【63】ポンザレとミラの〔魔器〕
汚泥の沼の奥深くの、悪臭を発する腐った小島に、
大きく割れた二つの石杯と、汚泥の注がれた五つの石杯が置かれていた。
その汚泥から、浮かび上がってきた泡がはじけると、人の声が発した。
「サリサ、そちらの状況はどうかな?
君は今、どこの街にいるのかな?」
張りのある低音は、ミドルランの街の領主、ワシオだ。
「あたしは今インフォレさ。毎日、せっせと
井戸に、聖なる泥を投げ入れて回ってるよ。」
「成果はどうだ?」
「あぁ、街の人間がどんどん具合を悪くして、いい感じだね。
このままもう少し続けて、様子を見てみるさ。」
インフォレは、ザーグ達の住むゲトブリバから、
ニアレイ側に街道を進んだ四つ目の街で、
森に囲まれた小さな街である。
「シュラザッハは?」
「うーん、そうだねー。こっちは、あともう少し押せば、
ミドルランに戦争…ってほどでもないか、ちょっかいをかけるくらいまでの、
流れにもっていけるかなー。このリバスターの街ってさー、
ワシオのミドルランのおかげで、人も金も集まらない、
しょんぼりした街になってるからねー。」
「うむ、いいな。もっと派手に焚きつけてもらっていい。
こちらの悪い噂なんかは、どんどん流してくれ。
あぁ、そうだ、リバスターだけでなく、こちらの街の人間や、
湯治に来る途中の人間なんかも、火種になるように、
それっぽく殺してくれて構わない。」
「大丈夫だよー、もうやっているよー。」
シュラザッハのいるリバスターの領主や住民は、
温泉により潤っている隣町のミドルランを常にうらやんでいた。
そのため、諍いが起きるように、シュラザッハは動いていた。
「俺は、ゲトブリバを襲うぞ。」
突然、石杯の一つから、
くぐもった、唸るような低い声が上がった。
「ゲトブリバは、ザーグ達がいるから、しばらく放っておくことに
なっているはずだが、グランガル、なぜ君が動く?」
声に、わずかに冷たさを込めて、ワシオが尋ねる。
「俺の兄弟が、やられた。無惨に殺された。」
「兄弟…君と一緒に育ったとかいう、竜のことだったな。」
「そうだ、俺の兄弟の、目を抉り、爪を砕き、鱗をはぎ、
翼を切り裂いたものがいる。同じことをし返してやる。」
「そいつらは、ゲトブリバにいるのか?」
「『悪竜殺し』…俺の兄弟を殺してつけた、ふざけた名をもつ奴ら
だという。そいつらはゲトブリバにいる。そいつらも、街の人間も全て殺す。」
「だが、グランガル、大いなる御方の裁定はまだ、くだっていない。」
「うるさい、俺は街を襲う。ではな。」
それきり、グランガルの声を発していた石杯は沈黙した。
「それって…どう考えても、ザーグだよねー…、たぶん。」
少しして、おどけ具合も控えめにシュラザッハが声をあげる。
「間違いなく…そうだろうな。さて、どうしたものか。」
「放っておけばいいじゃないか。大いなる御方も、止めるようには、
仰られていないんだ、それは、やれってことなんじゃないかい?
それにグランガルなら、あの鞭を持ってるんだ。
軍団引き連れて、うまくやるだろう?」
少ししゃがれた声でサリサが答える。
その声には、喜ぶような響きが込められていた。
「君はザーグが始末されるのが嬉しいだけだろう。
…そうだな、シュラザッハ、君は今から動けるか?」
「いいけど、ゲトブリバに向かうのかな~?」
「あぁ、ザーグ達はやはり強い。ギガンや兄弟を倒したのも、
間違いなく彼らの実力だ。いかにグランガルが軍団を引き連れたとしても、
君がフォローにまわっていた方がいいだろう。」
「そうだねー、わかったよー。でも、僕はザーグ達とは戦わないよー。
死にたくないからねー。死ぬのは一度で十分だからねー。」
「あぁ、だが、必要な時はきちんと働いてくれ。」
「あーじゃあ、途中でミドルランに寄るから、光矢の指輪を
もらっていいかなー?」
「わかった、手配をしておこう。グランガルの準備が、
どこまで進んでいるかはわからないが、いずれにせよあまり時間はないだろう。
すぐにでも動いてくれ。では、私は会議があるので、これで。」
ワシオの声が消える。
「は~…。なんかめんどくさいことになってきたよ~。しょうがないなー…。」
「そうじゃ、シュラザッハよ。」
突然、今まで沈黙を守ってきた石杯から、
しわがれた老人の声が発せられる。
「うわっ!?おぉ、ラムゼイ爺さんが喋ったー!?」
「うるさいのう。わしだってたまには、喋るわい。
して、シュラザッハよ、石杯に足る人材とは言わんが、手駒にするにしても、
