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【92】マルトーとシュラザッハ



かつて族長であり、偉大なる狩人である父は言った。


「狩りには二つある。弱いものを狩るか、強いものを狩るかだ。」


何度目かの狩りで、牙穴熊という大人でも手を焼くほどの

害獣を射止めて持ち帰ったとき、父は言った。


「お前は六つだったな。まだまだ体も小さく、力も弱い。

この牙穴熊は、お前よりもかなり強い。だがお前は知恵を巡らし、

一人で牙穴熊を追い詰め、そして倒した。お前は、強いものを狩れる狩人だ。

娘よ…よくやった。」


父は、皺の深い大きな手で頭を荒々しくなでてくれた。




十六歳のとき、森の深部で黒鱗蛇と呼ばれる魔獣を発見し射殺した。

黒鱗蛇は定期的に草原に出て、人や家畜竜を丸呑みにして

森へと帰っていく魔獣だった。

草原で出会うことがあれば、犠牲が出るのを覚悟で部族総出で対処にあたる。


「娘よ、よくぞ…黒鱗蛇を狩ってくれた。お前の狩りの腕は、

間違いなく部族一番だ。草原でも森でも、お前に勝てるものはいないだろう。」



一八歳になり、草原の部族を出るときに、少し小さくなった父は言った。



「娘よ、お前の心は鳥となった。この草の地を離れて、好きな場所へ向かい、

自らの翼で飛ぶがいい。…だが、忘れるな、お前はどこにいても狩人だ。

お前よりも強いものを狩れる狩人だ。さらばだ、娘よ。

先祖霊の導きにより、再び会うことがあれば、お前の射止めた獲物の話をしてくれ。」



父は振り返らずに草の海へと消えていった。







父のことを唐突に思い出しながら、

マルトーは小さくつぶやき、視線を上にあげた。


「…強いものね。ふん、あたしは、負けないよ。」



マルトーの正面、少し離れた場所の空中に

シュラザッハが軽く足踏みをしながら浮かんでいる。

二人だけの戦うべく、マルトーとシュラザッハは、

ザーグ達のいる場所から、かなり離れた街の広場に来ていた。


「僕、ワクワクしてきたよ!ふふっ!さぁ、マルトー!やろうか!

えっと…そうだね、僕、上を向いて五十数えるからさ、その間に位置についてね!」



マルトーは目を伏せて、つかの間思考する。


弓の一番の利点は、相手に反撃されない離れた場所から

一方的に攻撃できることに集約される。

弓を構えて、矢をつがえ、弦を引き、狙いをつけて放つ。

近距離で剣士などと対峙した場合、この動作をしている間に、

距離を詰めてきた相手に斬られる。

ゆえに弓使いが近い距離で戦うことはあり得ない。


だが、相手が達人となると、その距離も役には立たない。

距離は、達人に思考と対処の時間を与えるだけで、

どれかけ矢を射ろうが、達人は余裕をもって避けたり、切り払う。

それでも戦わなければならないときは、どうするか?



「…あたしはここでいいよ。」



マルトーの出した答えは中距離。およそ二十歩。

達人だと瞬き一回の間に詰めてくる距離だが、

近い分、矢の速度も落ちきらず、相手に対処する間を与えない。

射っては下がり、下がっては射る、詰め切られれば終わりの、

死線ギリギリの距離。


マルトーは覚悟を持って答えた。


「この距離で。あたしは、あんたを倒すよ。」


「ウフッ…、アハッ…、アハハハハハハ!!やっぱり、いいなぁ!マルトーは!」


「なにがおかしいんだい?」


「いやぁ、さすがだなぁ!野生の勘的な?危険察知の能力というのかな?

うふふふ、じゃあ、見せてあげる!」



笑いながらシュラザッハは腰のベルトから下げていた小剣を抜き放った。



「それは…。」



剣身に異様な文様が彫り込まれた、うっすらと白く光った小剣だった。

今まで幾つもの〔魔器〕を見てきたマルトーだったが、

かつて見たことのないほどの圧倒的な存在感を持っていた。



「これはね、流線剣だよ!」


「流線剣…。」



流線剣、それは古代の英雄バウキルワが使用されたと伝わる至高の〔魔器〕。

この世に切れないものはないと唄われ、英雄伝説の中でも

最終の敵である悪獣ヤクゥはもちろんのこと、多くの魔物、魔獣を切ったとされる名品。


マルトーには、その小剣がまるで身の丈もあるほどの大剣であるかのように見えた。

それほど圧倒的な何かを持っている〔魔器〕だった。



「じゃあ、あれ、見ててね!」


広場の隅の小さな塔を指さすと、シュラザッハは流線剣を無造作に振る。

振ると同時に、剣先から白い線が伸びて塔を斜めに走った。

塔は、走った剣線の通りに斜めから斬れ落ちて土煙を上げる。

足元に伝わる振動を感じながらマルトーは、ぎりと歯噛みをした。


(まずいね…振った瞬間に斬れているじゃないかっ!

