【96】ポンザレと巨大な獣
翌日の早朝、ザーグ達は目を覚ました。
泥の半球に覆われた王都は、常に薄暗く昼夜がはっきりしない。
日も入らない地下の王都では、時間もわからないが、
ザーグ達熟練の冒険者は、数日程度では体内時計も狂うことがない。
皆、起きるとそれぞれ体を入念に伸ばしていく。
ザーグの顔色は元通りとまではいかないが、格段に良くなっており、
マルトーの動作もだいぶこなれてきた様子で、
「一日休む」というビリームの判断は正しかったようだ。
携帯食料をかじりながら身支度を整えると、
ザーグ達は、王都の中央にそびえたつ城に向かって歩き出した。
「いい加減、この…貼りつくような嫌な感じともおさらばしたいねぇ。」
「王都に入ってからずっとで、そして濃くなり続けていますね。」
「でも、あのお城から、この感じがするかと言われれば…
そんな感じでもないですー。」
「そうなんだよな…。まぁ、あれだ、城に入ったらまず宝物庫をに行くぜ。
で、ちょちょっと探ってみて、何か少しでもやばそうだったら、逃げるぜ。」
「そういって、結局いつも戦ったりするんですよね…おいら知ってますー…。」
「おい、不吉なこと言うんじゃねえよ!」
無人の中央通りを、大声でつとめて明るく会話しながら歩いていると、
やがて皆の目の前に、大きく開いた城門が現れた。
両側の柱や鉄製の巨大な門には、豪奢な装飾や、王国の文様なのか
翼の生えた四足獣のようなものが彫り込まれている。
ズズズッ
大地が震えはじめる。ひっきりなしに続く地鳴りは、
ザーグ達が王都に入ってから止むことがない。
腰を落とし、細かく振動する地面を見つめながら治まるのを待つ。
「止んだか…。よし、行くぞ。」
「はい、行きましょう。」
「あぁ、皆油断しないようにね。」
「はい、がんばります!」
もう一度城門を見上げると、ザーグは一歩を踏み出した。
◇
王城の中は、拍子抜けするほど何もなかった。
兵士や王族などの骨でも転がっているのかと思いきや、
淀んだ空気と積もった埃、そして、いたるところにこびり付いた
乾いた泥の跡しかなかった。
「誰も、そして、何もいないな。」
「いないのなら、それに越したことはないですー。」
「全くだよ。だけど気味が悪いったらないね。」
壁にかかったもはや何を書いているのかもわからない絵や、
高価なものではあろうが重くて持ち運べそうもない壺などを見ながら
ザーグ達はさらに進む。
「おぉ…!」
廊下を抜けたザーグ達の目に、大きく開いた空間が広がった。
大きな庭園、正確には庭園の後だった。
何本もの大きな高い塔が立ち並ぶ王城の真ん中に、ぽっかりと開いている。
植物などは一つも残っておらず、全ての葉がなくなり寒々しいオブジェになった木々と、
多くの騎士や怪物の石像が並んでた。
石像などは物語になっているのであろうか、一定の間隔を開けて、
特徴的に配置されており、ここが花と緑に溢れていれば、
さぞかし楽しめる場所になっていただろう。
今は全てが灰色の光景であったが、それゆえに異様な迫力に満ちていた。
「なんだか、すごく寂し」
突然、ポンザレの視界がおおきく揺らいだ。
一瞬の間に地面の感覚がなくなり、
前を歩くザーグ達の足も地面から浮いているのが見える。
次の瞬間、上下左右、あらゆる所から石が振ってくるのが見えた。
ポンザレは無意識に腰の襟巻を三人に向けて投げると、
短槍を強く握りこんで頭を庇った。
◇
「…なさいっ!起きなさい!ポンザレ!!」
「あ、エルノアさん!」
「…!ポンザレ!」
ポンザレは、自分は横になって寝ており、その上半身をエルノアが
抱え起こした状態で、何度も頬をさすられていることに気がついた。
ポンザレの頬が赤くなる。
「へへっ、くすぐったいですー。」
「あぁ…。…よかった!私は、あなたが死んでしまったのかと!」
エルノアの後ろでは、大きな目に涙を浮かべながらこっちを睨むニルトと
その頭の上にとまって、怒っている様子の小鳥のスティラがいる。
灰色髪のウィルマはいなかった。
「ポンザレ、大丈夫ですか?」
「はい…えぇ、大丈夫です。なんか、地面がなくなって?ひっくり返って?
