シーン36 しぶとい女は良い女
シーン36 しぶとい女は良い女
それから、どのくらいの時間が経っただろう。
ウィルの気配が消えて、とりあえずの身の危険が遠ざかったのを感じ取ると、アタシの朦朧とした頭脳に、再び血液がまわり始めた。
「あー、リン。起きてる?」
アタシはぶっ倒れたまま、聞いた。
「生きてる。けど、十分に痛いわね」
「そりゃ、普通なら致死レベルの銃撃だからね」
アタシはむくりと身を起こした。
服の胸元がきれいに溶けて、アタシの綺麗な肌が露わになっていた。
恩に着るわよ。シェード。
下着の下に身につけたフォースフィールド発生器、確かに本物だったみたいね。
リンも、半身を起こして、胸元の溶けた衣類をはたいた。
「ウィルの奴・・・アタシ達、すっかりと騙されちゃったわね」
「私は、ちょっと怪しいって、思ってたわよ」
「えー、嘘つき、ぜったいアンタも信じてたでしょ」
「あなたに調子を合わせただけよ」
リンの奴、絶対認めないんだから。
やっぱり可愛くない。
アタシはちらりと、カリブに目を向けた。
彼は倒れていた。
折角アタシ達を助けに来てくれたのに。
面倒臭い奴なんて思ってたけど。
・・・。
死んじゃうなんて、ちょっと信じられない。
アタシは彼の傷を覗き込んだ。
最初の銃弾は、彼のこめかみを貫いていた。
そのせいで、彼の顔が・・・ずれていた?
へ? ずれている? なんだこれ?
アタシが顔を近づけた瞬間、彼の眼がぱちりと開いた。
「ぎゃー」
アタシは思わず叫んでリンに飛びついた。
「何よライ、ってひゃああーー」
リンも悲鳴を上げた。
アタシの目の前で、カリブは半身を起こした。
撃ち抜かれた顔が半分くらい剥がれて、まるでホラー映画だった。
「騒ぐな、うるさい」
カリブの口のあたりが動いた。
「い、生きてる、なんで、ゾンビ?」
「馬鹿か、お前たちと一緒だ。フォースフィールドだ」
心なしか、彼の口調が違う。
カリブはぺっと、自分の舌を吐いた。
アタシが震えて見つめる前で、彼はその変装を解いた。
シェードの言葉を思い出した。
変装の上手い奴は、一瞬で年齢も顔も、性別さえも変えちまう・・・って。
こいつが、そうだった。
カリブの顔の下から姿を見せたのは、あのブラウンの髪だった。
「か、カーティス?」
アタシは思わず彼を指さして叫んでいた。
「カーティスか。まあ、その名前でも構わないがな」
リンが、目を丸くした。
カーティス? カリブ? どう呼べばいいのかしら。
彼は、癖のあるブラウンヘアをかきあげ、少し苦々しい顔になった。
「くそ、ウィルの野郎顔を撃ちやがって。おかげで、カリブで通せなくなった」
「カーティス、あんたって、犯罪結社の人間じゃないの?」
「そう思うのか?」
ぶるぶると、アタシは首を横に振った。
「やっぱり、軍事警察の方、よね」
彼はこくりと頷いた。
「カリブもカーティスも仮の名だ。俺は、エレス宇宙同盟軍、軍事警察諜報部のレナイスン・ショット。階級は中尉だ」
「ちゅ、中尉殿、でしたか」
アタシは少し固まった。
元、ではあるけれど、宇宙海賊だったアタシ達にとっても、軍事警察は天敵だったのだ。
「君の方こそ、正体不明だな。ミライ・サカザキ。いや、ラライ・フィオロン」
レナイスンの鋭い視線がアタシを射すくめた。
「セントラルスペースを調べてはじめてすぐ、君の経歴の異常さに気付いた。経歴の全てが空白で、偽りだらけの女。フォボスのツアーでも、それで君をマークしていた」
「あ。あの頃から・・・」
「ああ、何せ君は、あのシェードの友人とわかったからな。・・・てっきり奴もこの事件に絡んでいると思ったのだが」
レナイスンが「シェード」の名前を口にする瞬間、激しい嫌悪感がよぎった事に、アタシは気付かないふりをした。
「まあ、君の正体も、おおよそ予測はついてきた。彼女が口を滑らせていたしな」
「リン!」
彼女がしまった、という顔をして舌を出した。
全くもう、秘密がばれちゃうじゃないの。
「もっとも、俺自身、信じられないという思いの方が強い。それは、真実なのか?」
「え、そんなワケないじゃないですかー。アタシなんて、ただの就職活動中の女ですよ」
「よく言う」
言いながら、彼はアタシ達に背を向けた。
何をするのかと見ていると、真剣な表情で、熱心に空調システムを調べ始めた。
「どうしたの?」
「やっぱりだ」
彼はため息を漏らした。
「何が?」
「奴らの化学兵器だ。すでに、仕掛けられている」
アタシ達は慌てて彼の側に駆け寄った。
「最初から、空調システムの途中に仕掛けてあったな。プログラムに細工がしてある、遠隔操作で、空気中に散布される仕組みだ」
「じゃあ、早く止めないと」
「残念ながら、手遅れだ」
「え?」
彼は、どうしてそんなに冷静なの、って言いたいほどに冷静に呟いた。
「ウィルの野郎、俺達を撃った後、すぐにシステムを起動したようだ。すでに活動状態になって、船内への拡散が始まっている」
「ま、まじで?」
「ああ」
と、タイミングよく、不気味な振動が足元から伝わり始めた。
「ほら、これが証拠だ。どうやら、一等客船が切り離されたようだ」
「り、リンどうしよう」
「落ち着いてラライ。まずは、状況を確認しましょう。中尉に考えは?」
「こっちは計画が狂った、あまり有効な手がない」
レナイスンは、まるでアタシ達が悪い、と言いたげにアタシを見た。
「クレンが証拠のデータを届けられていれば、特殊部隊を早期に介入させられたんだが、カインに漏れてしまったのが痛いな」
なんだ、それってアタシのせいじゃ無いじゃない。
何でそんな目でアタシを見るのよ。
「予想よりも早くこの状況になってしまった。早急に救助隊を呼ぶつもりだが、時間的に間に合うかどうかだ」
「そもそも、もう少し早く突き止めて、計画そのものを阻止するって考えはなかったわけ?」
「それが出来ていればやっていた。残念だが、化学兵器についての情報入手は君たちの方が早かった」
「だったら、アタシ達の行動だって、少しは役にたったってコトね」
「危なっかしくて、見てはいられなかったがな」
ぎろりと、睨まれた。
なんか、すいません。
「だとしたら、少しでも打てる手を探さないと。時間稼ぎができるくらいのね。・・・あんまり、話し込んでる暇は無いんじゃない」
リンが言った。
彼女の言う通りだ。
一見した限りだが、空調室のシステムは、今更止められない。
だったら、どうする?
