戦士
くくくく
防御魔術をあっさりと突破した。その事実に誰よりも驚いたのは、それを成し遂げた本人だった。
実戦形式で何度か訓練はしていたが、まさかここまでの破壊力を有しているとは気づいていなかった。
ミハイルは頬が緩むのを抑えられない。あのエルフを、兵士にとっては悪魔とも言えるエルフを、強者を蹂躙したという快感が彼を満たした。
「弱いねえ。一発じゃないか。何十年も生きて、鍛え上げてきたのが無駄になったな」
ヘラヘラと笑う。
「下らん挑発にのるな、距離をとって叩き潰せ」
エルフたちが白兵戦を挑むという愚を犯すことはなかった。
無数の風の刃が迫る。風魔術とはいうが、あれは実際には風ではない。人体を殺傷できるほどの風圧を生み出したら、反動で術者が吹っ飛ぶ。
ではあれが何がと言うと、高速で打ち出される不可視の刃だ。風圧のみで人体を殺傷させるには莫大なエネルギーがかかるため、鋭利な質量物体を噴流によって射出しているのが風魔術の正体だ。原理としては、無色透明の投げナイフと一緒だ。
ここで重要なのは質量を持つということだ。質量があるならば、物理的な干渉ができる。
剣を振るう。金属が割れるような音を響かせながら、風の刃は霧散する。迎撃し損ねた刃が皮膚を切り裂くが、致命傷にはならない。
無視できると判断。防御を捨て、全力で前進する。
複数の裂傷を代償に敵との距離を縮める。痛覚の存在を呪いたくなるほどの激痛に足が止まりそうになるが、理性と根性で捻じ伏せる。
エルフの集団の中に飛び込み、その内の一人に狙いを定める。この距離ならば、筋力こそが最良の武器だ。
技術は不要。豪腕のみで剣を振り下ろす。
防御魔術、突破。得物による防御、突破。あらゆる障害を力任せに突破。殺人完了。
「化け物が!くたばれ!」
右の脇腹に激痛。エルフの槍が突き刺さっているのを、視覚よりも先に痛覚が教えてくれる。
「お前が死ね!」
憎悪を込めて、剣を横薙ぎに払う。下顎から上の部分をミンチに変えられて、エルフは絶命する。
脳内麻薬が切れかけている。肉体が破壊されても死ぬことはないが、痛みによって動きは鈍る。
恐慌状態に陥ったエルフが爆発魔術を放つ。近距離なら減衰がない分、風魔術より強力だ。
そのまま受けても大丈夫だったが、反射的に剣を盾にして防いでしまう。衝撃と共に剣が砕け散る。これは俺の判断ミスだ。痛みを恐れて、得物を失った。
「阿呆が。武器も無しに戦士と言えるか!」
魔術による遠距離戦を捨て、エルフの戦士たちが白兵戦を挑んでくる。数は三人。その判断は間違っていない。得物を失ったことで、こちらの火力と間合いは低下している。
「死ねい!」
振り下ろされる剣を冷静に見つめる。
人間が地球の支配者たり得るのは、筋肉や反射神経の進化を捨てて、手先の器用さや脳の発達を選んだからだ。牙や爪といった内蔵兵器で争うよりも、剣や槍などの外部装置で自らを強化する道を選んだ。
人は素手で戦えるように作られていないのだ。
ならば、どう勝つ?