あれ?おいらはどうしたんでしたっけ?…あれ?」
「!?」
エルノアは少し驚いたように一瞬手をとめたが、
ポンザレを立たせ、自分もその前に立った。
「ふぅ…。…大丈夫ですね。ポンザレ、無茶してはいけませんよ。
本当に心配したのですよ。」
「そうだよっ!心配かけるな、バカー!」
「ピピーピ、ピーピピ!!」
ニルトとスティラも心から安心したようすで、笑いながら怒っていた。
「ウィルマも怒っています。あとで謝っておきなさい。いいですね?」
「えっと…?」
ポンザレは首を捻る。自分の中で何かがつながっていない。
いや、つながっているが、それを自分がわかっていない、
そういうもどかしい気持ちだった。
もやもやしながらも、エルノアの言うことはわかる気がした。
「わかりました、謝っておきますー。」
「では、ポンザレ、もう行きなさい。
あなたは…、あなたの思うように行動しなさい。
ですが約束してください。私達を離さないでください。」
エルノアの目は、強くポンザレを見つめている。
ポンザレは、「吸い込まれそうだな」「綺麗だなぁ」と余計な思考をはさみつつも、
しばらく見返して、真剣にうなずいた。
「わかりました。離しません。」
エルノアがふわりと微笑むのと同時に、ポンザレの体が
光の粒子となって空間に散り始め、やがて完全に消えた。
「エルノア姉さま…。さっき、ポンザレ、起きているときのこと、
覚えていました…よね?」
後ろからのニルトの不安そうな声に、
エルノアは振り返ることなく返す。
「大丈夫です。現実の世界、ポンザレの意識は、もう私達のことは
わかっているのでしょう。ただ、つながっていないのです。」
「それは…、大丈夫なんですか?」
「ピーピッピ…」
ニルトとスティラは顔を曇らしたが、
エルノアは笑顔で振り返って答えた。
「大丈夫ですよ、二人とも。彼は、もう私達を離さないと約束しましたから。」
◇
「…ル…ノアさんっ!」
叫びながらポンザレは目を覚ました。
同時に、自分の体が全く動かないことに気がついた。
「ゴホッ…ゲホッ!ゴホッ!…あ、あれ?痛っ!…うぅ、か、体が動かないです。」
開けた目には真っ黒な景色しか入ってこず、
全身が圧迫され、痛み、悲鳴を上げている。
額か頭から生暖かいものが顔に流れており、口に入った鉄の味で
それが血だとわかる。
「いたた、ここは?おいらどうなったんでしょうか…?