力のある素材が足らんのじゃ。そのザーグ達とやらは無理としても、
何かいいのを見繕ってきてくれんかのう?」
「え~面倒くさいな~…まぁ、ちょっと調べてみるよ。」
「頼んだぞい。」
「うん。じゃ~またね。」
シュラザッハの陽気な声を、沼の湿気を帯びた重い風がさらっていくと、
それきり石杯は黙り込んだ。
◇
「…、で皆に集まってもらったのはだな…」
ザーグが後頭部をガリガリと掻きながら、
ばつが悪そうに話しだす。珍しくパーティメンバーが全員揃って、
家の食堂の椅子に座っていた。皆は何も言わずに話の続きを待つ。
「うーん、もしかすると気づいているやつも、いたかも知れねえが、
その、なんだ、ちょっと俺とミラは喧嘩というか…していたんだが…」
歯切れの悪いザーグの言葉に、ポンザレは飽きれていた。
一緒にご飯も食べなくなった、二人の会話がなくなった、
暮らしていた部屋も別々にした…これで、いつもと同じだと思う人など
いるはずがない。それなのに、パーティメンバーに
バレていないと、ザーグは本気で思っていたのだろうか。
「喧嘩…の原因は、う…うーん、俺のパーティリーダーとしての…
判断のタイミングというか、線引きに関して…だな。」
「例の悪竜殺しの時でしょうか?」
「…そうだな。まぁ、それ以外も含めてではあるが…な。」
「まだるっこしいね。シャキシャキと話しなよ。」
「む…んむ。ごほん、要は、リーダーとしての俺の判断において、
ミラを戦いから遠ざけていたことが、公私混同といえばいいのか、
そこの線引きができてねえんじゃないかって話だっ。」
ザーグは、早口で一気に言い切った。
さらに被せるように皆に問う。
「で、お前らはどう思っていたかを、よければ聞かせてくれ。」
「そうですね…では、私から。確かに出会う敵も、これまでと異なってきて
非常につらい戦いを強いられています。その中で、報告や監視としての
ミラの役割を否定するつもりはありません。」
「そ、そうか、なら…俺の判断は」
「ですが、ミラも戦える場面において、遠ざけていたこともありましたね。
ザーグが今自分で言った通り、線引きができていないときがあったと、
私は思います。」
「うーむむ…。」
「確かにねぇ…あたしも同じように思うよ。」
マルトーが続ける。
「例えば泥人形の時なんかは、ザーグの近くとは無理としても、
指揮台の上に立っている必要もなかったと思うしね。あとはね…
悪竜のときはミラが動いてくれないとやばかった。でも、あの時は、
ミラに先に動いてもらうんじゃなくて、ザーグが指示を
出すべき場面だったと…思うね。」
「そうですね。男としては、ザーグの気持ちはわかりますが、
ミラは同じパーティのメンバーで、そして戦いにおける役割が
あるのも事実ですから。」
「ふむぅ…まぁ、まさにそこをミラにも言われたわけでだな…。
そ、そうだ、ポンザレ、お前はどう思う!?」
「え!?おいら、ですか?」
ポンザレは首をかしげて、少し口をもぐっとすると、元気に答えた。
「おいらは、ミラさんは、強いって思いますー。」
「うぬー…。」
ポンザレの答えを聞いて、ザーグは腕組みをしたまま
天井を向いて目を閉じる。
「…ザーグ。」
それまで静かに話を聞いていたミラが、
静かにザーグの名前を呼んだ。
「わかった!わかった…。完全に俺の負けだ。
俺の判断と線引きが甘かった。すまなかった、ミラ。
すまなかった、皆。」
ザーグは椅子を引いて、両ひざに手をつくと、
そのまま上半身を折って、ガバリと頭を下げた。
「…ザーグは、最後に皆にもう一度聞いてから、
謝るかどうかを決めると言ったから。」
「あぁ、そういうことだったんだね。なんだかずいぶん煮え切らない
話しっぷりだと思ったよ。」
「まぁ、あまりいじめないで上げてください。ザーグが
ミラを大事に思う気持ちも本当なのですから。」
「フフッ…知ってる。」
ミラは可愛く笑った。
「そういうセリフを、本人の前で言うんじゃねえ、ビリーム。」
ザーグが下げていた頭を上げながら、声を大きく抗議する。
ひとしきり、皆の会話が盛り上がった後、ザーグがゴホンと
大きく咳払いをして、話を再開した。
「ということで、俺の判断も絶対ってわけじゃねえし、
皆も何か気づいたことがあったら、都度言ってもらえると助かる。」
「わかりました。それで、ミラは今後も変わらず、やっていくという
ことでよろしいのでしょうか?」
「…ザーグとも話し合ったけど、最近戦う相手に対して、
私の攻撃力が足りていないのは、事実だと思う。
そこの不安を少しでも晴らせないと、ザーグもまた悩むし、
