【82】ポンザレとヤクゥの手
「『ヤクゥの手?』」
「そうだ。もっとも、その名前は私達が昔からつけている名前で
奴ら自身がそう呼んでいるわけではないがね。」
ゲトロドの領主アルゴシアスは、机に肘をつき、
両手の指を絡めながらそう言った。
「ヤクゥってのは、あのヤクゥか?」
子供のころに誰もが何度も聞かせられるおとぎ話がある。
悪獣殺しの英雄バウキルワの話だ。全ての火をはじくマント、
みなぎる力の鎧、斬れないものはない『流線剣』、空を踏めるブーツ、
水晶の檻のネックレス…幾つもの〔魔器〕を持ったバウキルワが
人々を苦しめていた悪獣ヤクゥを打ち倒すという物語だ。
「我が一族は王国に仕えていた。ザーグ、君は王国のことを知っているかね?」
「中央の平原にあった王国は、ある日突然、
汚泥の沼に埋もれた。名前は、ウェブレルだったか。
そのくらいだ。誰でも知っていることくらいしか知らない。」
「ウェブレル王国。百数十年前、十二代目となる王太子の
生誕祝いが行われたその夜、一夜にして王都は泥の沼に沈んだ。
原因はわかっていない。巷で言われているように、何かの禁忌に触れ、
神の怒りを買ったのかもしれない。我が一族にも、
なぜそうなったかなどの話は一切伝わっていない。」
「それが…?」
「我が一族は王国の陰の目であり耳だった。それは王国が滅びた後、
規模こそ小さくなったが百数十年、ずっと続いている。
そして、その間、『ヤクゥの手』は人知れぬところで、ずっと動いていた。」
「話が見えねえ。なぜヤクゥなんだ?」
「過去百数十年にわたる我が一族の活動の中で、何度か奴ら…、
主に銀髪の軽口を叩く男からだが、その名前を耳にしている。
『ヤクゥ様』とな。奴らは今では、“大いなる方”“大いなる存在”などと
呼んでおるようだ。」
「あの軽口男かい。そんな昔からいたっていうのかい?冗談だろ!?」
「あの男は、少なくとも百数十年は生きている。目立つ男だ。間違いない。」
「はぁ…、どうりで矢を突き立てても死なないはずだよ…。」
「軽口男と戦って勝ったというのは本当だったのだな。
『流星弓』の二つ名通り、恐ろしい程の弓の腕だな。」
「あたしも深手を負わされたから、勝ったとは言えないけどね。
でも困ったね、どうやれば殺せるのか、もっと真剣に考えないとね…。」
首を捻りながら次の算段を考えるマルトーの様子に、
アルゴシアスはザーグのパーティが、戦い生き延びてきた理由を
改めて思い知らされた。ザーグのみならず、それ以外のパーティメンバーも
一流の腕を持ち、勝つこと、生きることに貪欲だ。
「それにしても…ヤクゥね。」
ザーグがぼそりと呟くと、室温が一気に下がったように感じて、
ポンザレはぶるりと頬をふるわせた。
「王国のあった平原が汚泥の沼になった現在、人々は円環街道を行き来して
暮らしている。街道沿いの街には領主がおり、それぞれ領地を治めている。
ザーグ、不思議に思ったことはないか?いかに中央の平原が失われたとはいえ、
この百年以上もの間、この地一帯をまとめた人間はいないのだ。
それどころか、街を二つ以上治めた人間もいないのだ。」
「それは偶々…じゃないのか?」
「影響力を強く持ち始めた商人、野心のある領主、
求心力をもった武芸者や冒険者…そういった目だったものは
どこの街でも早くに命をなくしている。偶然にしてはおかしすぎる。」
「…。」
「『ヤクゥの手』が何を目的としているのかはわからない。
だが奴らは、この地がまとまるのを良しとしないようだ。
細かいことを知りたければ言ってくれ。なんでも答えよう。」
「…情報量が多いな。少し休みたい、部屋を借りれるか?」
「あぁ、すぐに用意しよう。」
◇
汚泥の沼の中央、地下に広がるかつての王都。
城も含めて街の上半分は泥の中に埋まっている。
その王城の奥にある、広い部屋の中、テーブルに座る三人の人物がいた。
「そうか、サリサはやられたのか。」
片方の眉をわずかに上げて、ミドルランの領主ワシオが呻くように呟く。
「うん、しょうがないね。サリサもザーグに、
こだわりすぎてたからさー、そろそろダメだとは思ってたけどね。
むしろ…遅かったくらい。」
両腕を頭の後ろで組んで、シュラザッハが軽い口調で答えた。
マルトーの弓によって落とされたはずの手首は復活しており、
体に深く刺さっていたはずの矢も、もちろんない。
「だが、せっかく仕込んでいた、あの魔法使いの女も
奪われてしまったんじゃぞ!全く、どうするんじゃ!
