【41】ポンザレと水竜退治
ザーグ達は竜車に乗って、ニアレイ湖の岸辺が一望できる丘に来ていた。
岸辺には、一匹の水竜が横たわり目を閉じている。
「岸までの長さは…このくらいか。ぬんっ。」
ザーグは丘の中腹にある、ほどよい太さの木にロープを結び付けた。
ポンザレは、大きく凸凹した袋を肩に乗せて、その作業を見守っている。
木に結んだロープの反対側は、ポンザレの持つ袋の中へと伸びていた。
ミラは丘の中腹にある岩場の陰で警戒に入ると、
ザーグ達三人は、水竜に向かってゆっくりと歩き始めた。
ザーグ達が岸辺に近づくと、目を閉じていたはずの水竜が、
ゆっくりと瞼を開け、のそりと首をあげた。
水竜を初めて見たポンザレは、討伐対象であることも忘れて感嘆の声をあげた。
「水竜って…なんだかきれいですー。」
水竜の全身は日の当たる背中側が白く、
腹側に向かって水色の美しいグラデーションになっていた。
その生き物とは思えない微細な変化を持つ色模様に、
ポンザレは目を離せなかった。
「水竜の鱗はね、水を吸うと青くなるのさ。だから水の中では、
周りと色が一緒になって、どこにいるかわからなくなる。
で、日向ぼっこで少し乾いてくると、ああやって白くなるんだよ。
鱗はそこまで固くないから武器とか防具には使えないけど、
調度品や工芸品に使われたりするよ。水をかけると色の変わる、
きれいな置物ってわけさ。」
「あの鱗は高いのか?」
「そこまで高いものじゃなかったね。ただ、討伐をする際に、
水竜が暴れるだろう?そうすると、鱗も当然割れて価値も下がる。
それにね…。」
「なんだ?」
「暴れた時に水竜の血が鱗に着くと、鉛色になって戻らなくなって
価値が無くなっちゃうのさ。」
「そうか…なら鱗にはこだわらねえ。倒すだけにする。」
「あぁ、それがいいね。」
ポンザレは、改めて水竜を見た。
下半身は魚のように尾びれがついているが、
その筋肉はごつごつと異様に盛り上がっている。
短い腕には鋭い爪がついており、マルトーの情報通りに、
指の間に膜が張っている。
特徴的なのは頭部で、トカゲや蛇の顔を引き延ばしたような
長い顔に、真横に大きく一文字に裂けた口がある。
伸びた顔の先端に開いた二つの鼻の穴をひくひくと動かし、
口から二つに割れた青黒い舌を、チロチロと出し入れしながら、
こちらの様子を窺っている。
マルトーが皆に声をかけた。
「まだ大丈夫だよ。もう少し近づける。上体を起こして、
息を漏らし始めたら威嚇だよ。」
じりじりと近づいてくザーグ達が、ある一定の距離まで達すると、
水竜は少し上半身を起こした。
「ここまでだな。ポンザレ、それを一緒に投げるぞ。」
ポンザレは担いだ袋を地面において中身を取り出した。
それは、両端の尖った木の杭を十字に組んだものに、
大量の生肉を巻きつけた肉玉だった。
杭の中央から伸びるロープは丘の中腹の木にしっかりと
固定されている。
水竜狩りの経験のあるマルトーがポンザレに作らせた、
水竜を丘に釣り上げる仕掛けだった。
ザーグとポンザレは、その肉玉から突き出た杭を両手でつかみ、
振り子のように揺らしながら、徐々に勢いをつけていく。
「ポンザレ、呼吸をあわせろよ。一、二、三…それっ!」
数キロはある肉玉は、そこまで遠くには飛ばなかったが、
それで充分だった。
鼻をひくひくとさせていた水竜は、ごろんと転がってきた肉玉に向かって
その体を引きずって近づいてくる。
がぱぁと音が聞こえてきそうなくらい口を開けると、
