新しい時代と
ポーレッド公国は、グランデン王国と同様、ローム帝国の属国であった。だが、グランデン王国が独立した十年後、ポーレッド公国もかつての君主に反旗を翻すこととなる。
公国の独立には王国も手を貸しており、そんな経緯もあって、ポーレッド公国とグランデン王国は友好国であった。
故に、ポーレッド公ルドヴィク・ヴァーサは、グランデン王国と戦端を開くことに、複雑な感情を抱かざるを得なかった。
「戦争はしたくないな」
三十代前半の、年若い君主は自らの不安をぽつりと漏らした。
「あら、頼もしくないこと。兵たちが聞いたら不安に思いますわ」
ルドヴィクの妻、王妃アンナが夫の弱気を柔らかく咎めた。
ルドヴィクは寝室のワインセラーを開き、少し迷ったあと四十年もののワインを飲むことにした。
ルドヴィクはワインを注ぎ、ベッドに腰掛ける彼の妻に差し出した。
「弱気になったわけじゃないさ。我が国の軍隊は、このワインが作られる前から、戦争に備えてきたんだ、負けるつもりはないよ」
ワインを一口飲んだあと、ルドヴィクは続けた。
「ただ、気は乗らないね。勝って手に入るのは、少々の植民地と賠償金だけだ。戦費の方がはるかに高くつく」
「でしたら、戦争をするのはお止めなっては?」
「そういうわけにもいかないさ。帝国の皇帝にとって他の国は、敵か味方かの二択だ。かの国に味方すると言わなければ、その銃口は私たちに向く」
「では王国に味方して、帝国と戦ってはいかがでしょう」
ルドヴィクは優しく微笑んで、彼の妻に答えた。
「それはとても魅力的だね。王国とは父祖の代からの付き合いだ。彼らと共に戦うのは騎士として名誉なことだ。だが…」
どこか遠くを見るような目をして、ルドヴィクは続けた。
「悲しいかな。軍事力という点では、帝国の方が上だ。私個人の感情で、国家を敗北に導くわけにはいかないさ」
「不器用な方ですこと。この国はあなたの国なのですから、もっと自由に動いてもよろしいのでは」
「器用な男は嫌いだろう?」
「強引な方は好きですよ」
「なら、そうしようか」
ルドヴィクは王妃アンナに覆い被さった。
じゃれあうように、夫婦の睦言は続く。
だが、無粋なノックの音が、寝室に鳴り響く。
慌てて衣服の乱れを直しながら、ルドヴィクは訪問者に返事を行った。
「入れ」
「失礼します」
入ってきたのは、ルドヴィクと同年代の男であった。
「どうした、オスカル。こんな夜更けに」
彼岸花のように鮮やかな赤毛を持つ、オスカルと呼ばれた男は、自らの君主に跪いた。
「王国軍の侵攻です、陛下。国境沿いに王国軍が展開しているのを、偵察飛竜が捉えました」
「敵の規模は分かるか?大体でいい」
「夜間なので不正確ですが、一個大隊ほどの戦力です」
不思議そうな顔をして、ルドヴィクは答えた。
「少ないな。舐められているのか?」
「王国軍にも余裕がないのでしょう。帝国との戦線から、戦力を抽出するわけにもいきませんし」
「そんなものか」
ルドヴィクは、人身御供にされた王国軍に同情した。
「敵軍の侵攻方向は分かるか、お前の予想でいい」
「おそらく、敵軍は一気に首都に攻め寄せる腹づもりでしょう。戦力が少ないため、ゲリラ戦を仕掛ける可能性もありますが、それならば我が国内に攻め入りはしないでしょう」
「直線で首都に来ると考えると、交戦地域はヴィチェリ平原か」
ポーレッド公国の首都ワルシャクの西に広がるヴィチェリ平原は、豊かな緑が広がり、公国の特産品たる馬の放牧が行われる、公国を象徴する場所である。
また、高低差の少ない平原は、騎兵にとっては理想的な決戦場所である。
「軽く蹴散らしてやるとしようか」
「あまり油断はなさらぬよう、陛下」
「堅いことを言わないでくれよ。人が見ていないときは、昔のように話そうと言ったろ」
オスカルとルドヴィク、王妃アンナは幼なじみであった。平民であるオスカルとアンナ、王族であるルドヴィクが仲良くすることを快く思わない大人は少なくなかったが、当人たちにとって身分の違いは、友情を阻む壁にはなり得なかった。
