【78】ポンザレ、傍にいる存在に気付く
「ポン君!ミラさんを助けて!急いで来てっ!」
真っ青な顔で走ってくるニコの両手は真っ赤に染まっている。
だが、それがニコの血でないことは明らかだった。
ザーグ達は、縛ったニーサは転がしたまま、反転して走り去るニコの背中を追った。
数分ほど走ると、ザーグ達は民家が密集した地区の裏路地に着いた。
路地の先でぽっかりと開いた空間には、おびただしい血が流れ、
二人の人間が倒れていた。
仰向けで浅く息をしているのはミラで、もう一人はその隣で既に事切れていた。
死んでいる女の体には短剣が深々と突き刺さり、醜く歪んだ顔の真ん中には穴が開いている。
「ミラっ!ミラっ!!!」
血だまりに膝をついたザーグがミラの上半身を抱える。
「おい!ポンザレっ!!!は、早くしろっ!!早くっ!早く、助けてくれっ!」
「は、はい!ま、待ってくださいっ!」
ニコが応急手当をしたようで、ミラは革の胸当てははずされ、
上半身はシャツだけとなっていた。そのシャツは大きく捲られて、
腹部に何重にも包帯代わりの布が巻かれている。
ぐっしょりと赤く濡れた布は、内側から溢れ出る血を
押しとどめることができていない。
ポンザレがその布を取ると、
傷口から盛り上がるように血があふれ出る。
「…っ!」
抉られたような傷の形と大きさにポンザレは目を見開く。
『汚泥の輩』の暗殺者は、毒の短剣をミラに刺しただけでなく、
最後に短剣をまわしたようで、幾つもの臓器を傷つけていた。
記憶がおぼろげではあったが、ザーグの時の治療と同じように、
腰の皮袋に入れた薬を取り出そうとして地面に落とした。
軟膏を包んだ葉を開こうとする指が震えて、うまく動かない。
(だ、ダメです…お、おお、おいらが、し、しっかり、しないと…)
---落ち着きなさい、ポンザレ。まず、水を入れて傷の中を洗いなさい---
優しく暖かな声が、ポンザレの頭の中に響く。
「…え!?…はい、…は、はい!わかりました!」
突然、誰かと会話をしているかのように、声を上げたポンザレに
一瞬怪訝な顔を向けたマルトー達だが、ポンザレは聞く間も与えずに指示を出す。
「マルトーさん、腰の水筒の水を傷から入れてください。
お腹の中を洗います。ザーグさん、ミラさんの手を握って元気づけてください。
ニコさん、おいらが薬を言うので順番においらに渡して下さい!」
左手の指輪からあふれ出した緑色の光が、ポンザレを包み始める。
◇
ポンザレはこれまでザーグやビリームを治療した時は、
ただただ必死で意識もほとんどないようなものだったが、
今回は半覚醒のような状態にあった。
その夢うつつの状態でポンザレは、誰かはわからないが、
優しい声をした誰かが自分の傍にいてくれることを実感した。
その感覚を得た瞬間に、少しの気恥ずかしさを含んだ、
喜びの感情が湧き上がってくる。
目には、ミラが瀕死の状態にあり、痛々しい傷に手を入れて
中に入れた水を押し出す映像が映っている。
何とか、どうにかしなければ、助けたい、おいら何でもします…!と、
必死な気持ちで一杯だった心が、いまだ治療の途中にありながらも、
徐々に薄れていく。
(ミラさん、もう大丈夫です。おいら一人じゃなかったんです!
おいらと一緒にいてくれる人が、おいらに力をくれてるんです。
ミラさん、治ります!)
傷口をきれいにする薬草をもみつぶした薬を指先に塗り、
ポンザレが躊躇することなくミラの傷口からを手を入れる。
「…ぐ、ぐうう」
「お、おい!ミ、ミラ、少しだけ我慢だ、すぐ終わるからなっ!