しかも、剣の振りがそのまま延びて、斬れている距離が長い…っ!

なんて、でたらめな〔魔器〕だいっ!)


(くっ…、この距離で戦うってのは失敗…いや、違うね。

物陰に隠れても、知らぬ間に斬られるのがおちだね…。

奴の手元、剣先と、全体を見るんだ。かすりもできないね…。)




「いくよっ!」


シュラザッハの手元がかすむ。


「くっ!」


マルトーが、身体を右に半歩をずらした瞬間、

地面が白熱し深い溝が穿たれた。


続いて、上半身を大きく伏せる。

白い線が走り、マルトーの後ろの地面が同じように抉られる。

だがマルトーは、頭だけは、目だけはシュラザッハから外さない。



マルトーの命、存在の全てを懸けた狩りが始まった。






続く五撃を、躱した。

全て上空からの斬撃だ。

飛ぶ斬撃ではない、振った瞬間に斬れている恐るべき斬撃だ。


シュラザッハの剣は縦、横、斜めと多彩な軌道を描く。

時にはフェイントをはさみ、その剣先は縦横無尽な軌跡を描いた。


だがマルトーも負けじと、最小限の動きで避けながらも、

二度、反撃の矢を放った。放った矢は、シュラザッハの足元から

胸部へと跳ね上がるような曲軌道を見せたが、剣で打ち払われた。



「…っはぁっ!!!!」



体勢を整えなおすと同時にマルトー大きくに息を吐きだす。

一呼吸遅れて、大量の汗が全身に噴き出て衣服を濡らしていく。

嫌な汗だとマルトーは心の中で呟くも、それをおくびにも出さずに、

鷹のように鋭い目で、マルトーはシュラザッハを睨む。


「すごい!すごいよ!マルトーすごいよ!

こんなに避けられたの初めてだ!すごいよ!」


「…そうかい、それはどうも…だね。…はぁっ。」


「でもさー、マルトー、そんな避け方じゃいつか真っ二つだよ。

足元もどんどん悪くなっていくしさー。」


「…確かにそうだけどね。」


マルトーの周囲は、何本もの抉られた線が折り重なり、

指摘の通り動きずらいものになっている。


「マルトーさ、もっと出してよ!まだ出来ることあるでしょ!?

君の技、僕知っちゃってるけど、まだ戦えるでしょ!?」


「…こうやって話をして回復の時間をくれるのは、そのためかい?」


「うん、そうだよ。でも、今ので決着がつかなくてよかった。

僕はもっと輝きを見たいんだ!」



「…ふぅ。」



マルトーは、大きくため息をついて、首をぐるりとまわした。



「じゃあ、いくよ!しっかり僕を見て避けるんだよ!

さぁ、見て!君のその…素敵な目で!僕を見るんだ!」


「あんた…ちょっと気持ち悪いね。」


マルトーは再び集中に入る。

空中に浮かぶシュラザッハの手元も、周囲も、

全てを視界に入れながら。


剣の動き出しを見た瞬間に、その軌跡を予測し、

イメージする刹那の時間すら飛ばして、

ひたすら自動機械のように体を反応をさせる。



だが、一つ間違えれば死の、あまりにも細い綱渡りの連続の中でも、

マルトーの頭は冷えていた。マルトーは狩人だ。

熱い自分と冷めた自分の両方がいないと狩りは、

特に大物相手では成功しないことを知っている。


その冷えた頭が高速で回る。



(どうすればいい?あたしの手は何がばれている?

色塗りの矢は、もう騙されてくれないね。曲る矢…通じない。

早撃ち三ツ矢は…一番最初で避けられちゃってたね。

どっちにしろ相手は、空中でどうとでも避けちまうね…。)


通じないのを分かりながらも、反撃で曲がる矢を撃ち返す。


(ほら、やっぱり避けちまう。あいつに見せていないこと…

ポンザレが加えてくれた雷の矢だね…。まいったね…、

雷は、まだどれだけのことができるか、分かってないんだよね…。)


「…っ!」


白い線がマルトーをかすめ、その見事な金髪が宙に舞う。


「ほらほら、考えてばかりいると、動きが鈍くなってくるよー?」


「バカにするんじゃないよ!」


矢を放ちながらも思考は止まらない。



(…やることは三つ、順番にだね。しかも、どれも満足に

試したこともないだなんて。…はんっ!やってやるさ!)



「あたしは、狩人だよっ!」


マルトーはシュラザッハの剣の引きにあわせて、

バックステップをすると蹴り足に力を込めて、

一気にシュラザッハに向けて駆けだした。

戦いが始まってから初の、マルトーからの積極的な動きだった。



「おぉっ!?」



突然の動きに動揺したのか、

シュラザッハの剣の振りが、わずか…ほんのわずか遅れる。



マルトーは矢筒から四本の矢を掴み出しながら、

身体を地面に投げ出した。身を捻りながら、弓を構え天を向く。

その場所はシュラザッハの真下。


「喰らいなっ!」



マルトーの手から離れた四本の矢は、

シュラザッハではなく、その周囲に十字の形に飛んだ。

真下からという対応できない角度からの攻撃だが、シュラザッハも達人だ。

避けることは容易い。だが自分の体を狙ったのではない、

四本の矢の意図が分からず、その一瞬の迷いが剣を振るのをためらわせた。


天を貫かんばかりに放たれた矢は、対角の矢同士が雷を帯び、

その間を雷の糸がつながっていた。

十字に交差する雷の糸の中心に、シュラザッハがいた。


バチンッ!