また、そのような否定的な声も、ルドヴィクとアンナが婚約を発表したことで次第に小さくなった。
王妃に偉そうな口をきけばどうなるか分からない程、ルドヴィクの家臣は愚かではなかった。
少しだけ過去を懐かしみながら、オスカルは毅然とした声で答えた。
「けじめというのは必要でしょう」
ルドヴィクは微笑を浮かべ、誰にも聞こえないように自らの心情を零した。
「偉くなるもんじゃないな」
「オスカル」
凛とした、鈴の音のような声が騎士の名を呼んだ。
「陛下を頼みます」
短い言葉であったが、オスカルの忠誠心を満たすには十分であった。
「我が命にかえましても」
かつての友人であり、今は忠誠心の対象である王妃に向かい、オスカルは騎士としての在り方を示した。
「よーし、行こうか。騎兵は私が指揮を取る。歩兵はお前に任せるよ」
「いえ、私のような若輩よりも、ロベルト侯爵に指揮を取っていただいた方がよろしいのでは」
ルドヴィクは友人としての笑顔を向けた。
「あれも無能ではないが、お前ほど私の考えを理解してはくれまいよ。なーに、煩いことを言われたらこう言ってやれ、俺の友達は王様だってな」
オスカルは困ったように笑った。
「美味いっ」
青々とした牧草と、気を失いそうなほど青い空がミハイルの視界を占有した。
ぽつりぽつりと空に点在する真っ白い雲が風に揺れて、ゆっくりと西へと去っていく。
風に擦れる葉の音が、妖精のささやき声のようにミハイルの耳を弄んだ。
どこか本能的な安らぎを感じさせる、牧歌的な平原を前にして、ミハイルはニコチンを肺の中に送り込んだ。
「大自然の中で吸う煙草は美味いぜ」
「真面目に仕事しろ、馬鹿たれ」
呆れ顔で注意するカトーを前にして、ミハイルは戯けて答えた。
「やる仕事がないのさ」
「穴を掘れ。兵隊の仕事は穴掘りと歩くことだ」
ミハイルの前方の景色は緑の平原であるが、その背後には土色の光景が広がっていた。
緑の服を剥ぎ取られ、男たちにその体を好き放題にされた母なる大地が、恨めしそうにミハイルのことを見上げていた。
爆風を防ぐためにジグザグに掘られた塹壕と敵の侵攻を防ぐために設けられた鉄条網は、さながら戦化粧のように乙女を彩っている。
「そういえば、今回は魔術師用の機関銃しか持ってきていないのか?この前見せてくれた銃はどうした?」
「銃自体は今までの生産ラインを流用して大量生産できたんだが、火薬が足りないから弾が作れない。残念だが、今あるもので戦うしかない」
研究用の無煙火薬は少量生産されていたが、前線で大量に用いるには今しばらくの時間が必要であった。
「閣下、戦術施設の設営が完了しました」
「よーし、ご苦労。あとは敵さんが来るのを待つか」
任務完了の報告をしてきたカミンスキーに礼を言ったあと、カトーは地平線に目をやった。
肉眼では確認することはできないが、空軍の報告からポーレッド軍が展開していることは分かっていた。
「騎兵は嫌だ、歩兵じゃどう足掻いても勝てない。轢かれるか、首刎ねられて死ぬかのどっちかだ。まともに殺し合いもさせてもらえない」
どこかに潜むポーレッドの騎兵に、ミハイルは一兵士としての恐怖を述べた。
騎兵が有用なのは、衝撃力でも速度でもなく、恐怖である。
自分の身長以上の物体が突っ込んできて、まともに対応できる人間はいない。恐怖によって動きが鈍れば、それだけ戦力が低下することになる。
「そんな怖がるなよ。白兵戦やる前に決着が着くさ」
楽観的なカトーの態度に、ミハイルとカミンスキーは不安を覚えた。
ふと、カミンスキーの視界に機関銃を構えた年若い兵士の姿が映った。
まだ少年ともいえるほど幼く見えるその兵士は、辺りをキョロキョロと見渡したり、弾薬を何度も何度も確認したりと落ち着きのない行動をしていた。
