貨物列車
日下部達彦は、実質上の一党独裁としてこの国を支配する与党である民自党の元都議であった。
日下部は都議を7期務め、最後の2期は、都議団長も務めた。
世田谷の高級住宅街に構えた住居は、近所に知らない人はいないほどの豪邸であり、日下部はその豪邸で妻と息子夫婦、そして孫と平和に暮らしていたのであった。
しかし、その平和な生活は、新型コロナウイルスの世界的流行によって、一気に脅かされるようになった。
老後のための蓄えであった金融商品は一瞬で溶け、都内に所有していた不動産の価格も一気に暴落した。これまで培ってきた優位がなくなり、まるで「一市民」かのような慎ましい生活を強いられるようになったのである。
日下部は7期の都議生活において、東京都の発展に十分に寄与してきたと自負している。
法人税を下げることによって、世界一企業活動のしやすい都市とし、海外からの企業を大量に誘致した。強制立ち退きによって、汚らしいホームレス達を市街地から追い払うことにも成功した。
しかし、もう東京はこれまでなのだ。
コロナによって、東京の繁栄の歴史は終わりを告げるのである。
そもそも、コロナがなかったとしても、東京には未来がなかった。
自分が都議を務めていた時代にすべて開発し尽くされ、需要は飽和され尽くしていたのだ。
ゆえにコロナの罪は、単に東京の死期を早めただけであった。
こうなる前に脱出するべきだったのだ。
「ほら、行くぞ」
駅のホームで、日下部は中学生の孫の達真の腕を引く。
達真は日下部とは逆の方を向き、何やらスマホを操作している。
「何してるんだ?」
日下部の問いかけに、達真は何も答えない。
日下部が達真のスマホの画面を除くと、そこにはオレンジ色の「貨物列車」の画像が写っていた。
今、日下部の目の前にあるオレンジ色の「貨物列車」-都が極秘で用意した旅客列車である。車両はわずか一車両しかない。
日下部とその家族はこれからこの「貨物列車」に乗り、東京を脱出する。
この権利は決してすべての都民に与えられているわけではない、今まで国や都に貢献してきたVIPのみに与えられた特権なのである。
そろそろ列車の発車時刻が近付いている。
日下部はスマホに夢中になっている達真の腕を無理やり引くと、「貨物列車」へと連れ込んだ。