森の人たち
かかかか
生き返ってから一ヶ月、俺は博士による実験を受けていた。厳密には博士ではないと本人は言っていたが、博士と呼んだ方が呼びやすいので、みんなはそう呼んでいる。俺もそう呼ぶ。
再生能力と異常なまでの筋力。それが、死にかけて手に入れることができた能力だった。
つま先から少しずつ切り落とす。油をかけて燃やす。重りをつけて水に沈める。神経毒を静脈に注射する。
実験という名前で行われたそれは、ほとんど拷問に近かった。耐久試験と博士は言っていたが、人権という言葉を知らないようだった。
残念なのか幸福なのか、どんなことをされても俺は死ぬことはなかった。ただ毒はまずい。あれは苦しい。
無論、死ぬことはない。しかし、体が毒に適応するまでに半日ほどかかる。その間は、死にそうな痛みを永続的に味わうことになる。
毒以外の物理的なダメージ、手を切ったり、足を潰されたりといった損傷は、その場ですぐに治った。ミチミチと音を立てながら再生していく手足を見ると、化け物になったことを実感した。面白いのは、千切れた手足がくっつくのではなく、新たな手足が生えてきたことだ。博士は、エネルギーをどこから確保しているのか謎だ、などと言っていた。
戦闘訓練なども行われた。どこから捕まえてきたのか、野犬の群れなどと戦わされた。
犬というのは意外と手強い。人間ほどではないにしろ、高い知能を生かして連携をとり、群体として行動することができる。
囮役、攻撃役、補助役。誰に教えられたわけでもないのに、軍隊のような戦い方をしてきた。
犬に襲われている俺を見て、中将がニヤニヤと笑っていた。アイツは屑だ。
だが、圧倒的な力の前には犬たちの努力は無意味であった。腕を振るえば首が飛び、蹴りを入れれば胴体から真っ二つになる。技術もへったくれもない、単純な力だけで生命を破壊する。
犬たちと戦った次の日、博士を誘って中将に嫌がらせをすることにした。あの薄ら笑いがムカついたからだ。
中将は士官用の宿舎に泊まっていた。小綺麗な部屋だ。
二階の西端にある中将の部屋に向かって、犬の死体を投げ込んだ。風呂上がりだった中将は、もう一度シャワーを浴びる羽目になった。博士と二人で大笑いした。
次の日、穏やかな朝日と共に目が覚める。下士官用の部屋はそれほど広くはないが、自分だけの部屋というのはいいものだ。隣の奴のいびきに悩まされることもなく、物音を立てないように気をつかう必要もない。
窓を開け、部屋の中に空気を入れる。
冷たい空気が部屋の中を通り、ぼやけた頭を覚醒させる。
景色を眺めていると、中将と博士が手を振っているのが見えた。手を振り返す。
べチャリ。少しひんやりとした、何か生臭いものが顔に向かって飛んできた。口の中に酸味とも苦味ともつかない、独特のえぐみとでも言うべき味が広がる。
顔に飛んできた塊を手に取り、眺める。
眼球や脳といった、比較的柔らかい部分から腐り始めた犬の頭部だ。もう一度外を眺める。二人とも笑っていた。クソッ。
次の日、中将に誘われて博士のところに行った。あいつ一人だけ嫌な思いをしていないのはずるい。
博士の研究室目掛けて、犬の死体をぶん投げる。昨日よりも、腐食が激しくなったそれを手に持つには、少なくない抵抗感を伴ったが仕方ない。遊びに手を抜くわけにはいかないのだ。
パリン、と音を立ててガラスが割れる。博士が出てくるのを期待しながら待っていると、助手の女の子が泣きながら出てきた。名前は何と言ったか。
中将と二人で平謝りした。悪いことをした。
博士も何故か謝っていた。少しだけニヤついてやった。
仕事をしたり、遊んだりしているうちに二ヶ月ほどが過ぎた。
現在、俺は王国東部に広がる森林地帯、帝国と国境を接するアウリス大森林に来ている。
もう少しの間ダラダラと怠けたかったのだが、王国軍には穀潰しを雇う余裕は無いらしい。
