表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/123

プロローグ①

 


 動けない 苦しい……



 この部屋でどれだけの時間が、流れたのであろうか

 ここは何処? なぜここにいる? 家に帰って

 あれ、何をするんだったか……

 頭に靄が掛かったみたいに思い出すことが出来ない

 これが原因でもどかしくなり、文字通り我を忘れてしまいそうになる事も

 しばしばあった。

 でも確かにあの声は聞いたことがある。


 なんでこんなに苦しいんだ…… い、息が……



 男の呼吸も時間が経つにつれ、浅く、短くなって行き……



「呼吸の停止を確認しました。 篠原先生呼んできて下さい」 看護師がPHSで指示を出し、事の説明が淡々と行われる。



 医師が病室に入り、重苦しい空気の中、慣れた手つきで聴診器を胸に当て心音の確認し、目蓋を開け小さなライトを眼球に当て「8時15分心肺停止を確認しました……」 と静かに告げられた。



「お父さぁぁぁぁん」と女性の声が病室にこだまし、周りからもすすり泣く声が聞こえる。


 誰が泣いているんだ?


 何で死んだ妻がこんな所に?

 確か何年も前に亡くなったはず……



 誰だったかな……



 この女性が誰であるかは分からない、長い事合っていなかったような

 でも何度かは、確実に出会っている。

 とても、大切な存在

 女性の顔を見る。涙で頬を濡らし、まるで赤ん坊が親を求めるように激しく泣く

 彼女が少し愛おしくなる。

 死にかけのジジイの俺が、恋なんかするわけがない

 もっと、別の何かなんだ

 懐かしくって、何時でも見守っていたくなる。



「あの泣き顔は昔から変わらねぇな……」 俺は困惑した。どうして、この言葉が出たのかは分からない。でもこの言葉がきっかけで曇り空の様な頭の中が、急に一筋の光が射したかの様に、記憶がよみがえる。

 泣いている女性の事を次々と、思い出す。



「あれは…… 俺の娘だ」 幼き日、悔しかった時、妻が亡くなった時、

 結婚した時、彼女はいつも泣く時は顔をクシャクシャにして泣いていた。

 初めて娘が泣いた姿を見た時、俺はこの子を絶対に護ると心に誓った。



「しかし、まさか俺が原因で、彼女を泣かせることになるとはなぁ」



 そうか、娘もそんな歳か……しかし、生前の母さんにそっくりだな



「フフッ」 なぜだかわからないが笑いが、込み上げてくる。

 歳を取り、沢山の孫達に囲まれていても、一番可愛かったのは自分の娘なのである。



「そうか、俺は死んだのか……」



 俺は上に引き上げられるような力を感じ、身体の力を抜き、ゆっくりと目を閉じ

 流れに身を任せる事にした。




 多くの親族が、悲しみと安堵が交錯する複雑な思いが、立ち込める中

 あるものは悲しみに暮れ、又、ある者は思い出話に花を咲かせ、各々過ごす中で男の葬儀が進んで行った。



「お爺ちゃん……天国に行けたかな?」


「そうね。今頃、おばあちゃんやお友達に会いに行っていると思うわ……」



 夕焼けの空の下で、娘と孫の会話が死者である男に、聞こえる事はない。

 日の落ちる中、彼女達は家路に急いだ。辺りが暗くなる様に男はこの世界での役割を静かに終えた。


 身体に力を感じなった。恐らく、何処かには着いたんだろう。


 辺りはシンッと、静まり返っており、気配も感じない


 ゆっくりと目を開けるも、周りは真っ暗で何も見えないが、不思議と不安にはならない奇妙な感覚に陥っている。


「どこだ……ここは?」


 死後の世界は、三途の川を渡って、あの世に行けるものだとは聞いていたが、どうやら、違っていたらしい。


 身体も若くなっていると期待したが、それも違う。顔はわからないが手や顔に触れる限りは年老いたままだ。しかし、やはりここはあの世と痛感できることは、体に痛みがないことや服装が、寝間着から、生前に良く着ていた服装になっているという事だ。


 俺は今、ライダースにジーパン、ウエスタンブーツを着ている。

 革の独特な香りや、ライダースの革の、独特な締め付けに懐かしく感じた。


(さてどうしたものか……)


 近所の婆さんによると、お迎えというやつが来るもんだが一行に来ない

 俺は数年ぶりに、歩くという感覚に喜び、こんなことでも人は幸せを感じるのかと感心しつつ、何もない退屈な空間を今までの事を思い出しながら、歩くことにした。


 人間とは不思議なもので、楽しい記憶よりも、苦い記憶を良く覚えている。


 世界を巻き込んだ大戦からの敗戦、大きな地震……妻の死別、自身の癌の事


 死んでから思い出すことがこれとは全く……



(泣けるぜ……)


