【55】ポンザレと新しい革鎧
「だから…あたしはね、自分の〔魔器〕が欲しいのさ。」
マルトーは、いつもよりも低い声で言うと、
ドンッと荒々しく木の杯を机に叩きつけるように置いた。
その頬は、わずかに赤みを帯びている。
二人は、日も傾きかけた、街の食堂の奥のテーブルにいた。
マルトーのはちみつ酒は、既に十杯を越えている。
ポンザレは酒は飲まないため、お茶とつまみで付き合っている。
「マルトーさん、そろそろお酒はやめておきませんかー?」
ポンザレの心配する声を無視して、
マルトーは本日何回目かのセリフを言う。
「ポンザレ、あたしはね…、自分で言うのもなんだが、
弓の腕には、自信があるんだ。だけどね、
それをモノともしない奴らがいる。いや、いるのはいいんだ、
何もあたしが、この世界で一番ってわけじゃないからね。でも…」
「はい。」
「仲間が傷ついているのに…自分が何もできないってことが、
許せないんだよっ。」
「はい…おいらも、マルトーさんの気持ち、わかりますー。」
傷つきながらも立ち向かうザーグ達の姿を、
見守るしかない、自分の不甲斐なさを、ポンザレもまた、
感じていたのだ。
「空を踏めるブーツのシュラザッハには避けられた。
風の魔法使いには矢が届かなかった。だからさ…。」
「はい。」
「あんた、あたしに〔魔器〕の弓を作っておくれよ。」
「わかりましたー。でも、今日は、家に戻りましょうー。」
「いいや、あんたはわかっていない。いいかい、もう一度言うよ…。」
その日、ふらつくマルトーを支えながら、
ポンザレが帰宅したのは、夜もだいぶ更けてのことだった。
◇
その小島は、汚泥の沼の奥深くにあり、ひどい悪臭を発していた。
淀みがそのまま大きな塊となったような島には、瘴気が漂い、
生き物ひとつの影もない。あるのは、無造作に置かれた、
大きな七つの石の杯だけだ。
二つの石杯は大きく割れ、中は泥がこびりつき干からびている。
残りの五つには、いやに艶めかしい汚泥が満たされていた。
しばらくすると、ゴボリと杯の中から泡が浮かび上がり、
はじけると同時に人の声を発した。
「兄弟はやられたようだな。」
張りのある低音、ミドルランの領主ワシオの声が響く。
「向かったという報告のあとに、石杯が割れているからね。
うん、間違いなくザーグ達にやられたんだろうね~。おぉ、怖っ。」
お茶らけた調子で軽口を叩くのはシュラザッハである。
「本当に忌々しいったらないね…。」
憎々し気に響く女の声は、ザーグの暗殺を仕掛けたサリサのものだ。
「ザーグが強いのは事実だ。しかも、複数の〔魔器〕を持っている。
しばらくは放っておいたほうがいい。いずれ、大いなる存在が
顕現されれば、〔魔器〕を持っていようが関係なくなる。」
「それもそうだね~。やっぱり放っておいた方がいいよ~。」
その時沈黙を守っていた杯の一つが、
くぐもった、唸るような低い声をあげた。
「割れた二つの杯は、新しく作られないのか?」
「む、君が発言するのは珍しいな。グランガル。
そして疑問はもっともだが…残念なことに、今のところ、
私たちに並ぶ人材はいないな。」
ワシオが答えると、くぐもった声は、
「そうか、残念だ」とだけ呟いて再び口を閉じたようだった。
「汚泥の七杯も、今じゃ五杯になっちゃったよね~。」
シュラザッハの軽口に、答える者はいない。
「…いずれにせよ、しばらくはザーグへの手出しは禁物だ。
それぞれの仕事を推し進めよう。」
「ふん、しょうがないね。」
「僕はもともと手出しはしないよ~。」
それで話はまとまったのか、