俺の任務はこの森を支配するエルフと協力、または殲滅して、この地を帝国侵攻への橋頭堡とすることだ。
嫌な仕事だ。交渉なんてものは俺には無理だ。血を見ることは確実だ。
何よりも嫌なのはエルフと関わることだ。あいつらは屑だ。俺みたいな普通の人間を差別する。森の中に引きこもって、自分らのことを何か高尚な生き物だと思っているところも気にくわない。
この森はとても綺麗だ。だが、その美しさは不自然なのだ。
本来、森にはゴキブリやネズミといった、あまり見た目の良くない生き物が住み着いている。だが、この森にはそれらがいない。木々と花々、あとはそれらを成長させるために必要な蝶や蜂などしか居ない。猪や鹿すらいないのだ。
森の守護者などとエルフ共は言っているが、アイツらも俺たちと変わらない。気に入らないものは間引いて、自分たちの好きなものだけ生きることを許す。
この森には連中の傲慢さがよく表れている。
それでも、俺はエルフのことは嫌いではない。
見た目が美しいからだ。肉人形としてのエルフは大好きだ。友人になるかと言われたらごめん被るが。
前に会ったエルフの女は良かった。見た目も良かったし、性格も捻じ曲がっていなかった。名前は何と言ったか。機会があれば、是非また夜を共にしたい。
森の中を歩いていく。この森には臭いがない。化学調味料を直接食べさせられているような不快感が湧いた。
しばらく歩くと、人の気配がすることに気づいた。
数は五人。いや六人か。やっぱり七人かもしれない。格好つけてみたが、よく分からん。
無視して歩き続けると、右の太腿に熱いものが広がった。先端をめり込ませた矢が見えた。
「薄汚い人間風情が、我らの土地に何の用だ」
男女それぞれ四人ずつのエルフが、弓を携えながら木の上から降りてきた。
殲滅すべきか、それとも協調すべきか。今の俺なら八人くらいどうにかできそうな気もしないではない。しかし、自分がどの程度強いのかまだ把握できていないので、とりあえず友好的に接する。
「待ってくれ。争うつもりはない」
「ならば、我々に何の用だ」
しまった、特に理由を考えてきてはいなかった。上手いことこいつらを騙くらかして協力させるのがベストだが、俺は口が上手くない。
あなた方の森が邪魔なので焼かせてください、と素直に言ったところで、はいそうですか、とはいかないだろう。
「古い友人に会いに来ただけだ」
適当に理由はでっち上げるしかない。バレたら、全員殺して埋めちまえばいいか。
「友人?耳無しが、我々と?」
エルフは人間のことを耳無しと呼ぶ。まあ、俺たちも耳長と呼ぶから、それについて文句は言わない。
そういえば、前に会ったエルフの女からペンダントを貰っていた。あれを使うとしよう。
「このペンダントの持ち主に心当たりはないか?」
「む?それは…」
エルフたちに反応があった。
「彼女にこれを返しに来た」
「少し待て」
エルフたちは話し合いを始めた。エルフの間では、森を出たエルフは差別されるらしいが、どうなるか。
やはり、エルフには美形しかいないらしい。ただ話しているだけなのに、非常に様になっている。せめてあの顔の半分程度の美しさがあれば、女をひっかけるのも楽になるのだが。
「族長に判断を仰ぐ。ついて来い」
「了解した」
エルフたちは、自分たちで判断することをやめたらしい。
エルフたちに布を手渡された。目隠しをしろということか。用心深いのはいいことだが、歩数と向きさえ覚えていれば大体の場所は分かる。
エルフたちに手を引っ張られながら、森の中を歩かされる。
二時間ほど経っただろうか。目隠しが外され、新しい光景が目に入る。
美しい。エルフたちへの悪感情を覆すほど、彼らの村は美しかった。
そこは村というよりも森だった。空を覆うほどの高さまで伸びた木々が、差し込む光を穏やかなものに変えている。オークの木を切り出し、その紋様を最大限に生かすように作られた家々。
