【49】ポンザレと暗殺
ポンザレはただただ見つめていた。
倒れたザーグ、地面にじわじわと広がっていく血だまり。
だが、それが現実で起きているということが理解できなかった。
いつのまにか、分厚い見えない膜で覆われたかのように、
周囲の音が遠のき、焦点はぼやけて、景色が見えなくなっていく。
剣で突かれた腹の傷の痛みも感じず、誰かの騒ぐ声が
ぐわんぐわんと鳴り響いていた。
バシンッ!
突然、頬に強い痛みを感じ、覆っていた膜がはじけ、
周囲の音や光が一気に襲ってくる。
「ポンザレッ!しっかりおし!」
気がつくと、必死な顔をしたマルトーに頬を張られていた。
「マ、マルトーさんっ!」
我に返ったポンザレは改めて、地面に倒れたザーグを見た。
「ザーグ…!ザーグ…、ザーグ…。」
ミラが真っ青な顔で、ザーグの名を呼びながら、
自身も血まみれになって、その傷口を押さえている。
「ポンザレ少年、私とマルトーでザーグを中に運びます。
あなたの魔力が必要です!」
「は、はい!」
「真ん中をっ!そこをっ!開けてください!」
宿屋の一階の食堂に入ると、ビリームが大声で叫び、
慌てて中にいた人間が、中央のテーブルやイスをどけてスペースを作る。
そこにビリーム達は、ザーグをうつ伏せに寝かせた。
ポンザレが、背負い袋を床にぶちまけて、薬などをまとめた皮袋を
取り出していると、マルトーの怒りに震えた声が響いた。
「くっ…、これは、毒かいっ!?」
ビリームが、ナイフで留め金の皮を切って革鎧を脱がし、
服を大きく切り裂くと、むき出しになったザーグの背中の
腰の少し上に、血の流れ続ける刺し傷があった。
中指一本分ほどの長さの、三日月にも似た傷口の周りには
青紫の粘着物が付着し、その周囲の肌も変色している。
意識を失っているであろうザーグは、くぐもった声でわずかに呻き、
額に脂汗を流している。
ビリームが周囲で成り行きを見守っている人々に叫ぶ。
「誰か水と綺麗な布を!!」
すぐに宿屋の主人が水桶と布を持ってきた。
ミラが、その布を水で濡らし、ザーグの傷口の毒を拭きとっていく。
続いてマルトーが、布を軽く折りたたみ、傷口に強く押し当てて
圧迫するが、その布はたちまち真っ赤に染まった。
「ポンザレ少年、あなたもつらいでしょうが、今はあなたが頼りです。
申し訳ありません、お願いします。」
ビリームが苦しい顔をしてポンザレに言う。
マルトーもミラも、同じく苦しい顔でポンザレを見ていた。
背中を大きく深く刺され、血が止まらないときは、
体の内部の臓器が切られたり、破裂したりしていることが多く、
普通であれば助からない。
だがポンザレは魔力持ちだ。魔力を込めた物や薬などは、
その効果を一時的に高める。もしかしたら…、もしかすると…。
そうビリーム達は一縷の望みをポンザレに託した。
ポンザレは、青い顔で頷きながら、冒険者が常備する毒消しの
軟膏を手に取って魔力を込めながら、傷口に塗りつける。
どのような毒かもわからなかったが、一刻の猶予もなかった。
傷口付近の青紫の毒は、ポンザレが塗りつけたそばから、
細かい泡となって血と共に流れていくが、
中から溢れだす血は止まる気配がない。
ザーグの顔は、土気色から青に、そして徐々に白くなっていく。
ポンザレは、涙を流しながら、毒消しに加えて、
傷薬にも魔力を込めて、ザーグの傷に塗り込んでいく。
額から流れる汗が目に入り、涙と混じって視界を滲ませ、落ちていく。
いつの間にか、キーンと耳鳴りばかりが響いて、
周囲の音が再び遠ざかっていった。
ポンザレは生まれて初めて、必死に、強く、祈った。
あぁ、おいらはどうなってもいいから、ザーグさんを助けてください!
お願いです!お願いです!お願いです!お願いです!
