【85】ポンザレと始まり
「料理…人?」
唐突に出てきた言葉に、ザーグ達は困惑する。
「あぁ、ごめん、ごめん、ちょっと飛ばしすぎたね。いろいろ僕らのことを
知ってそうだったから、説明を省いちゃった。てへ。」
わざとらしく拳で自分の額を叩いて、舌を出すシュラザッハ。
「そうだね、僕達が何をやっているかを君達は知っているんだよね?」
「街を荒らしたり、住人を洗脳したり、泥人形や魔物で攻めてきたりだね。」
口の重いザーグに代わってマルトーが答える。
「うん、それは全て一つの目的のためなんだ。その目的、それは全て、
僕達の主であるヤクゥ様の復活…違うな、ヤクゥ様のお目覚めのためなんだ。」
「…本当にヤクゥがいるっていうのか?」
「そうだね、ちょっとだけ長くなるけど、君達にも事の始まりから
教えてあげるよ。僕はさ、今、すごく楽しいんだ!だから、特別サービス。
僕が今までここまで人に喋ったことなんてないからね!」
◇
数百年以上もの遥か遠い昔。
この地には幾つかの国があった。国々は〔魔器〕の開発に心血を注ぎ、
出来上がった〔魔器〕は、主に国家間の戦争に使用された。
人々の生活に潤いを与える〔魔器〕もあったが、それは限られた一部だった。
長く続く戦争で、人々の心が荒み、嘆きと悲しみ、怒りの声が
大気に満ちていたその頃、ある敗戦国の技術者達が、辺境に【理想郷】を作った。
妻子を殺され、自身も大怪我を追いながらも生き延びた技術者達は、
大地に魔力を留める装置を作った。大地に固定された魔力は、
周囲一帯に住む人間の怒りや悲しみ、恨みなどを吸い取り、
技術者達の悲しみを忘れさせた。やがて、その噂を聞きつけた多くの人々が、
【理想郷】に集い、平穏を手に入れた。
技術者達も亡くなり数十年の月日が経った。
その頃には、国家間の戦争も終わり、同時に【理想郷】を訪れる人間も減っていた。理想郷を出ると、悲しみや怒りが再び湧きおこることが分かり、
その話が広がったからだ。不自然に忘れさせただけでは、人は前を向けない。
さらに月日が経って、理想郷は完全に忘れ去られた。
技術者達の作った装置は、動かなくなっていたが、
大地にはまだ魔力が留まっていた。
一定以上の魔力があるところには、意志、意思が生まれる。
そこで生まれた存在は思考した。自分のやらねばやらないこと、
それは、人々の負の感情を吸い取ることだった。
だが、その人間が、どれほど待っても来ない。
ごくたまに、狩人などが来ることがあったが、
悲しみや怒りなどもあまり持ち合わせてないのか、ひどく薄い。
大地は形を変えた。自ら動けるように。
剣や指輪などの道具として形を与えられた〔魔器〕であれば、
自らの形を変えることなどできなかっただろう。
その存在は大地そのもので、ゆえに脚を形作ることができた。
より早く移動できる前脚を、負の感情を察知しやすいよう頭も出来上がった。
そこには土と岩と砂を凝縮してできた獣の姿があった。
これが悪獣ヤクゥの生まれた日だった。
◇
「おとぎ話じゃないんですね…。本当にいたんですね…。」
目をパシパシと瞬かせて聞き入るポンザレを、
シュラザッハが満足そうに眺める。
「こういう話ってさぁ、もうどこにも伝わってないんだよ。
そんな話がきけるなんて、ポンザレ君は、とってもラッキーだよ!
まぁ、話しているのは僕の自己満足でもあるけどねー。
でも、ほら!こういう始まりを知っているのと、知らないのでは、
全然違うと思わない?背景を知っているから、より感慨深くなるというか。
どう、ザーグ?」
「…。」
「ちぇっ。会話をちゃんとしようよ。ザーグは、思っていたよりも
割り切るのが上手くないんだね。まぁ、でも、それもいいね、人間らしくて!」
「あんたを前にして、あんたの軽口を聞いていると、
まともに会話する気もなくなるけどね。」
「へへっ、それもそうかなぁ。ま、いいや。続きを話すよ?