ならば、獣になるまでよ。
防御を捨て、捨て身となり、ただ敵を殺すのみ。
後退するという考えを捨てる。敵の攻撃に向かって突進する。
右耳が切られ、鮮血によって視界が赤く染まる。
左手のうち、三指が切断される。
人体の急所である動脈が傷つけられ、太腿から血液が吹き出す。
払った代償は大きい。だが、死地は脱した。
「首を頂く!」
上段前蹴りにて、敵の顎を蹴り抜く。筋繊維の引きちぎれる不快な音と、骨が折れる小気味良い音を同時に響かせながら、一人が絶命する。残りは二人。
一人目の反撃を左腕で防ぐ。鮮血と共に、左腕が中ほどまで切断される。痛みで動きが止まりそうになるが、奥歯を噛み砕いて堪える。
二人目が横薙ぎでこちらの首を落とそうとしてくるのを視認。防ぐことも出来たが、無視して攻撃に移る。敵よりも、早く殺せばいいだけだ。
相手の頭を掌全体で掴み、そのまま持ち上げる。指の隙間から相手の驚いている顔が見えた。みしみしと音を立てながら、頭蓋骨を締め付ける。必死に抵抗して抜け出そうとするが、魔力強化も使っていないエルフが外せるほど柔ではない。
限界は意外と早かった。
ぐちゃり。
潰れたトマトのような音を立てながら、エルフの頭部はその形を失った。蜜柑ほどの大きさの眼球だけが、無傷のまま地面に転がった。
汚れた右手をズボンで拭いながら、三人目のエルフを殺すためにゆっくりと振り返る。
爆発。爆発魔術を受けたと認識。先ほどの一撃よりも
威力は弱かったが、千切れかけていた左腕が完全に吹き飛んでしまった。さらば我が左腕。二十八年間ありがとう。
爆発魔術を放ったエルフは、十メートルほど前方にいた。先ほどの一撃はこちらを殺すためというよりも、爆発魔術の反作用を利用して逃げるために放ったようだ。
だが、それはいい判断とは言えない。確かにこちらの間合いからは逃げることはできた。しかし、戦闘において、距離と時間は同義である。つまり、こちらに行動を起こすための余裕を与えてくれたということだ。
右腹に刺さったままだった槍を引き抜き、大きく後方に構える。全身の筋肉に力を込め、必殺の一撃を放つ準備を行う。相手のエルフが防御魔術を展開しているのが見えた。何をしようともう遅い。
腓腹筋を始点に、大腿筋、広背筋へとエネルギを伝播させていく。前腕筋まで到達したところで、それを一気に解放。腰の回転も加えながら、最高の一撃を放つ。
投擲。数多の動物の中でも、人類のみが行える必殺の技を、槍という最良の武器をもって放ったのだ。
槍が手を離れるのとほぼ同時に、エルフに向かって着弾。その一撃は音速を優に超えていた。
単純な暴力を前にして、エルフの防御魔術は意味を成さなかった。
必ず殺すと書いて必殺である。直撃と同時に防御魔術を破壊、術者であるエルフから人の形を奪い去る。原色の赤の塊と化したエルフの死体の中で、防御魔術の破片が艶やかにその赤色を反射していた。
当面の危機は脱した。が、まだ敵は残っている。残ったエルフ共をどう殺すか考えていると、意外な声が聞こえた。
「お見事!」
それはエルフからの称賛だった。強大な敵への掛け値なしの称賛だった。彼らも戦士なのだ。死地を切り抜けた、自らと同じ戦士への称賛だった。
いや、意外な声ではないな。俺も同じ状況ならば、敵を称賛するし、そのように在りたいと思う。
俺は彼らを殺すし、彼らも俺を殺す。その関係性は変わらないが、それでも何かが変わった。この感覚は言葉にし難いが、少なくとも馴れ合いではない。殺すに足る戦士への敬意と言うべきか。いや、言葉にすると安っぽくなるな。これは戦士にしか分からん。
だが、エルフたちの表情が一変する。
例え話をしよう。スポーツでもなんでもいいが、子供と大人が本気で戦うとする。当然、大人が勝つ場合が殆どだろうし、我々はそれを面白いと思わない。だが、子供が勝った場合、我々はそれを逆転劇として深く心に刻むことになる。我々は勝利した子供に惜しまない称賛を送る。
俺は、大人の方だ。
俺はズルをしている。死なない身体に、怪物のような力。そんなもので勝ったところで、なんの名誉にもなりはしない。相手よりも良い条件で戦っているのだから、勝って当たり前だ。