その時、ポンザレの頭の中に、声が響いた。
---傷を溶かす薬に魔力を込めて、彼の体の中に手を入れなさい---
ポンザレは、床に散らばった皮の小袋の中から、
縫えないような、えぐられた傷などに塗り込むことで、
周囲の皮膚や肉を溶かして治す軟膏を取り出した。
右手の親指以外の四本の指の先に塗ると、魔力を込めながら、
そのままザーグの傷口に指を突きいれる。
温かさが失われつつある生温い感触とともに、
ドロリと濃い血の塊が押し出されるが、お構いなしに
ポンザレは、そのままさらに指を差し込む。
「ザーグさん…、ザーグさん…、ザーグさん…。」
ポンザレは、ただただザーグを助けることしか考えていなかった。
自分はどうなってもいい、なんとかして、この人を助けたい。
ザーグの顔は完全に真っ白になっており、もうあと数舜で、
その命の灯は消えようとしていた。それを理解した、マルトーが、
ビリームが、そしてミラが、諦めて希望を手放そうとしたその時…、
俯いた、彼らの視界に淡い緑の光が差し込んできた。
顔を上げると、涙を流し鼻を垂らしながら、
ザーグさんザーグさんと、つぶやくポンザレの全身が、
淡い緑色に光っていた。
輝きが一番強いのは左手の薬指で、そこから出る光が
ポンザレの全身を波のように覆っている。
「ザーグさん…、ザーグさん…、ザーグさん…、ザーグさん…、
ザーグさん…、ザーグさん…、ザーグさん……!」
ポンザレの全身を纏う光は、傷口に差し込まれた右手を通して、
ザーグへと入っていく。流れ出す血の量が明らかに減っていくが、
それは流れるもとが尽きたのか、それとも体内の傷が
塞がったからなのかは、わからない。
少し経って、真っ白だったザーグの顔に、
わずかに赤みが戻ってきた。
それは、ほとんど消えかけた命の灯が、
再び燃え始めたことを示す色だった。
ポンザレは、右手を抜くと、ぼんやりとした目でビリーム達を見る。
ビリームは、ザーグの顔色を見ると、無言でうなずいた。
ポンザレは弱々しく笑って、その場に倒れこんだ。
全身を覆っていた光は、すでに消えていた。
◇
十日後、アバサイドの領主の館の一室にザーグ達はいた。
豪勢なベッドにうつ伏せになったザーグの背中の傷に、
ポンザレが傷薬を塗りこんでいた。
「うぅ、すまねえな、ポンザレ。」
「気にしないでくださいー。」
宿屋の食堂でポンザレが倒れたあと、
ビリームは、ザーグとポンザレの傷を縫って、
二階の部屋で休ませていた。
翌日になって、アバサイドの領主が大慌てで衛兵と使用人を引き連れ、
どうか自分の館で最大限の治療をさせて欲しいと申し入れてきた。
有名冒険者が暗殺にあうような治安の悪い街…、などと広まれば、
人は訪れなくなり、街から人は出て行ってしまう。
せめても、治療や世話を最大限行って、マイナスを少しでも
減らしたいという考えだと、素直に言ってきた。
ザーグが刺されたことに領主の責任はないのだが、
毒ガエルそっくりの領主は、その見かけによらず頭を使う人間だったようで、
ビリームはその申し出を受けた。
また、ビリームは、併せて、ザーグの様態が安定するまで、
部屋に自分達以外の人間は入れないこと、
水、食事をはじめ、口にするものなどは自分達で用意することも
了承させた。街一番と言われる薬師には一度だけ診察してもらい、
あとは自分達でザーグの世話をしている。
「うーん、腹が減ったな…、肉が食いてえ。」
「…まだ、ダメ。ちゃんと細かくしたのは、出してあげる。」
ザーグに意識が戻ったのは暗殺未遂から五日後のことで、
今のように口がまともに回るようになったのは、昨日のことだった。
「しかし、この痺れと怠さを考えると、けっこうな毒だったんだな。」
「すごくたくさん血も流れてましたー。」
「本当に危なかったんだな…。」
「…ザーグは、ポンザレに最大限の感謝をすべき。」
「あぁ、それは…、よくわかってる。」
その時、ノックの音が二回響いた。
「…誰?」
「ビリームです。マルトーと一緒に戻りました。二人です。」
“眼帯をつけたまま”のミラが、ドアを見ながら答える。
「…入って。」
扉を開けて素早く入ってきたビリーム達は、
手に抱えた食材や荷物をドサドサと床に降ろした。
「ポンザレ、薬を塗っていたのか、ご苦労だね。」
「はい、おかえりなさいですー。」
「あんたの腹の傷はどうなんだい?」
「はい、もうすっかり大丈夫ですー。」
「あんた、お腹出ててよかったねぇ。あんたのお腹が膨らんでなかったら、
大事になってたところさ。」
「生まれて初めて、このお腹に感謝しますー。」
それを聞いて、思わず皆の顔がほころんだ。
ザーグが喋れるようになって、ようやく皆の緊張も少しずつ
溶けてきていた。
「ミラ、代わりましょう。あなたも少し眠ってください。
身体がもちませんよ。」
「…わかった、少し休む。」
ザーグが刺されて以来、ミラは起きている限り、眼帯をつけて
見張りを続けている。眼帯をマルトーに渡すと、
ミラはザーグのベッドの端にするりと入って、すぐに寝息を立て始めた。
◇