カミンスキーは上官として、また年長者として、その兵士に声を掛けた。
「頑張るな、少年。初陣か?」
「はっ。閣下と共に戦えて光栄であります」
緊張した様子で、兵士が答えた。
「そうか。気楽に行け。初陣なら早々簡単に死なないさ、びびって前に出ないからな」
気楽な調子でカミンスキーは言ったが、少年の緊張は取れないようだった。
「死ぬのが怖いか?」
「いいえ、王国のために死ねるなら名誉であります」
「安心しろ、死ぬ時は一瞬だ。怖いなんて感じる前に、オーディン神の元に行ける。重症を負って死に切れなくても、僚友が楽にしてくれる」
「その時は俺を呼べよ。一発で首を刎ねてやる」
口を挟んだ馬鹿の言葉に、二人の愚者も大いに笑った。
ただ、年若い兵士だけが引きつったような笑みを浮かべていた。
前線から遠く離れ、国境にほど近い地点に王国軍は簡易基地を作った。工兵たちに土地を均させ、簡易コンクリートを敷き詰めた飛行場は、僅か三日ほどで建設された。機械化と魔術化された工兵部隊は、まるで魔法のように、森の中に建物を作り上げた。
飛行場内に設けられた滑走路に並ぶ飛竜たちを眺めながら、ギンヌメール元帥は満足感に浸っていた。
空中での迷彩効果を期待して、白と青の塗料を塗られた飛竜たちが、子供向けの絵本に出てきそうな不思議な見た目であった。
「フッ、ついに人類は空の上でも血を流すか」
独り言のつもりであったが、傍に控えていたノートン博士が答えた。
「人が人である限り闘争をやめることはないでしょう。空の上でも、海の底でも」
「それもそうか。君の作ってくれた装備には感謝している。これでようやく我々も戦争ができる」
「いえ、実戦投入はこれが初めてですので、閣下のお陰で我々も性能評価ができます」
ギンヌメール元帥はおべっかを使わないノートン博士を好ましく思った。
「さてと、では兵士たちの尻を蹴飛ばしてやるとするか」
ギンヌメール元帥はマイクを手に取り、飛行場内で待機する全ての竜騎兵に向けて声を発した。
「諸君、我々は今まで日陰者であった。我々の任務は偵察や輸送、実際に殺し合いはしない仕事だ。諸君らは僚友を失ったことがあるか?任務から帰ってきたときに、居なくなってしまった僚友に気づき涙を流したことは?ないだろう。我々は任務で命を失うことはなかった。だが、これからは違う。諸君らは前線に赴き、敵の飛竜を攻撃し、敵の地上部隊を爆撃する。当然、反撃にあえば、諸君の中から死者が出る。だが、諸君らはこれより戦士になる。地上部隊の連中に、空の奴らは血も流さずに気楽な仕事だ、などともう言わせはしない。諸君らは血を代償に、自らの誇りで戦う戦士になる。血を流し、血を流させよう。これより空は、我らの戦場だ。飛び立て、竜騎兵たちよ!戦場で名誉が待っているぞ!」
ギンヌメールの号令を背にして、飛竜たちが大空に飛び去っていく。
その姿を目にして、ギンヌメールは寂しそうでもあり、嬉しそうでもあった。
自らの部下を死地に追いやる罪悪感があった。
だが、それ以上に、自らの部下たちに名誉を与えられるのが嬉しかった。戦士は命を賭けるから戦士なのだ。
竜騎兵たちは誇りを持って、大空の覇者となる。
ポーレッド公国の竜騎兵、ユリアン・ノヴァクは退屈そうに欠伸をした。
飛行帽の下から透き通るような金髪を覗かせた若き竜騎兵は、高度三千メートルで自らの相棒に跨り、空を飛んでいた。
その任務はグランデン王国軍の偵察である。
ユリアンにとっては退屈な仕事であった。
温度調節、与圧、対G機能を備えた飛行服を着ていれば、地上にいるのと同じように呼吸ができる。
そのような快適な環境下で、ユリアンの仕事はただ飛竜に乗り、敵軍の上を飛ぶだけであった。
航空写真の撮影は後部に座る副パイロットが行なってくれるので、ユリアンはタクシーのように自分ともう一人を運んだ。
