【62】ポンザレとナシートリーフ
ズドッ!
矢が勢いよく、木の幹に刺さる。
二百歩ほど先、木の正面にいるマルトーが放った矢だ。
ズドッ!
続いて二本目の矢が、大きく右に弧を描いて、突き刺さる。
射手のマルトーの姿勢は一本目と全く変わっていない。
ズドッ!
三本目は左に大きく弧を描いていた。
「なんだ、あれは…信じられねえ…矢があんなに曲がってるぞ…」
矢は、射法によっては、わずかながら左右に曲げて飛ばすことができる。
しかし曲がる矢は、勢いも弱く、軌道も不安定で、
殺傷能力も著しく低いため、実用性に欠けるもので、
曲芸・見せ技の域をでるものではない。
だが、マルトーが見せた矢の軌跡は、普通に射ったものと
全く威力が変わることがなく、それでいて切れ込むような鋭い曲がり方をした、
ありえないものだった。
ズドッ!
ズドッ!
右斜め上から落ちるように、左斜め下から浮き上がるように、
さらに何本もの矢が、一定のリズムで突き刺さる。
矢の数が十本になったところで、弓を持ったマルトーが小走りで、
ザーグ達のもとへと向かってきた。
「どうだい!?みたかい!?」
「いや、全く…感服です。それは…本当にすごい弓ですね。」
ビリームは答えながら、マルトーの手に握られた弓に視線をやる。
板を何枚も張り合わせて、丹念に削った藍色の弓は、
重ねられた層ごとに色の濃淡が異なり、見事なグラデーションとなっていた。
握りの部分には白革が巻かれ、弓の両端や中間には、
赤く染められた革ひもが丁寧に何重にも巻かれている。
非常に美しく、精妙さを感じさせる弓だった。
また弓からは、ずっと見続けていたくなる、
何とも言えない温かい雰囲気がにじみ出ている。
その雰囲気が何を表すのかをザーグ達は全員よく知っていた。
これは〔魔器〕である証だ。
「…本当に、きれいな弓。」
「ふふっ…そうさ。これは、あたしの、あたしだけの〔魔器〕さ。」
マルトーが愛おしそうに、弓をそっと抱え込む。
「マルトー、あの曲がる矢はどうなってるんだ?」
「え、あぁ…うーん、説明が、難しいね。矢を放つときに、
頭の中で飛び方を思い描くとね、それに従って、飛んでいくんだよ。
もちろん曲げられる限界はあるけどね。」
「…見た後でも、まだ信じられない飛び方だった。すごかった。」
「ふふっ、だろう?まぁ、あたしも最初に曲げられた時は、
信じられなかったよ。」
「矢じりは、例の牙ですね。加工が相当大変だったと
聞きましたが、普通の矢と違いますか?」
「そう、そうなんだよ!この牙の矢は、この弓と相性がいいというか、
なんていうんだろうね、弓と矢は、この組み合わせじゃないといけない、
そんな感じなんだ。他の矢でも試したけど、この牙の矢が一番よく
飛ぶし、曲がってくれるんだよ。」
そう言って、マルトーは矢筒から、全体が緑色に染められた矢を取り出した。
ザーグ達が力を合わせて、命からがら仕留めることのできた、
巨大な悪竜の牙を加工した矢じりは、若干黄色がかった乳白色で、
削りの粗さが見て取れるが、その先端はぞくりとするほど鋭かった。
「…矢が緑色をしているのは…保護色?」
「あぁ、黒、緑、水色、茶色、あとは普通の矢。全部で五色あるよ。
ちょっとしたことだけどね、意外とこういう仕掛けで、距離感が狂って、
避け損ねたりするからね。」
「…なるほど。曲がる矢とあわされば、いろいろな攻め方ができそうですね。
物陰に隠れた相手にも確実当てられそうです。」
「まぁ、欠点もあるけどね。曲がる矢は、最初に思い描いた飛び方からは、
変えられない。おまけに最後まで、矢に意識を向けてないと
いけないんだ。あたしの得意とする早撃ちだと、
最後の矢として射らないといけないね。」
「なるほど。後は…曲がる矢の存在は、
とにかく隠さないといけませんね。広まってしまったら、
相手は警戒します。そして…私達は、何かと注目されていますから。」
「まぁ、でも、全く知られないようにってのは無理だと思ってるさ。
だから、知られてもいい戦い方を考えるよ。それに…。」
「それに…?」
「まだ練習中だけど、曲がる以外の技もできるかもしれないんだ。
なぁ、ポンザレ?」
「はいー。でも、マルトーさん、練習はほどほどにですー。」
弓と矢ができあがったと連絡があったのは十日ほど前だった。
マルトーとポンザレが受けとった際に、弓職人は
「人生で最高の弓ができた。これ以上の弓は俺にはもう作れねえ。
職人は引退する。補修や調整はするから、それは言ってくれ。」
とボソボソ言うと、本当に職人を引退してしまった。
職人の言う通り、出来上がった弓は素晴らしいものだった。
そこからマルトーは、毎日朝から夕方まで、郊外に出ては
練習を重ねていた。すでに厚くなっているマルトーの指の皮が、
さらにむけるほどの猛練習だった。
数日前に、いつものように朝起きたポンザレが、
矢を曲げられるのではないかという思いつきを話したところ、
マルトーの練習はさらに加速して、早朝から深夜までになった。
ポンザレは二日に一度は、練習に付き添いつつ、
毎晩、湿布や塗り薬に魔力を込めて渡したり、手当をしていた。