走り回るエルフの子供たちがその風景をさらに幻想的にさせている。
何よりも目を引いたのは村の奥に聳える巨大な木だった。ビルよりも大きく、だが不思議と威圧感はない。
絵本の中に迷い込んだような、という感想は少女的だろうか。
「何を呆けている。行くぞ」
エルフに声を掛けられ現実に引き戻される。
エルフ達に案内されたのは村の中心に建つ小さな一軒家だった。
「入れ」
簾で仕切られた玄関を通り抜け、土間に入る。
パチパチと音を立てる囲炉裏の側に座っていたのはエルフの男だった。見た目は三十代前半の、白銀色の髪をした男だ。族長と呼ばれるには若く見えるが、中身は見た目の十倍は年をとっている。
「お前がレイリアの知り合いか?」
レイリア?ああ、あのエルフの女か。
「そうだ」
「何故ここに」
「貰った物を返しに」
「そのペンダントは森の守護者であることの証。余所者に、そう簡単に渡すような物ではない」
「俺に言われても知らんな。助けた礼に貰っただけだ」
「フム…」
「要件はそれだけだ。余所者はさっさと帰るとしよう」
村に案内させたことで、俺の目標は十分に達成できた。村の位置さえ把握できれば、後は中将に報告して、交渉するなり蹂躙するなり任せればいい。
ここに留まる意味は無い。
「待て。同胞を救った者に対して何の礼もしないのは我々の誇りに関わる。もてなしをさせてくれ」
任務に時間は指定されていなかった。つまりは、少しばかりいい目を見ても咎められはしないということだ。耳長共がどんなものを食うのか少しばかり興味が湧いた。いい機会だ、たまにはヘルシーな食事も悪くはない。
「フム…。ではお言葉に甘えるとしよう」
「それは良かった」
エルフの族長がニコリ、と微笑んだ。何故か俺はその笑みに強烈な不快感を覚えた。
「案内役を付けるから、何か困ったことがあれば彼女に言え」
「ああ、助かる」
族長の家を出ると村中のエルフが集まっていた。余所者が珍しいのだろうか。
その中の一人の少女に声を掛けられた。
「はじめまして、お客人。案内役を務めさせていただく、リーリアと申します」
「ああ、ウィンチェスターだ。よろしく頼む」
リーリアと名乗った少女に連れられて、彼女の家に向かって歩いていった。準備などがあるので、今日の間は彼女の家に泊まるようだ。歩いている途中、エルフ達からの視線が気になった。動物園のライオンになった気分だ。じろじろと見られるのは気分が良くない。ヒソヒソと喋りながら、こちらを見下したかのように時々笑っていた。いや、こいつは被害妄想がすぎるな。
「姉は元気でしたか?」
「君は彼女の?」
「はい、妹です」
「そうか…」
自分が犯した相手の妹に会うというのは妙な気分だ。罪悪感などという物は忘れたが、少しだけ申し訳なくなる。
「ああ、元気だった。それにいい女だった」
「そうですか」
少女の顔はホッとしたような、落胆したような、どちらとも言えない表情だった。
「君はここには一人で住んでいるのか」
「はい、姉が出て行ってからは」
大変だな、などという下らない感想は呑み込んだ。俺には同情する資格も、意思もない。
「ところで、昼飯を頂きたいのだが」
強引に話題を変えた。彼女もそれには気づいたようだったが、触れはしなかった。
「分かりました」
料理を作る少女の姿を眺めながら、今後の行動について考える。
プランは二つ。殲滅か、協調か。
殲滅するならば、俺一人では少々荷が重い。無論、時間をかければ一人でも皆殺しにはできる。一人ずつ首を捻じ切ってやればいいだけだ。しかし、彼らがどこかに逃げるという選択肢を選んだとき、俺一人では手が足りない。一人でも逃したのならば、帝国軍にその情報が漏れて防備を固められてしまう。
