【46】ポンザレと温泉
毒ガエル領主の街アバサイドを後にして、
ポンザレ達は再び街道を進んでいた。
いつの間にか街道脇は、青々とした一面の草原から、ゴツゴツとした
大きな岩が転がる荒涼とした風景にとって変わり、
竜車の右側に見える高く連なった山脈から吹き下ろされる強風は、
顔に突き刺ささんとばかりに冷たくなっていた。
汚泥の沼に続く分かれ道を過ぎると、街道沿いには
衛兵の駐在する小屋が、一定間隔でミドルランまで続いていた。
ザーグ達は、小屋の前を通る度に竜車を止めては、
軽い挨拶程度の会話をして、また出発する。
「どうして、衛兵の小屋が、こんなにたくさんあるのでしょうかー?」
「ポンザレ少年、ミドルランは、温泉で有名な街です。」
「はいー。」
「温泉には怪我や持病を癒す力があり、そのために、
ミドルランを訪れる人もたくさんいます。」
「そうなんですねー。」
「ですが、わざわざ遠くから湯治に訪れるのは、金持ちだけです。
金持ちは護衛を雇って旅してきていますが、それでも街道沿いに、
こうして衛兵がいれば、安心するのです。」
「ポンザレ、ミドルランは強者の街でもあるんだよ。」
マルトーも会話に入ってくる。
ザーグ達は、ポンザレにものを教えるのが楽しいのだ。
「それは、どういうことですかー?」
「金持ちの護衛に雇われるのは強い冒険者ですからね。
必然的に、ミドルランには各街を代表する強者達が集まってきます。
また領主のワシオは、自身が衛兵大隊長を兼務し、
武を修める人間でもあります。」
「すごいですー。なんだかドキドキしてきましたー。」
「…見えてきた。」
ミラが指さす先を見ると、緩やかな斜面に沿って、石積みの家が
無数に立ち並ぶ大きな街が見えた。街の隣には斜面に沿って、
収穫を終え、茶色い土がむき出しになった段々畑が広がっている。
城壁のない街の中からは、数えきれないほど多くの白い湯気が、
そこらじゅうから立ちのぼり、それはまるで街が生きていて、
息を吐き出しているかのように、ポンザレには見えた。
◇
城門もないミドルランの街は、大きな通りが街の中心部まで続いており、
ザーグ達はそのまま竜車で進んだ。
中央通りの突き当りには、高い塀に囲まれた石造りの
大きな領主の城があり、そこでザーグ達は、衛兵のチェックを受けた。
「名前と来訪の目的を述べよ。」
「ゲトブリバのザーグだ。目的は、ゲトブリバの領主の使いと、湯治と狩りだ。」
すると衛兵は笑みを浮かべながら「ようこそミドルランへ」と答え、道を開けた。
竜車を預けると、ザーグ達は、
城内にある大きなホールに並んだ、受付台の一つに向かう。
「ザーグさん、おいら達、まだ宿をとっていませんー。」
「あぁ、ここはいいんだ。まぁ、待ってろ。」
受付で再び来訪目的を伝えると、しばらく待たされた後、
上役と思われる髭の生えた中年の男性が出迎えた。
「ゲトブリバのザーグ様、そのパーティの皆様ですね。
二年ぶりの来訪と記録にありました。おかえりなさい、ミドルランへ!
私はマシューと申します。」
「あぁ、よろしく頼む。しかし、いつ来てもここは手厚いな。」
「我がミドルランは、来訪者によって支えられている街ですから。
領主のワシオから、“今日は会えないが、明日の午後に時間を取る、
楽しみにしている”との伝言を預かっております。何かワシオに、
先に渡しておくもの等ありましたら、お預かりいたします。」
「これがゲトブリバの領主ボンゴールからの親書と贈り物だ。」
「はい、確かに受け取りました。それでは、
本日のお泊りの部屋へご案内します。」
◇
「なんで、俺達はここに泊まれねえんだよっ!