聖泥の七杯も今ではわしら三杯だけじゃぞ!」
腰の曲がった小柄な老人が、しわがれた声を興奮気味に上げる。
傷ついたシュラザッハを元に戻したラムゼイだ。
白い髭と無数の皺に覆われた顔の中から、ぎらぎらと強く光る眼が、
シュラザッハとワシオを交互に見る。
「あぁ、でもさ、二人も。昨日聞こえたよねー?あのお方の声が。」
「そうじゃ!そうじゃ!御声じゃ!あぁ!わしの魂は喜びに震えたぞい!」
「ようやくだねぇ!嬉しいなぁ!お姿も拝見できるよ!」
「うむ。そのためにも、戦争の仕上げを行わないとな。
リバスターの連中の手に入れさせた〔魔器〕、あれはなかなか
いい働きをしそうだ。もう報告が上がってきている。」
「でしょでしょ。〔魔器〕の三剣。なかなかいい選び方だったでしょ!?」
「ワシオよ、この後の筋書きはどうなるんじゃ?」
「あと、二、三回小競り合いをして、私がリバスタの連中と対峙する。
その後、奮闘むなしく私は傷を負い、ミドルランに退却する。
調子に乗った奴らは、そのままミドルランに侵攻し…、
街は蹂躙され、多くの人々が死ぬ。」
「じゃあ、僕はまたリバスターに行って、焚きつけてこないとねー。
『うまい汁を吸い続けているミドルランを許すな―!』『全ての元凶は
ミドルランの領主ワシオだー!』なんて感じでさ!」
「あぁ、頼む。」
「ザーグの方はどうする?今のまま円環街道を進むと、リバスターにも
そう時をおかずして着くじゃろう?」
「開戦する方が早いだろう。おそらく大丈夫だ。
だが、もしその前に、リバスターに着くのなら、
シュラザッハ、君が動け。」
「えぇぇえ!僕、いやだよー!あいつら強いし!
僕一回やられてるじゃないかー!」
「街の連中を使えばいいだろう?そのための〔魔器〕だって持っている。」
「うーん…。わかったけど、たぶん僕、そのままワシオの方にふるからね。」
「まぁ、私がこの手で殺せるのなら、それに越したことはないな。」
「さて。わしは、どうするかのぉ。また新しい玩具でも作っていようかの。」
「あぁ、ラムゼイ。玩具を作るなら、すぐ殺すようなものじゃなくて、
拘束するようなものがいいな。動けなくなったところで、目の前の
親しい人間が死ぬのを見せつけられる…そういうのはどうだろう?」
「うほ!おもしろいぞい!怒り、悲しみ、嘆きを倍増させる玩具じゃな!
…おお、アイディアが湧いてきた!早速製作にとりかかるぞ!」
「じゃあ、後は大いなる方がお目覚めになるまで、進めるだけだね。」
「あぁ、ではな。お目覚めになったその時に、また会おう。」
◇
その後、アルゴシアスとザーグ達は、三日間に渡って
互いの情報を交換した。特にアルゴシアスは、
ザーグ達の倒した相手と持っていた〔魔器〕のことを
詳しく知りたがった。ザーグは自分達が所有する〔魔器〕に関しては、
一部をぼかしながらも、基本的には全てを伝えた。
それに応えるかのようにアルゴシアスも、組織の体制などの、
極秘とされる情報を幾つも伝えてくれた。
「私達が把握していた『ヤクゥの手』は、三人。
軽口男、暗殺者、傭兵隊長…あぁ君達には将軍と名乗っていたのか、
そのうちの二人も倒した。さらには、魔物の王、双子の刺客も。
すごいな君達は…。もう、何といえばいいのか…言葉が出ない。」
「縁ができちまったようだからな…。もうどうあっても…、
関わらざるを得ないようになっちまってるんだろうな。」
「縁か…私達と君の縁も、『ヤクゥの手』がいて結ばれたか。
ザーグ、せめて私達だけは、君達にとって良き縁になると約束しよう。
私達には力はないが、情報はある。何か困ったときには、
どの街にも一人はいる巡回商人に声を掛けてくれ。」
「あぁ、ありがたい。」
アルゴシアスの情報網の中核をなすのが、
竜車一つで街をめぐる巡回商人達であることは、これまでの会話の中で
知らされていた。巡回商人を情報源としている人間は多いが、
それが逆に、各街で誰がどんな情報をとっているかを把握されていたという事実は
ザーグを大層驚かせた。ザーグも、自分の情報源として巡回商人を使っていたからだ。
「ザーグ、君達が倒してきたのは相当な手練れだ。
そんな人間が、そうそういるとも思えない。だが、奴らの規模も
人数もいまだ不明なことに変わりはない。」