次に協調するという選択肢。これも俺一人では無理だ。彼らに協力を求めるのならば、何かしらの対価を提供する必要があるが、一大尉には彼らを満足させるほどの物や権利は提供できない。
おそらく、中将も俺に問題を解決しろなどとは求めていないのだろう。ただ俺に情報を持ち帰らせて、それを元に判断するつもりなのだ。ならば、俺は可能な限り第三者に徹しよう。どの選択肢が王国軍にとって最も有益なのか、中将に考えさせるために。
「できましたよ」
リーリアの声で考えるのをやめた。今は食事を楽しむことに集中しよう。
少女の作ってくれた食事は、何というか女性が好きそうなものだった。
レタスやパプリカなどのサラダ。豆のスープ。キノコのソテー。
キノコから食べてみる。薄めの味付けだ。だが、キノコ自体が美味いのだろう、味は悪くない。
スープを一口。出しはキノコで取ったらしく、優しい旨味が口内を通り抜けた。これも旨い。
サラダも食べたが、味以前に俺は野菜は好きではない。草は牛が食べるものだ。
どれも味は美味しかった。だが、これでは栄養が足りない。タンパク質がなければ筋肉は作れないし、炭水化物がなければエネルギーは確保できない。
難しい顔をして食事を食べ終わると、少女に声をかけられた。
「お口に合いませんでしたか?」
そんな顔をしていたらしい、悪いことをした。
「いや、普段食べなれないものだったので驚いただけだ。美味しかったよ」
そういえば、この少女の食事は毎日こんな感じなのだろうか。人様の食事にケチをつけるのは失礼だろうが、子供に関しては別だ。成長期の子供にはこの食事は淡白すぎる。
「えっ、何を」
嫌がる彼女を無視して、彼女の体に触れる。子供特有の柔らかさが少ない。体を撫でると、浮き出た肋骨が痛々しい。軍医連中に健康診断をさせれば、痩せすぎだと言われるだろう。
子供には優しくすべきだ。それが俺に残った最後の良心だろう。それまで失ったら俺は戦士ではなく、獣に堕ちてしまう。
「少し、出かけよう」
リーリアを連れて森に出かけた。何か動物を捕まえて食べようと思ってきたが、動物が全く見つからない。他のエルフは何を食っているんだ。
先程から少女は黙っている。見知らぬ男がにいきなり肉を食わせる、などと言われたら怖いだろう。
「この森には動物なんていませんよ。大人たちがみんな殺してしまうから」
いや、人間はそこまで有能ではない。いくら人間が殺そうとしても、動物は生き延びる。連中は強い。我々が思うよりもずっと。
「この村に、動物に殺された奴はいるか?」
「はい、何人か熊にやられて」
「なら、まだ動物はいるさ」
「それはどうして?」
「死んだ爺さんがよく言っていた。人間は弱い。一対一なら犬にさえ勝てないほど。だから人間の弱さに気づいた獣は人間を食べようとする。他の動物を相手にするより楽だからな」
思えば俺の人生の中で最も楽しかった時期は、爺さんのところで猟師の手伝いをしていた頃だ。
親父もお袋も死んで、天涯孤独の身になった俺を引き取ってくれたのが爺さんだった。村の連中はイカレだと爺さんのことを言っていたが、爺さんは俺にとって最高の家族だった。俺に戦い方と生き方を教えてくれた。
あの頃の俺は今みたいに擦れていなくて、どこにでもいるような少しナイーブな少年だった。
村の悪ガキどもに虐められた俺に、爺さんは喧嘩の方法を教えてくれた。
戦いは相手の弱いところを狙え、と。
次の日、俺は悪ガキの姉貴を襲って犯してやった。今思えばとんでもないガキだ。そいつの親父が怒り狂って、武器を持って我が家に押し寄せてきたのも当然のことだ。
だが、どんな事態になろうと爺さんは落ち着いていた。
壁にかけてあった斧を手に取ると、それを招かれざる客人に向かって振り下ろした。人間ってのは意外と簡単に死ぬんだな、と子供心に思った。