 一体、どれだけの時間を歩いていたかは分からない。しかし、疲労感はないが、歩けども全くと言っていいほど何もないし、明かり一つない。


「おーい、誰かいないか?」と叫んでみるが、俺の声が木霊するのみで、当然のごとく、返事などかえって来ることもなく途方に暮れる。






 悪態をつこうとした時、目の前に蝋燭のような小さな明かりが、道のように


 ポツポツと形作られていった。



「ほぉ俺をあの世に連れてってくれるのか」



 やっと指示された道に、安堵を感じつつ、この道が本当に俺の求めるところに続く道なのかを考えた。



「このまま、地獄ってことはないよな」と苦笑はするものの、不安がよぎるが、どうしようもない。道はこれしかないのだから。



「世の中には2種類の人間がいる。 歩く奴と案内する奴」


 不安はあるが、このまま道なき道を歩くよりかはましだと思い、進むことにした。


 どういう経緯かは知らないが、手間のかかる事をしている奴がいる。

 それに話しとずいぶん違う、いい加減に疲れ・・・はしないが精神的にまいって来てた。

 灯りがある分、さっきよりかはマシだが、そろそろ何処かに到着しても良い頃だ



(灯りがここで終わっている)灯りはここで終わるが、新たに見つけた物があった。


「ドア……」ドアが空中に浮かんでいる。まるで、アニメか空想の世界に入ったのかと、錯覚してしまう。


 ベタではあるが、裏を見るもやっぱり空中に浮かんだドアがそこにあった。

 苦笑しつつ見ると、ドアの上に英語で文字が書かれた札が掛かっている。

 かつて、学徒時代に習った英語を思い出しつつ、俺はその文字を読んだ。



【Hell's Kitchen】



「ヘ……へるすぅ じゃなくてヘルズ きっちぇ……キッチン ヘルズ・キッチンか」

 地獄の台所とは……さしずめ、俺はまな板の上の鯉ってやつか、はたまた、まさに地獄の1丁目って笑い話にもならない、3流の創作落語なんかじゃない、まさに現実に存在する。

 俺は恐る恐るドアを開けると、ドアベルが静かにカランカランッとなり、中に入る。

 ツンッと鼻の奥に、突き抜けるようなお酒の香、店内から流れるジャズピアノが聞こえてくる。


(バーに来るなんて何年振りだろうか……)


 さっきの不安は消え、俺は街灯に誘われる虫の様に、フラッと吸い込まれ、空いているカウンターの席に座る。柔らかすぎず固すぎず、まるで長居をさせようとするこの椅子に、製作者の悪戯を感じる。


「いらっしゃい」


 棚に並べられた大小様々なボトルの数々が、店内のライトに照らされ、キラキラと輝く様子は俺の心を躍らせた。


「何にします?」と声を掛けられ、左に振り向くと、バーテンダーがこちらにやってきた。

 一瞬、訳が解らなくなりそうになった。だってそうだろ。

 声は女性だが…… 普通の女性ではない。

 肌が紺色で、黄色の目をした大きな角の生えた女性が、俺の目の前にいるのだから。


(俺は夢でも見ているのか?)


 孫たちが見ていたような、空想のキャラクターが今、俺の目の前にいて注文を取っている。世の中には、白人、黒人、黄色人の3人しかいない。

 少なくとも、俺たちの世界では、これが普通なのだ。


(じゃあ、俺が今いる此処って……)


「ご注文は、何にします?」と女性はさも慣れたかのように、接してくる。

 改めてここは、あの世だと痛感させられた。しかし、害を与える様子はないので


「あ、あぁとりあえず、ウヰスキーのロック」と俺は注文をすることにした。










「はぁい、ウイスキーロックですね」女性は注文を受けると、グラスと酒瓶を取り出す。グラスをカウンターに置く。人差し指を上に突き出し、クルクルと回すと驚いた事に、水がその周りを纏い、やがて丸い塊と化し、一瞬にして氷が出来上がり、それをグラスに入れ、酒を注いだ。