アタシ達はとりあえず、展望デッキまで戻った。
一等客船の船体が、徐々に離れていた。
幾人かの乗客が、その光景を不思議そうに見つめていた。
こうしている間にも、目に見えない化学兵器は、この空気中で増殖を繰り返し、毒素の排出時期を、今か今かと待っている。
「中尉、この船にも救命艇はあるはずよね。救命艇なら浄化装置もある筈だし、乗客を非難できないかな?」
リンが言った。
アタシは、良い案だと思った。
だが、レナイスンは首を横に振った。
「それは既に調べた。確かに救命艇はあるが、その半数以上が一等客船側に搭載されている。こっち側に残ってる数では、せいぜい200名が限界だ」
「ぜんぜん、足りないじゃない」
「そうだ。もしその手を使うなら、助ける客を選ばなければならん。それに、どう説明する? 迂闊な事を言えば、乗客は一発でパニックを起こすぞ」
それは問題だ。
アタシは頭上に浮かぶ、一等客船を見つめた。
あそこから、ウィルやカインはアタシ達を見つめている。
アタシたちの事を、・・・アタシ達が死ぬのを、楽しみにして待っている。
もしかしたら、いや、きっと何かしらの方法で、こちらの船内の様子も、向こうの船には伝わっているんだろう。
そして、この化学兵器のデータを巡って、いまから巨額の金が動く。
リンが、何かを思い出したように、アタシを見た。
「ラライ、銃は持ってきた?」
「あ、置いてきた」
「バッカ」
彼女が苛立った顔をした。
「これの事だな」
レナイスンが、アタシにヘルシオンβを渡してくれた。
「ありがとう、よくわかったわね」
って、思い出した、こいつ、あの時アタシのスカートの中覗いたんだった。
「よかった。ラライ、いまからこの船をジャックするわよ」
「うん。・・・、え? ジャックって言った、今?」
「そうよ、この船をアタシ達で奪うの。それしか、もう道はないわ」
リンはレナイスンに視線を向けた。
「中尉もその方がいいでしょ、仲間を呼ぶんなら」
レナイスンはリンを見つめた。
「確かに、その方が都合は良い・・・しかし、乱暴なやり方だな」
「生き延びる為なら、手段はもう選べないわ」
「まあ、君の言う通りか」
レナイスンは話をしながら、ふと、何かに気付いたようだった。
彼はリンの顔をもう一度見て、納得したような顔になった。
「そうか、君はスカーレットベルだな。セントラルスペースに手を出していた。・・・なるほど、想像とはちょっと違ったが」
「想像してた?」
「ああ、俺のイメージとはタイプが違った。だが、良い女だろうとは思っていた」
リンがくすっと笑った。
あら、何よ、良い顔しちゃってる。
「まさか警察に褒められるとは思ってなかったわ」
「良い女には条件がある。スカーレットベルはそれを満たしている」
「へえ、何かしら、訊いていい?」
レナイスンは微かに、表情を緩めた。
「しぶとさと、しつこさだ」
「な・・・るほど」
リンが楽しそうに頷いた。
レナイスンは、アタシにも目を向けた。
アンタもしつこそうな女だな。その顔が、そう言っていた。
そうね。
それが条件だったら、アタシはとびきり良い女だわ。
「しかし、船をジャックして、どうする気だ」
レナイスンが訊いた。
リンは、顔を上げて、頭上に広がる宇宙空間を見つめた。
「あそこを、目指すのよ」
彼女は指をさした。
トマス星系の中心。巨大な太陽が、惑星を煌々と照らしていた。
お読みいただいてありがとうございます
物語もいよいよ最終局面に入ってきます
ブックマークしていただいた方
感想や評価をつけていただいた方
本当に嬉しいです
ぜひ最後までよろしくお願いします




