【50】ポンザレ、ゲトブリバに帰る
「…ようやく戻ってきたな。この丸太壁の城壁がなんか、こう…、
懐かしく感じるな。」
「はい、長かったですー。」
七十日…およそ三カ月半ぶりに、ザーグ達はゲトブリバに戻ってきた。
「ザーグさん!おかえりなさい!こちらです、領主様が
待ちわびております!」
街の城門から続く人の列に並ぶや否や、衛兵がすっ飛んできて、
竜車ごと強制的に、領主の館へとザーグ達を連れていく。
「おぉ、ザーグよ!アバサイドの街から報せが来てから、
わしゃ心配しておったぞい!お主、もう大丈夫なのか!?」
「あぁ…、ボンゴールさん心配かけたな。もうすっかり大丈夫だ。」
「しかし…、殺されかけるとは、わしはもう気が気でなかったぞい。
ゲトブリバの街を救った英雄に、そう簡単に死なれては困るんじゃ。」
「英雄…?」
「そうじゃろう、この街を救った…。」
「いや、ちょっと待ってくれ…。」
ザーグは顎に手をあてて、無精ひげをジョリジョリといじりながら
何かを思い出すように首を捻り、そして「あぁ!」と小さく声を上げた。
「思い出した、俺が刺された時にな、小さい声で
『英雄はいらない』と…、女の声が聞こえた。なんだか、
しゃがれた年増っぽい感じの声だったな」
「なんじゃ、それは…。」
「わからねえ、ただ、急に思い出したんだ…。」
「何かの手がかりに…、わからんな。まぁ、よい…とりあえず、
おかえりじゃ。頼むから、しばらくはこの街におってくれ。」
「あぁ…俺達もゆっくりしたい。」
そう答えるザーグの顔には、安堵と疲れが見えていた。
◇
この世のどこでもなく、どこにでもある、白い空間。
その空間で、銀色の髪を揺らしながらエルノアは
静かに思いを巡らせていた。
エルノアはザーグの傷の深さに気がついた時、
彼の命は長くはないだろうと読んでいた。
ポンザレをここまで育ててくれたザーグを
失うのはつらいことだが、それも儚き命を持つ人間の運命というもの…、
であれば、しょうがないと考えていた。
だが、ポンザレの必死な想いを受け、
エルノアは流れゆく時のなかで知り得た治療法を
ポンザレに伝えようとした。
だが、この白い空間ではなく、現実にいるポンザレに自分の声は届かない。
小鳥の鈴の鳴き声では伝えられるはずもなかった。
諦めそうになりながらも、エルノアが上げた何回目かの声を、
ポンザレは拾った。
不思議なのはそれだけではなかった。
ポンザレの心からの叫びが、その魂の激しい波が
エルノアを揺さぶった時、エルノアは自分の奥底から、
かつてない量の魔力が流れていくのを感じた。
あれは一体何だったのだろうか…。
魔力の糸でつながっているポンザレが、
必死に願うことで魔力が引き出されたのだろうか?
だがそれだけで、〔魔器〕である自分から、
魔力が出ていくとは考えられない。
〔魔器〕はその作られた目的のために、魔力を使うものだ。
もともとエルノアは、“何か”があった時の、
魔力の貯蔵庫として作られた。
だが、その“何か”が訪れることはなく、
エルノアは人の世を流れながら、
その答えを長い間、探し続けていた。
今回、かつてないほどの魔力が引き出されたのは、
ポンザレの助けたいという懸命な想いが、
自分に課せられた“何か”に
近いということではないだろうか…。
それとも、やはりポンザレが心から望めば、
“何か”ではなくとも、自分の魔力は引き出されるのだろうか…。
エルノアの思索は続くが、その答えは出ない。
いずれにせよ、大量の魔力が、
ポンザレの指先の薬に込められたことで強化された薬は、
ザーグの体の中の傷を治したばかりでなく、
さらにはザーグの消えかけた生命の火をも、つなぎとめた。
ザーグが無事だとわかった時のポンザレの嬉し泣きと、
これ以上ないほどの喜びの波を思い出し、エルノアはその頬を緩めた。
「ポンザレといるのは楽しいですね。フフッ。」
エルノアは、目を閉じていつまでもポンザレの様子を思い返していた。
◇
汚泥の沼の奥深くの、悪臭を発する腐った小島に、
誰が打ち捨てたのか、石で造られた七つの大きな石杯が、
闇夜の中で、白く光っていた。
無造作に置かれた七つの石杯のうち六つには、
汚泥が並々と満たされ、残りの一つは、杯自体が大きく割れ、
中の泥が流れ出して乾いた跡があった。
少しして、杯の中の汚泥に、泡がゴポリと浮かんだ。
さらに驚いたことに、その泡は、弾けると同時に人の声を発した。
杯の一つから、女の声が響く。
「暗殺は…、失敗したよ。初めてだよ。仕損じたのは。」
「へぇぇ~。サリサが失敗するなんて珍しいじゃないか!