「そういえば、マルトーさん、悩んでいた
弓の名前は決まったんですかー?」
「あぁ、決めたよ。この弓は、ナシートリーフという名前にしたよ。」
「ナシートリーフ?どういう意味ですかー?」
「草原の部族の古い言葉でね、活きのいい風って意味さ。
夏の初め、朝に吹く力強い風のことを言うんだよ。」
「ナシートリーフ…なんだか格好いい名前ですー。」
「そうだろう?この弓はあたしに、新しい風を運んでくれるんだ。
あたしは、この弓なら、もう一度強くなれるんだ。
あんたのおかげだよ。ポンザレ。」
「そんなことないですー。おいらは、たまたまですー。」
そのやり取りを、わずかに陰を含んだ表情で
ミラが見つめていた。だが、それには誰も気づくことはなかった。
「たしかに…なかなか悪くない名前だな。というか、ちょっとかっこいいな。」
「え?…ザーグにそう言われると、やっぱり名前を、
考え直した方がいいって気になるね。」
「おい、なんでだよっ!?誉めてるんじゃねえかっ。」
ザーグのコメントに、冷たく返すマルトーだったが、
その顔は明るく輝いていた。
◇
「今日は…『悪竜殺し』としてですか?それとも、お二人としてですか?」
ギルドのカウンターで受付のお姉さんが、目を輝かせながら、
依頼を受けに来たポンザレとマルトーに問いかける。
泥人形との防衛線でゲトブリバを救った英雄、最近は隣町でも
山のような悪竜を退治した、今一番強く、人気のあるパーティ
『悪竜殺し』は、ギルドのお姉さん達からも、人気があった。
「今日は二人で受けますー。」
「では、いつものように、魔物討伐の依頼でよろしいでしょうか?」
「はい、お願いしますー。」
「はい、わかりました…、とは言っても、
最近魔物の被害がとっても少なくなってきているんですよねー。」
「そうなのかい?」
「はい、夏前の今の時期は、農場地区や、肉竜飼育場の付近、
森の境界あたりですと、二日ごとくらいに、魔物発見の報告が
あがってくるんですが、今年はそうですね…その件数は数日に
一回くらいにまで落ちているんですー。」
「どうしてなんでしょうかー。」
「さぁ、理由を調査もしているわけではないので、
何ともわかりません。一応報告は領主様にも上がっていると思いますが、
減っている分にはいいよねーって、皆言ってますー。」
「ふーん、もし調査依頼がきたなら、その時は教えておくれ。」
「はい、わかりましたー。それでは、本日の依頼なのですが…」
◇
街の門をくぐり、主街道を少し上って歩いた先の一帯は、
ゲトブリバの住民の胃袋を支える広大な農場地区になっている。
ポンザレとマルトーは、そこに続く道を、歩いていた。
夏も近く、元気よく生い茂る木々からは、
自然の息吹ともいえるような、濃い緑の香りが立ち上っている。
「おいら達、もうすっかり『悪竜殺し』になっちゃいましたー。」
「ザーグは、ニアレイで呼ばれるだけだ、なんて言ってたけど、
あたし達がゲトブリバに帰ってきた、その日に『悪竜殺し、おかえりー!』
なんて言われたからね。」
「大げさですけど、『悪竜殺し』って名前、嫌いじゃないですー。
ザビミマのなんとか…よりも、いいって思いますー。」
「あぁ、ザーグが最初につけようとしてたパーティ名だね。
ハハッ、全くだよ。」
そんな会話をしていたが、ふとポンザレが空を見上げながら
寂しそうにつぶやいた。
「でも、おいら、最近は家にあまりいたくないですー。」
「あぁ…そうだね。あの空気は、つらいね。」
同じようにマルトーが空を見上げて、答えた。
◇
六年ほど昔、ザーグとビリームが意気投合したのが、
の始まりだった。二人は一緒に依頼をこなしまくり、
解決度の高い優秀なコンビとして名が売れていった。
増していく信用に比例して、依頼の難易度も上がっていく中、
自分達に斥候などのスキルが不足していることに気にしたザーグは、
ミラをどこからか引っ張ってくると、ビリームの了承を得て、
パーティに加入させた。それが五年前の話だ。
三人組のパーティとなったザーグ達は、さらに精力的に依頼をこなしていった。
四年前に、依頼の助っ人として、声をかけたマルトーが、
そのままパーティに入って四人組となった。
ポンザレが加入してからは、二年に近い年月が経っている。
ザーグとミラは恋人の関係にあるが、
それがいつからなのかなど、詳しい話はポンザレは知らない。
だが、その二人が悪竜殺しの後から、ぎくしゃくとしており、
先日ついに喧嘩をしたようで、今は別々の部屋で
暮らしており、目も合わせない状況になっていた。
「…ポンザレは、ミラは戦える人間だと思うかい?」
唐突にマルトーがポンザレに尋ねる。
「はい!強盗団の頭目に、おいらが殺されそうだった時も
助けてくれましたし、それに、悪竜と戦った時は、
本当にすごかったですー。ミラさんが、悪竜の注意を
引いてくれなかったら、皆どうなっていたか、わからないですー。」
「あぁ、本当に助けられたね。そうだね、ミラは…、
相手をかく乱させたり、囮として注意を引く力は、本当にすごいけど、
直接的な攻撃力は、人並みだろうね。」
「直接的…剣で刺したり、叩いたりってことですかー?