だから、彼らの非難するような表情も当然のことだ。俺は形を取り戻した左腕を眺めながら、そう思った。
ようこそ、新しい左腕。これからもよろしく。
強さを手に入れた。だが、もう二度と、彼らと戦いを共有することはできない。
などと感傷に浸ったところで状況は変わってはいない。俺個人の感情は別として、彼らは殺さねばならない。それが軍人という仕事だ。
「化生の類だったか。ならば、我らは人として貴様を嬲り殺さねばならんな」
「その通り。俺は化け物だ。全力で抵抗してくれ」
彼らの期待を裏切ったことを少し心苦しく思いながら、エルフの頭目を殺すべく歩を進める。
風、炎、爆発。各種魔術の総攻撃を受けるが、全て強引に突破する。
愚直なまでの前進を行い、敵との距離を縮めていく。
あと数歩で間合いに入るというところで、敵の妨害に遭う。
直剣を腰だめに構えての突撃、単純だが確実に効く攻撃だ。腹部に熱い感触。足が止まってしまう。
エルフの一撃は捨て身の一撃であった。こちらの足を止めた代償に、無防備な体勢をこちらに晒している。
懐まで飛び込んできたエルフの顎を目掛けて、拳を振り抜く。
右下から迫りくる拳に対して、エルフは抵抗せずにその命を散らす。
彼は抵抗出来なかったのではなく、抵抗することを放棄したのだ。
命を惜しむならば、魔術で攻撃すればよかった。だが、それでは俺の足を止めることは出来なかっただろう。
たかだか数秒、それを手に入れるために彼は命を捨てたのだ。
だが、彼の稼いだ数秒は既に消費された。
腹部の痛みを少し気にしながら、前進を再開する。
右足を踏み出した時、ふと聞き慣れた音が耳に入った。
極東戦争で、植民地紛争で、俺の行った戦場全てで聞こえていた。瀑布のような轟音が鳴り響いた。
円筒形の水冷タンクがどこか間抜けな印象を与える、帝国製の重機関銃がこちらに向かって火を吹いていた。
超音速で放たれる弾丸を目にしながら、俺は取り乱すこともせず、冷静でいることが出来た。
一度死ぬ前なら、みっともなく逃げようとしていただろうが、今の俺は死なないのだ。死なないのならば避ける必要もないし、恐れる必要もない。
装弾数は二百五十発といったところか。
三十秒もあれば弾切れを起こす。あとは近づいて射手の首をへし折ってやればいい。それでお終いだ。
恐怖に駆られて、引き金を引きっぱなしにしている様子を見ると、もう少しだけ早いかもしれない。
7.92ミリの弾丸が俺の体に入り、臓器、骨、筋肉を一緒くたにして破壊していく。
そこで俺は一つの誤算に気づいた。
銃で撃たれると痛い。とても痛い。
いや、痛いのは当然なのだが、この痛さは不味い。冷静な思考が奪われ、体が動かせなくなる。
俺は死なない。が、痛覚はある。
機関銃は当たれば大体の人間は即死する。痛いなどと思う暇もなく。だが、俺は違う。
痛い。死ぬ。治る。痛い。死ぬ。治る。
このループが無限に続くのだ。
この痛みから逃れようと、脳が意識を失わせようとするが、痛みで無理やり叩き起こされる。
文字通り死ぬほど痛いのを何度も何度も繰り返す。
三十秒が長い。時間に長いというのはどういうことだ。時間は前にしか進まないのだから、そこに指標は関係ない。熱いものは痛い。人間は液体なのだ。肉のジュースというわけだ。粒々が集合しているから、固体なのか。
痛い。発狂しかけていた頭が、痛みで元に戻される。
終わることのない地獄に頭がおかしくなりかけるが、そのような救いは俺には与えられない。肉が、骨が、精神が粉々に壊されて、また再生される。
だが、それにも終わりが訪れる。
最初に失ったのは光だった。機関銃による破壊に対して肉体の再生が追いつかなくなり、眼球が潰れたまま元に戻らなくなった。
次に音を失った。あれだけうるさく鳴り響いてた機関銃の発射音がまったく聞こえなくなった。
痛覚は最後まで無くならなかった。
着弾による衝撃が途切れたので、機関銃が弾切れを起こしたのだと気づく。
痛みはまだ続いている。だが、反撃せねば、またあの地獄に叩き落とされる。