「どうぞ」と出された酒を、俺はマジマジと眺める。

 特に怪しいとこはなく、ただのウイスキーのロックで透き通った氷が、グラスの中で優しく光っている。


「お客さん、何かありましたか?」


「え、いや……」 相手に敵意はない、むしろ、これが普通といったところだ。

 それに、どうせ死んだんだ。今更、毒におびえることはない、俺は目の前の酒を飲む。

 程よく冷えた、ウイスキーが喉を通ると同時に、独特の風味と少し喉が焼けるような感覚が心地よく感じられる。

 久しく呑んでいなかった酒に、現を抜かしていたが、次に欲しくなるのはタバコだ。

 入院してから、もう何年も吸っていない、確かポケットに入っていたはずと探る。

 ジッポはあったがタバコは、どこにもなかった。


 困っていると「何かお探しですか?」 とバーテンダーが俺に、声を掛け、「タバコを吸いたいが生憎、忘れちまってな……」 拭いていたグラスを流しに置き 「よろしければ、銘柄を言っていだだければご用意できますが」 と言われ「じゃあ、スピリットってのを愛用してたんだがそれのメンソールはあるか?」 と聞く。


「わかりました。少々おまちくださいね」と女性は、カウンターの下をゴソゴソと探り始めた。

 一体、どうなっているのか、気になって、首を伸ばして見る。

「企業秘密なので覗かないで下さい、林太郎さん」 と怒られてしまった。


「す、すまん、つい気になってな」 と俺が謝り「次は無いですからね!」 と女性はまた、あーでもない、こーでもないと言いながら、カウンターの下のボックスを探り始めた。


 なんだか娘をからかって遊んでいた時の事を、不意に思い出す。

 しかし、あの世に行くつもりが現れたのは、洒落たバーに化け物のねーちゃん…… 



「あ、あの……タバコこれで間違いはございませんか?」


「あ、あぁ ありがとさん」


 出されたタバコは間違いなく、スピリットのメンソールライトだった。

 とにかく落ち着きたい。その一心で封を開け、タバコを咥え、火をつけようにも火花が出るだけで点火しない。

「まいったなぁ……」 と困っていると「良ければ、火を出しましょうか?」 と言われ俺は「あぁ、頼むよ」 と答える。


 火を出す? ライターでも出してくれるのかと思っていたが、バーテンが俺の目の前で、右手の指をパチンッと鳴らし、音と共に人差し指から、淡い青色の小さな炎が上がる。

 俺はさっきの焦りが少しおさまり、その炎を眺める。その青色は美しく、魂さえも燃やし尽くすような、妖しい色をしていた。


「綺麗だ……」と一言感想を言う。


「あら、私の事ですか?」と目をキラキラさせていた。


「炎の事だよ」と俺は呆れながら答える。


「もう!眺めるのは良いですけど、少し熱いんで早くして頂けますか?」



「あぁ、すまんな」俺は彼女の指から燃える火に、恐る恐るタバコに火を点け、煙を吸う。


「ふぅ、林太郎さんのいじわる」 と右手をパタパタと振る。

 バーテンの言動が年頃の娘と変わらないなと思い、そういえば娘も、こんな感じでからかった事が何度かあったなと感傷に浸る。

 タバコの煙を吐き出し、煙はユラユラと上に上がり、それを見ながら少し満足する。

 落ち着いたところで、自分の目的を思い出す。俺はこれから、妻や友人に会いに行かなければならない。

(少し名残惜しいが…… 俺には逝くべき場所がある)


「会計をしてくれ」


「あれ、お帰りですか?」 とキョトンとしたかを出言われ、「そうだ。俺はこれからあの世で待ってる、かみさんや仲間に会いに行かなくちゃならない。 で、幾らだ?」 と俺は財布を取り出す。


「そう言やぁここは円じゃ駄目なのか? あとさっきの不思議な術を見せてもらったんだ。 チップを置くべきだったな」 財布を見ると1万円札が何枚か入っており、よっぽどのぼったくりではない限り支払いが出来る事を確信する。 



「違うんです」


「何が違うっていうんだ?」


「そ、それは・・・」


「とにかく、俺はもう行く」 と財布から1万円をカウンターに置き、扉に手を掛けるもドアが開くことは無く、押そうが引こうが全く歯が立たない


「一体どうなってやがる!」


「ひぅっ」


 バーに寄り道した挙句に閉じ込められ、足止めをくらう。


 苛立ちをバーテンにぶつけるが事態は良くならない。


 そんなことは分かっているが妻や友人たちが死んでいく中、自身はガンになり、記憶の混濁を経験し、苦しみ、やっと死ねて、会いたいと思っている人に会えるはずが、こんな事になるとは、思ってもみなかった。


 憎しみと後悔が頭の中を駆け巡り、バーテンを睨み付ける。


「ひぃう」 ビクリと身体を震わせ、涙目をこらえながらこちらを見ている亜人はまるで、叱られた子犬の様な目をしていたが彼女は俺から目を逸らすことなく、じっと見つめていた。


(泣けるぜ……)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