ポンザレ、早く、早くしてやってくれっ!」
「…ザ、ザーグ。」
「なんだ!なんだ!?ミラ?」
「……ごめんね…心配かけて。」
「ばかやろう、ミラ…、あぁ、お前、大丈夫だ、
俺もポンザレに治してもらったんだ、…お前もすぐに治るぞ!」
「……私、どうしても、許せなかった。…あなたを刺した、あの女が。」
「あぁ、あぁ…わかってる。…仇をとってくれてありがとな。
ミラ、だから、今はあんまり喋るな。」
「…ザーグ。…お互いに約束した。…死なないって。」
「あぁそうだ、だから、大丈夫だ、大丈夫だ!」
ザーグとミラの瞳に、一際強い緑色の光が映る。
ポンザレはザーグの時にも使用した、傷口を溶かして治す薬を
指先に塗ると、傷口に再び手を入れ、複数の臓器に塗りこめる。
頭の中に響く声は止んでいたが、迷うことなく治療を進められた。
緑色の光は、ポンザレの手を介して、傷口からミラの体の中にも入っていく。
やがて光は柔らかく明滅しながら、ゆっくりと消えていった。
光が消えるのと同時に、ミラが目を閉じる。
傷口の血も止まり、胸は僅かに上下をしている。
それを見届けたポンザレは、完全に意識を失い地面に倒れこんだ。
◇
「…ふぅ。」
「ミラさん、大丈夫ですか?まだ痛みますか?食べれますかー?」
ため息をついて窓の外に目をやるミラを心配して、ポンザレが声をかけた。
宿屋の部屋の中には、ザーグ達全員がいた。
『汚泥の輩』の暗殺者と、泥まみれの死体冒険者達、そしてゲトブリバの街の
魔法使い、石降りのニーサとの戦いから、七日が経っている。
ポンザレは、手をかざして魔力を込めていた木の器をミラに差し出す。
「…ん、大丈夫。…今日も野菜?」
「目が覚めてまだ三日しか経っていないんです。
まだお肉は禁止ですー。でも、今日の野菜も、
ザーグさんが全部細切れにして、形がなくなるまで煮込んで作ってます。
ミラさんだけの特製ですー。」
「おい、ポンザレ、いちいち言わなくていいんだよっ!」
ザーグが同じく窓の外を眺めながら、馬鹿野郎と小さく呟く。
その様子に、ミラはふわりとほほ笑むと、何度目かの礼を口にした。
「…ニコ、ありがとう。あなたが毒抜きの指輪で、
最初に毒を抜いてくれなかったら、私はここにいなかった。」
「いえ、私はそのくらいしかできませんでした。…というか、
…ミラ姐さんが、刺されるのを止められませんでした…。」
「…しょうがない。私は、気配を消して追っていた。」
「…ミラ姉さんが助かって…本当に良かったです。」
ミラは涙ぐむニコを手招きすると、その頭に手を当てて優しくなでる。
「…ありがとね。ニコ。…そしてポンザレ。」
「はいー。」
「ポンザレ、本当にありがとう。…私の命を救ってくれて。
…ザーグとの約束を守らせてくれてありがとう。」
「お礼はもう大丈夫ですー。」
「いや、ポンザレ、俺からも言わせてもらう。
ミラを救ってくれて…ありがとな。俺は…一生お前に頭が上がらねえ。」
「二人とも、もういいですー。もう何回も聞きましたー。
仲間ですから当たり前ですー。」
ポンザレが落ち着かない様子で、口をもぐもぐと動かす。
「そうだよ、もうこれで何回言ったと思っているんだい。
今はまず体を癒すことが何よりだよ!」
困り顔のポンザレをフォローするかのように、
マルトーがパンパンと手を叩いて、話を終わらせる。
「ミラには悪いけど、あたし達は肉を食べてくるよ。いくよ、ポンザレ、ニコ。」
「はい、ではミラさん、また後で薬持ってきますー。」
「ミラ姐さん、いってきます。」
三人がドアを閉めて、廊下を賑やかに去っていった。
「まったく、あいつら余計な気を回しやがって…」
「…ザーグ、隣にきて。」
「あぁ…。」
ザーグがベッドに腰掛けると、ミラはその厚い胸に上半身を預けた。
「…生きてて、良かった。」
「あぁ。…だが、もう無茶はしてくれるな。頼む。」
「…わかってる。ザーグ。」
「なんだ?」
ミラは、無言で顔を寄せ、唇を重ねた。
◇
翌日、ミラ以外のメンバーは、
宿屋の別にとった部屋に集まっていた。
その部屋の中にはベッドには、やせ衰えたニーサが寝かされていた。
「ニーサさん、起きてますか?」
「…ポン、ザレ?」
「はい、ポンザレですー。ニーサさん、お久しぶりですー。」
「ここは…?私は?」
「石降りの。俺が誰かわかるか?」
「えっと…ポンザレの仲間。…リーダーの人ね…。」