石杯はまた何事もなかったかのように静かになった。
◇
「マルトーさん!弓職人さんのところにいきましょうー!」
翌朝、応接間に降りてきたマルトーに、
ポンザレが元気よく声をかけた。
「あ、あぁ、そうだったね。今日かい?」
「はい、少しでも早い方がいいですー。」
弓には、単一の素材から作る単弓と、
動物の骨や皮などを煮詰めて作る接着剤を使用し、
複数の素材を貼り合わせて作る複合弓の二種類がある。
弓の外側と内側の素材を変えて接着することで、
強度としなりを両立させた複合弓は、単弓に比べて、
手ごろな大きさで、射程も長く、高い威力を持つ。
ただし、複合弓に使う接着剤は、湿気や雨に弱く、
そういった環境下で使い続けるとバラバラになってしまう。
気候的に安定して、割合と乾燥している地域のため、
マルトーは、いつもは複合弓を使用している。
依頼で、汚泥の沼や湿気のある場所に向かうときは、
単弓に変えていた。
マルトーはそういった弓の基本的なことを、
弓職人の工房に向かう道すがら、ポンザレに説明する。
工房に着き、奥から現れた気難しい顔をした弓職人に、
マルトーが弓の作る過程や工具、素材を説明してほしいと
お願いすると、弓職人は仏頂面のままポンザレ達を案内し始めた。
職人にとって、その工程や工具、一部の素材などは、
秘中の秘であり、絶対に人に話す、ましてや説明をすることはない。
それでも、受けてくれたのは、長い付き合いであるマルトーが、
真剣に頼んだからであろう。
弓職人は、小さな声でボソボソと、幾つもの工具や素材、工程を
指し示しながら、きちんと説明をしてくれた
時折、質問を交えながら、説明を受けていたポンザレだったが、
徐々にその顔はくもり、冴えないものになっていった。
複合弓は、完成するまでの工程数が多く、
素材別の細かい調整も必要で、全体像を掴むのが難しかったのだ。
職人でもないポンザレにはなおさらだった。
「なんだか…混乱してきましたー。弓を作るのはとっても
大変ですー。」
初めに木材を幾つか選び、削りだして薄い板にする。
その板を複数枚貼り合わせて型で押さえ、おおまかな形状にする。
できあがったものを大胆に削っていき調整して、
弓の芯の部分ができあがる。
さらにそこから、芯の外側と内側に、竜やその他の生き物の
骨や角、腱を貼り合わせていき、乾いたら、再び削って調整していく。
麻糸や動物の毛を寄り合わせて弓の弦を作り、最後に使い手に
持たせて何回もバランスなどの調整を行う。
貼り合わせ、乾燥、削り、調整…熟練した職人でも、
完成するまで、数十日はかかるという話だった。
「マルトーさん、おいらに少し考える時間をくださいー。」
ポンザレが目をくるくると回しながら、マルトーに言った。
「あたしも、実際に作る様子を見るのは初めてだったけど、
さすがに、ここまで細かく、ややこしいもんだとは、
思っていなかったよ。一本の樹から削り出して、
単弓を作るのがいいのかもしれないけど…
やっぱり威力が違うんだよ。ポンザレ、悪いけどさ…
少し考えてみておくれ。」
「わかりましたー。」
こうして、ポンザレは頭を悩ませることになった。
◇
ポンザレがマルトーと一緒に弓職人を訪れた数日後、
ザーグ達のもとに、かねてから制作を依頼していた革鎧が届いた。
ミドルランの街でマルトーが射止めた山オロの革で作られた、
最高級の革鎧である。
ほとんど黒に近い濃紺色の革は、柔らかな光沢が入っており、
見る角度によって、漆黒から夜明け前の濃い青まで、
ゆるゆるとその色を変える。蒼闇色と呼ばれ、金持ちや好事家が