てめえ、ふざけてんのかっ?」
マシューを先頭に、ザーグ達が移動しようとしたところ、
男の野太い大声が響いてきた。見ると、受付台の一つで
冒険者と思わしきパーティが声を荒げている。
「俺達は、ゲトロドの街でも名の知れたパーティ『赤竜の鱗』だ。
ここに泊まる資格は十分にあるはずだ。違うかっ!」
「ですから、お客様は、当ミドルランの規定には…。」
受付の女性が泣きそうな顔をしながら説明をしているが、
冒険者達は一向に収まりそうにない。
「ザーグ様、少しお待ちください。」
マシューは、ついと冒険者達の方に向かうと、声を掛けた。
「少しよろしいでしょうか。私はここの責任者のマシューと言います。
『赤竜の鱗』というパーティは、残念ながら拝聴したことがありません。
ゲトロドの街で、ミドルランの当館にお泊り頂ける資格があるのは、
上位の三パーティである『ゲトロドの拳』『ヒドラの頭』『三剣の誓い』
のみになります。仮に『赤竜の鱗』が、その三パーティに変わる存在に
なられたのだとしても、確認が取れるまでは、お泊りいただけません。
城外にも宿はございます、お引き取りください。」
マシューのセリフに合わせて、剣と小盾を携えた、分厚い胸板の
屈強な衛兵が数人ばかり出てくる。
「くっそ!もう二度と来ねえよ!」
捨て台詞を残して、『赤竜の鱗』は去っていった。
◇
「それではごゆっくりお過ごしください。」
丁寧に頭を下げて、マシューが部屋から立ち去ると、
ポンザレはザーグに尋ねた。
「さっきの騒いでいた冒険者もそうですけど、
どういうことなんでしょうかー?」
「あぁ、このミドルランには湯治目的の金持ちがたくさん来るって
言っただろう?そいつらは、ここでたくさん金を落としてくれる上客だ。
この領主の城は宿屋にもなっていて、どこよりも安全で、
サービスも最高級クラスだ。で、その金持ちの護衛で来る冒険者も、
強ければ、ここに泊まれる。さすがに冒険者の泊まれる部屋は、
金持ちほど高級ではないがな。」
「一つの街で名が売れていれば、護衛で来たんじゃなくっても
泊まれるってことになってるわけさ。」
「だから、おいら達は宿取らなくてよかったんですねー。」
「しかもな、城外の温泉は別料金の上、激混みだ。
だが、ここなら、共同の大風呂から、個室の貸し切りまであって、
人も限られているからゆっくり浸かれる。おまけに入浴料も
宿代に込みで、ちょっと高い程度だ。」
「強い冒険者はもてなす…、ですねー。」
「実力のある冒険者は、ゆっくりと体を休める機会も場所も
少ないですから、このミドルランは、まさに夢の場所です。
本当に、よくできた仕組みの街ですね。」
「さぁ、そんな話より、まずは温泉だ!ほら行くぞ、ポンザレ!」
◇
「ふわぁ~~~。なんですか~これ。ふわぁ~~。」
「ポンザレ、お前さっきからそれしか言ってねえじゃねえか。」
「だってザーグさん、これ、本当に、ふわ~っ…。」
個室を借りてザーグ達は温泉に浸かっていた。
生まれて初めて温泉に浸かったポンザレの、ぽよんとした頬は、
桜色に染まり、さらにもちもちと柔らかく伸びて、たれ下がっている。
「おいら、もう一生ここでいいですー。」
「ですが、ポンザレ少年、もう少ししたら一度出て食事にしましょう。
気持ちいいからと言って長く浸かっていると、
のぼせて倒れたりもしますよ。」
「はい~~~。わかりました~…。ふわぁ~…。」
その後、湯上りのミラ、マルトーと合流し、
場内の食堂で食事を済ませたポンザレは、
人生で一番と言っていいほどの幸せな気分のまま眠りについた。
◇
翌朝、幸せな気分で目覚めたポンザレは、
朝風呂という、これも初めての体験で、ぐでんぐでんに溶けていた。
「ポンザレ、なんかあんた、美味しそうな料理みたいになってるよ。」
とマルトー達にからかわれつつも、ゆっくりと朝食を取って
落ち着いた時間を過ごす。
午後になって、領主の迎えがくると、ザーグ達は手早く
身支度をすませて、ミドルランの領主ワシオに会いに行った。
通されたのは、領主の部屋ではなく、衛兵の訓練などに使用される
城内の修練場だった。
「久しぶりだな、二年ぶりになるな、元気だったか?