「ポンザレが先かよ。まぁ、いいか。石降り、幾つか質問に答えてくれ。」
「えぇ…出来る限り答えるわ…答えます。でも、どうして私はここに…?」
ザーグ達は、ミラの治療の後、縛って転がされたままのニーサを
宿へと回収した。毒抜きの指輪を指にはめると、ニーサは驚くほど
大量の泥のようなものを吐き出した。
だが意識は戻らなかったため、ベッドに寝かせたままにし、
たまに水や薄めたスープをむりやり飲ませて、目が覚めるのを待っていた。
ここがインフォレという街であり、水に毒を混ぜられていたこと、
そして、それを阻止すると、ニーサが自分達を襲ってきたことを、
かいつまんで説明する。ニーサは身体を細かく震わせながら、声を絞り出した。
「…そう…なのね。…あぁ、夢じゃなかったのね…
私…ぼんやりとだけ覚えているわ。私、あなた達を襲ったわ…。」
◇
それはいつのことだったのかは、もう思い出せない。
ニーサは、その日、領主の館の中の自室にいた。
甘茶と菓子を手机に置き、本を読み始めたとき、
部屋の中に誰かがいるような気がした。
顔を上げると同時に、後頭部に強い衝撃を受け、
そのままニーサは気絶した。
ガツガツと頭や足に痛みを感じて、ニーサは目を覚ました。
混乱する頭で状況を整理すると、どうも身体を縛られて、
冒険者風の男達に、乱暴に担がれて運ばれているようだった。
鼻が曲がりそうな臭い男達は、こちらが何を言っても応じることがなく、
あらゆる反応のなさは、まるで動く死体のようだった。
ニーサは、魔法を使って男達をどうにかしようと試みたが、
岩や石なども周囲にはなく、そのとき初めて、自分を担いだ男達が
沼の中を進んでいるのだと分かった。それも恐ろしいほどの速さで、
休むことなくだ。
空腹と痛みに耐えながら二日ほど経つと、
小島が現れ、そこには地面にぽっかりと大きな穴が開いていた。
穴の内側には、下に降りる階段がらせん状についており、
ニーサは穴の中へと連れ込まれた。
穴の中は、薄暗く広大な空間になっていた。
そこには街と上半分が泥に覆われた城があった。
生臭い汚泥の臭いが一層濃い、不快なことこの上ない空間だったが、
ニーサは自分の置かれた状況も忘れ思わず魅入ってしまった。
街には人の気配は一切なく、何の音もない。
最初の衝撃も薄れてくると、静まり返った墓所のような街が
異様に恐ろしく思え、ニーサは魔法を使って逃げようとした。
だが魔法は発動しなかった。
「どうして…っ!?」
歯噛みして悔しがっていたところで、
男達が歩みを止め、ニーサを地面に放り投げた。
「ぐっ!も、もっと丁寧に…」
「おぅおぅ、ようやく素体が到着したぞい」
「はい君達はもういいよ、持ち場に戻ってねー。」
転がされたニーサが顔を上げると
銀髪のニヤニヤした男と、小柄な髪の薄くなった老人がいた。
「王都にようこそ、お嬢さん。」
◇
「そして、私は変な台に縛り付けられて、生臭い泥みたいのを、
何回も何回も飲まされたわ。飲まされるたびに、頭の中がどんどん、
ぼやけていって、その代わりに、押さえきれない怒りや憎しみが
湧き上がってたわ。…最初の頃は、一生懸命抵抗したわ。
けれど、あまり長くもたなかったの。…そこからは、あまり覚えていないわ…。」
そう言って、ニーサは下を向いたまま深く大きなため息をついた。
「長い時間、聞かせてもらってすまねえな。よくわかった。」
「…いえ、大丈夫よ、…だけど、少し…、休ませてほしいわ。」
「あぁ。ポンザレ、下からスープか何か持ってきて、飲ませてやってくれ。」
「はい、わかりましたー。ニーサさん、ちょっと待っててくださいねー。」
「石降りの。あんたは、少しここで身体を休めてから、
ゲトブリバまで送らせよう。竜車などは手配しよう。」
「…えぇ、感謝する…わ。」
ザーグ達が、部屋を去った後、ニーサはベッドに横になった。
目を閉じるとポンザレの顔が浮かんでくる。
ニーサが、泥を飲まされ、怒りや憎しみが頭を染めていく中、
少しの間でも抵抗できていたのは、ポンザレとの記憶、
ポンザレへの想いがあったからだ。
泥人形との戦いで命を救われて、今回もまた救われた。
そのことに感謝と喜びを感じたが、
それ以上に自分がポンザレを傷つけたという激しい後悔が
ニーサの胸中を占めていた。
ニーサは毛布を頭から被って、静かに泣き始めた。
少ししてスープを持ってきたポンザレに、
かすれた声で一言だけ「ごめんなさい」と伝えた。




