【95】ポンザレと究極の〔魔器〕
暗闇の中、ポンザレは一人立っていた。
一切の光がなく何も見ることができない。だが、すぐ近くにおぞましい何かがいる。
その気配をポンザレは感じていた。禍々しく、不快な黒い何か。肌が粟立ち、寒気が止まらない。
その黒い何かが、もぞりと立ち上がったのがわかった。
暗闇で何も見えないはずなのに、それが見えた。それは顔のない黒い大きな獣だった。
つるんとした顔のない頭部から、獣がにやりにやりと笑ったのが感じられた。
心臓のドクドクという音が急に耳に入り、そしてどんどん早くなっていった。
早くこの場から逃げたいと思うが、全身が強張って、体が動かせない。
そのとき、左手の薬指の指輪から、
温かい波のようなものがポンザレの全身に染み込んできた。
その波は、ポンザレの早くなった心臓を包んで、ゆっくりと落ち着かせてくれた。
(ふぅ…ありがとうございます。おいら、もう怖くないです。)
ポンザレは黒い獣をもう一度見た。獣はにやつきを変えることなく、
こちらを伺っているような、探るような雰囲気を出している。
ポンザレは、その獣をにらんだ。
(おいら、負けないです…。)
◇
ポンザレが起きて最初に気がついたのは、首筋や胸の冷たさだった。
どうやら寝ている間に汗をかいていたらしい。
首をさすっていると、すでに起きていたザーグが声をかけてきた。
「おう、ポンザレ起きたか?お前、大丈夫か?」
「…はい、おいらは大丈夫ですー。ありがとうございますー。
ザーグさんは?マルトーさんは、どうですかー?」
「おかげさまでな、だいぶ調子が戻ってきた。お前のおかげだ。」
「あたしもだよ。痛みもないし、片目の視界にもだいぶ慣れてきたよ。」
「それはよかったですー。また薬塗りますねー。」
ポンザレは答えながら二人を見るが、ザーグの顔はまだ少し白く、
マルトーもばれないようにしているようだが、動きにぎこちなさが残り
まだ片目の視界に慣れていないのはまるわかりだった。
「とにかく今は栄養をいれましょう。寝る前と同じ味ですが、スープですよ。」
ビリームが熱くなった大鍋を運んできて、ニコがそれを皆に取り分けた。
ポンザレは、前回と同じようにスープに魔力を込め、皆で共に食事を始める。
皆の口数は少なかった。怪我の具合などもあるが、胸に迫る黒い不安のようなものが
全くなくならないからだ。
皆が食べ終えたところで、ザーグが口を開く。
「さて、この後の方針だがな…。」
「すみません、ザーグさん。ちょっと待ってください。」
食べ終えて木の器を床に置いたポンザレが、両膝を床につき
頭を下げていた。
「おい、なんだ、ポンザレ!?どうした!?」
「ザーグさん、皆さん…、おいらの一生のお願いがあります!」
ポンザレが叫んだ。
「…一応聞こう。なんだ?」
「お、おいらに…おいらに、濡れ槍と流線剣をくださいっ!」
冒険者は受けた依頼を達成して報酬を得る。
まれに、遺跡や未開の地の調査などの危険なものもあり、
それらで得られたものは冒険者の取り分となる。
自分達の持てる全ての力と知恵を絞り出し、命を掛け金として財宝を得るのだ。
もちろん成果が得られないこともあれば、ときにはお宝を目前に
撤退せざるを得ないこともある。
それでも一度手にしたお宝を、対価なく手放す冒険者はいない。
パーティの場合は、そのパーティ内での取り決めによるが、
ザーグ達は基本は全員で等分するのがルールになっている。
誰も使わない武器などの場合は現金化して分けるし、
誰かが使えるものの場合はきちんと話し合い全員が納得したうえで、
その人間に手渡すことになる。
「おいら、もう、今後の報酬はいっさいいらないです!どうか、お願いします!」
自分がいかに常識破りのことを言っているのかわかっているようで、
ポンザレは下を向いたまま言葉を重ねた。
一つでも相当な金額になるであろう〔魔器〕を二つ、
それも効果はお墨付きのものだ。
下を向いたままポンザレの体は、わずかに震えていた。
「お願いしますっ!」
ザーグは理由を問うようなことはしなかった。
ふっと小さく息を吐くと、ポンザレ以外の仲間を見回して言った。