私も生き残れない。だから、ポンザレ…」
「へ?おいらですか?」
「…私の〔魔器〕を作って。」
◇
ポンザレは頭を悩ませていた。
ミラの〔魔器〕の作成を依頼されたのはいいが、
何を作ればいいのかわからなかった。
ミラは短弓と短剣を使う。
はじめは短弓を作るのはどうかと考えたが、
山オロの皮の接着剤は、マルトーの弓で全て使いきってしまい、
おまけに街一番の弓職人は引退してしまっている。
バンゴ親方に相談して短剣をと思ったが、
「敵に近づきすぎる近接武器は危ねえだろ!」と、
ザーグから却下された。おまけに、ザーグから言われたのは、
「なるべく遠くから攻撃できて、なんか、こう、すごい効果があるものを、
ミラの希望に沿って作ってやってくれ。足りない素材や金がかかるときは、
言ってくれ。できうる限り用意する。」と、言われてしまった。
さらに、ポンザレは、きちんとした効果を持つ〔魔器〕を、
作れるかどうかもわからなかった。
ザーグの黄金爆裂剣も、ビリームのみなぎる力のメイスも、
元となる〔魔器〕があり、それを加工して作った。
マルトーの弓、ナシートリーフと矢は、
その素材に滅多に取れることのない山オロの皮や、
悪竜の牙を使用している。
ポンザレが最初に作った〔魔器〕は、かすみ槍だ。
見えない穂 (槍の刃の部分)を意識して作ったが、
普通の素材を使ったためか、穂がかすんで見える効果しかない。
つまりは、〔魔器〕か、何か特別な素材でもなければ、
きちんと効果のある〔魔器〕は作れないだろうと、
ポンザレは考えていた。
◇
居間のソファに、ポンザレとミラが
向かい合って座っている。
「ミラさんは、どんなものがいいのでしょうかー?
おいら、いろんな話を聞いたり、ビリームさんに、いろんな武器を
教えてもらったりしたんですけど、よくわかんなくなってきましたー。」
「…本当は短弓がいいと思っていたのだけど、作れない…
というか作っても効果が薄そうだというのはわかった。
ザーグも言っていたと思うけど、短剣とかの、戦闘の間合いが近い
ものは…私の腕では、やはり厳しいと思う。」
「弓とかじゃなければ、投げナイフとかなんでしょうかー。」
「…正直、まだ何がいいのかピンと来ていない。でも…、
どんなものであっても、必ず使いこなせるように訓練する。」
「とはいえ、かすみ槍と同じように、投げナイフを作っても、
効果のちゃんとある〔魔器〕になるとは、全く思えないですー。」
木のカップに入った、蜂蜜入りのお茶を飲みながら二人は考え込む。
「あ、じゃあ、ミラさんは、どんな効果があればいいなって思いますかー?」
「…本当は、ポンザレのサソリ針みたいな効果がいいなと思う。」
「あー確かに、相手に触れずに痺れさすことができれば、
ザーグさん達も、楽に戦えるようになって、いいかもですー。」
ポンザレは腕組みをして、下を向いて、むーうーと唸ると、
しばらくして顔を上げて、ミラに言った。
「んー、例えばなんですが、このサソリ針の形を変えて、ミラさんに…」
ピーヨーーーーーーッ!!!!
ピーヨーーーーーーッ!!!!
ピーヨーーーーーーッ!!!!
ピーヨーーーーーーッ!!!!
「い、痛、いたたたっ…」
突然、腰の小鳥の鈴が、かつてない大音量で鳴き、
ポンザレの左手の薬指が、ぎりぎりと締まった。
ポンザレは、意味も分からずに、無我夢中で
「ごめんなさい、ごめんなさい!」と何回も謝ってしまう。
すると、小鳥は鳴き止み、指輪の締め付けも戻った。
「…今のは…なに?」
ミラが眼帯に隠れていない片方の目を丸くして、驚いている。
「よ、よく、わからないですー。」
目の端に、涙を浮かべたポンザレが、声を震わせながら答える。
「…驚いた。でも、今のは…サソリ針の形を変えるのは、
ダメだって言っているように思えた。」
「はい、おいらも、そう思いますー。」
「…ポンザレの〔魔器〕は、なんだか意志を持っているみたい。」
「どうなんでしょうかー…。なんかおいらは、すごい怒られた気分に
なりましたー。とにかく、サソリ針は使っちゃいけないので、
ミラさんの〔魔器〕を作るのはどうしても時間かかっちゃいそうですー。」
「…大丈夫、無理せずに新しいのを考えて作ろう。」
「はいー、がんばりましょうー。」
こうして、ポンザレは日々頭を悩ませることになった。
◇
数日後、街から少し離れたゲトブリバの農場地区で、
幾つもの悲鳴が上がった。
伸び始めた青い麦を踏み荒らして、森の中から現れたのは、
千を優に越える魔物の群れだった。