動かなくては、と思うのだが体は言うことを聞いてはくれない。体が無いから動きようがない。
あの死んだエルフの戦士はまさしく勇者であった。
彼の命を代償とした時間は、俺の命を消費しきるのに十分であった。
もう痛い思いをしなくていいことに感謝しながら、俺は意識を手放した。
ヘイムグルは恐怖していた。既に肉塊と化し、動くことが出来なくなったそれを見ても、彼の恐怖は消えることは無かった。
しかし、ヘイムグルがそれ以上に恐怖したのは、機関銃の威力だった。
以前、帝国の人間と取引したときに防衛用に一丁買っておいたものだ。
この鋼鉄の兵器がなければ、いかに彼らが優れたエルフとはいえ、あの化け物を殺すことは出来なかっただろう。
このちっぽけな一丁の銃が。
誰が使っても同じ能力を発揮するこの銃が、あの怪物を止めたのだ。
これは彼らエルフにとって由々しき問題である。
ヘイムグルは優秀な魔術師である。人間の魔術師相手ならば、誰であっても勝つという自信があった。事実、彼よりも優秀な人間の魔術師は存在しなかった。
だが、この武器にはそんなことは関係ないのだ。
ヘイムグルが撃とうが、薄汚い人間の魔術師が撃とうが、これは等しく、破壊をもたらす。
これは弱者の武器なのだ。弱者が英雄を打ち倒すための武器。歴史に名を残せない、凡庸たる一兵士であっても、これさえあれば英雄たちを殺すことができる。
だが、この武器の使い手が英雄になることは決してない。この武器が使い手に名誉を与えることも。
これほどつまらない武器があるだろうか。
ヘイムグルは、自らの考えを改める必要があると痛感した。
彼らエルフが、今まで独立を保つことができたのは、エルフが人間よりも強かったからだ。
だが、その優位性はすでに失われようとしている。
人間共がそのことに気づく前に、ヘイムグルは自分たちの安全を守る手段を見つけなければならない。
その一つとして、この怪物は利用できるかもしれない。機関銃には耐えられなかったが、エルフの魔術による攻撃を受けても活動出来ていた。
この不死性を解明できれば、人間たちへの抵抗手段とできる。
まだ、我々は戦える。ヘイムグルはそう思った。
ヘイムグルは部下へと指示を飛ばした。
「その化け物を連れて行け。あとで私が直々に調べる」
「もう死んでいますが、よろしいのですか?」
「構わん。死体なら、それはそれで使いようがある」
ヘイムグルは、この村から出て行った彼女のことを思い出していた。今考えると、彼女は正しかったのかもしれない。ここにいても未来はないだろう。
我々は、今までのように強者としてはいられないだろう。人間共に迎合し、彼らと交わらなければならない時が必ず来る。
だが、それはまだ先の話だ。そして、ヘイムグルの仕事はそれを少しでも遅らせることだ。
ひとまずはこれで決着、ヘイムグルはそう思ったが、
彼の思うほど人間は愚鈍ではなかった。
「そいつを殺せば終わり、ってわけじゃないんだな。残念ながら」
そこに立っていたのは男だった。トレンチコートを靡かせながら、軍服が似合わない優男がへらへらと笑っていた。
「おおっと、聞かれる前に答えておくぞ。我が名はカトー・ヴァンガード。そこで死んでいるミハイル・ウィンチェスターの上官で、君たちを殺すために来た男だ」
ヘイムグルは、誰にも気づかれずに近づいてきた男に一瞬だけ驚いたが、相手が一人なのを見て精神的優位をすぐに取り戻した。
「そうか、理解したよ。ならば、我々の返事は分かっているな」
ヘイムグルは、彼の部下が機関銃を構えたのを横目で確認した。彼の命令があれば、すぐにでもカトーを蜂の巣にするだろう。
「ひゃー、怖いね。じゃあ、こうしよう」
カトーの背後に広がる森の中で、白い光が起こった。
続いて、風切り音とバケツをひっくり返したような音が聞こえた。
どさり、と何かが倒れた音がしたのでヘイムグルが音のした方を振り向くと、そこには死体があった。
人体の約六割が水分で出来ていると証明するかのように、赤黒い液体と化したヘイムグルの部下の死体が倒れ伏していた。
千切れた両腕が機関銃にくっついたままなのが、どこか滑稽な光景だった。