そんな強かった爺さんも死ぬときはあっさりしたものだった。熊に頭を潰されて、簡単に死んでしまった。
爺さんが死んでまた一人に戻った俺は兵隊になって、現在に至る。
注意深く動物の痕跡を探す。糞か足跡、何かしらが残っているはずだ。
異常を最初に察知したのは嗅覚だった。油や糞尿が一緒くたになったような、強烈な獣臭。
辺りを見渡すと黒い塊を見つけた。知っている。熊だ。
熊はゆっくりと俺に向かって近づいてきた。まるで、俺のことをただの食材だとしか思っていないかのように。
熊の振り下ろした腕が俺の顔の右半分を襲った。
後ろからリーリアの悲鳴が聞こえた。
熊にとってはそれはいつもと変わらない、日常の一つだったのだろう。トロい人間を二人殺して晩飯にする。だが、捕食者がいつも捕食者であるとは限らない。
肉が再生していくのを感じる。少し、顔がむず痒い。右腕を振り上げ、殴りつける。
熊の右肩の骨が砕ける。なるほど、二本足で立っているだけある。犬のように一撃で殺すというわけにはいかないようだ。
熊が雄叫びをあげながら、左腕を振り回した。肉が少し裂けるが、大したことではない。
熊の強さは、その圧倒的な膂力に由来する。筋力が桁外れであるため、テレフォンパンチで人間を殺すことができる。ならば、人間が同じ力を持てばどうなるか。
熊の鼻面に拳を叩き込む。頭蓋骨が砕けて眼球が飛び出る。反動で右の拳がぐちゃぐちゃになるが、すぐに治るので無視する。手についた熊の小さな脳髄をズボンで拭き取りながら、リーリアに向かって話しかける。
「飯の時間だ」
彼女は小便を漏らしていた。
熊の血抜きを手早く済ませた俺は、少女を連れて彼女の家に戻った。日はすでに沈み、空には大きな満月が浮かんでいた。
熊はそのまま背負って持ち帰り、近くの川で解体した。鉈があれば良かったのだが、残念なことに必要なものが必要な場所にあることは少ないのだ。素手で引きちぎりながら、無理やり解体した。
熊の肉は鍋にした。固いので、焼いて食っても不味い。
支給品の干し肉を取り出して、鍋に放り込む。そのまま食べるには味覚があることを呪いたくなる味だが、出汁にするなら悪くはない。
リーリアに野菜や香草を分けてもらい、それも一緒に入れた。生姜がニンニクがあれば臭み消しとしては最上だったが、まあハーブを入れるのも悪くない。
グツグツと三十分ほど煮込み、塩胡椒で味を整えて完成だ。悪くない。
リーリアと二人で鍋を囲む。我ながらいい出来だ。彼女に貰ったハーブがいい味を出している。
「美味いか?」
言ったあとで莫迦なことを聞いたと後悔した。本心はどうあれ、ここで不味いと答える莫迦はいない。
「美味しい。ちょっと獣臭いけど」
好意的な感想を貰えたので、嬉しくなった。お節介なことをしてしまっただろうか。
いや、うじうじと悩むのは俺らしくない。飢えというのはとても辛い。痛みや悲しみよりも。
「肉はいいぞ。肉を食うから、ライオンや虎は強いのだ。馬や牛は草ばっかり食っているから、人間の手下なんぞをやる羽目になる」
「じゃあ、肉も野菜も食べる人間は?」
「一番強い」
次の日、エルフ達からのもてなしを受けた。
伝統的な踊りを披露してくれたが、欠伸を堪えるのに集中していた。王都の研究者連中なら喜ぶだろう。だが、俺は貴重であることが価値のあることだと信じている莫迦どもの真似事をするつもりはない。
俺には色街の娼婦の下品な踊りの方が合っている。男が踊っているのを見て何が楽しいのだ。
午後には特に予定もなかったので村をぶらぶらとしていた。リーリアも誘ったが、学校があるとのことだ。こんな小さな村でも学校があることに驚いた。勉強するのは良いことだ。俺も勉強していればこんなヤクザな仕事に就くこともなかったかもしれない。一瞬だけ王都で銀行家をやっている自分を想像したが、すぐにやめた。王都で女を犯したり、人間を殺したら捕まる。