一気に口の中に入れ、そのまま喉のたるんだ皮膚の中に肉玉が収まった。
水竜は首を下から上に何回も跳ね上げて、のど袋の肉玉を
飲み込んでいこうとした。
その瞬間、ブシュッと音を立てて木の杭がのど袋を突き破り、
赤く濁った水竜の血が噴き出した。
水竜は、形容しがたい耳障りな高音で叫び声をあげて、
ビダン!ビダン!と、激しい勢いで暴れ始めた。
人間を上回る大きさの生き物が、全身の筋肉の全てを使って
そこらじゅうを跳ねまわる。マルトーがやばいと言っていた意味を、
ポンザレは心から理解した。
間をおかずして、暴れまわる水竜の目に、ドシュッと矢が突き刺さる。
「さぁ、早くしないとロープも切れて水に入られちまうよ!」
見ると、ロープを結び付けた木がギィギィと悲鳴のような音をたてながら、
引っ張られており、水竜は暴れまわりながらも、湖の方に
逃げようとしていた。だが内側からのど袋に突き刺さっている
肉玉がそれを阻む。
「ポンザレ、“サソリ槍”を貸してくれ。」
かすみ槍にサソリ針を取り付けた“サソリ槍”を、ポンザレがスッと差し出す。
受け取ったザーグは、不規則に暴れまわる水竜の尻尾や胴体を、
スルスルと避けて近づくと、サソリ槍を突き出した。
石突きのサソリ針が刺さった瞬間、尾を打ち鳴らした体勢のまま、
水竜の動きが唐突に止まる。
「ふん、相変わらずよく効くな。」
ザーグは左手にサソリ槍を持ち替えて、腰から黄金爆裂剣を抜くと、
そのまま水竜の首に斬り込み、一瞬で振り抜いた。
その鮮やかな一振りで、水竜の首は文字通り、皮一枚の、
ほとんど落ちる寸前まで斬られていた。
血が大量に噴き出し、麻痺が解けた水竜は地面を揺らして倒れる。
「このザーグズバ…いや黄金爆裂剣の切れ味も、惚れ惚れするな。
…よし、これで依頼は終わっ」
ピュイッ!
丘の中腹で、警戒にあたっていたミラが鋭い口笛を発した。
ミラの指さす方を見ると、別の青い水竜が、湖面を切り裂く勢いで
ザーグ達に突進してくるところだった。
◇
水の中を、飛ぶような速さで近づいてきた水竜は、
飛沫を上げながら岸に上がり、そのままの勢いで、
岸を滑るようにザーグへと迫った。
「よっ。」
その猛烈な体当たりをなんなく避けたザーグだったが、
足元のロープに足を取られ、ふらりとよろめいた。
「うぉっと…。」
攻撃を躱された水竜は∞(むげん)の字を書くように、
その体の向きを180度ぐるりと変え、ザーグの片足を咥えて、
頭をぶんと振った。体勢を立て直す間もなく、振り回されたザーグの手から、
サソリ槍が落ちて地面に転がる。
「くそっ!」
水竜は短いひれを地面に打ち付けながら、ザーグを咥えたまま
湖面に向かう。水竜も必死なようで、動きはひどく不格好でありながらも、
その早さはマルトーやポンザレの想像を上回るものだった。
ポンザレは地面に転がったサソリ槍を引っ掴んで、
ザーグの後を追って駆けだす。
「水の中は早いね、人間は絶対に勝てない。」
…そう言っていた、マルトーのセリフが頭にこだまする。
ポンザレを追い抜いて、マルトーの矢が三本、水竜の後頭部に突き刺さった。
だが、それをものともせず、水竜は頭を振りながら湖に入ってしまう。
もちろんザーグは咥えられたままだ。
「ザ、ザーグさんっ!!!!」
ザザザと水面が揺れて、ザーグと水竜がポンザレの視界から消えた。
まばたき二~三回ほどの時間であったが、
ポンザレには時が止まったかのように感じられた。
ゾバァァァァンッ!!