現身を得たヤクゥ様は、その後、街にいってスラムに潜まれた。
その頃のスラムって、今の比じゃないくらい、けっこうひどかったんだよ。
そこでヤクゥ様は、人々の負をお吸いになられた。
でも、一つヤクゥ様にとって、誤算があった。」
「誤算ですか?」
「ヤクゥ様は、決まった形をお持ちじゃなかった。それゆえに、
魔力が徐々に抜けていったんだ。さらに人々の負をお吸いになる度に
少しずつ縮んでいくことになってしまった。」
シュラザッハは銀髪をかきあげて、ふぅと小さくため息をついた、
「だから、ヤクゥ様は人間の負の感情と一緒に、
人間の魂もお吸いになられた。吸った魂を魔力に換えて、
ご自身の力とされたんだ。もちろん吸われたら死んじゃうけど、
人間はたくさんいるし大丈夫だしね。そしてヤクゥ様は、お気づきになられたんだ。
死んだ人間がいると、その周囲の人間が悲しんだり、嘆いたり、怒ったりして、
負の感情が増えることに。ついでに、岩と土の姿のヤクゥ様を見て、
人間が恐怖を抱くから、それも素敵だと。それからヤクゥ様は、お姿を人間が、
より怖がるように変えながら、積極的に人を幸せにされた。」
「何が…、何が、人を幸せにしただ!」
ザーグが思わずテーブルを拳で叩く。
「だって、悲しみも怒りもない、平穏な気持ちになるんだよ?
そのまま死ねるんだよ?それって幸せだよね。まぁ、でも君達が
そう怒るのはわかるよ。だから…しばらくしてヤクゥ様は、英雄バウキルワに
討たれてしまったんだ。元が地面で土だから、滅ぼされたりはされなかったけど。
バウキルワは、ヤクゥ様を刻んで、刻んで、さらに刻んで、刻んで、
その最後に残った指先ほどになった土に残ったヤクゥ様を、
水晶の檻のネックレスに封印したんだ。」
「その時にヤクゥを倒し切れていればと、思ってしまうね…。
で、シュラザッハ、その水晶のネックレスはどこにあるんだい?」
「もうないよ!水晶のネックレスは、百五十年くらい前だったかな、
壊されて封印が解かれたんだ!」
「え?じゃあ、ヤクゥはもう復活しているんですか!?」
「百五十年前、その時にね。平原の中央にあった国で。
ヤクゥ様は、お戻りなられたとき、ものすごく飢えていらっしゃってね。
片っ端から恐怖を与えて、吸い取って。あっという間に一つの国を
泥の中に沈めてしまわれたよ。」
「…それが、汚泥の沼。」
「正解!汚泥の沼は、広がったヤクゥ様の御体の一部なんだ。」
「なっ…!」
ザーグ達は、いつもは人の話をそのまま鵜呑みになどしない。
ましてや、敵側で、調子のいい軽口男の言うことだ。
だが自分達や敵の持つ〔魔器〕の中には、英雄バウキルワが
使っていたと思われるものがある。対峙してきた『ヤクゥの手』の者達が、
皆何かの意図を持って動いていたことを知っている。
そしてザーグ達の脳裏に、鼻腔に、蘇ってきた汚泥の沼の重苦しく風景と、
人の心を腐らせるような臭い。それらは、シュラザッハの語る内容が事実であると、
ザーグ達に告げていた。
ポンザレは、息を吐きながらシュラザッハから視線を落とした。
目に入ったテーブルの上の料理はとうに冷め、肉の油も固まっている。
記憶が呼び起こした汚泥の臭いと料理が重なって、ポンザレは軽くむかつきを
おぼえたが、それを振り払うように聞いた。
「り、料理人ってのは。いったい何でしょうかっ?」
「ごめん、ごめん、話が長すぎたね。ちょっと反省。てへっ。
ヤクゥ様は王都を飲み干し、平原を泥で埋めつくした後、こう感じられた。
“やりすぎた。もっと味わうべきだった”ってね。そう味わう。それが大事なんだ。
ヤクゥ様にとって、人々の負の感情を吸うことは使命であり、食事なんだ。」
「食事だと…。」
「しょうがないじゃない。ずっと飢えていらっしゃったんだから。
ともあれヤクゥ様は、自ら眠りにつかれたんだ。人がまた増えて、