「一人で来るほど、自分の腕に自信を持っていないのでね」
カトーは煙草に火をつけ、一口だけ吸った後に、余裕ぶった態度でヘイムグルに話しかけた。
「まあ、お前らを殺すだけならさ、俺がここまで出てくる必要は無かったわけよ。機関銃でバーっと撃てば、それでお終いだからな」
「ほお、なら何故ここまで出てきてくださったのかね?」
「あのさぁ、降伏してくれないかなぁ。出来るだけ、殺したくないのよ」
どこか気の抜けた声色で、カトーは切り出した。
「具体的に言うと、傭兵としてうちの軍に雇われてくれないか、って話なんだが。金はきっちり出すし、おたくらの非戦闘員の面倒も見る」
「今まで殺し合っていた相手と手を組めと?」
「駄目かなあ。俺たちは魔術師を必要としていて、君たちは庇護者が必要だろう?」
「そこまで舐められるのは気に入らんな。我々エルフが、貴様ら人間に戦争で負けるとでも?」
ヘイムグルは自分でも思っていないことを口にした。
「強い奴が一人いれば勝てる、って時代はもう終わったのさ。質より量、今はそういう時代になっちまった」
カトーの言うことは正しかった。いかにエルフが強くとも、機関銃などという兵器を使われてはどうしようもない。
滅ぼされるよりも、恭順した方がいいのはヘイムグルにも分かっている。だが、合理性のみで人間が動けるわけではない。
「私は君たちが欲しいのさ」
「即答は出来ない。私一人で決めるわけにもいかないのでな」
ヘイムグルは揺れていた。
だが、その揺らぎは余計な一言によって収束した。
「そんなに気負う必要はないさ。難しいことをさせるつもりはない。他の連中と同じように機関銃撃ってくれればいい」
「それは魔術師であれば誰でもいいということか?」
ヘイムグルは怒りを覚えた。自らの誇りに対しての侮辱へ。
「我々がエルフだから、欲しいのではないな。お前はただ数合わせの魔術師が欲しいだけだな」
「えーっと、もしかして怒ってる?」
「あまりこういう下品な言い方は好みでないが、私はキレているぞ!貴様らカス共と、我々エルフが同列だなどと思うなよ。私は、私たちは貴様らよりも強い。その我々に、貴様ら能無し共と同じ仕事をさせるつもりか!お前は我々が我々だから欲しいのではない。ただ、魔術が使えるから欲しいというだけではないか」
「いやいや、欲しいのは本当だって」
「人を勧誘するならば、君でもいいじゃなくて、君じゃなくちゃダメなんだと言うべきだな」
カトーはどこかでエルフのことを見下していたことを反省した。かび臭い、閉じこもった、文明を知らん野蛮人だと、どこかで思ってしまっていたのだ。彼らも戦士であり、自らの矜持を持っている。
「いや、そうだな。貴殿の言う通りだ。貴殿らには貴殿らの誇りがある。故に、王国の利益のためではなく、戦士として貴殿らを殺戮しよう」
「応とも。だが、状況を理解しているのか?貴様は味方の射線上に入っているぞ」
ヘイムグルの陣形は、彼を中心として部下たちが横方向に広がっているため、味方を魔術で誤射することはない。
だが、カトーは彼一人が前に突出し、その背後に彼の部下たちが展開しているため、機関銃の火力が十分に活かせない。
先ほどのように一発や二発ならば問題ないが、機関銃の本領たるフルオート射撃を行った場合、敵よりも先にカトーの方が死体になるのは明らかだった。
「ああ、たしかにこいつは困った。困ったときはお空を見なさいってママが言ってたぜ」
そう言うと、カトーは地面に仰向けに倒れ込んだ。
直後に光と轟音。王国軍側の機関銃が発射されたのだ。
夜空を背景にして、弾丸の雨が頭上を流れていく。流星群のようにも見えるそれを眺めながら、カトーは少し無謀に動きすぎた自分を反省していた。
彼は、事前に部下たちに土嚢の上に機関銃を設置するように命令しておいた。そうすることで高さを稼ぎ、機関銃が自らに当たることを防いだのだ。
「熱っ!」
機関銃の弾丸が咥えていた煙草をかすめ、カトーの顔に火花を散らした。
禁煙しよう、カトーは十度目にもなる決意をした。おそらく、十一度目もあるだろう。
