伝令
再び、都知事室のドアが叩かれた。急を要するためか、秘書は、小海の反応を確認しないまま、やや乱雑にドアを開けた。
「どうしたの? 今度は何?」
「また『貨物列車』の件です」
秘書は、たった今、列車の乗客から直接連絡を受けた内容を小海知事にそっくりそのまま伝えた。
「本当、今日はふざけた奴ばっかりね」
小海が相楽のことを罵る。
「復讐だなんて、何をふざけたこと言っているのよ。未曾有の事態なんだから、政府が対応を誤るのも仕方ないじゃない。それとも何? あんただったら正しく対処できたってわけ? 後知恵もいいところだわ」
小海はイラついていた。
「貨物列車」を無事に東京都から脱出させることは、小海にとっても至上命題だったのである。
「それはそうですが、国民の中には相楽と同じようにエメラルド・クイーン号での政府の対応に不満を抱いているものもいます」
「じゃあ、今回の列車は違う対応をとるしかないわね。隔離はしない」
「知事、そう簡単な話ではないはずです。政府は、あの後、エメラルド・クイーン号における政府の対応を正当化する論を張り続けたのです。ここで知事がそれに反する対応をとることは、ダブルスタンダードだと捉えられかねません」
秘書の言うことにも一理ある。
しかし、小海の中では結論は決まっていた。
「でも、国民は誰も知らないでしょ? 列車内のことは国民には伝わってないはずよ。それどころか、国民は、列車は、コロナ重症者を病院に運ぶ緊急列車だと思ってるんだから」
「そうでかもしれませんが」
「いい? こういうときは堂々とすべきなのよ。嘘も百回言えば真実になるんだから。列車内で感染は起こっていないの。いい? 分かった?」
「…は、はい」
「それじゃあ、列車の運転手に連絡して、列車を走らせるように命じて。これから先、目的地に着くまで何があっても列車を止めてはならないと伝えるのよ」
宇都宮という運転手は、あまりにも小心者である。すぐに運転を止め過ぎなのだ。速度を緩めずに突っ切れば、デモ参加者の方から避けたはずであるし、狂った女の指示に従って列車を止めるなど笑止千万である。
「ブレーキは厳禁。目的地の直前まで完全自動運転に切り替えて、自分はボッーとしてるように伝えて。本でも読んでなさい、と」
「はい」
「そして、当初の予定どおり、列車から下ろした後、乗客の行動は一切制限しない。希望者だけが病院に行けばいい。いい? 分かった?」
「はい!!」
秘書は急いで踵を返すと、ポケットからスマホを取り出しながら知事室を出て行った。
秘書の背中を見送った小海はぼそりと呟く。
「ふざけるなって。あの列車には私の家族も乗ってるんだから」