夜には宴を開いてくれるらしいので、それまでは暇だ。酒が出るといいが。
ああ、煙草が吸いたい。子供の前で吸うのはどうかと思ったので、昨日から一服もしていない。
澄んだ空気と緑の匂い。王都には無いものだ。
あの街を表すならば、下水の臭いと常にどんよりした空があれば十分だ。
掃き溜めのような街だったが、屑の俺には合っていた。
一人でぶらぶらしていると、エルフの女に声を掛けられた。見た目の年は十代後半くらいだ。そういえば、この村に娼館はないのだろうか。非常に繁盛すると思うのだが。
「こんにちは」
「ああ、どうも」
美人と話すと緊張していかんな。無愛想になってしまう。
「この村はどうかしら。良いところでしょう」
「まあ、悪くはない」
「何か不便はないかしら」
「肉が食べたいな。あの量じゃ子供には少ないと思うぞ」
女の顔が少し曇った。
「あんまり言いたくないんだけどね。あの子の家、お姉さんが出て行ってしまったでしょう」
「レイリアだったか?」
「そう、その娘。私は別になんとも思わないんだけど、村の年寄り連中はひどく怒ってね。生まれ育った村から出て行くとは何事かって感じで」
「それで?」
「私たちも村の爺さまの機嫌を損ねたくないのよ。あんまりあの子に親切にしすぎると、爺さま連中に睨まれるし。でも、何もあげないで死なせるのも寝覚めが悪いしであのくらいしか食べさせられないのよ」
だから田舎は嫌なのだ。単位が個人ではなく家族だから、一人の罪が家族の罪になる。
陰湿だ、と言い切ることもできるが仕方ない側面もある。閉じたコミュニティから外に出て行くことを一度でも許せば、それに続くものが出たとき止めることができなくなってしまう。人的資源の少ない村から若者が消えれば、後に残るのは年寄りだけだ。そうなったらコミュニティは回らない。リーリアは見せしめなのだ。
必要なことだからといって、感情的に納得できるかは別問題だ。
どうしようもない閉塞感に気分を害された。俺にはこの問題を解決する力も資格もない。所詮俺は部外者だ。俺が行動を起こして、何かが変わったとしてもそれは一時的なものだ。
女に別れを告げて、家に帰った。
リーリアはすでに帰っていたようだ。
どうでもいいような話をして時間を潰した後、宴に参加した。
宴では酒が出た。木のみを発酵させた白濁色の酒で、甘みが強く白ワインのような味だった。そういえば、今の俺は酔うのだろうか。アルコールも人体に有害であることには変わりない。なら、毒と同じようにいくら摂取しようと不死身の身体なら分解できるのか。
まあ、敵地で酔い潰れるような真似は出来ないので、実験するのは国に帰ってからだ。
宴は思ったよりも早く終わった。エルフは見た目は若くとも、中身は年寄りなのだろう。九時を回るころには、ぽつぽつと帰る人が目立ち始めた。
酒を飲むのも飯を食べるのも好きだが、年寄りの話を聞くのは好きではない。適当に切り上げた後、綺麗な星空を眺めながら家に帰った。
リーリアは居なかった。日も暮れているので少し心配になったが、まあ自分の故郷で襲われることもないだろう。
ふと近くに川があったのを思い出した。火照った体を冷やすにはちょうどいい。衣服を脱ぎ捨て、そのまま飛び込む。冬ではないとは言え、人間の体温に比べれば十分すぎるほど冷たかった。十分ほど泳いだ後、自分の行いを後悔した。酔っているのだろうか、冷静になると自分の行動に正当性を見出せず困惑した。
水面に映った自分の身体を眺める。男前が映っているのはいつも通りだが、胴体は前よりも逞しくなっていた。死ぬ前に比べれば、一回りほど大きくなっている。
胴体に刻まれた傷跡を撫でる。新しくできた傷は治るが、死ぬ前の傷はそのままだ。
しかし、あいつらは俺に何をしたんだ。死人が生き返って強くなるなど理不尽だ。