「がっうっ!」


弾けるような音とシュラザッハの声が響くと同時に、

さらに続いた二本の矢が、シュラザッハのブーツに深々と突き刺さった。



シュラザッハのブーツは、空を踏める効果のある〔魔器〕だ。

だがマルトーの矢で穴が開いたことによって、その効果を失った。

雷による麻痺がどこまで効くか分からないため、

マルトーは二重で策を打っていたのだった。


〔魔器〕の効果を失い、バランスを崩したシュラザッハがグシャリと落ちた。



「うぉーーーっ!」


マルトーは、まだ止まらなかった。

シュラザッハが地面に激突すると同時に飛びかかる。



落下の衝撃で折れた腕で、シュラザッハが剣をわずかに動かす。

剣が白く光ったのが見えたと同時に、マルトーは右目が暗くなったのを感じたが、

死んでいないのなら体を止める道理はなかった。



「あたしのっ!!勝ちだっ!!」



右目から血煙を噴きながら、マルトーは強烈な体当たりをして、

そのまま両者はもつれるように転がった。







やがて、立ち上がったのはマルトーだった。

近くには弓が転がっている。


マルトーの手には折れた二本の矢が握られていた。

折れた半分はそれぞれ、シュラザッハの頭と心臓に突き立っている。


「はぁ…はぁ…」


粗い息を治めながら、マルトーが残った左目で、

仰向けになったシュラザッハを見る。



「ぐ…う…。…あ、あは、マルトーすごいや。

最高だよ…弓もなんか新しい〔魔器〕になっちゃってるし…。

そ、それに弓使いなのに…、最後は…矢を打たないんだもの。

…あはは、僕…負けちゃったよ。」



「…こんな戦い方をしたのは、あたしは…初めてだよ。」



「あぁ…、ごめん。僕の好きな、マルトーの目、一つつぶしちゃったね。」



うっすらと色が薄くなっていくシュラザッハの瞳に

心から残念そうな色が浮かぶ。



「ふん、いいさ。あたしの目、気に入ったんだろう?地獄に一緒に持っていきな。」


「あは…か、かっこいいなぁ…。もうさ、数百年以上、生きてきて、いや、

死に続けているけどさ、生涯で最高の贈り物だよ。…僕、ようやく、きちんと死ねるよ。

…ありがとう。」


「…礼なんて言われたくないよ。」


「で、できれば、僕がまだ生きているころに君に出会いたかったなぁ。

そしたら精一杯の愛の言葉をささやいて、君に結婚を申し込むんだ…。

僕、君に惚れていたんだ…。」


「ふん、残念だったね、あんた以外にも奇特な男がいてね。

そいつで間に合っているよ。…もっとも、あんたに片眼を上げちまったから、

そいつがあたしをもらってくれるか、わかんないけどね。」


「…大丈夫だよ。マルトー、…君の美しさは変わらないよ。」



「…な、なんだい、励ましてるのかい、あんた。

アハッ…アハハハ、もう訳が分かんないね。」


「…アハハっ、本当だね。」



二人のどこか寂しい笑い声がかぶさる。

シュラザッハの手足は既に完全に溶け、地面は泥たまりができていた。

胴体も既に溶け始めており、すぐに終わりがくるのがマルトーにもわかった。



「…じゃあね、マルトー。…本当に、楽しかった…よ。」


「あぁ。さよなら。」



シュラザッハの瞳の光が消えた。


かつて多くの人々を救い英雄と呼ばれ、その後ヤクゥに汚染されて

多くの人々を苦しめた男の長い長い生涯が幕を閉じた。

後に残るのは濁った泥たまりだけだった。





マルトーは懐から出した布で、頭を半分覆うように巻き付け、

光を失って穴になった目を覆った。

流線剣の光は、突き技として発動したようで、右目から右耳の上を貫たものの、

それ以上頭部を傷つけることはなく、死にはいたらなかったのは幸いだった。


マルトーは放り投げた弓とシュラザッハの残した小剣を拾い上げた。

その顔に笑顔はなかった。強いものを倒した後に残るのは、

喜びでもなく、達成感でもない。死力を尽くした相手が逝くときには、

常に一種の寂しさが募る。


ふと、「お前はどこにいても狩人だ。お前よりも強いものを狩れる狩人だ。」

そういった父の言葉が、マルトーの頭をよぎった。



「父さん。あたし、最高に強いやつを狩ったよ。」



灰色の王都に、さわりと風が吹いた。

その中に懐かしい草原の、草の香りが混じっている気がして、

マルトーは、すんと鼻を鳴らした。









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