時間にして1分もかからなかっただろう。鉄の台風が通り過ぎたそこには、かつてエルフだったものの肉塊が散らばっていた。
だが、この攻撃によりエルフたちが全滅したわけではない。
彼らは咄嗟に土魔術を発動、地面に溝を空け、そこに避難することで機関銃の猛威から逃れていたのだった。無傷とは言えず、その数を半分ほどに減らしながらではあったが、機関銃の攻撃を防いだのだ。
カトーは自らが逃した魚の大きさを知った。工兵として、彼らを雇えればどんなに優秀であったか。
ここで戦場は膠着状態に陥る。エルフたちは機関銃を恐れ、彼らが掘った溝、塹壕から出てこない。
王国軍側も機動戦では機関銃を使えないため動くことができない。
砲兵がいれば、榴弾で無理やり塹壕から引きずり出すことも可能であったが、今回は連れてきていない。
故にカトーは原始的な方法で決着をつけることにした。
「抜剣用意ィ!」
いくら文明が発達し、機関銃などの強力な兵器が生まれても、それを使えるのは魔術師たちだけであり誰もが使えるわけではない。
一般兵士たちの装備は百年前と変わらず、剣や槍といった白兵戦を前提としたものだ。
機関銃兵を残して、王国軍の兵士たちがぞろぞろと出てくる。その手には剣や棍棒などが握られており、より暴力的な空気を纏っていた。
カトーは、彼ら全員に聞こえるように声を張り上げる。
「よーし、クソッタレ共。一つ良いことを教えてやる。エルフ女は美人ばっかりだ。アソコの締まりも良いし、見た目も若いのばっかりだ。どうだ、連中とやりたいか?」
「「ヤリたい!ヤリたい!ヤリたい!」」
「だったらどうする。お上品にデートに誘うか?飯を奢って、ホテルに来てくれるようにお願いするか?」
「「奪え!奪え!奪え!」」
「そいつはいい。だが、それを邪魔しようとするクソ野郎共がいるぜ。そいつらをどうする」
「「殺せ!殺せ!殺せ!」」
「その通り。その通りだ、クソッタレ共!男は殺せ、女は犯せ!連中の首を落として、女房を目の前で犯してやれ!行くぞ、クズども!」
鬨の声が上がる。
欲望に目をぎらつかせた兵士たちがエルフたちに向かって殺到する。
エルフが魔術により迎撃を行うが、その勢いを止めることはできない。それは大河を小石で堰き止めようとするが如き愚行であった。
濁流のように押し寄せる兵士の群れは、遂にエルフたちと剣を交えることができる距離まで接近する。
エルフたちが作った塹壕に向かい、兵士たちが次々に飛び込んでゆく。
何日も風呂に入っていない、獣のような匂いを漂わせた兵士がエルフに向かって剣を振り下ろす。だが、その剣は防御魔術により容易く止められ、剣を振り下ろした兵士は頭部を風の刃で切断され絶命する。
続いて飛びかかってきた、兵士に爆発魔術を使用。三人ほどをまとめてなぎ倒す。
だが、彼の活躍はそこまでだった。
魔術の間隙を突かれ、その美しい顔に棍棒が叩き込まれる。何人もの兵士が倒れたエルフを取り囲み、その体に剣を突き刺した。
一対一ならばこのエルフは負けることはなかっただろう。そのことは王国軍兵士にも分かっていた。
だから、数に頼る。一人を十人で囲み、数の力で殺す。
それを恥だと思う者はいなかった。
もの言わぬ骸と化したエルフに背を向け、新たなる獲物を目掛けて獣たちは飛びかかった。
カトーはエルフの指揮官を探していた。乱戦となったことで、敵を見失ってしまったのだ。
戦場を走り回るカトーは何かを踏みつけ、ブーツの下に広がる嫌な感触を味わうこととなった。
それは肉片であった。戦場であれば特に珍しいことでもない。
だが、それは異様であった。カトーのブーツの下で蠢き、まるで生きているかのように動いているのであった。
それはどこかに集まろうとしているようだった。
カトーのブーツの下を離れ、肉片たちが一ヶ所に固まっていく。
焼く前のハンバーグのように集められた肉片たちは、次に何かの形に成形されてゆく。
粘度を含んだ肉たちは、不快な音を立てながら人型へと変わっていく。
表面に皮がはり、眼球や指といった細かいパーツまでもが徐々に修復される。
五秒も経たないうちに、それは完全な人間になった。
「今のは、少しばかり効いたな」
