排除
都庁にある都知事室の椅子に座りながら、小海都知事は新聞に目を通していた。
社会面からスポーツ記事まで、コロナ関係の陰鬱なニュースが続いている。
任期中にこのような未曾有のパンデミックに襲われてしまうなんて、小海はなんて運が悪いのだろうか。
ロックダウン宣言によるイメージ低下は、将来の首相争いにも影を落としかねないのだ。
もっとも、一時期に比べれば、小海の心理的な負担は軽減されていた。
ロックアウト宣言に踏み切るまでが、まさに地獄の日々であった。情報をアップデートし続けるために常にアンテナを張っていなければならず、深夜早朝問わず報告の場を設けなければならなかったため、まさに眠れぬ日々が続いた。
もっとも、一旦ロックダウン宣言を出してしまえば、小海のやることはハッキリする。
それは、自らの行った判断を正当化することだ。
政治の本来的な意味は対立する利害の調整である。しかし、皮肉なことに、政治家の腕の見せどころは、自らの主張の正当化であり、一方の利益を徹底に守りぬくことなのだ。
誰が何を言おうと、少しくらい新しい情報が出ようと、小海が一度下したロックダウン宣言を覆せない。そんなことをすれば、右からも左からも叩かれ、小海の政治生命にかかわることになってしまう。
そうならないように、ロックダウンの正当性を説き続けること。それだけが小海に残された「コロナ対策」なのである。
トントン、と都知事室のドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
小海が許可すると、小海の秘書が音を立てずにスーッとドアを開けて入室してきた。
秘書は手に持っていた薄い資料を小海の机の上に置く。それは、TVのキャプチャー映像を印刷したものだった。
「知事、大変です。例の『貨物列車』がデモ隊によって足止めを食らっています」
「何ですって?」
「例の貨物列車」とは、ロックダウンした東京都から政府関係者を脱出するために、東京都が用意した列車である。
その列車を走らせることを最終的に許可したのは小海である。
「貨物列車に乗っていた政府関係者の家族の一人が、貨物列車の画像をTwitter上にアップしてしまい、そこから政府関係者の脱出計画がバレて、今、炎上しています」
資料を1ページめくると、そこにはTwitterの画面が印刷されていた。「ロックダウン都市からの脱出!!」との文字とともに、オレンジ色の貨物列車の画像が掲載されている。
小海は舌打ちする。
「チッ……とんだクソガキだね。誰の子どもか特定はできてるの?」
「元都議の日下部先生のお孫さんです。Twitter上の情報からすでに都民が特定し、ニュースでもそのように流れています」
「あのガキか……」
小海も日下部の「豪邸」には何度も出入りしているため、日下部の孫の顔はよく知っている。
いつもスマホばかり弄っている陰気な奴だった。
「で、今、電車は動いてないの?」
「そうです。神田の踏切のあたりで大規模な座り込みが起きていて、完全に立ち往生してしまっています。デモ参加者の人数は徐々に膨らんでいき、今では1000人を超えているようです」
「あいつらには私の外出自粛要請が耳に入らないのかねえ」
小海は溜め息をつく。
都民は物分かりが悪く、小海の外出「自粛」要請の意味をいつまで経っても理解していない。それは補償なしの外出「禁止」命令なのである。
「仕方ないわ。排除しなさい」
「知事、排除というのは?」
「強制排除よ。機動隊を使えばいいわ」
秘書は苦虫を噛んだ顔をする。
「しかし、知事、デモ参加者のボルテージは相当なものです。いくら機動隊を出したとはいえ、排除できるかどうか……」
それに、と秘書は続ける。
「世論の声はさらに恐ろしいものがあります。自分たちは危険な都市に閉じ込められてるのに、政府関係者だけを脱出させるだなんて何事か、と。その上でデモ参加者まで排除してしまえば、怒りの矛先はここ都庁まで向けられる可能性があります」
「それもそうね」
小海は机に肘をつき、顎のあたりを撫でながらしばらく考える。どうすれば「正当」にデモ参加者を排除し、列車を進行させることができるだろうか。
-小海は閃いた。愚かな都民を撒く方法を。
小海は立ち上がる。
「決めた。今から記者会見を始めるわ。直ちに準備して」