そうだ!ザーグさんは、皆は…?」
どこか遠くでガラガラと音が響き、小さく自分を呼ぶ声も聞こえる。
それがザーグ達の声だとわかると、ポンザレはホッとした。
と同時に今の自分の状況をどうしたものかと、頭を悩ませた。
「おいら、これどうしましょうか…」
それに答えるかのように、ポンザレの左手に握っていたものが熱くなった。
ポンザレの短槍だ。この短槍でどうすれば…と考え始めたポンザレだったが、
すぐに答えが、短槍の扱い方が自分の中にあることに気がついた。
ポンザレは体に意識を通す。痛みはするが骨などは折れていない。
大きな腹に気と力を溜めて、ゆっくりと左手を動かしていく。
振るとはとても言えないほどの小さい動きだったが、短槍をわずかに動かすことに
成功した瞬間、穂のカバーははじけ飛び、煌々と穂が輝き始めた。
穂から発した光は何十本にも分かれ、それぞれが勝手に動き、
その線上のものを細かく切り刻んだ。
砂利粒ほどの大きさになった瓦礫が周囲から崩れ落ち、
視界が開けると、ポンザレの真下には青空が広がっていた。
そこでようやく自分がひっくり返っていることに気がついた。
ポンザレは瓦礫で体を支えながら、なんとか体勢を立て直した。
あぐらをかいて座り、ホゥッと息を吐く。
「おぉい!ポンザレ!!」
ザーグ達が息を切らして、ポンザレに駆け寄ってきた。
「ザーグさん!マルトーさん、ビリームさん!無事だったんですね!」
「ばっかやろう!」
ザーグは駆け寄ってくると、ポンザレをざっと見回し、
おもむろにまだ血が流れたままの頭を拳骨で叩いた。
「痛っ!何するんですかーっ!」
「ザーグ、叩くのは一回までです。ポンザレ少年、大丈夫ですか?」
「ポンザレ、あんたは怪我はないかい?平気かいっ?」
「はい、おいらは大丈夫です、骨も折れてませんし、
ちょっと頭を切ったくらいですー。…でも、なんで、おいら叩かれたのでしょう?」
「お前っ!城が崩れたとき、俺達に襟巻投げてよこしただろう!」
「襟巻が私達を助けてくれたのです。ポンザレ少年。ですが…。」
「そうだよっ!あたしらは助かったけど、あんたが死んでた…
そんなのは絶対認めないよっ!」
ポンザレが咄嗟に投げた襟巻は、バラバラにならないように、
三人の腕に巻き付いた状態で、上下左右から襲い来る瓦礫を、
弾き、軌道を逸らして、致命傷にならないように助けてくれたとのことだった。
「いいな!?とにかくこういうのは、もう止めろ。
次やったらお前はパーティから外すし、俺が本気でお前を殴る。」
「はい、気をつけますー…。」
「気をつけますーじゃねえっ!」
「もういいではありませんか、ザーグ。ポンザレ少年もいいですね?わかりましたね。」
「はい…。」
そう答えながらも、ポンザレはやはり襟巻を投げてよかったと
心から思っていた。マルトーが言ったのと逆で、ポンザレにとっても
自分だけが生き延びてザーグ達が死んでしまっては意味がないのだ。
「そ、それで、一体何が起こったのでしょうか…?」
ポンザレが改めて周囲に目をやる。
一面瓦礫の山だった。王城は完全に崩れさっていた。
中庭に立っていたはずだが、周囲は全て崩れた城の建材で埋まっている。
見上げるほどに高かった何本かの塔も、半分が折れ、横倒しになっている。
周囲一帯では、大量の埃が立ち上る傍から、
風にさらわれ空へと消えていく。
「そ、そうだ!空がっ!青空が見えていますっ!」
今まで王都を覆っていた灰色の泥の天井はなくなり、
ポンザレの目線と平行した位置に青空が広がり、
大きな鳥が遠くを飛んでいる。
ズズッ…
こうしてポンザレ達が会話をしている中でも、
地面は細かく揺れており、瓦礫もガラガラと崩れていた。
そしてポンザレ達は目線を下に移し、驚愕した。
◇
ザーグ達は巨大な山の上にいた。
正確にいうなら山の上の、崩れた城の瓦礫の上にいた。
濃い茶色をした巨大な泥の橋のようなものが、四方向に突き出ており、
それが遥か下の地面までつながり、土煙を上げながら、ゆっくりと動いている。
「これは…脚か…」
それは巨大な脚だった。
「…獣。」
「…悪獣ヤクゥ。」
それは獣だった。
崩れた王城を背中に乗せた、顔も目もない巨大な泥の獣が、