手綱に魔力を込めて、飛竜に速度を上がるように命令する。人間と飛竜では当然会話することはできないが、魔力を通せば、止まれや進めといった簡単な命令を信号にして送ることができる。
僚機を追い越し、ユリアンの飛竜が先頭に躍り出る。
編隊飛行を崩すのは軍規違反であるが、咎める者はいなかった。
ユリアンは重力から遠く離れた場所にいながら、自分を押し潰すような力を感じていた。非情なまでの退屈が、彼の体を重くしていた。
来る日も来る日も同じ任務。敵の偵察を行い、帰還。その後は同僚と少し話したあと、帰宅する。
失敗することはないが、かといって成功する喜びもない。そのような変わらない日常の中で、流れの止まった川のようにユリアンの心は少しずつ腐っていった。
それはユリアンだけでなく、この時代の全ての飛竜乗りが共有する思いだった。
子供の頃に夢見た騎士道物語のように、格好良く戦えると思ってユリアンは竜騎兵になった。
だが、現実の自分は今のように不平や不満を腹の中に溜め込んで飛ぶ、腐った男だ。
仕方ない、とユリアンは自分に言い聞かせる。
鬱屈とした思いをぐるぐると自分の中で巡らせていると、ユリアンは敵の竜騎兵が飛んでいるのを発見した。
ユリアンは右手を手綱から離し、大きく手を振った。
竜騎兵たちは敵と出会っても戦闘することはない。
大昔には竜騎兵同士で戦っていたが、現在では竜騎兵を育成するコストの高さから、どの国も竜騎兵は戦闘を行わないように命令していた。
そのため、竜騎兵たちにとって敵と出会うということは、緊張する瞬間ではなく、日常に少しだけ変化を加えてくれる楽しい瞬間であった。
敵の竜騎兵が何回か光を発した。
馴れ合いと言われようとも、挨拶を返してもらえるのは嬉しい。
ユリアンは右手を下ろし、手綱を握ろうとしたが、違和感を感じた。やけに右腕が軽い。
不思議に思い右腕に目をやると、赤い液体を撒き散らしながら、その根元から先が無くなっていた。痛みはない。
ユリアンは僚機たちがバタバタと地面に急降下していくのを見た。彼には何が起きたのか、分からない。
もう一度、敵の竜騎兵たちが赤い光を放った。
急な腹痛に襲われたあと、ユリアンは何も分からないまま、死亡した。
「敵機撃墜完了、目標地点まで四千メートル」
後部銃座に座る相棒が感情のこもらない声で報告するのを、王国空軍所属エーリヒ・ルーデル大佐はヘルメット内の無線機から聞いた。
「了解、アルファ1より各機へ。目標地点が近づいている。まずはアルファ、ブラボー、チャリー小隊が空爆を開始する。各小隊長は、各自の判断で降下せよ」
了解、の声が返ってくるのを聞き届けてから、ルーデルは自らも降下体勢に入った。
ルーデルの心は歓喜に沸いていた。殺人を好む趣味はないが、戦いは好きだ。そのような矛盾した戦士の性をルーデルは楽しんだ。
「ついに騎士道は消えうせり、か」
後部銃座に座る相棒がぽつりと零した。
「そうだな、たしかに空の騎士道は我々が殺した。たが、我々は今戦士として蘇った。そう思うとしようじゃないか」
ルーデルは自らを奮い立たせ、地上へと飛竜を近づけた。
陣地を築き、守勢に徹しようとしていた王国軍とは対照的にポーレッド公国軍は野戦による決着を望もうとしていた。強力な騎兵を有する公国軍は防衛戦よりも機動戦の適正を持つため、合理的な決断であった。
まず、歩兵を展開し敵の主力と衝突させる。歩兵が敵を押さえ込んでいる間に、側面から騎兵が突撃。砲兵による援護を加えながら、敵を殲滅する。
単純な戦術であるが、だからこそ強力な戦術であった。事実として、この戦術を用いた公国軍は、父祖の代に行われたローム帝国との戦争において大勝を収めている。
しかし、歩兵を指揮するオスカルは、漠然とした不安を感じていた。
その不安は、公国軍の装備が旧式であることに由来するものだった。
公国軍の歩兵主に旧式のマスケットを装備していた。歩兵全員がマスケットを装備しているため、剣や槍を非魔術士の主装備としている王国軍と比べれば、公国軍は火力において勝っていた。しかし、公国軍は機関銃を数えるほどしか装備していなかった。