「俺はいいぜ。皆は?」
「私は構いません。ポンザレ少年には、何か考えがあるのでしょう。」
「私も問題ないですよー」
「あたしもだよ。ってか、濡れ槍も流線剣も、お金に換えづらいじゃないか。
濡れ槍にいたってはワシオの持ち槍として名が知れ渡ってる。持ってるのが
バレただけでもヤバイもんじゃないかい?」
「あぁ、流線剣にしても正直扱いに困る。マグニアに闇市場に流してもらうには
あまりに物騒すぎる代物だしな。…と、いうことだ。ポンザレ。
流線剣と濡れ槍はお前のもんだ。」
「え…あ、ありがとうございます!」
「ほれ、顔あげろ。全部終わったら美味い飯でも俺達におごれ。三回分だ。それでチャラだ。」
上を向いたポンザレの顔は安堵に満ちていた。
「よ、よかったですー。ほ、本当にありがとうございます。」
「まぁ、それはもういい。で、どうするんだ?まさか全部の武器をお前が
使う訳でもないだろう?」
「はい、では、さっそくやってみますー。」
ポンザレは、まず自分のかすみ槍を床にそっと置いた。
ポンザレが初めて作った〔魔器〕で、槍の穂先がゆらゆらと光を反射して霞んでいる。
切れ味が良いのと、霞んでいる以外の効果はないが、
ポンザレの命を幾度となく救ってきた大事な短槍だ。
続いて壁に立ててあった濡れ槍を手に取り、互いの穂の部分が
交差するようにかすみ槍の上に置く。
「おい、ポンザレ、まさか…」
ポンザレは無言で濡れ槍の上に手をかざす。
左手の指輪が淡く緑色に光り、つられるように、濡れ槍全体が青く光る。
濡れ槍の光は少しして穂先の根本、ポンザレのかざす手の下に移った。
「ありがとうございます。力をいただきます。」
ポンザレは無意識のうちに小さく呟いて、手を穂先へと移動させた。
光は、濡れ槍の穂先から、そのままかすみ槍の穂にゆらりと移動して吸い込まれていった。
一呼吸おいてから、かすみ槍がまぶしく輝く。
光が落ち着いたところで、皆が見たのは〔魔器〕でなくなり、
ただの十文字槍になってしまった濡れ槍と、
薄青く光を反射し霞んでいる新しいかすみ槍だった。
額の汗をぬぐいながらポンザレが「続けます」と呟き、流線剣を手に取る。
先程と同じように、かすみ槍を下に、流線剣を上に置くと、ポンザレは再び手をかざす。
流線剣は、全体を白く発光させると、その剣身に刻まれた魔術文様へと光を移した。ポンザレの手は剣身の根元にあり、その手が剣先に上がっていくのとあわせて
魔術文様の光が輝きを増して移動していく。
「ありがとうございます…。」
ポンザレの呟きと共に、その光がかすみ槍に全て吸い込まれると、
先ほどよりもさらに激しい光が部屋の中を白く満たした。
「おぉ!」
「うぁ!」
「ふぅ…。…で、できました。」
そこにあったのは、かすみ槍ではなかった。
ただ霞んでいるだけだった穂先は、より強く光を反射し、白と薄青い煌めきを繰り返しながら、
見るものの目をくらませる。光の穂の境界線は、光の粒子が絶えず動いて、空中に散り、消えていく。
「まるで…光の霧…だな。」
かすみ槍は、青く白く光る霧の槍となって生まれ変わった。
「なんというか…、格が違うっていうのかい…、身震いがしてくるね。」
その光の穂は、どんな〔魔器〕よりも、自身の存在を強く主張していた。
普通の魔器が持つ、思わず何度も見たくなるような、どこか温かい雰囲気ではなく、
見るものを強烈に引きつける激しい〔魔器〕だった。
「この貼りつくような不安も、見てると少し薄れていくように感じますね。」
ニコの言葉に、思わず皆が頷いた。
王都に入ってから地鳴りと共に、刻々と濃くなっていく不穏な空気。
それが、今のこの瞬間は薄くなっているように、確かに皆にも感じられた。
◇
「はぁ、そんなもの見せられてな、言えなくなっちまったな。」
かすみ槍の穂にカバーをかけて仕舞うポンザレを見ながら
ザーグが軽くため息をついた。
「何でしょうかー?」
「実はな、ポンザレ、ニコ、お前らはここで一度ゲトブリバに戻れって
言おうとしていたんだ。」
「え?」
「な、なんででしょうかー?」
「そろそろ壺以外でも、俺らの動きや出来事を伝えたほうがいいし、
