5話
あたしの気持ちとは対照的に飲み屋から笑い声が聞こえる。
何処に行く当てもなく、フラフラとゾンビのように彷徨う。
少女の独り身、しかも夜の町ときたら、ろくでなしが寄ってくるのは時間の問題だったが、そんなことはどうでもいい、やけくそで娼婦になるのもいいかもと思えてきた。
「よう姉ちゃん、一人で何してるんですか~」
「俺たちと一緒にいいとこ行こうぜ~」
酒の匂いをプンプンさせ二人の男が近づいてきた。
手には酒瓶、胸には簡易の鎧、腰には剣を差している。
おそらく、冒険者の類だろうか?
依頼の成功からか祝杯をというところか少しは金があるとみて、『こいつらに抱かれるのも……』装備も一般の物、たいしてお金は持っているはずはないが、家を追い出された手前、どうにか食つなぐ為にもお金が要る。
「おい……」
急に知った声がして振り向くとそこにはグェルが立っていた。
その瞳はいつものような感じはなく、明らかに敵意を宿した目をしている。
まずいところを見られた。思ってもいない人物の登場に思考が止まりそうになった。
「あんた、なんで……」
「チェスカは黙っていろ」
「アンタには関係ないじゃん」
「そうだぜ兄ちゃん、知り合いかもしれねぇが、俺たちはこの嬢ちゃんと話していたんだぜ」
男達が柄を持ち、警戒する。
『下がれよ。 あんたには関係ない!』と言おうとした瞬間、メキッと音と共に相方の男が吹き飛び路地の壁に体を打ち付けた。
「ぐ…… ぐぁっ!」
「てめぇ! 何したかわかってるのか?」
「あぁ…… 剣を握った時点で俺に喧嘩を売ったってことだ」
「なんだと、この半妖が!」
いけない……。
グェルに半妖と言って過去、無事に帰った者はいなかった。
良くて骨折、悪くて入院1ヶ月が待っている。
グェルは関係ない、こんなことはして欲しくない……
その手は親父さんやおかみさんの希望が詰まってるんだから!
「もうやめて」と剣士を止める。
これ以上、事態を悪くさせない為に止めに入る。
あたしはグェルの方を見ると笑っていた。
面白いのではなく、それは呆れたような笑い声だった。
「本当にどいつもこいつも半妖、半妖って同じことしか言えないんだな」
「なにぃ!?」
「グェル、挑発しないで!」
「チェスカ、だってそうだろ? 何のひねりもない。 道化師だってもっと気の利いたことが言える」
これ以上はあたしの手におえる問題ではなくなり、剣士に最後の警告だけ促すことにする。
こうなっては止める事は不可能だった。
「逃げるのなら、今のうち この笑いは最後通告だから」
「最後通告だぁ? 俺だって冒険者の端くれ、こんな奴に負けるわけがない」
冒険者――。
以前、本では読んだけど、今の彼らはそれに本当に似つかわしくなかった。
だって冒険者とはいかに生き残り、パーティーに損害を極力出さずに依頼を完遂する人たちの事を言う。
少なくても、相手の力量を見誤ることは、死に直結するのを剣士は理解していなかった。
「お前の母ちゃんはトロールにでも犯されたのか?」
その瞬間、グェルの目に明らかに火が灯った。
もう彼は良くて、入院1か月は確実だろう。
あたしには止めることができないと悟り、その場を離れる。
「チェスカ、帰るぞ……」
「うん、おじさんも早く帰った方がいいよ。 あたしも思わせぶりな態度をとって悪かった」
「仲間を倒されて、このままおめおめと引き下がれるわけねぇだろ!」
「このくっ殺野郎が!!」
剣士が剣を抜き切りかかろうとした瞬間、大きな野太い腕が相手の腹部にめり込み、鎧を砕き、空へと打ち上げられる。
地面にどしゃりと音がしてすべてが終った。
かろうじて剣士はうめき声と痛みにもだえ苦しんでいる。少なくても死んではいないようだ。
剣士が言った『くっ殺』とはグェルにとって、最大の侮辱だ。
かの昔、まだ世界が荒れていたころ、トロールやオークはその繁殖力の強さから、女性を襲って種族を増やしていたと伝えられていた。
種族そのものに敵意を向けるためのデマでしかなかったが、今も根強く残っているのが現状だ。
幼い頃一緒にいる事が多く、あたしも言われたが言わせておけと思っていた。
でも、あたしとは違いグェルは、相手を容赦なく叩き潰した。
『せめてもの慈悲だ』とグェルは薬草を剣士の口に無理やりねじ込む。
相手は痛みに顔を歪め、必死に咀嚼している。
まぁしばらくすれば、かろうじて歩けるほどには回復するだろう。
「ごめん、あたしのせいであんたの手を使わせてしまって」
「別にかまわねぇよ」
「でも、あんたの腕は女将さんや親父さんの希望で・・・その腕をあたしは!!」
涙が溢れてくる。
自分の蒔いた種で、一歩間違えたら傷をつけるところだった。
そんな現実を受け止めきれず、涙として溢れてくる。