蒸気機関や機関車などの新技術をその原理まで理解して使っている人間は軍部でも少ない。俺だってなぜ動くのかは知らない。だが、それでも人類は戦争をできる。自分が何を手に持っているのか分かっていなくても、敵を殺すことができる。
俺に使われたのもそんな技術の一つなのかもしれない。
世界が自分の知らないうちに作り変えられていくような。いや、世界なんてのは元々俺がどう思うと変わる。そこまで難しく考えなくとも、単純に技術革新の一つなのかもしれない。
武器や技術がどう変わろうと俺たちのやることに変わりはない。敵を殺す。それだけだ。
葉の擦れる固い音が耳に届く。振り向くと、リーリアだった。
「よお、どうした。子供は寝る時間だぜ」
「ミハイル…」
不覚にも俺はどきりとしてしまった。リーリアの表情は子供に似つかわしくない蠱惑的な表情だった。どうしようもない現実を諦め、全てに関して無抵抗になったかのような。嫌だね、子供にこんな顔はさせたくない。
「眠れないのか?」
平静を装って声を掛ける。
「ねえ、ミハイル。もし自分が死ぬほど憎んでいる人が周りからは評価されていて、自分もその人がいなければ生きていけないとしたらどうする?」
勘弁してくれ、と言いそうになるのをぐっと堪えた。俺のような屑に相談事を持ちかけないでくれ。
いや、俺のような屑にでも縋るしかないのか。周りには頼れる大人は居なく、最愛の姉は消えてしまった。
「殺せばいいじゃないか」
「え?」
「嫌なんだろ、殺せばいい。何を迷うことがある」
「そんなのは人間の生き方じゃない。獣だよ」
獣か。そうだな、その通りだ。俺は畜生以下だ。汚いことも酷いこともたくさんしてきた。生きるためだったなどと言い訳するつもりはない。殺したいと思ったら殺すし、犯したいと思ったら犯した。そこに後悔はない。
「その生き方が嫌なら我慢すればいい」
「だから!」
「俺は二択でしか考えられないんだよ。殺すか黙るか。その二つを天秤にかけて、どちらが自分にとって幸せかを考えればいいだけだ」
「人を殺すなんて、そんなのは嫌だよ」
「俺たちに話し合いで解決できるような能力は無いだろう。だったら暴力だ」
学も金もない人間が望みどおりに生きようとするなら暴力しかない。だから俺は軍隊に入った。
「どうして、俺が助けると言ってくれないの…。嘘でも言ってよ…」
俺がここにいるのは一時的なことだ。しばらくすれば軍に戻る人間だ。その俺に何ができるというのだ。
彼女を苦しめる人間を殺すか。可能だな。だが一時的な解決にしかならん。殺した奴の家族が彼女を殺す。
彼女を守るためにここに残る。俺が軍に目をつけられる。
この村の連中を皆殺しにする。彼女に一人で生きていく力はない。
現実は物語のようにはいかない。どれか一つの選択肢が必ずハッピーエンドになるわけではないのだ。
彼女に嘘をつくのは簡単だ。君を助けに必ず戻ってくる、と俺が言えば彼女はそれを支えに生きていける。絶対にこない日を待ち続けて。
だが、それはあまりに悲しいじゃないか。
「俺は所詮余所者だ。君を助けられるような力はない。だから君がどうにかするしかないんだ。君が頑張るしかないんだ。最後に戦うのは君一人だ」
「私はそんなに強くなれないよ…」
「強くなくても戦うしかない」
ああクソッタレ。なんて無責任な野郎だ。結局俺は口だけじゃねえか。何も解決できない。クソッ、力はあるのにガキ一人助けられないのか。無能め。
「戦うのはお前が考えるほど、大変なことじゃあない。ナイフを持って、首を刺せば簡単に死ぬ」
「もし、失敗したら?」
「無様に死ぬだけだ。だが、自分の誇りは守れる」
どうしようもない屑な行為だ。何もせず、偉そうに能書きを垂れるなんてのは。だが、俺にはそれしかできない。
ふと空を見上げると、周りなど関係ない、俺は俺だと、月が煌々と輝いていた。