ザーグ、ビリーム、おぉ、変わらず美しいな、マルトーにミラ。」
「あぁ、久しぶりだな、ワシオさん。」
ワシオは、鉤鼻の目立つ中年の男性だった。
背も高く、胸板も厚い。物腰は柔らかく、口調も丁寧だが、
顔つきは自信に満ちており、身体から生命力が
噴き出しているかのような、柔らかい圧力があった。
「ザーグは、今回も温泉かな?」
「あぁ、本当にここの湯は最高だからな。」
「ふむ、存分に楽しんでいってくれ。住みたくなったら
いつでも来てくれたまえ。」
そしてワシオは、ポンザレを見て声をかける。
「君が、噂の新入りだな。私の名前はワシオ。
ミドルランの領主だ。君の名前は?」
「はい、おいら、ポンザレです!」
口をもぐっとさせて、ポンザレが元気よく答える。
「ははは、元気だな、噂通りだ。ふむ、それが噂の〔魔器〕かすみ槍だね。
見せてもらってもいいかな?」
うなずくザーグをちらりと確認すると、
ポンザレはワシオにかすみ槍を渡した。槍を受けとったワシオは、
穂のカバーを取って、まじまじとかすみ槍の刃を見つめる。
やがてポンザレ達から、二十歩ほどの距離を取って離れると、
突き、払い、振り…、と踊るような流麗な動きを見せた。
「ふむ、これはなかなかいい武器だ。バランスもいい。
この穂の形状だと…、ほぼ突きに特化しているのか。
短槍では珍しいな。この石突きは…、何か秘密があるんだろう。
打撃に使うものではなさそうだ。理由を聞くのは野暮というものかな。」
今まで、かすみ槍を見せた相手は、
霞む穂の美しさしか見ていなかったが、
ワシオはそれよりも武器として性能に興味をもち、
かつ、その特性を正確に見抜いていた。
目を大きく開いて、口をもぐもぐと激しく動かすポンザレに、
ワシオは笑いながら、かすみ槍を返す。
「大事な武器を見せてくれて礼を言おう。うん、今日は気分がいい。
お礼に私の武器も見せてあげよう。」
そう言うと、ワシオは壁に掛けてあった長槍を取って、
ポンザレに渡した。
少し太めの濃い紫の柄は、ポンザレ二人分ほどの長さがある。
石突きは金色の金具で先が平らになっている。穂には三角形の
大きめのカバーが付けられているが、ポンザレは穂を見るまでもなく、
これが〔魔器〕だとわかった。
丁寧にカバーを取って、柄の中ほどを持ち、穂先を下にして軽く構える。
すると、穂から水のような雫が、ポタリと垂れた。
石の床に落ちた雫は、それが現実のものでないように、またたく間に消える。
消えたそばから、次の雫がポタリ、ポタリと滴り落ちていく。
穂は、片鎌槍と呼ばれる穂先の片側にだけ鎌のような刃が出ているもので、
全体に水につけたかのように、ぬらりと怪しく光っていた。
「こ、これは…な、なんでしょうか…。」
「それは〔魔器〕の槍だ。名前を濡れ槍と言う。」
自分の唾をごくりと飲む音が、どこか遠くから聞こえてくるかのように
ポンザレには感じた。
「ポンザレ少年、その濡れ槍は有名な〔魔器〕です。その槍に突かれると
血が止まらずに死にます。」
「よければ、振ってみてもいいんだよ。」
「い、いえ、お、おいら遠慮しておきます。なんだか、
こ、怖いので、お返ししますー。」
「この濡れ槍は、私自ら、数多くの魔物や、ならず者、犯罪者を
屠ってきているからね。君の怖いという感想も、
間違いではないかもしれないね。」
濡れ槍を壁に戻したワシオは、
ビリームに目線を投げながら、そのいかつい風貌を崩して、
嬉しそうに言った。
「さぁ、せっかく来たんだ、前回のように私に稽古をつけてくれないか?
