119話
目を開けると、メルさんの家だ。木のテーブルの上に並ぶ焼きたてのパン、湯気の立つスープ。メルさんがレミルを抱き、笑う。ダナンさんが皿を手に、穏やかな目で頷く。薄暗い部屋に朝陽が差し、暖かい光が家族を包む。(メルさん、レミル、ダナンさん)と声を掛けようとするが声が出ない。
扉を叩く音と共に壊され、幸せそうな家庭に突如として来訪者が現れる。(あ、あの野郎は死んだはず!?)メルさんの隣に住んでいた男だ。メルさんとレミルを守ろうとダナンさんが盗賊のナイフで切り付けられ倒れる。そこにカカナが現れ、メルさんとレミルに――
「うわぁぁぁ」はベッドから跳ね起き、額に冷や汗、シーツを握る手が震える。アタシを気絶させたあの女オーク。深緑の肌、長い髪、バカでかい図体。誰かは知らないが、アタシは彼女を探す。
部屋を飛び出し、ギルドの廊下を走る。石造りの壁に焦げた床が戦闘の爪痕を刻む。ギルド内は混沌だ。兵士たちが受付で冒険者に詰め寄り、書類や小瓶を麻袋に詰める。埃っぽい空気に薬草と鉄の匂いが混じる。「そこ、書類、アイテム、怪しいものは根こそぎ持って行くわよ!」勇ましい声が響く。声の方へ走る。
角を曲がると、彼女がいた。深緑の肌に長い黒髪、筋肉質な腕が書類の束を抱える。冷静な金色の目がアタシを捉える。「あら、目が覚めたようね。何か用かしら?」低く落ち着いた声。
「なぜ、アタシの邪魔をした」拳を握るは震えが止まらない。彼女は眉を軽く上げ、書類を脇に置く。「カカナを殺されると、ゲインの犯行の証明ができないからよ」と淡々とした口調。
「ゲインなんて知らねぇ。アタシはカカナを殺しさえすれば――」
「そうね。殺しさえすればあなたはそれで終わり。でもこの事件は終わらないわ」
「終わりじゃない?そんな事、アタシが知ったことじゃない!」とアタシの声が廊下に響き兵士がアタシをチラリとみる。
女オークはアタシに静かに歩み寄り巨体の影を落とし、説明した。それはヴァルプス・エッセンスとその製造者を捕まえる為にアタシを利用した事とアタシが事件を嗅ぎ回ることで薬物の行方を追う此方の仕事が捗る囮として利用されたのだ。
「囮として利用されたとかはどうでもいい。でもな、アタシはあいつ(カカナ)を殺す理由がある。余計な事をしやがって!」と吼えるが「そんなことをしてみなさい、今度はあなたが捕まる番よ」女オークは頑なにアタシがカカナを始末する事を許そうとはしなかった。
女オークの胸ぐらを掴む。「じゃあ、あいつのくだらない理由で殺されたメルさんとレミルはどうなるんだよ!」と吐き捨てると「そうね。あなたの気持ちは理解できるわ。でも、殺してしまえば、この犯罪は永遠に解決すること無く闇の中。被害者の娼婦達はどうなるかしら?」と軽い嘲りが混じる。
「被害者の娼婦達?」
「あそこで働かされている娼婦達のほとんどは、あの薬の被害者よ。無理やり飲まされ、ろくな避妊対策もしないまま使い捨てにされる。メルもそうだったんじゃないかしら?それに……」
「それに?」
「もう一度言うわ。あのギルドマスターの罪を暴く為にはカカナが必要なのよ。双方、癒着している事くらいはここまで聞いたら分かるわよね」
アタシはサビナの焦点の定まらない目を思い出す。娘蝶館で見た、震える手と甘い香りの瓶。「他の娼婦たちも……」
女オークの言葉に、サビナの震える手が脳裏に浮かび、胸が締め付けられるけど、カカナを殺したい気持ちは消えなかった。「それでも、あいつの罪はアタシが裁きたかった」と拳が震える。
「チッ」と吐き捨て、アタシはタバコを吸い、苛立つ気持ちを紛らわせる為にその場を離れる。
アタシはギルドの外に出て木陰状況を整理する。この女オークは違法な薬物の製造と使用を証明する為には両方が生存する必要があるからアタシにカカナを殺させる訳には行かなかった。そもそもアタシはこの為の囮として使われていた。(だからセシールはアタシに情報をわたしたのか)これで不可解な事な点が線につながった。
足音がして振り向くとさっきの女オークがそこにいた。バカでかい図体に太い腕、大きな手がアタシの肩にそっとのせられ、「失った命は戻らない。でも、あの店の娼婦たちは、私たちが責任を持って回復させるわ」諭すような声。
「なんだよ。アタシにまだ何か用があるのかよ」とタバコを吐き、アタシは彼女を睨む。
「それから、あなたに面白い話があるわ」ガラハの金色の目が笑う。
「面白い話?」真面目そうなこの女がどんな面白いことを言うのか気になってしまった。
「ビエントの不祥事で、あなたが風の勇者に選ばれるわ。王宮はあなたの戦績―ダークハウンドの討伐、トロールの被害者の救出を評価したみたいよ」
「アタシに何の関係がある?勇者なんてクソ食らえなんだけど」
「それでも、この国の王が次の風の勇者にあなたを選んだわ。授与式は3日後よ。王宮で授与式があるから服を用意しておきなさい」その大きな手を振りながらギルドの中に戻っていく女オークをアタシはただ見送るしかなかった。
「泣けるぜ……」と呟く。アタシは部屋に戻り、ぼろぼろのポンチョを羽織り外にでるとグラウやアルエット達が来てくれた。噂が巡るのは早く、そして大きくなっていた。
「お前がまさかあの盗賊団の残党を倒して。しかもトロールの巣から生存者を助けて、風の勇者まで倒しちまうとわなぁ」
「あぁそうだな……」とだけ返す。
「英雄がそんな顔でどぉする?」と大きな手がアタシの肩に重く添えられる。
「英雄ねぇ……」吐き捨てる。アタシはただ、目の前の的を撃ち続けただけだ。
タバコを小瓶にしまう。メルとレミルの笑顔が胸で疼く。アタシが英雄? 笑えるぜ。