でもそんなこと言ったら、おいらだって力があるとは、言えないですー。」
「いや、あんたの短槍の腕は、すでに大したもんだよ。
直接的な攻撃力ってことで言えば、あんたはミラより強い。」
「そうでしょうかー?」
「そうさ。…まぁ、実際に戦ったら、あんたはミラに振り回されて、
翻弄されて勝てないだろうけどね。」
マルトーは笑みを浮かべて、「それはそうですー」と、
しきりにうなずくポンザレを見る。
「でも、それなら…やっぱり、ミラさんは強いんじゃないでしょうかー?」
「そうだねぇ。あんたが入る前くらいまでは、多少やっかいな敵とかが
出てきても、皆で始末できた。それが人でも魔物でもね。
もちろんミラも、戦いに加わってだよ。」
「はいー。」
「でもさ、最近戦っているのは、忌々しい変な連中とか、
今までにいなかったタイプの敵で、強さの次元が違うんだよ。」
ポンザレは、自身の加入以前にどういう相手と戦っていたかを
知らなかったので、比較はできなかったが、
敵が強いということだけは、よく理解できた。
「だからさ、ミラの、相手を惑わすような力は、悪竜相手には
効いたけど、それ以外の相手に通じるかわからない。
直接的な攻撃力は高くないから、余計にザーグは心配で、
戦いに加えようとしない。ミラも自分でそれがわかってるから、
今までは戦いに加えろと、強く言いはしなかった。」
「確かにミラさんは報告役とかで、少し離れたところで
待機してもらうことが多いです。」
「ミラはさ、悔しいんだよ。皆が命を削って戦っている時に、
自分が遠くに置かれていることがさ。」
「それは…わかります。おいらも、そうです。」
「あたしもだよ。こないだの毒と風を使う、あの兄弟の時だって、
あたしの矢が敵に届いていれば、ザーグやビリームを死ぬ寸前まで、
追い込ませずに済んだしね。もっとも…今なら、
このナシートリーフがあるから、どうにかできるとは思うけどね。」
マルトーはそう言って、肩にかけた愛弓にそっと触れた。
「ようはさ。恋人が暗殺されかけて、その後も戦いの度に、
苦しんでいる姿を見ているだけなんだよ。ミラは。
そうしたら、どうしたって一緒に戦って役に立ちたい、
苦しいなら、それを共有したいと思うのは自然だろう?」
ポンザレの返事を待たずに、マルトーは一気に続ける。
「だからさ、ザーグは覚悟を決めなきゃいけないんだよ。
ミラをパーティに残すなら、ミラが死ぬ可能性が高い場合でも、
必要なら戦いに参加させなきゃいけない。そうでなければ、
ミラをパーティから外さないといけない。
もっともミラが、街でザーグの帰りを待つような女になるかは、
知らないけどね…というか、ならないだろうね。そうなったら、
別れるだろうね。」
「…ミラさんは、本人は、どう思ってるんでしょうかー?」
「どうだろうね。今の二人の喧嘩は、ミラからの意思を改めて
受けたザーグが、よしとできなくて、きちんと返せていないのが
発端みたいだけどね。」
「…難しいですー。おいらに、何かできることがあればいいんですがー。」
「こればっかりは二人の問題だからね。二人の出した結論に対して、
どうするかは、あたしらも考えないとね。最悪パーティを
解散する可能性も出てくるかもしれないよ。」
「えぇーーーーっ!そ、そんなことにな、なるんでしょうかー?」
パーティの解散など、露ほどにも思っていなかった
ポンザレは目を白黒させて、驚く。
「え、でも、それ…え、おいら、どうしたら…。」
「あくまで可能性の話だよ。ただ…」
「ただ…なんでしょうー?」
「ザーグは、もう少しミラを信頼してもいいとは思うけどね。」
話しているうちに、二人は農場地区の中央にある村へと到着した。
広場の中央にある井戸の周りにいる農婦達が、明るく会釈をする。
「さぁ、この話は、もう止めよう!依頼をとっとと片づけちまうよ!」
ドンッと、マルトーは力強くポンザレの背中を叩いた。