万が一何かあったときに、少しでも対処しやすいように、
今ここでパーティーを二つに分けて城を調査する係と、
ゲトブリバまで戻って待機・対応するようにわかれようと思っていたんだ。」
ザーグは、まだ十代で、自分達よりも若く未来のあるポンザレとニコを
生かしたいと、そう考えていた。普段ならば、そこまで考えることはないが
王都に入ってから、濃くなる一方の不安感をぬぐいきれなかったためだ。
「ザーグさんのいうこともわかりますが…、おいらを外そうとするのは
どうかと思いますー。」
「あぁ。だから、そう思っていたって言ってるじゃねえか。」
頬を膨らませるポンザレに笑いながらザーグが答える。
「パーティを分けるのでしたら…、おいらとビリームさんが城に
向かうのがいいと思います。ザーグさんとマルトーさん、ニコさんには
戻ってほしいと、おいらは思います。」
「おい…!?」
「…それは、どういうつもりだい!?」
「ポン君まで、私を外すってのはどういうことですか?」
「今ここで、戦える力をまだ残しているのは、ビリームさんとおいらだと思います。
ザーグさんとマルトーさんは正直まだきついと思います。
そして、ニコさんは、対人用の技は持っていますが、
魔物とかそういうのがでてきたら、厳しいと…おいらは思います。」
「…俺は行くぞ。」
「もちろん、あたしだよ。」
「ビリーム、お前はどう思う?」
「普段であれば、心配しすぎだと笑うところでしょうが、
ポンザレ少年の言う事に一理あると思いますね。」
「ニコはどうなんだい?」
ニコは目を閉じて、少し考えていたが、
一瞬だけ眉をしかめて何とも言えない表情をして答えた。
「私は…正直、皆さんと一緒に先を見たいです。でも…ポン君が言うように、
戦力的に力不足って言うのもわかります。というか薄々わかっていたんです。」
「ニコさん…。」
「…悔しいです。本当に。……いいです、私は戻ります。
戻って、少しでも体制を整えて、この先に何が起こってもいいようにしておきます。」
「…ザーグさん達は、どうしますか?」
「いや、俺達は戻らねえぞ。どうしてもって言うんだったら…
パーティはここで解散だ。俺達はお前達とは別で、城に向かう。」
「!!」
ポンザレは、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。
意見の対立でパーティを解散するなどの話は、今までに一度だって出たことはない。
「ザーグさん…それは…ひどくないですか?」
「ひどくねえ。」
「もし、この〔魔器〕がなくて、おいらがパーティを抜けてでも別で行きますって
言ったらどうしますか?」
「ふんじばってでも、帰らせる。リーダーは俺だ。」
「…。」
ポンザレとザーグはにらみ合った。
ザーグの気遣い、心配をわからないポンザレではない。
だが、それはポンザレにとっても同じだ。顔色もまだ白いザーグ、
片目を失い、まだ視界に慣れていないマルトーをポンザレもまた
心から心配しているのだ。
それがわかっても、お互いが引けなくなっていた。
救いの手を差し出したのはビリームだった。
「しょうがないですね、ポンザレ少年。今回は、あなたの負けとしましょう。」
「ビリームさん、でもっ!」
「これ以上は、本当に解散になりますよ。そして、ザーグも少し落ち着いてください」
「ということで、ニコさん、すみません。あなただけに
先に戻っていただくことになります。」
「わかりました。しょうがないですね。」
「ニコさんは竜車を使ってください。荷竜をつぶしてもいいので、
とにかく急ぎここを離れましょう。それがニコさんの使命です。」
「私が竜車を使ってしまったら、皆さんはどうするんですか?」
「私達は大丈夫です。そもそも、まるで何かと戦うかのような前提で
話をしていますが、城に入って少しでも危険な兆候があれば、即撤退します。」
「わかりました。何か特別に準備しておくことありますか?」
「現時点では何とも言えませんね。一応、城壁の補修や、
街の冒険者をあまり遠出させないようにしておくことくらいでしょうか?