すごいね!相手は…、ザーグだよね。いや~強いなぁ。アハハハ。」
陽気な声で、別の杯からシュラザッハの声が答える。
「ザーグ達は、トップの冒険者達の中でも格が違うな。
しばらくは手を出さずに放っておいたらどうかな?」
張りのある低音の声は、ミドルランの領主ワシオのものだった。
「そうだよぉ~、ギガンだって、やられちゃったんだしさ~。」
「みなぎる力の鎧をもってして敗れるとは…。ギガンは誤算だったな。」
「やはり…、ザーグは危険だよ。英雄はいらないんだよ。」
「英雄は人の希望を集めるからね~。でも、サリサはしばらく休んだら?」
「ならシュラザッハ、あんたが行ったらどうだい?」
「え~僕は嫌だなぁ~。だって、強いもん。」
その時、杯の一つから新たな声が響いた。
「じゃあ。僕らに行かせてよ。僕らなら、ザーグだっけ、
その辺全部まとめて始末できるからさ。」
「兄弟か…、君達はどうもやりすぎる傾向にあるが大丈夫かな?」
「どうせ、殺すんだし、やりすぎちゃっても問題ないじゃん!
ついでにゲトブリバも落としてきてもいいよ!」
しばらく沈黙が流れて、シュラザッハが口を開く。
「ん~、裁定は下ったようだね。兄弟の出番だね~。じゃあがんばってね~。」
「では、また次の杯合わせで。」
風が最後の言葉を運び去っていった。
◇
街に帰ってから数日後、ザーグ達はお茶を飲みながら、
話し合っていた。
「実はな…、提案があるんだ。」
「なんでしょうか、ザーグ。」
「アバサイドで俺が狙われたのは、偶然じゃねえ。」
「そうでしょうね。そして、狙ったのは、十中八九…、泥人形を仕向けた一味、
軽口の男、シュラザッハの仲間でしょう。」
「明らかにあたし達を、敵と言っていたしね。」
「…それに、鎧の将軍も倒したから…。」
「あぁ、俺達は、いま、よくわからねえ敵に狙われている状態だ。
相手が誰か、何人いるのか、何の目的があるのか、何もわからねえ。」
「…でも敵は、伝説の、それも複数の〔魔器〕を出してくるほど、やっかい。」
「で、しばらくは、街で、情報収集を中心に活動する。
といっても、依頼は街の近場、半日以内の場所で、二人以上で受ける、
遠くには出かけねえという感じだがな。この方針でいいか?」
皆がそれぞれに了解の意思を返す。
「で?提案ってのは、それかい?」
「いや、これからだ。俺達が既に〔魔器〕を幾つか持っていることは、
すでに世間にばれているが、この先、噂はもっと広がっていくだろう。
ミラの眼帯と、ビリームのメイスは、まだ存在は知られてはいないだろうが、
隠し通せるとは、いや、隠して使っていこうなんて
状況じゃなくなると…、俺は踏んでいる。」
「ザーグさん、おいらの、小鳥の鈴もばれてないと思いますー。」
「おいおい、ポンザレ、お前の鳥の声、一体何人が聞いていると
思ってるんだ。正確な効果まではわからなくても、〔魔器〕だってことは
知られているぞ。」
「あう、知られちゃっているんですねー。」
「ふん、確かにザーグの言うとおりだね。最近どうも、
あたしらは麻痺してるけど、そもそも〔魔器〕を持ってるってだけで、
やばいからね。普通は持ってても、ひた隠しにするもんだよ。
そうしないと売ってくれやら、殺してでも奪い取るなんて奴らやら…、
いろんな輩が寄ってくるからね。」
「でも、たまに見せて欲しいって言われるくらいで、そんなに
変なことにはなっていませんけどー。」
「ポンザレ、それはね、あたし達がパーティで、かつ強いから、
手出しができないだけなんだよ。もし、あんたが〔魔器〕を持った