あたしは卑怯者だ。
あの継母と一緒で、涙ですべてを水に流そうとしている。
嫌悪感が押し寄せ、自分自身に怒りがこみ上げる。
「泣くんじゃねぇよ」
「でも! きゃっ」
頭をワシワシと撫でられた。
乱暴ではあるが、それはさっきまで人を殺しかけたとは思えないほど暖かく、不器用なくせにあたしを慰めようとしているのを感じた。
その後、あたしはグェルの工房に連れていかれた。
工房にはロールされ、きれいに並べられた生地や大きなハサミ、大小さまざまな型紙。
棚には布の切れ端や見たこともないような極彩色の毛糸が所狭しに置かれていた。
「ここで少し休んでいけ」と言われ、小さな椅子に座らされる。
差し出されたコーヒーを飲みながら、どうしてこんな時間にここに居たのだとか、何があったとか聞くことなく、あたしはミルクと砂糖がたっぷり入ったコーヒーにほっと一息つくことができた。
「実はさ、あたし継母とうまくいってないんだよね」から始まり、自分が感じている家族からの疎外感を話した。
その間、グェルは何を言うわけでもなく、静かに聞いていた。
これが逆にありがたかったのかもしれない。
誰にも話せなかった事だ。
妹にさえ、もし他人に話せば、親不孝だなんだと言われると思ったから。
でも幼い頃から一緒にいる悪友にだけは話せた。
なぜと言われれば分からないが……。
「お前も苦労してたんだな」
「もう慣れたよ」
「もし、お前が良ければだが……俺の家に来る気はないか?」
その瞬間、顔からほのかに暖かくなる。
色恋沙汰にめっぽう縁のないあたしだって、その意味くらいはわかっているつもりだ。
つまり『告白』なのだ。
ぶっ飛んでしまいそうになるのを抑え、思わず「け、結婚!?」と驚いてしまう。
「ち、ちげぇよバカ! そんなに居たくないんだったら、俺のところで居候すればってことだよ」
「でもそれって!!」
「母ちゃんも娘がいたらなぁって言ってたんだよ」
「でも、あたしガサツだし、魔法だって……」
「魔法が使えない? だからどうした?」
グェルはあたしの頭をまたワシワシと撫でる。
緑の顔は頬の辺りがほのかに赤くなり、相当、照れていることが分かる。
うれしかった。
あたしの事をこんなにも思ってくれていることに……。
でも妹の顔がとっさに浮かび、思い直す。
あの子はこんな経験もないまま、村の掟で生贄に出された。あの子には将来があった。
それを忘れてあたしだけが幸せになってもいいのか、過去の事として今この幸せをつかむのもいいのかもしれない。
でも……。
「どうしたんだ? 難しい顔して」
「ちょっと考え事してた」
「妹の事か?」
「まぁね」
「ケイトの件は残念だと思う。 でもいつまでもそのことに捕らわれてたら……」
「違う!! 本当はあたしが生贄になるべきだったんだ」
「馬鹿な事言うんじゃねぇ。誰にもどうすることが出来なかったんだ」
誰にもどうする事も出来なかった。
確かにそうだけど、それはあたしにとって大事な家族を見殺しにした事と同じだった。
この罪を忘れてしまうのは簡単だ。
グェルの所で妹の分まで幸せになる。
でも、あたしはこの罪に蓋をして、生きていく自信はなかった。
「グェル、ごめん、気持ちはうれしいけど……」
「怒鳴って悪かったな」
「いいって、あたしがわがままなだけ」
「ふんっ! 母ちゃんも楽しみにしてたんだがな」
「マザコンか?」
「ち、ちがう!」
お互いにケラケラと笑い合う、あの時から久しぶりに心から笑った。
アイツのやさしさや思いが伝わってくる。
今なら抱かれてもいいと思えるほどだった。
「ありがとな」
「これから、どうすんだよ」
「訓練場で寝泊まりする」
「それって、女としてどうなんだ?」
「大丈夫だって、何回か寝泊まりしたこともあるからな」
「まったく、呆れたじゃじゃ馬だな」
あたしはドアに手をかけ工房を出た。
「メシぐらいなら奢ってやるよ」と言われ、何か布の様な物を投げられた。
「これは?」
「俺が作ったマントだ。寒いだろうから付けとけ」
「食事は期待しとく」
ドアを閉めしばらく歩いた後、走って秘密の練習場に向かった。
この決心が鈍らないうちに……。
訓練場に着き、一息入れる。
いつもの時間とは違い暗さから少し不気味な感じがする。
木に吊るしていたランタンに火打石で火を灯し、あたしは使えそうなものを手当たり次第にかき集めた。
手元には火打石、油、縄、破棄された鎧、そして薪割で使っている斧。
これからやろうとしている事からしたら自殺行為そのものだった。
一通り準備が整い、薪に火をつけ横になる。
暖かな火がパチパチと燃える中、眠りに就く。
明日、あたしは大きな罪を犯す。
村の掟を破り、妹を助けに行くのだ。