抗議
無線の声が、予定していた乗客全員が無事「貨物列車」に乗り込んだことを告げる。
「了解です」
宇都宮勇人は、低い声で短く返すと、無線を切る。
そして、車外の様子を確認し、ホームに人が残されていないことを確認すると、列車の運転席に座った。
宇都宮に任された仕事は、特段いつもと変わることはない。単に列車を出発させ、目的に到着させるだけである。
もっとも、宇都宮に任されていたのは、都の超極秘任務なのである。
なぜなら、この列車の乗客は、普通の乗客ではない。そのすべてが政府関係者及びその家族なのである。
この任務は、お世辞にも決して宇都宮がやりたい仕事だとは言えなかった。
これは都民に対する裏切り行為だ。
都知事は東京のロックダウンを宣言し、都民が東京都から出ることを禁じ、コロナの危険に晒している。
他方で、東京都は身内である政府関係者のみを東京から逃がそうとしているのだ。
宇都宮は、今までなんとなく政治家は悪者だと思っていたが、ここまでの悪者だとは思っていなかった。根から腐りきっている。
もっとも、今回のコロナ流行を通じ、宇都宮は、そのような不正義も仕方がないことだと考えるようになった。
結局、正義や平等というのは「暇つぶし」のようなものなのである。それは、経済が上手く回り、人々の生活にゆとりが出てきてから初めて気にされる。
他方、一旦経済が停滞し、パイの数が限られるようになってくれば、正義や平等といったお題目はどこかに消え去ってしまう。
そこに現れるのは、力の強い者だけが生き残り、そうでない者は息絶える弱肉強食の世界。そこにはルールすら存在しないのだ。
そうなったときに生き残るためにできることは2つ。
自分が力の強い者になるか、もしくは、自分が力の強い者についていくことだけである。
JRの一運転手である宇都宮には地位も実力もない。
後者を選ばざるを得なかった。
この「貨物列車」の運転に対する報酬は破格のものであった。平常時の宇都宮の年収の額にも相当する。
コロナの感染防止のため、ロックダウンに加え、都内での通常の旅客電車の運行も全面休止となり、宇都宮は完全に仕事を失っていたから、その報酬は喉から手が出るほどに欲しいものであった。
ゆえに、宇都宮は迷わず手を挙げたのだ。
ヒールになっても構わない。
野垂れ死するよりは幾分もマシである。
列車を発車させて15分ほど経ったとき、宇都宮は、目の前の線路に異常を認めた。
宇都宮は急ブレーキを踏み、列車を急停車させる。
「……何だ……?」
線路上にあったのは、数百人規模の人の群れだった。
「てめえら、降りてこい!!」
「都民なめんじゃねえぞ!!」
「ふざけんな!! 政府関係者だけ逃げるな!!」
それは「貨物電車」の進行を阻止するための、都民の線路座り込み抗議活動である。
この政府関係者の脱出は極秘プロジェクトであり、部外には漏れることはないはずである。
そのためのカモフラージュとして、「貨物列車」の外観の列車を走らせているのだ。
それなのになぜバレてしまったのか。
宇都宮は唖然とし、デモに参加する老若男女をただ眺めるしかなかった。