ザーグが刺された日の夜、宿屋の二階でビリーム達は寝ずの番をしていた。
普通に考えれば、失敗した暗殺者は、
対象をすぐに襲いなおすことなどしない。
危険度ばかりが増し、失敗する可能性が高いからだ。
だが、それで手抜かりするほどビリーム達は愚かではない。
ビリームは宿屋の主人に、自分達の部屋に誰も近づけないように告げると、
ドアの前にドカリと座って、武器を握りながら座り込んだ。
部屋の中では、ザーグとポンザレのかすかな寝息が聞こえていた。
ミラは、額の汗を拭いたりなどして世話をし、マルトーはベッドと
ドアの間に弓を持って座って、同じく寝ずの番をしている。
ザーグ達の様態が安定しているのを時折確認しながら、
ドアの内と外で三人は、小声で、なぜザーグが、
いとも簡単に刺されたのかを話し合った。
ポンザレの決闘でいかに注意力が低下しようとも、
背後に立った人間にやられるほど、ザーグは弱くない。
とすると、気配を感じなかったり、その姿が見えなかったり…、
何かしらの理由があったはずで、そして、そういう効果の〔魔器〕が
あるのだろうとにらんだ。〔魔器〕と戦い、〔魔器〕を使う自分達だからこそ、
この推測は間違っていないとの確信があった。
「…これからは、これは…、いつも着けることにする。」
そう言って、ミラは眼帯を取り出すと、頭にきつく結びつけた。
蝋燭の灯りを反射するミラの瞳には、強い力が
込もっていた。
その後、領主の館の奥屋敷の部屋へと移り、今に至るが、
ビリームは自分達の部屋に誰一人近づけないように頼んでおり、
また外出をする際にも二人で一緒に出るよう徹底している。
領主の館に移ってから、人影のない廊下を二回ほど、
こちらを窺うような動きをする女の影があったが、
武器を構えてドアの前で陣取るビリームに恐れをなしたのか、
部屋までは近づいてこなかった。
◇
「そういえば、ポンザレ、お前その指輪はどうしたんだ?」
「あ、この指輪…、双葉になったんですー。へへ、
なんだか可愛いんですー。」
ポンザレの左手薬指の指輪は、以前は新芽がついていたが、
その新芽が分かれて双葉になっていた。
「それは、あんたが光った日に伸びたんだったね。」
「はいー。」
「ん?お前、光ったのか?」
「はい、光ったみたいですー。おいらはよく覚えてないんですけどー。」
「…緑色でキラキラしていた。奇跡の光だと…、思った。」
「指輪が一番強く光って、その光がポンザレ少年を包んでいるような、
そんな感じでしたね。いや、その時は、光っていることなんか
気にしている余裕はありませんでしたが。」
「…ふーむ…、その指輪の効果は治癒とか、回復の指輪ってことなのか?」
「どうなんでしょうかー…、ザーグさんの傷にあてたり、
回復を念じたり唱えてみたりもしてみたんですが…、
効果とかはないみたいですー。」
「そうか…、何にせよ、お前と、その指輪に助けられた。…ありがとな。」
「えへへー。」
そういって、ニコニコと微笑みながら、口をもぐもぐさせるポンザレの姿に
ザーグ達は癒された。
◇
「領主の名前は、グァエールと言いますよ。」
ビリームが耳打ちをする。
ザーグは笑いそうになるのを、ぐっと堪えながら、目の前にいる
なでつけた髪に、ぶくぶくと弛んだ体を持ち、薄い大きな口をへの字に結んだ
毒ガエルのような領主に礼を言った。
「グァエールさん、今回は助かった。礼を言う。」
「おっふっふ、なんのなんの。ザーグよ、一命をとりとめて本当によかった。
良くなるまで何日でも、ここにいてくれ。なんなら、ずっといてくれても
いいのだぞ、おっふっふ。」
「いや、さすがにずっとはいねえが…、だが、アバサイドの街では
世話になったことを、訪れた先で、きちんと伝えてまわろう。」
「おぅっふ!あぁ、ありがたい。ただでさえ、一流の冒険者が
暗殺されかかったと、悪い噂というか、それは事実なのじゃが…、
流れ始めておって、おっふ、わしは、今後どうしたものかと頭を悩ませておった。
助かるぞ。」
さらにぶつぶつと、毒ガエルが、街の心配ばかりをしているので、
ザーグ達は、門を入ってすぐに預ける竜車の預かり賃が高い、
あれでは竜車を店とする巡回商人などは苦労し、街の嫌な噂を広めるばかりだ…、
などと、ついでにアドバイスする。
「ふむぅ、うむぅ…、しかしあれは、そこそこいい収入にうむぅ…。」
「どうするかは、もちろんグァエールさんが決めることだが、
ここは悪い街じゃないと思う。俺も助けられた。」
「そうか…、おふおふ。まぁ、考えてみよう。おふおふ。」
◇
ザーグの治療は、ポンザレが薬に込める魔力のおかげで、
驚くほど順調に進んだ。さらには、ザーグの食事のほとんどは、
噛まなくても飲み込めるほどに煮込んだ、滋養に満ちたスープだったが、
それにも毎回ポンザレは魔力を込めた。
…結果、体の内部を深く傷つけられ、毒まで使われたにも関わらず
刺された日から、一カ月、二十日間でザーグは回復をし、
充分に動けるまで復活した。
領主のグァエールに充分に礼を言うと、
ザーグ達はアバサイドの街を後にした。