それは機関銃によって肉片にされたミハイル・ウィンチェスターであった。
不死身の怪物と化した男は、つまらなそうに生き返った。
それに気付いたのはカトーだけであった。他の人間たちは目の前の敵を殺すのに精一杯だった。
ミハイルは周囲を見渡すと瞬時に状況を理解し、手近なエルフに向かい襲いかかる。
「無視しないでくれよぉ〜。死ぬほど痛かったんだぜ?」
「まだ、生きているのか!?化け物ものがぁぁぁ!」
「うるせえ、お前も死ね!」
ミハイルはエルフの頭を握り潰した。
「フハハハハ!俺の勝ちィ!」
「楽しそうじゃないか、大将。地獄はどうだった?」
カトーは周囲を警戒しながら、ミハイルに話しかけた。
「これは、閣下。女が居ないと騒いだら、追い出されました」
「そりゃあいい。こっちは選り取り見取りだ」
闘争の狂熱が冷め始めているのを、カトーは感じていた。エルフはそのほとんどが殺戮され尽くしたようだ。
カトーは、一人背を向けて逃げようとしているエルフを見つけた。顔を見なくとも、それが誰か分かった。
「野郎がケツ見せるのは糞するときだけだぜ、エルフの大将よぉ」
振り返ったのはヘイムグルであった。
「逃げちゃダメだろ。ここで死んだ方が楽しいと思うぜ」
「自分の力を過信するつもりはない。これ以上ここに残ったところで、戦術的な価値は無い」
「ビビって逃げるだけだろ。格好つけるんじゃないよ」
「フン、好きなだけ挑発したまえ。私一人生き残れば、あとはどうとでも立て直せる」
ヘイムグルはカトーの挑発を無視して、逃げを打った。
それまで黙って見守っていたミハイルが口を開いた。
「リーリアの姉ちゃん、名前はレイリアって言ったっけ。あれはいい女だよな。胸はデカいし、尻はキュッと締まってる。顔も整ってる。あんな美人はなかなかいないよな」
「何が言いたい?」
ヘイムグルはこの言葉を聞いてはならなかった。
ミハイルを無視して、そのまま逃げるべきであった。
だが、彼の男の部分が逃げることを良しとしなかった。
「いや、何ちょっと質問したいだけさ。知ってるか?レイリアはさぁ、へその横に黒子があるんだ」
「何が言いたい…」
「鈍い奴だな。俺は、レイリアと、寝たと言っているんだ。いや、勿論無理やりだったけどな。だけど、最後にはレイリアも可愛い声で鳴いてくれたぜ。あれはいい女だったなあ、耳を噛むと喜ぶんだ」
一流の挑発であった。
思い人への到底受け入れることができない侮辱であった。
彼女の知性や性格を無視し、肉壺としての機能のみを評価する、目の前の男への正当なる怒りを抱いた。
だが、ヘイムグルは悲しいくらい賢い男であった。
このままあの怪物に切りかかったところで、自分が殺されるのは理解していた。
故に、彼が選んだのは逃亡であった。
「ここで死ねば、名誉は守れたのになぁ」
どこか退屈そうに、ミハイルは呟いた。
「そう考えるのは戦士だけさ」
つまらなそうにカトーが答えた。
「さて、あらかた片付いたみたいだな。野郎共、略奪していいぞ。おいたはしてもいいが、殺すのはやめとけよ」
兵士は命をかける。その対価として略奪は当然の権利であり、それを許すのは指揮官の義務であった。
「閣下、少し頼みたいことがあるのですが」
ミハイルは覚悟した男の顔で、カトーに話しかけた。
「褒賞か?好きな女を持っていっていいぞ」
カトーは気分が良かった。
「少女を一人、お願いしたく」
嫌そうな顔でカトーは答えた。
「お前の性癖にどうこう言うつもりはないが、そいつは流石にクズじゃないか?」
「いや、そういう意味ではなく。面倒を見てほしい少女がいます。可能な限り俺が面倒を見るつもりですが、生憎と安月給でして」
「養子でもとるつもりか?まあ、金ならば出してやらんでもないが。私にどんなメリットがある?」
「自分が味方になります」
「断ったら?」
「自分が敵になります」
それは口だけではない、説得力を持った言葉であった。覚悟した男の言葉であった。
この男は、簡単に命を捨てることができる。
カトーはその覚悟を読み取った。
「分かったよ。俺のポケットマネーを出してやる。これでも貴族の息子でな、金は持っているんだ」