強い者と戦うのは、何よりも鍛錬になるんだ。」
「…俺は遠慮するぜ。」
「いや、私もザーグは苦手と言うか、めんどうくさいから遠慮するよ。
ビリームと、新入りのポンザレ君、相手をお願いしてもいいかな。」
「わかりました、ワシオさん。それでは私からよろしくお願いします。」
それからワシオとビリーム、ポンザレは、
訓練用の木の武器を使って模擬戦闘を行った。
ビリームとワシオの力強い体躯から繰り出される攻撃は、
苛烈で、激しい技の応酬がされた。
木の武器とは思えないほどの音が、何十回と響いたが
最終的に決着はつかなかった。
その後、ポンザレもワシオとの模擬戦闘を行った。
ポンザレは短槍、ワシオは長槍を持っている。
以前にゲトブリバで倒した、流れの冒険者たち『死神の剣』の
槍使いも強かったが、ワシオは格が違った。
ポンザレがいくら試しても、間合いを詰めれず、突きは全く届かない。
ワシオの攻撃は、突き、払い、打ち、衣服をひっかけての投げと
多彩で重く、ポンザレは翻弄され続けた。
「君は、短槍で突きしかないってすぐわかるから、
刃筋が素直すぎるな。ほら、こうやると、足元を掬われる。」
お腹に突き込まれた長槍を、短槍で逸らしたまでは良かったが、
ワシオはそのまま更に、突き込みながら柄を捻るように、
ぐるんと回転させると、長槍をポンザレの足元に移動させて、
そのまま柄を引いた。
ワシオの持つ木の長槍は、濡れ槍と同じく片鎌槍で
穂先の片側に刃がついた構造をしている。
もちろん木製で危険はないが、その片側の刃が引き際に
ポンザレの足を引っかけて、転ばせた。
「これが本物だったら、君の足はスッパリ斬られているな。」
「まいりました…、すごいですー…。」
「相手の武器をみて、想像をするんだ。しっかりと鍛錬したまえ。」
そう言って、ワシオはポンザレに手を差し出す。
その手を取ったポンザレは、一瞬、左の指輪が少し締まったように感じた。
「さて、ザーグ、食事でもしながら、泥人形の話なども聞かせてほしい。
どんな奴と、どう戦ったのかをね。」
◇
その夜、ワシオはひとり領主専用の執務室で、
書類の片づけをしていた。燭台の灯りは机の周辺を照らし、
濃い灰色の壁にゆらゆらと影を作っている。
部屋の隅は暗く、何も見えなかった。
すると、灯りが届かない部屋の暗がりから、
黒いフードを目深にかぶり、上半身をマントで覆った人影が、
音もなく姿を現した。
顔を一瞬だけ上げたワシオだったが、
書類に目を戻しながら、その人物に声をかける。
「急に出てこないでくれるか。私も忙しいんだ。」
「…ゲトブリバのザーグが来たそうだね。」
赤い口紅が塗られた唇の片方があがり、黒いフードの女がニヤリとする。
「私の街で手を出すのはやめてもらおう。街の信用が落ちる。
帰りもアバサイドによるそうだ。やるなら、そこでやってくれ。」
「…ふん。…わかったよ。領主さま。」
女はそのまま暗闇に溶け込んでいき、気がつくと、
残っていたわずかな気配も消えていた。
「全く。ドアくらい閉めていってほしいのだがね。」
ワシオは、ぽっかりと空いたドアの暗がりを見つめて、
ため息を一つついた。