再び美味しくいただけるように。テーブルが整うその日まで。」
「…。」
「僕らは料理人。円環街道に並んだ街は皿。人は料理。だから、僕らは
街ごとに味を変えて、ヤクゥ様に楽しんでいただく準備をしていたんだ。
例えばね、魔物に襲われて多くの犠牲者が出た街は悲しみと恨みの味に、
暗殺と暴力で、疑心暗鬼になった街は、怯えと裏切りと怒りの混ざった味に、
聖泥で洗脳された街は口直しって感じだね。まぁ、どれも君達がだいぶ
邪魔してくれたんだけどね。」
ザーグは嫌な予感が胸に渦巻いてくるのを感じた。
「それを…なぜ、今俺達に言うんだ?」
「ふふふー、もうわかったでしょ?僕が全部君達に教えているのはね、
もうほとんど終わったからさ。それぞれの街から立ち上った香りで
ヤクゥ様はもうほとんど目が覚めていらっしゃるからね。
今さら味が少し薄くなってても、しょうがないね。」
「シュラザッハ…あんたは誰だい?これだけの話を、
まるで見てきたかのように…あんたは…いったい何者なんだい?」
「僕は、最も古き信徒と呼ばれているよ。僕は…ヤクゥ様の欠片、
小さな小さな欠片さ。ヤクゥ様が水晶の檻に閉じ込められたその時に、
零れ落ちたんだ。この身体は、その時一番近くにいた人間のものをもらったんだ。」
「まさか…、それは、英雄…」
「おっと、その先はもう言わないでおいてよ。今となってはもう関係ないし。
その時にその人は死んでるしさ。僕は、ヤクゥ様の欠片ではあるけど、
また違う存在で、別人格なんだ。っていうか、ヤクゥ様には人格みたいなものは
ないけどね。それに、僕は人の負を吸ったり食べたりもできないし。
僕の楽しみはただ一つ。命の煌めきを見ること、感じることなんだから。」
「と、とめることはできないんでしょうか!?ヤクゥが起きるのをっ!」
「ポンザレ君、それは無理だね。君達には、ちょっとだけ申し訳ないかな?
って思いはするけど。僕さぁ、君達が好きなんだ。
僕がこうなって、見てきた中で君達が一番輝いているんだ。
だからさ、どうせ君達もヤクゥ様に吸われていなくなっちゃうけど、
それまで、少しでも君達を見たいし応援したいんだ。」
◇
「さぁ、そろそろ、お喋りはお終いにしよう。最後に君達に必要なことを
幾つか伝えるよ。」
シュラザッハは、左右にぴったりと身を寄せた子どもや周囲の人間を、
あごで指した。何の反応もせず、言葉一つ発しない人々の目は、
赤く充血し、普通の状態でないことは一目瞭然だった。
「この人達は、僕の持つ紅い虜っていう名前の〔魔器〕の指輪、
あぁ今はネックレスにして首から下げているよ。これを壊せば解除できる。
今は、僕のことが好きで僕の命令を聞いてくれるんだ。
うん、だから、マルトー、がんばって僕を倒してね。」
「できれば今すぐにでも殺してやりたいんだけどね。」
「まぁ、その機会はまたくるから、次にね。それと、この街の三兄弟は、
魔剣を持っているだけのただの馬鹿だよ。それなりに強いけど。
あいらは僕の仲間ってわけじゃない。ちょっと方向性は指示したけどね。
あぁ、あとミドルランのワシオ。」
「…ワシオ?」
「うん、彼は僕達の仲間だよ。残った仲間は三人。
僕とラムゼイ爺さんとワシオだよ。ふふ、皆、気を付けてね。
でも、もうこの戦争はもう止まらないけどね。ふふー、でも、そんな中で!
君達がどう動くのか…あぁ楽しみだなぁ!」
「…俺達はてめぇを楽しませるために動いてるんじゃねえぞ。」
「じゃあ、僕は行くね!皆がんばってね!それじゃあね!」
喋り終えて満足したのか、シュラザッハは満足した顔で、
席を立ち扉から出ていった。宿を出るまでシュラザッハの周りには
子どもが付き従い、ザーグ達が攻撃をできないようにしていた。
後には、わずかに汚泥の沼の湿った臭いが残っていた。