【54】ポンザレと毒の扇
イルボは、ザバリと広げた扇を片手に持ち、
ザーグ達に見せつけるかのように、ひらひらと振った。
その動きに合わせて、扇から淡い紫色の煙が立ちのぼる。
光を反射する粒子でも入っているのか、
煙はキラキラと光って見えた。
「全員!丸薬をかじれ!」
ザーグの鋭い声が飛び、ポンザレは腰の袋に入った、
濃い茶色の丸薬を取り出してかじった。
口の中いっぱいに苦みが広がり、吐き出しそうになるのをこらえて、
無理やり飲み込む。
「この扇さぁ、名前を貴婦人の嫉妬って言うんだ。」
扇子には、淡い水色の背景に、ピンクの蝶が数匹描かれていた。
何とも可愛らしい女性向けのデザインだったが、
〔魔器〕のもつ独特な雰囲気が加わって、
余計に不気味なものに見えてしまう。
ポンザレの腰につけられた小鳥の鈴が、けたたましく
ピ-ヨ!ピ-ヨ!と鳴いて危険を知らせる。
「これだとすぐに終わってつまらないけど…、しょうがないよね?」
「うん、しょうがないよ、兄さん。…じゃあ、いくよ!」
オルボが、扇から広がる薄紫の煙に片手を寄せると、
煙はぐるぐると渦を巻き始め、あっという間に薄紫の風の玉となった。
「それっ!風玉!」
オルボが、手を開いて腕を伸ばし、押し出すような動きをする。
押された風の玉は、紫色の尾を引きながら、
ザーグとビリームの真ん中あたりまで飛んでくると、
ボシュンと破裂して、周囲に薄い煙を巻き散らした。
「キャキャキャ、これで終わりだ。あぁ、そうだ、よかったね、
この扇の毒は、あまり苦しまずに済むよ。」
「うん、でも、死んでしばらくは、皮膚は紫に、眼球は真っ赤に
なるけどね。数時間もしたら、それも消えるよ。」
兄弟が嬉しそうに話す様子を視界に入れながら、
ザーグとビリームは、毒煙がおよぶ範囲から、距離を置いて遠ざかる。
「それ!風玉!風玉ー!」
扇をあおいで毒煙を出し続けるイルボと、
両手でその煙を風の玉に変えて打ち出し続けるオルボ。
二人の顔は心底嬉しそうに、醜く歪んでいた。
「今だっ…、ぐっ…、うぉっ!!」
「甘いねー!僕達には近寄ることもできないよ!」
繰り出される風玉の隙を見て、
ザーグが、滑るように草原を走り込んでいく。
だが、その体は正面からの強烈な突風に遮られ、
押しもどされてしまう。
ザーグ達は毒の風玉の直撃をなんとか避けてはいたが、
煙は僅かずつだが吸い込まざるを得ず、
その動きは徐々に鈍くなっていた。
◇
「ん~?なんで、倒れないのかな。ちょっと吸っただけで、
すぐに倒れるはずなんだけどな。」
「不思議だねー。さっきかじってたものが、何か関係あるのかな。」
毒の煙をかろうじて避けながら、ザーグは自分達の読みがあたり、
いきなり毒にやられて死なずに済んだことに、
まずは胸をなでおろしていた。
数日前に、遠くの街で盗まれた〔魔器〕の扇の話を聞いていたこと。
その扇は、かつて多くの人々の命を奪ったと言われていたこと。
その話をザーグ達に伝えた二人の若者が、謎の死を遂げていたこと。
兄弟の挑戦状に、街の大勢の人間が死ぬのはいやだろうと
書かれていたこと。
これらをつなぎ合わせ、ザーグ達は話し合いの中で、
もしかすると、その扇の〔魔器〕が出てくるのでは、そして、
その効果の中に、毒という可能性があり得ると考えた。
念のためにと、可能な限りの複数の解毒剤を、
強引に練りこんで丸めた特製の毒消しに、
ポンザレがたっぷりと魔力を込めておいたのだ。
だが、それをもってしても、扇から出される即効性の毒煙を、
やんわりと遅延させるものでしかなく、
毒は着実にザーグとビリームの体に蓄積されていた。
その証拠にザーグとビリームの顔は薄く紫色を帯び、
額には脂汗が浮き始めていた。その目は薄赤く充血をしており、
吐く息もぜいぜいと荒い。
「キャキャキャ、でも、やっぱり効いているみたいだね。
うん、もうちょっとだね。」
◇
ポンザレとマルトーも、ただ毒に侵されていくザーグとビリームを
見ているだけではなかった。
ポンザレは、かすみ槍を持って近づこうと何度も試みては、