機関銃という武器を、ただ大量に弾を撃つことができるだけの銃としか考えていなかった公国軍上層部は、マスケットがすでに大量にあることを理由に、機関銃の採用を見送っていた。
これは、公国軍が騎兵を主力としていたことも関係していた。
重装備の騎兵の速度は時速五十キロメートルほどで、百メートルを七秒程度で走り抜ける。
マスケットの有効射程は大体百メートルほどで、装填速度は三十秒程度である。
つまり、マスケット兵は騎兵の突進に対し、一発の銃弾でしか抵抗できないのである。
騎兵が銃弾に驚いて足を止めたり、砲撃によって吹き飛ばされたりすることを前提としない理論であるので、実際にはマスケット兵ももう少し抵抗できるが、それでも絶望的な戦いであることに変わりない。
また、マスケットの低い命中率も銃という武器の信頼性を下げた。マスケットの命中率を補う手段として、銃兵を密集させて運用する戦列歩兵という戦術も提案されたが、人道的な観点で採用されなかった。
僚友が死のうと、腕が吹き飛ばされようとひたすら前進し撃ち合う、などという戦い方は人間の戦い方ではない。
銃はあくまで騎兵を補佐する武器であり、野戦の決着を着けるのは騎兵である、というのが公国軍の認識であった。
その認識はオスカルも共有していたが、機関銃という新兵器に不気味なものを感じていた。
だからといって、戦争を止めるわけにもいかないのだが。
「オスカル殿、何を臆しておられる。早く歩兵を前進させねば、陛下に置いていかれますぞ」
嫌味ったらしく忠告してきたロベルト侯爵の声で、オスカルは自らの思索の中から抜け出した。
貴族将校は大抵騎兵に行きたがるが、ロベルト侯爵は珍しく歩兵部隊に所属していた。
それは本人の乗馬能力の低さが原因であった。
でっぷりとした腹のせいで腰に吊り下げたサーベルが小さく見える、この中年男はオスカルのことを快く思っていなかった。
平民の分際で陛下に取り入り、コネによって出世した匹夫であると、オスカルのことを評していた。
まあ、その通りであるが、とオスカルは自嘲した。
オスカルがルドヴィクと仲良くなったのは、ルドヴィクが人として好ましい人物であったからだが、彼の知己を得なければ、オスカルはここまで出世出来なかったであろう。
「分かっています、侯爵。竜騎兵は戻っているか。敵部隊の状況が知りたい」
オスカルは近くにいた兵士に向かって命令したが、その兵士は気まずそうな顔で返事をした。
「閣下、竜騎兵ですが、まだ一機も帰還しておりません」
「帰還予定時刻は過ぎているはずだが」
「ええ、しかし、全機未帰還です」
事故か、とオスカルは疑った。だが、それでは全機が未帰還とはならないだろう。
敵の攻撃。いや、それこそ有り得ない。高空を飛ぶ竜騎兵に対して、攻撃を命中させられる兵器は存在しない。
「何をしておられる。偵察などなくとも、敵の大体の場所は分かっておられるでしょう」
ロベルト侯爵の言葉は事実であった。前回出撃させた竜騎兵により、王国軍が陣地を築いている情報は手に入れていた。わざわざ陣地を作っているのだから、そこから移動しているとは考え難い。
オスカルは釈然としない思いを封じ込めて、部下に命令を出した。
「予備の竜騎兵を出撃させて、何が起きたのか確かめさせろ」
「了解しました」
「残りは敵軍に向かって前進する。王国の田舎者共にマナーを教えてやるぞ!」
公国軍一万五千が大地を踏みしめる。
戦場の空気は好きだ。埃と泥、それと少し火薬の入り混じったこの匂いが自分の中の獣性を刺激する。
獣のように、何も考えることなく、ただ目の前の獲物を殺したいという欲求に駆られる。
だが、それは出来ない。王たる自分には責任がある。
「陛下、歩兵の準備が整ったようです」
「ん、ご苦労」
ルドヴィクは、父の代から使える老齢の部下を労った。