大金を積んで欲っする理由がよくわかる、人を魅了する色だった。
鎧は、ワックスで煮込んで固めた処理をされているため、
一見柔らかそうに見えるが、触れるとしっかりと硬かった。
ポンザレは、おそるおそる頭から被って鎧を身に着けてみる。
事前に採寸していたとは言え、革鎧はピッタリで、
もともとポンザレの体の一部であるかのように自然に納まった。
硬い革のつなぎ目には、固める前の柔らかい革も使われ、
動きを全く邪魔しない。そして何より、驚くほど軽い。
「これは、すごいですー!軽いですー!」
ポンザレの鼻がふすふすと開く。
「おぉ、これは確かに…軽いな。」
鎧を着こんだザーグ達も、肩を回したり、
足を動かしたりしながら、その具合を確認している。
「よし、庭に出て、少し動くか。」
ザーグ達は庭に出て、武器を振り始めた。
丁寧に左右を変えて、何度も何度も武器を振り、
回し、突いて、鎧の具合を確かめる。
◇
「うぉおおお!ぐぬぅ!」
いきなりザーグが、家の壁に何度も体当たりをし始めた。
「ふぬぅぅ!」
ビリームが地面に大の字で突っ伏し、それを何度も繰り返す。
「…ふっ!」
「そらっ!えいっ!」
ミラが、ゴロゴロと連続前転で地面を転がり続け、
マルトーは、矢じりの付いていない矢で、執拗に自分の胸を突いていた。
「みみみ、皆さん、どうしたんですかぁーーっ!?」
ポンザレは、ザーグ達がおかしくなったのかと
思わず叫んでしまう。
むくりと起き上がったザーグ達は、
ポンザレを見て、不思議そうに言った。
「何やってんだ?ポンザレ、お前もやるんだぞ。」
「え?いえ?何をですか?というか、何を皆さんやって…」
「ポンザレ少年、新しい鎧は、とにかく念入りに
確認をしないといけません。衝撃をどれくらい緩めてくれるか、
一つの動作は大丈夫でも、次の動作に移った時に、鎧がずれて、
もたついたりしないか…思いつく動作をあらゆる限り行うのです。
さぁ!」
「うぉぉーーっ!」
皆に見つめられながら、ポンザレも壁に体当たりを始めた。
◇
その後は、お互いに木製の武器を本気で当てあったり、
矢じりのない矢で射ったりと、実戦に近い形で鎧の性能テストも行った。
ひとしきり試し終わったザーグ達は、
中庭で車座になって感想を述べあう。
「この鎧は、すごいな!全体の衝撃も抑えられる感じがあるな。」
「動きの邪魔にもなりませんし、なにより、この軽さです。
野外や長時間の活動での疲労も、かなり軽減されるでしょう。」
「刃物や矢はどうだろうね。」
「一緒に届けられた余りの革で試しましたが、非常に刺さりにくく
刃先を逸らしますね。斬るのも、よほど上手く、力をのせないと
難しいでしょうね。」
「今までの鎧と全く違いますー。」
「あぁ。最高の革鎧だ。正直これほどとは思っていなかった。
山オロを狩ってくれた、マルトーのおかげだな。
ありがとよ、マルトー。」
ザーグは素直に感謝の言葉を口にする。
「…なんだい、急に。よしとくれ。」
照れ隠しなのか、金髪をかき上げて、首を上げるマルトーだったが、
その瞳には、複雑な色が浮かんでいた。
ポンザレは口をもぐもぐさせながら、そんなマルトーを見ていた。
◇
翌朝、寝癖のついた頭のまま、どこか不機嫌そうに
食堂に降りてきたマルトーに、興奮気味にポンザレが話しかけた。
「マルトーさん、思いついたんですー!」
「なんだい、起き抜けにうるさいね。」
「弓を作るのに、いい方法を思いついたんですー。」
「え…本当かい?聞かせてくれ!さぁ!」
マルトーが痛いほどの力で、ポンザレの肩を掴む。