風で転がされていた。
「いったい、なんだってんだいっ!!」
マルトーも何度も執拗に矢を放つが、
全て兄弟の目前で風に巻き上げられては、落とされてしまう。
何度射っても、矢が兄弟に届かない現実に、
マルトーは、怒りをその瞳に滲ませ、雄叫びをあげた。
「イルボ兄さん、もう僕さ、面倒くさくなってきたよ。
それにちょっと疲れてきたよ。」
「そうだね、オルボ。じゃあ、片づけちゃおうか。」
「うん、竜巻にするよ、どれだけ逃げまわっても、巻き込めるから。」
「わかった、オルボ、いくよ!」
イルボが、これまで以上に扇を激しくあおぐと、
さらに大量の毒の煙が巻きあがる。
オルボが両手を上にあげると、兄弟の周りを、毒煙の風が渦巻き始め、
少しすると、二人を中心とした紫の竜巻が完成していた。
竜巻はゴウゴウと恐ろしい唸り声をあげ、
ザーグ達に終わりをもたらすべく、徐々に大きく激しくなっていく。
「くそっ、矢でもダメ、近寄ることもできねえ…、
おまけにケツまくって逃げる訳にもいかねえ…。」
「…ザーグ、今から…、突っ込みますので…、あ、後を、
私の家族を…、頼みます…。」
目の下に、どす黒い隈を作ったビリームは、
苦しげに笑うと、静かにザーグに告げた。
「…バカ野郎、お前死ぬ気か…?」
「…せめて、一人はつぶしてみせます…。」
ビリームは、そう言って、みなぎる力のメイスに視線を落とした。
釣られてメイスを見た瞬間、ザーグの頭に雷が走る。
「!!…おい、待てっ!」
「…なんでしょうか、も、もう時間がありません…。」
「ビ、ビリーム、後で一緒に探してやる…、だから、それを…、投げろっ。」
「??…!あぁ…!…わ、わかりました。では…っ!」
先程よりもさらに膨らんだ竜巻の正面にビリームは立った。
紫の竜巻には、土や草が巻き上げられ、
鳴り響く音は地鳴りのように響いている。
風の隙間から、かろうじて見える兄弟は、
ニヤニヤといやらしげな笑みを浮かべている。
「ぬぅぅんっ!!」
あの顔を、つぶす。笑いを止めてやる…。
ビリームは大きく振りかぶると、竜巻の中心にむけて
渾身の力で、みなぎる力のメイスを投げた。
◇
ビリームのメイスは、〔魔器〕のみなぎる力の鎧の一部を叩き、
丸めて作られている。この〔魔器〕は、超重量の全身鎧で、
当然、メイスも相当な重量がある。
そして、ビリームの腕当ては、そのメイスと一緒に使用することで
ビリームの体に、猛烈な力を与えている。
ビリームが渾身の力でメイスを投げる…、
それは超重量の物体が、凄まじい勢いで撃ち出されるということだ。
「べぎゃ。」
強烈な縦回転のかかった白黒のメイスは、灰色の帯となって、
地面と水平に飛ぶと、バブンッと竜巻を易々と突き破り、
オルボの胸と頭を吹き飛ばした。
同時に、ザーグ達の間近に迫っていた毒煙の竜巻は、
破裂したかのように唐突に消えて、巻き上げられていた土や小石が
バラバラと落ちてくる。
「え?…オ、オルボ?」
ドウッと倒れたオルボを、呆然と見つめるイルボ。
頭のないオルボからは、当然返事はなく、
地面に血が勢いよく広がるばかりだった。
少しの間があって、オルボの死を理解したイルボが、
顔をあげ、ザーグ達に怒りと恨みの目を向けた瞬間、
ドドドッと、三本の矢が、その胸に扇ごと突き刺さった。
◇
「ポンザレ…、ちょっと待て…。」
倒れた兄弟のところにザーグ達が集まっていた。
ポンザレは腰の革袋から、毒消しの丸薬を取り出して
魔力を込め始めていた。
紫色に顔を染めたザーグは、
ポンザレを制止すると、兄弟の死体の横に両膝をついて、
その指から、黒い石のついた大ぶりの指輪をそれぞれ抜きとった。
「たぶん、こ…、これ…、だな。ゲホッゲホ…。
ビリー…、お前もつけろ。」
そういってザーグが指輪を自分の指にはめた瞬間、
黒い石が、優しく紫の光を帯び始める。
指輪をはめたザーグとビリームの顔色は、
みるみる間に紫からいつもの顔色に戻り、
真っ赤になっていた目も、元にもどった。
「お前たちもだ。着けろ。俺達ほどじゃないが、毒が少し入ってる。」