「では我々も動くとしよう。第一騎兵隊に突撃させる用意を」
「は、了解しました」
「やれやれ、本当は俺が一番槍を貰いたいのだがな」
「お戯れを、陛下が真っ先に突撃されたら、我々は主君の尻を追いかける不忠者になってしまいます」
ルドヴィクと彼の側に控える部下たちが楽しそうに笑った。
普段は穏やかだが、誰よりも戦場を好む主君を、彼の部下たちは敬愛していた。
「そういえば、お前の孫はいくつになった。そろそろ初陣の年だろう?」
「は、二十歳になり、ようやく戦働きが出来ると喜んでおりました」
「それはいい。敵の数は一個大隊、多くとも二千か三千だ。そうそう死ぬことはあるまいよ」
ルドヴィクは機関銃という兵器を過小評価していた。
「では蹴散らしてやるとしようか」
公国軍騎兵一万が地を蹴った。
公国軍歩兵は散開しながら前進した。
火力は低下するが、的が広がるため、機関銃に対しては有効な対抗手段であった。
隣で息を切らしながら進むロベルト侯爵に呆れながら、オスカルは着実に前進した。
ふと、オスカルは風を裂くような、サイレンのような音を耳にした。
耳鳴りか、とオスカルは疑ったが、隣で進む兵士たちも不思議そうな顔をしていたので、自分の耳がおかしいわけではないことを理解した。
では何の音だ。
オスカルは空を見上げた。それは特に理由があってした行動ではなかったが、結果から考えると、オスカルの戦士としての勘がそうさせたのかもしれない。
「何だ?」
オスカルは空を見た。その空には竜がいた。
その竜たちは地へ向かい急降下していた。
翼を失った天使は天界から追放されるように、無情なる重力が竜たちを引き寄せていた。
だが、その竜たちは地に落とされたのではなかった。
自らの、確固たる意思で、その竜たちは地に向かい飛んでいたのだ。
その竜たちは地面に向かい何かを落とすと、機首を上げて大空に帰っていった。
竜たちの落とした物がオスカルの近くに落ちると、それは炎と風を巻き起こし、オスカルを吹き飛ばした。
爆風によって地を転がりながら、オスカルは攻撃を受けたことを理解した。
それは爆撃と呼ばれる戦術であったが、この時代において、その戦術を知るものは王国軍以外に存在しなかった。
未知の戦術に対し、オスカルと彼の部下は驚愕し、恐怖した。
「落ち着け!砲兵の攻撃と対して変わらん!前進を続けろ!」
オスカルは部下の指揮を取るべく奮闘したが、部下たちに彼の声は届いていないようだった。
空から物を落とすため、爆撃はそこまで精密性の高い攻撃ではない。
爆弾の多くは歩兵には当たらず、地面に穴を開けるだけであったが、その効果は絶大であった。
攻撃とは敵を殺すために行うのではなく、敵を無力化するために行うのだ。
再び、サイレンが鳴り響く。
音が兵士たちの恐怖を煽る。黙示録のラッパのように恐怖を呼び覚ます死の音が、兵士たちを怯える赤子に戻した。
公国軍歩兵はその歩みを止めた。
自軍の歩兵が無力化されていることを知らずに、公国軍第一騎兵隊は敵陣に向かい突撃を開始した。
騎兵たちが土煙を上げながら、王国軍の陣地へ迫る。
虐殺が始まる。
騎馬達が足音を響かせながら前進し、それに呼応するかのように機関銃が火を吹く。
歩兵たちを空軍が抑え込んでいたため、王国軍は二百丁にわたる機関銃の全てを、騎兵の迎撃に費やすことができた。
7.7ミリの銃弾が騎馬の肉を抉り、粉砕する。
鍛えられた騎兵たちがゴミ屑のように、殺されていく。
それは戦士の死に方ではなかった。敵と剣を打ち合い、相手の目を見ながら殺す、それが戦士の戦い方のはずだった。
戦いとは残酷なものだ。
だが、これは、あまりにも残酷すぎた。
騎兵たちは撃たれながらも必死に前進したが、鉄条網に阻まれ、手間取っている間に死体へと変えられた。
騎士たちは相手の顔を見ることもなく、殺された。
公国軍騎兵は、もう二度と走ることはない。