「そうだな。」
「君達が暗殺者を倒したとはいえ、いずれ名のある、
目立つ人間は、奴らに狙われるだろう。」
「暗殺者を倒したからといって、収まるような奴らじゃないってことか。」
「奴らが次に狙いそうな人物だが、私はミドルランの領主ワシオだと
予想している。もともと有能でミドルランを温泉の街として栄えさせてきた。
おまけに〔魔器〕持ちで、強い上に領民の受けも良い。」
「あぁ、何度か会ったことはあるから知っている。」
「だが、ここ数カ月は隣のリバサイドと小競り合いを繰り返しており、
かなりゴタゴタしている。この混乱に乗じて『ヤクゥの手』が、いやむしろ
この混乱こそ奴らが起こしている可能性もある。」
「ワシオか。わかった、会うことがあったら気をつけておく。
さて…ずいぶんと世話になったな。そろそろ俺達は行く。」
「街を出るか…。必要なものは、できうる限り用意させよう。
遠慮せずに言ってくれ。」
翌日、ザーグ達はゲトロドの街を後にした。
◇
「なんだか、本当にすごい話ばかりでしたー。」
竜車の中で、ポンザレがため息をついた。
アルゴシアスは竜車以外にも専用で御者もつけてくれたため、
パーティメンバー全員が揃っている。
「あぁ、まったくだねぇ。しかし、『ヤクゥの手』、本当に何を
したいんだろうね。あの双子は、人間の悲しみや恨みやそういったもので
世の中に満たすようなことを言っていたね。」
「泥人形に街を襲わせたり、要人を暗殺して街を乱したり、
泉に毒を投げ入れて住民を鈍くさせたり。その先に何があるのでしょうか?
もう充分に、世の中は悲しみや恨みで満たされているとも思えます。」
ニコが首をかしげると、それを真似するかのように首を曲げていた
ポンザレが一際大きな声を上げた。
「あ…!おとぎ話のヤクゥがよみがえったりするのかもしれませんー。」
「…昔なら、その発言を笑っていたと思うがな…。
今となっては、笑えねえな。そのおとぎ話の〔魔器〕としか
思えないものがあるんだしな。」
「ビリームのメイスになっちゃった、みなぎる力の鎧。
軽口男の空を踏めるブーツだね。全ての火をはじくマントと、
流線剣、水晶の檻のネックレスはまだ出てきてないね。」
「バウキルワのお話の中では、ヤクゥは多くの民を飲み込んで
笑っていたとありましたね…。」
「そんなのが出てきたら大変ですー!」
「うーん、〔魔器〕は実際に手にしているのもあって信じられるがなぁ。
ヤクゥが実在すると言われても、素直に信じられないのが本音だ。
話しが妙に大きすぎるような気がする。」
「あたしもだよ。」
「そうだー!ヤクゥが封じこめられた水晶のネックレスです!
それを向こうが持っているなら、おいら達がそれを、
とっちゃえばいいのではないでしょうかー。」
ヤクゥが存在する前提で案を出すポンザレを、
ザーグは顎に手を当てて見つめるが、意を決したように口を開いた。
「…うーむ、そうだな。いるかいねえかは分からねえが、
どちらにせよ、行ってみねえとな。」
「じゃあ、ザーグ…。」
「あぁ。俺達は、円環街道をこのまま進んで
きな臭くなっているリバスターの先から旧街道に入って、
王都を目指す。…どうだ?」
ガタガタと揺れる車輪の音だけがしばらく流れる。
「はぁ…。泥人形、泉に入れていた毒の泥、
石降りの連れていかれた地下の街と城…結局全部、
汚泥の沼から来てるからね。わかってはいたけどね。
…嫌だけどね、あそこ。臭いし、湿気すごいし。
でも、しょうがないね。あたしも、もう、終わりにしたいからね。」
「怖いです。怖いですけどー、行くしかないですー。」
「私も、行きます。ここまできたら、もう引けません。」
「よし、行こう。だがな、まず俺達は死にに行くんじゃねえ。
危なくなったら引き返すぞ。冒険者は生きてなんぼだ。」
「でも、おいら達、だいたいそう言いながら、
危なくなってる気がしますー。」
「お前、こういうときにそれは言わない約束だろ!」
ザーグの拳骨がポンザレの頭の上に落とされて、笑いが起きる。
笑いが収まると竜車を、再び沈黙が訪れた。
ポンザレの目に薄暗い幌の中に差し込む陽光が写っていた。
その光が、なんだか頼りないものに見えて、
ポンザレは口をもぐりとさせた。