マルトーとポンザレが指輪をはめると、黒い石がわずかに光る。
と同時に、だるく熱のこもっていた体は軽くなり、
目のまわりの重い感覚も、全身に掻いていた汗も引き、
毒の影響だと思われる症状は、すっかり消えていた。
「ふぅ…。…あぁ、しんどかった…。」
「ザーグさん、聞いてもいいですかー?」
「ん?なんだ?」
「ザーグさんは、この毒が無くなる指輪のことが、
分かっていたんですかー?」
「あぁ、もしこいつらが毒を使うことがあったら、まず間違いなく
毒を無効にできる物を持っていると思っていた。
そもそも、周囲の人間を殺すような毒を使っているのに、
兄弟一緒にいるってのがおかしいと思ったんだ。
扇の〔魔器〕の毒が、肉親や兄弟を判別するなんて、
あまりにも都合が良すぎる気がしてな。」
「もしかすると…、もともと指輪と扇はセットだったのかもしれませんね。」
「それにしても…、だ。」
ザーグは、草の上にどかりと大の字に倒れると、
はき捨てるように、青空に向かって呟いた。
「なんだって、俺はいつもこんな大変な目にあうんだ…。」
◇
その後、ザーグとビリームは、街の衛兵にも手伝ってもらって、
彼方へと飛んでいった、みなぎる力のメイスを回収した。
ザーグ達が敗れた際に、その情報を街へと知らせるため、
離れた場所で戦いを見守っていたミラが、
投げられた先を把握していたため、メイスはすぐに見つかった。
メイスは、丸太でできた街の城壁を易々と突き破って、
家を三軒貫通したところで止まっていた。
幸いなことに怪我人は出なかった、と聞いて、
ザーグ達はホッと胸をなでおろした。
◇
「よぅー、また大変な目にあってたそうじゃねえか、ザーグ。」
数日後、スラム街にある犯罪者ギルドのアジトを訪れたザーグを、
マグニアが人好きのする笑みを浮かべて出迎えた。
「俺だって好きでやってるわけじゃねえ。」
「ハハッ。で?何の用事があって来たんだ?」
ザーグは、懐から壊れた扇と、
指輪を一つ取り出して机の上に置いた。
「これは、なんだ?」
「これはな…。」
ザーグの説明がひとしきり終わると、
マグニアは腕組みをしながら鼻から煙草の煙を、むふーと吹き出した。
その煙を見て、ザーグが露骨に顔をしかめる。
「確かに〔魔器〕を手にいれたらよこせと言ったがな。
こんなに早くだとは思わなかったぞ。」
「俺もだよ。」
「この扇はもう使えないんだな。」
「あぁ、できればゲトロドの街の領主に売ってやってほしい。
〔魔器〕としてはもう使えないが、領主の不名誉の象徴らしくてな。
これを取り返すために、わざわざ縁者を旅に出させたくらいだ。」
「わかった、ゲトロドの領主に売ろう。取り分は?お前の名は出すか?」
「取り分はいらねえ。俺の名前は出さないでいい。
あとは縁者の二人…、ベルートとドーランって名前だったかな。
その二人が、この街で亡くなったことも教えてやってくれ。
…うちにきた、その縁者二人組に少しだけ、報いてやりてえ気分なんだ。」
「わかった。義理ごとだ、しっかり頼まれた。」
「あぁ、それと…。」
「それと?」
「もし売る時に、一緒に指輪がなかったかと聞かれたら、
なかったと伝えてくれ。」
「この指輪か。これも〔魔器〕だな。」
マグニアが指輪を手にとって、しげしげと眺める。
「ザーグ、この指輪、どこまで効く?試したか?」
「何種類かの毒を薄めて試してみた。痺れ、腹下し、幻覚などだが、
指輪をつけると、全部毒が消えた。」
「おいおいおい、すげえな!毒を消す指輪なんて言ったら、
領主や金持ちが目の色変えて欲しがるぞ。
それこそ、お前が自分で持っていたほうがいいんじゃないか?」
「すでに一つ持ってる。売る、売らないも含めて、
マグニア、お前にまかせる。あぁ、どこまで毒を消せるか、
もう少し試すんだったら、その結果は教えてくれ。」
「わかったよ。じゃあ、遠慮なく預かるぜ。だがな、ザーグ。」
「なんだ?」
「あまり無茶はするな。」
「はっ…、相手に言ってくれよ。」
部屋に漂うマグニアの煙草の煙を、ザーグは遠い目で見つめた。