アバサイドを経由して、ゲトブリバまで七~八日というところでしょうか。」
「もう出たほうがいいでしょうか?」
「大丈夫であれば、すぐにでも。」
「わかりました。では用意しますね。」
荷物をまとめる途中で、ニコは背負い袋から白い眼帯を出して
マルトーに渡した。
「マルトーさん、これ、ミラ姐さんのです。〔魔器〕としては、
使えないかもしれませんが、傷を隠すのに使ってください。」
「あぁ、ありがとう。助かるよ。ニコ、あんたも気をつけるんだよ。」
「はい!」
「では、先に戻っています。そしてすぐに帰ってきてください。」
「あぁ、すぐに戻る。ミラに俺は元気だと伝えてくれ。あぁ、あとマグニアに
今度俺がいくときは、高い方の茶を出せと言っといてくれ。」
「はい、必ず伝えます!マグニア親分には茶葉は一番高いのと
言っておきます!」
「ニコさん、私の家族にもすぐ戻ると伝えてください。」
「はい、任されました!」
「ニコさん、帰り道気をつけてくださいー。」
「ポン君…、ポン君は無茶してはだめですよ。それじゃあね。」
ニコはがたついたドアを軋ませながら開けると、
振り向かずに小走りで去っていった。
◇
「よし、俺達もそろそろ出る用意をするか。」
「それはなりません。」
「なぜだ、ビリーム!?」
「皆でいくことは、もはや止むをえませんが、あと一日ここで養生します。
それが私のゆずれるギリギリです。ザーグ、自分の顔色わかっていますか?
マルトーも動作のつなぎに間があります。まだ慣れていないのがわかりますよ。」
「だが、ここで悠長にしてたら、それこそ何があるかわからんだろう?」
「それならそれで、引き揚げるだけです。もし、それでも、どうしても行くというなら、
ザーグ。私があなたを縛り上げますよ?」
「…わかったよ。わかった。悪かった。もう一日ここで休んでいく。」
ザーグ達は、押し寄せる不安を忘れるかのように
いろいろなことを話した。ポンザレが出会ってからのこと、
その前のこと、どんな冒険があったか、何を手に入れたか、
誰がどんな失敗をしたか…様々な思い出を語り合った。
ミラとニコがここにいれば、と話も出たが、
それは帰ってからまた好きなだけ話そうということになった。
会話がふと途切れたところで、皆は眠りにつくことにした。
「では、最初はおいらから見張りしますー。」
「ポンザレ少年、お願いします。」
「はいー、起こしますので、ビリームさんもそれまで休んでくださいー。」
皆が寝静まり、静寂が訪れる。
泥の半球で覆われた薄暗い王都は、暗くなることがない。
開けた窓から、無人の通りを見つめながら、
ポンザレはこれからのことを想像しようとしたが、全く浮かんでこなかった。
「これからどうなるんでしょうかー。」
風の一つも吹いておらず、答えるものは誰もいない。
「でも…、おいらは。おいらのできる限りで、皆を守りたいと思います…。」
ゆらゆらとゆれる蝋燭の灯りが照らすのは、
少年から男へと成長したポンザレの横顔だった。