「ありがとうございます」
「ただ、なんの対価も無しにってわけにはいかない」
「私にできることであれば何でも致しましょう」
「なあに簡単なことさ。私の友人になってくれないか?貴様の力は一兵士としては過ぎたるものだ。故に部下として扱うよりも、友人として扱った方が御し易いと思う」
「そんなことでよろしいので?」
「よろしいのさ。これからは俺とお前の仲でいこう」
「分かりました。いや、分かった。では今後ともよろしく」
ミハイルが差し出した右手を、カトーはどこか躊躇した様子で握り返した。
「ああ、よろしく頼む」
ねちゃり。
ミハイルは、先ほどエルフを握り潰したのを思い出した。当然その手には、脳みそやら血やらがついているわけで。
ごめんよ。
虫の鳴き声と葉の擦れる音だけが響く森の中。静寂がその存在を声高に主張し、空には不気味なほど大きな月が輝いている。
文明の香りが失踪した森の中で、無粋な足音が響く。
それは一人のエルフであった。息を切らし、その美しい顔を苦痛で歪めながら、その男は走っていた。
無様であった。死に時を間違えた男の醜い逃走であった。
だが、ヘイムグルは自らを恥じなかった。これは逃走ではなく、撤退である。このまま帝国まで行き、帝国からの協力を得てまた復讐に戻ればいいと思っていた。
エルフは名目上は非戦闘員であり、今回の侵略は条約違反であった。王国の行動が知られれば、国際世論からの非難は免れないであろう。そして、その情報を持っている自分は、王国に敵する帝国との取引材料として使える。
暴力で勝てないのならば、政治で勝てばいいのだ。
ヘイムグルは自ら戦士の資格を捨てたことに気づかなかった。
静寂の中、ヘイムグルは自分以外の生き物の気配に気づいた。
ヘイムグルが誰何の声を上げる前に、それは姿を現した。
それはヘイムグルの最愛の女性の妹、リーリアであった。
追手ではなかったことにヘイムグルは安堵し、彼女に近づこうとしたが、ヘイムグルはバランスを崩して倒れる。
何が起きたかすぐには理解できなかった。だが、目の前の少女が持っているものを見て、ヘイムグルは自分の運命を悟った。
どこから拾ったのか、リーリアは拳銃を持っていた。
そこから発射された九ミリの弾丸がヘイムグルの太ももを貫いていた。
彼は本能的に死を悟った。どくどくと、命の源が大動脈から流れ出ていくのを見る。
ヘイムグルはどこか穏やかな気持ちであった。死というものに近づいたからこそ、彼は何かを思い出した。これは正当な復讐であり、リーリアの行動を非難するつもりはなかった。
ヘイムグルは、ゆっくりと自分の頭に右腕を向ける。
このまま殺されてもいいが、それはつまらない。
なので、彼は一つ呪いを残すことにした。
リーリアが拳銃を構える。
破裂音が森にこだました。
帝国軍人オットー・スコルツェニーはエルフ達と取引していた証拠を消すためにここを訪れていた。
機関銃などの重火器を民間人に供与していたことがバレたら、国際世論の批判を受けることは明らかであった。
だが、彼は少しばかり遅かった。王国軍はこの村のことを嗅ぎつけ、すでに占領してしまっていたのだ。
王国軍が略奪を行なっているのを記録映像に収めたあと、彼は部下たちを連れてヘイムグルの回収に向かった。機関銃の回収は間に合わなかったが、この記録映像があれば、交渉材料としては使えるだろう。
そして、森の中でヘイムグルが死ぬのを彼は見た。
スコルツェニーは少女が引き金を引くのを止めようとしなかった。
少女の殺す理由が復讐ならば、なおさら止めるつもりはなかった。
復讐では何も得られない。だが、スカッとする。そのスカッとが人生を楽しくしてくれる。
故に、スコルツェニーはヘイムグルの死をつまらなく思う。
少女が引き金を引く前に、ヘイムグルは自害したのだ。
自らの頭を爆破魔術で吹き飛ばして。
少女は、自らの荒れ狂う心を慰める方法を永遠に失ったのだ。
それは呪いでもあり、祝福でもある。
少女がヘイムグルの死体からペンダントを抜き取るのを見届けたあと、スコルツェニーは帝国への帰路についた。