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グッドラック  作者: 水野
6/9

その6

 徹は、本当にヨガマットを会社へ持ってきた。デスクに立てかけておいて、お昼休みで周囲の人がいなくなったタイミングを見計らい、床にマットを広げた。

「部長級の人が笑ってくれたんだから許されたも当然だ、さあ」

 徹はマットの上に座り、幹人を手招きした。

「来いよ」

「普通に嫌だよ。ひとりでやってろ」

 やはり、徹のことをネタにするのが一番面白いかもしれないと思った。妙なポーズを取りながら、徹は、あ、と頓狂な声を出した。

「今、瞑想に静かなブームが来てる。知ってるか」

 幹人には心当たりがなかった。徹は床に座ったまま体を伸ばし、置きっぱなしだったスマートフォンを手に取った。

「中高年に人気の某健康番組で取り上げられててな、それも結構今話題の芸能人がゲストで出てたこともあって、まあ、いろいろな要因が絡まってネットの世界じゃ若干話題になってるんだよ」

 幹人は絶句した。徹の話を半分聞き流しながら、自分の携帯を操作する。ブログ記事のアクセス解析を詳しく調べると、徹の言った通り、その某芸能人とやらの日記からのアクセスが殺到していることがわかった。

 関連のウェブサイトをいくつか見て回った。自分の記事へリンクが張られたサイトはいくつもある。

 ある一人の有名人がきっかけの、一時的なブームのほんのおこぼれにあずかって、幹人のブログは信じられないようなアクセス数を記録した。

 著名人の影響の大きさを感じて幹人は遠い気持ちになった。昨日まで名前も聞いたことのなかった人が、自分の知らないところで一行かに行の文章を書いただけで、幹人の日常にはこれだけの変化が起きる。

「世界は平等にできてないんだな」

「今さら気が付いたのか? そうじゃなきゃ社会なんて崩壊してるぞ」

 徹は何回も根気よく生徒を指導する駄目な先生みたいな口調だった。

「社会は細かい要素が集まった巨大なシステムなんだ。その細かい部分を一人一人で分担してやっと成り立つ。人は皆平等に、文明の歯車だ。ただ、どの部分を担当してるだけなんだよ」

「じゃあ浜岡は、社長だろうが平社員だろうが同じだっていいたいのか」

「同じだろ? 法人からお金をもらって会社のシステムの一部を負担してる。俺たちは製品を作るって機能を受け持ってて、社長は金の分配とか行動思想の敷衍っていう機能を請け負ってる。俺はどっちも同じ仕事だと思うね」

「フリーランスはどうなんだ」

「フリーランスだって、間接的に社会のシステムを回すことで生計を立ててるんだ。立派な歯車のひとつさ。それも、恐ろしく自我の強く出めんどくさいタイプのな」

 簡単に納得できそうもない考え方だ。

「社会生活を営んでる限り皆歯車なんだ。今日、この瞬間に生まれた子どもだって、いい感じの歯形を頭の中に加工されながら生きてるのさ」

 座席に人が集まり始めた。近くの席で机に突っ伏していた先輩がむくりと起き上がり、ううんと背伸びをした。お昼休みは終わりだ。

「後は、自分がどの部分を担当したいか、どこにいれば気分よくいられるかだ。生きるってことは基本的に椅子取りゲームなんだよ。おっと言っておくけどな、椅子を作る、って仕事だって椅子取りゲームの椅子のひとつだからな」

「なんか煙に巻かれてるだけな気がするけどな」

「ま、そういう見方もあるってだけの話だ。俺たちは生きてるんじゃなくて、先人たちの作った社会っつー巨大なシステムによって生まれさせられて、それで生かされてるんだ」

 徹は立ち上がってマットを片付け始めた。

「お前は死ぬつもりなのか」

「かもな」

 徹は軽い調子で笑った。たぶんこいつは死なないと幹人は思った。

「大垣が邪魔したから全然瞑想できなかったじゃないか」

「お前がご高説を並べ立てるのに夢中だったんだろ」

「俺を楽しく喋らせたお前が一番罪深いんだ」

 理不尽すぎて笑った。

 午後の仕事を片付けながら、ぼんやりと今日の記事に何を書こうか考える。

『一日一記事、必ず』

 シンプルでわかりやすい指針。こういう思想を人に与えられる人が、大衆を動かす機能を担うことができるんだろう。自分にそれができるか。幹人は遠い気持ちだった。

 ぼんやり午後を過ごして思いついたことは、徹をネタに書こう、という決心だった。

 瞑想のアイデアは徹から得たものだった。今日の話だって、人によっては目を開かれる思いをするようなものかもしれない。職場にヨガマットを持ち込んで失笑されるようなおかしな同期。

 自宅に戻ってパソコンを立ち上げる。徹のあれこれを思い出すと、キーボードを叩く手がいつもよりも軽い気さえした。この方向で間違いじゃないという感じだった。

 うまくいくときにはなんとなわかる。タイプした一文字一文字が、大きな部分の一部として、パズルのポースみたいに間違いない場所に収まっているような感覚。スポーツ選手が目の前の協議に神経を集中するときもこんなかんじなのかなと思う。

 と、机の上で携帯電話が振動した。電源は切っておくべきだったと後悔する。無視して続けるかちょっと迷った末に、幹人は苛立たしい気持ちで電話を取った。

 久しぶりに聞く声だ。大学の同期だった。そいつは住所を教えてくれと言った。理由を聞くと、結婚式をするから招待状を送りたいのだという。

「メールでいいだろ」

「結婚式くらい贅をこらしてもいいじゃないか。一生に一回なんだぜ」

 一生に一回、というキラーフレーズを考えた人はなかなか賢い、みたいなことを浜岡なら言いそうだと思った。幹人は言いたいことをいろいろ飲み込んで、ただ、おめでとう、とだけ言った。同期は嬉しそうだった。

「別れたんじゃなかったのか」

「新しい相手が見つかったんだよ」

「まだ半年じゃないか」

「半年もあれば人を見極めるのには十分だ。いや、違うな、何年付き合おうが、人のことなんてわからんよ。半年でも三年でも一緒さ」

 その考えに至る過程を幹人は知らない。大学を卒業してから、友人たちは少しずつ他人になりつつあった。はあ、と同期は呆れたという風にため息を吐いた。

「長いに越したことはないと思うぞ。これで満足か?」

「俺は何も求めてないよ」

 同期は小さく笑った。

「俺は学生時代からお前らはくっつくと予想してるし今でもそうだよ。早くしろよ。もう新しい相手を見つける気概もないだろ。なにより」

「なんだよ」

「不幸になって欲しい奴はたくさんいるけど、お前らは俺が一番幸せになって欲しいと願ってる数少ない二人なんだ」

 何を言ってるのかよくわからなくて、あいまいな返事しかできなかった。もう一言二言を交わすと、同期は電話を切った。

 幹人は再びパソコンに向かった。順調に進んでいた記事は、なぜか急にうまくいかなかくなった。なんだか、自分が凄く愚かなことをしているような気分だった。

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