「痛っ…はい、あの、弓を作るときって、何枚も木を貼り合せたり、
竜や生き物の骨とかを付けていましたー。」
「あぁ、そうすることで、反発力が増して、弓を大きくせずに
強い力を生み出すことができるからね。」
「どの工程にも、接着剤が使われていましたー。
あの接着剤をおいら達で作れば、すごい弓ができるかも…
って思ったんですー。」
「はぁ、なるほどね…接着剤かい…。ふーん、接着剤ってことは、
革職人が、皮を煮込んで作っているから、そこに行けばいいのかね。」
「それで、大事なことがあるんです。」
「なんだい?」
「その接着剤を、山オロの余った細かい皮を使うと
いい感じになると思うんですー。」
その言葉を受けて、マルトーの大きな目が、さらに開かれた。
「あぁ…それは…素晴らしいね!ポンザレ!あんた素敵だよ!」
マルトーはポンザレを強くハグした。
マルトーは、草食竜を飼って移動しながら暮らす、
草原の部族の出身である。部族の者は男女関わらず、
狩りを得意とし、獲物は血肉をいただくだけでなく、
皮や骨など、利用できるものは極力無駄にせず使う。
そうして作られた武器や道具には、獲物の命や力が
宿ると教えられて生きてきた。
街に来て冒険者になってからも、
その部族の教えを忘れることはなかったが、
生活も行動も変わり、獲物の全てを利用するまでは
できていなかった。そして、それもしょうがないものだと、
マルトーは思っていた。
今回、山オロと言う歯ごたえのある獲物と渡り合い、
幸運にも射止めることができた。その皮は鎧となった。
美味しいものではなかったが、その肉もミドルランで食した。
それで山オロに対しては終わったと思っていた。
だが自分の弓を作るのに、その山オロの余りの皮を
煮詰めて接着剤を作るという。
出来上がる弓は山オロの命、力が宿ったものとなる。
何も知らぬポンザレが、草原の部族の教えを思い出させてくれた。
出来上がる弓が本当に〔魔器〕になるかは、わからないが、
素晴らしい弓になることは間違いないと確信があった。
ふげふげともがくポンザレを抱く、
マルトーの腕の力はいつまでも緩むことはなかった。
◇
「「しなれ!強く、飛べ!」」
ポンザレとマルトーは、大粒の汗を顔中に浮かべながら、
大釜に手をかざし続けていた。
大釜の中では、水と細かく刻まれた山オロの皮の端切れが、
煮込まれている。朝早くから始まったこの作業は、
既に半日を越え、午後をだいぶ過ぎていた。
「「しなれ!強く、飛べ!」」
時折、木べらでかき混ぜながら、同じように唱える。
中庭には、獣のスープを煮詰めたような臭いが漂い続け、
そのあまりに臭いの濃さに、ポンザレとマルトー以外は
屋敷の中に引っ込んでいる。
「「しなれ!強く、飛べ!」」
鍋の中の、上澄みの汁を布で越しとって集めると、
沸騰させないように、より丁寧に、煮詰めていく。
最後に、汁を大きく平らな木枠に鍋から流し込む。
木枠によって板状に固まった汁を、砕いて手頃なサイズの
ブロックにすれば、接着剤の完成となる。
使用する時は、接着剤をお湯で溶かして、使用する。
木枠に流し終えたポンザレ達は、
大きくため息をついて、地面に座り込んだ。
時間は深夜をとうに過ぎ、明け方近くになっていた。
翌日の午後、ポンザレ達は、
板状に完全に固まった接着剤を、ハンマーで砕いた。
「できましたー。」
「あぁ、できたね。これは、きっと…すごい弓ができるよ。
あたしには、その予感がある。」
濃紺の山オロの皮からできた、薄い藍色の接着剤は
太陽の光を受けて、透明に輝いていた。