ソロの冒険者だったら、正直あんたは早々に殺されてるさ。
まぁ、ポンザレほどじゃなくても、あたし達の誰かがソロだったとしても、
狙ってくる輩は後を絶たないだろうね。」
ポンザレは口をもぐもぐさせて、その言葉の意味を噛みしめた。
「話を進めるぞ。敵も〔魔器〕を持って襲ってくる。そういう状況に対応し、
個々の危険を減らす意味でも…、皆で一つの所に住むのを提案する。」
ザーグの提案は、街の比較的安全なところに、大きめの家を借りて、
全員でそこに住むという提案だった。
その全員の中には、ビリームの奥さんや子どもも含まれており、
しかも自分達が住む両隣にも、ある程度気心の知れた冒険者を
住まわせるという念を入れたものだ。両隣には家賃補助を出すのも
検討するという。
「で、この計画は、まぁ、俺達は何とでもなるんだが…、
ビリーム、お前のとこが問題か。」
「いえ、大丈夫でしょう。両隣にも冒険者を置くという話は、
私達がいない間でも、私の家族も、多少安全であるようにという配慮も
含んでのことでしょう。ザーグ。感謝します。」
「いや、まぁ…、な。」
鼻の頭を掻きながらザーグは答える。
「それでな、実は、ちょうどいい空き家がある。」
「…話が早すぎるね。どういうことだい?」
「この話の半分は、領主の意向でもある。ボンゴールさんは、
泥人形との戦争があったことも含めて、何とか俺達にこの街に
住み続けてもらいたいと思っている。」
「でも、今回の暗殺未遂を考えたら、逆にザーグを狙って、
敵がくるって考えそうなもんだけどね。そうだとしたら、
街にも危険が及ぶだろう?今までと変わって、
追い出したくなっても不思議じゃないんだけどねぇ。」
腕を組んでいたビリームが、ポンと手を叩いて
マルトーに答えた。
「あぁ、ニアレイですね。ザーグがいないにも関わらず襲われた街がある。
ということは、ザーグがいなくても、この街を襲ってくる可能性も
充分にありえる。なら、結局は居てもらったほうがいい…、ということですね。」
「その通りだ。で、領主の館がある通りの、
高級住宅が並んでいる一画に、かなりいい屋敷があって、
そこを格安で提供できると言ってきている。」
「両隣は、これまたでかい屋敷だが、そこに冒険者を住まわせるってのも、
なんとしても、今住んでいる住人に承諾させると言っていた。
一応住み込みの警備として雇わせる形にするとよ。」
「なんとも、熱の入った話だね。まぁ、実際に家を見てからだけど、
基本、あたしは異論ないよ。」
「…部屋がザーグと同じなら、反対はしない。」
「私も見てみてからですが、家族がのびのびと暮らせれば、
特に問題はありません。」
「なんだか、皆で住むのって楽しそうですー。」
「ポンザレ、お前なんで、そんなにニヤついてんだ。
…まぁ、そういうことで、明日にでも屋敷を見に行くか。」
「「「「了解!」」」」
その後、小さな声でマルトーがポンザレに聞いた。
「ポンザレさ…あたしからの依頼があるんだけどさ。
…あんた、あたしの部屋の掃除…やらないかい?報酬は、
きちんと出すからさ?」
「…マルトー、それは自分でやらないとダメ。」
「マルトー、共有スペースにお前の物を置くのは禁止だからな。」
「うちの子ども達にも、変な置物は与えないでください。」
「くぅ…、いいさ、なんだい。ふん…、せめて、あたしには、一番広い部屋を
よこしなよっ!」
「その広い部屋…、おいら掃除、もうしないですー!」
皆が笑いあった。
こうしてザーグ達は広い屋敷で、共同で住むことになった。