって、軽く考えてた。
今は、ちょっと違う。
「リン、今のアタシをどう思う?」
アタシは思わず尋ねた。
「なに、急に?」
リンは意表を突かれたように声を高くした。
「昔のアタシと、今のアタシ。前にあなたはポンコツになった、何て言ったけど、やっぱりそんな風に思ってる?」
「まさか」
彼女は笑った。
「そんな風になんて、本気で思ったりしてないわよ」
「良かった、じゃあ、どんな風に思ってるの?」
「そうね・・・」
リンは少し言葉をためた。
「前よりも、ちゃんと生きてるみたいね」
「なにそれ」
「良い顔してるってコト」
それは。
良かった。
アタシは操縦桿を握る手に力を込めた。
トマスの太陽が、眼前にその巨大な姿を湛えていた。
あれから18時間。
アタシとリンは一切の休息もないまま、巨大ダンプカーでの超高速耐久レースを続けた。
「進入角度をこのまま保って、出力を30%減圧、上でも下でも、太陽の重力に持ってかれるわよ」
「わかってる」
アタシは最後の繊細な操作を一つ一つ完了させた。
二等客船の外壁が、太陽の熱にじりじりと焼かれて、機内の空調コントロールの限界を超えた。みるみるうちに蒸し風呂のような状態になり、船内温度は43℃を指し示した。
化学兵器の毒素排出まで、タイムリミット1時間。
なんとか、間に合った。
アタシとリンは、意識がもうろうとなりながらも、震える手でハイタッチをした。
「にしても、40℃って、死ぬわ」
アタシは全身の汗が噴き出すのを感じた。
「スーツ内が、色んなものでべたべた。早めに着替えないと、こんな姿見られたら、お嫁にいけないわね」
「本当にね」
リンが疲労困憊の顔で同意した。
「中尉、そっちはどう?」
アタシ達はレナイスンの方を見た。
彼も、大分疲れを滲ませていた。
「応答はないが、通信機は正常に作動している。あとは、どの位で到着してくれるかだな」
彼の眼は、船内のモニターに注がれていた。
そこには、半日以上も無重力に放置されて宇宙酔いを起こした乗客たちが、更に突然のサウナ状態に追い込まれ、苦悶の表情を浮かべていた。
「このままだと、毒素が回らなくても危険な状況になる。特に、子供は耐えきれるか心配だ。重力だけでも戻せないか」
レナイスンの言葉は真実だった。
「いま、重力は復旧させるわ。あとは、この熱と、時間との勝負ね」
アタシは船内重力をオンにした。
体が落ち着くと同時に、スーツ内に溜まった水分が、全て足元に流れた。
ああ、気持ち悪い。
だけど、まだ気を抜くわけにはいかなかった。