大地を抉り、地面を揺らしながら歩いていく。
誰も言葉を発することができなかった。
「ザ、ザーグさん、あれはっ!?」
ポンザレが指差したのは、獣の進行方向、頭の少し先だった。
緩やかな斜面に沿って、石積みの家が無数に並んでいる街があった。
中央には高い塀に囲まれた大きな城が見える。
「あれは…ミドルランかっ!?」
領主ワシオが治める、温泉があり、湯治に金持ちと護衛の強者が集う
豊かな街ミドルラン。その領主は先の闘いでポンザレとザーグが打ち倒している。
「…なんだか、様子がおかしいよ。」
ミドルランは街全体で温泉を活用しており、その温泉の湯気が
街中のいたるところから立ち上っている。
その温泉の白い煙に混じって、何本もの黒い煙だった。
「そういえば…、ワシオが自分の身代わりの死体を街に置いたと言っていましたね。
それで住民同士が争うように仕向けたと。」
「あの黒いのは街が燃えている煙か。」
そう会話している間にも、街はどんどん近づいてきており
ザーグにも街の住人たちが見えるようになってきた。
このばかげた大きさの獣を見上げ、逃げる人もいれば、
指をさし口を開けたまま固まっている人もいる。
両手を合わせ何かに祈る人もいた。そして人々の間、
通りのあちこちには、住民同士の戦いによるものであろう死体が転がっている。
獣はぶるりと大きく体をゆすると、ミドルランに入り、脚を止めた。
◇
ミドルランの住民達は血相を変え、我先にと逃げている。
子どもを抱えた女性、血まみれの剣を持ったままの男性、
薄汚れた服装の少年、人相の悪い冒険者、護衛をどやしつけながら
集団で逃げる金持ち…あらゆる住人が顔を真っ青にしながら、
わらわらと動いていた。
「急げ!!逃げろ!逃げるんだ!」
「だめだ…この世の終わりだ…」
「早くお逃げっ!お母さんのことはいいから!早くっ!」
「金なら出す、護衛代も普段の倍だっ!お、おい!わしを見捨てるなっ!」
ザザザザザザザザッ…
その様子を伺うような気配をしていた獣は、全身の表面をさざ波のように
波打たせて、大人一人ほどもある泥の玉を周囲にまき散らした。
無数の泥玉が街へと降っていく。
びしゃびしゃと地面に落ちた泥玉は、人々に素早く這いよっていく。
そして人の近くに来ると、触手状の泥で手足を押さえて動けなくした。
「お、おい、なんか降ってきたぞ!」
「うわぁぁ、なんだこれっ!」
「離せっ!離せよぉっ!!」
人々にとりついた泥は、色や形を変えて、おぞましい姿を作り出した。
それは人によって異なるようで、口が裂けた魔物、目を赤く光らせた魔獣、
無数の蟲、恐ろしい形相や血塗れの顔をした人間…様々なものがあった。
それらの姿を見た人々は、恐怖し、叫び、泣き、許しを請い、悲鳴を上げていく。
中には髪の毛が真っ白になっている人間すらいた。
「いやぁ、許してぇ!そんなつもりじゃなかったの!」
「や、やめてくれぇ…あぁあああっ!」
「うわぁ!うわぁあ!ぁぁあああ!」
…そして。
その恐怖に歪んだ顔が、ピタリと止まる。
少しして、その顔は誰かに無理やりに作られたかのように笑顔になると、
そのまま何も言わずにばたりと地面へと倒れ込んだ。
街のいたるところで、悲鳴が上がり唐突に止んでいく。
「…。」
ザーグ達は言葉を失い、その光景をただ見るだけしかできなかった。
街で誰かが倒れるたびに、獣が喜んでいる感情が
自分の足元から、うっすらと上がってくる。
それを受けて、ザーグ達の胸に強烈な不快感が湧き上がる。
「お、おいらは…」
ポンザレが震えていた。
ポンザレは泣いていた。
眼下で広がる光景は、明日にはゲトブリバやその他の街で広がる光景だ。
お世話になった人々、依頼者、食堂や店のおばさん、ギルドや冒険者の人達、
領主一族、たくさんの知り合った人達…その人達が、
あの泥にやられて同じようになってしまったらと想像すると、
ポンザレの心に強い怒りが湧いてきた。
とても許せるものではなかった。
「お、おいらは…もう許せません!」
ポンザレはそのまま瓦礫の山の上を器用に走り始めた。
「待て!ポンザレ!どうする気だっ!」
「こいつをっ…!倒します!」
ポンザレは、獣の脚まで走り寄ると、
そのまま空中に身を投げ出した。