そのつかの間の静寂を打ち破るかのように、岸から少し離れた所で
派手な水柱が高く立ち上がった。水竜の赤い血が混じっているのか、
赤く透明の水が、そのまま雨のごとく辺り一帯に降り注いだ。
少し経ってから、黄金爆裂剣を握った、びしょ濡れのザーグが、
湖から上がってきた。
「くっそ、ひどい目にあったぜ…。やっぱり、あいつがいねえと、
何か調子が出ねえな…。」
「あぁぁーーー、無事でよかったですーーーっ!」
「心配させんじゃないよっ!」
ポンザレは気が抜けて地面に膝をつき、マルトーも声を荒げた。
一拍遅れて駆け寄ってきたミラは、そのまま濡れるのもいとわずに、
身を寄せて、ザーグの胸にその黒髪をトンと当てた。
「いや…悪かったな。」
ザーグは後頭部をガリガリと掻いた。
◇
竜車に乗せた二頭の水竜の死体に、ニアレイの街は騒然とした。
一体は首から綺麗に切断されている。そしてもう一体は、首から上が
爆発でもしたかのように無くなっていた。
竜車をギルドの前に止めたところで、
依頼を斡旋してきたギルド職員が慌てて飛び出てきたが、
水竜の死体を見て腰を抜かした。
「あぁ、えぇ?え?二体ですか?え??」
「落ち着け。結果的に二体出てきたから片付けた。」
「はぁ?ええ?確かに…二体…。ザーグさん、あなたは噂通りの、
すごい冒険者ですね…」
ギルドの職員は涙を流しながら、
ザーグに頭を下げ続けていた。
◇
嬉しい誤算があった。
大量の肉と鱗を入手できると知ったギルドは、
街が慌ただしい最中にも関わらず、解体を行う職人や商人を呼んでくれた。
ザーグ達が翌日に街を離れることを告げると、
皆、徹夜で作業を行ってくれた。
通常であれば、水竜退治は数人以上で、長槍で突きまくって仕留めるため、
水竜自身の血で汚れてしまい、使える鱗はあまり多くは採れない。
だが、ザーグ達は、暴れる時間も短いうちに首を落として仕留めたため、
質の良い鱗が大量に採れると商人が歓喜した。
さらに二体目の水竜では、今まで誰も見たことのない、薄い白紫色に
染まっている鱗が数十枚採れた。通常は水を吸わせることで、
白から水色に変わる水竜の鱗だが、この数十枚の淡い紫の鱗は、
水を吸うと鮮やかな濃紺色に変わった。
こんな鱗が獲れたのは初めてで、その価値はかなり高いと、
商人達は、興奮して騒いでいた。
結果、普通の水竜の鱗が二体で二千枚弱、レアな鱗が数十枚採れた。
ザーグはメンバーを集めた。
「俺達は、今回、この街の依頼で稼ぐことができた。
だが今、街は泥人形にやられてこの有様だ。ということでな、
俺は今回、このニアレイに、正確には領主と冒険者ギルドに貸しを
作りたいと考えている。依頼の報酬はもらう。
レアな鱗は半分もらう。残りの鱗や肉は寄付だ。うまいもん食って
復興もがんばってくれと伝えてな。どうだ?」
ザーグは目の前の利益よりも、ニアレイに恩を売る方が
この先、冒険者としての活動において、より大きなプラスになると踏んだ。
もちろん異議を唱えるものは誰もいなかった。
結果的にザーグ達が手にした現金は、依頼の報酬2万シルのみとなった。
骨折治療中で今回の依頼には参加していないが、ビリームも加えて
一人頭4千シルの儲けである。
一日25シルもあれば、そこそこ美味しいものを食べて、
楽に過ごせる物価から考えれば、4千シルは破格の報酬に思えるが、
そもそも水竜退治の成功率は低く、しかも手練れの冒険者が
最低でも十人は必要な依頼である。
四人で依頼を見事に解決、しかも二体も討伐してしまった
ザーグ達があまりに破格なのだ。
ニアレイの街において、この水竜退治は、
今後長く語りつがれる逸話となった。
◇
翌日の午前中、領主の小城を訪れたザーグ達は、親書の返事を受け取った。
心なしか、顔が晴れやかになった領主のアンスラーは、
にこやかにザーグに握手を求めた。
「ありがとう、水竜退治の話は聞いたよ。素材を寄付してくれたことも。
水竜の鱗は置物や調度品に加工すれば、けっこう良い値がつくんだ。
街の復興費にもあてられるよ。」
「いや、報酬はもらったからな。」
「本当に感謝する。親書の返事にも書いたのだけど…、
今後、ニアレイはゲドブリバと今まで以上に、親密に交流して、
有事の際の協力体制を取っていくことになるんだ。その中には、
有能な人材の貸し借りも入っている。また会えると思う。
その時はよろしく頼んだよ。」
「…あまり面倒ごとではないといいんだけどな。」
「あはは、それは僕も同じだけどね。では道中、気をつけて帰ってくれ。」
「あぁ、またな。アンスラーさん。」
こうして、ザーグ達はニアレイの街を後にした。
◇
「やっぱり、きれいですー。」
帰りの竜車の中で、ポンザレは薄紫の鱗を陽の光にあてながら、
ほぅ…と何度目かのため息をついた。
「…ふふ、ポンザレは鱗を気にいった。」
「何度見ても飽きないですー。」
「…どうして、こんな色の鱗になったのか不思議。」
ミラも袋の中から鱗を取り出して、見つめる。
「その鱗が取れたのは、水中で倒した方の水竜からだけだったろう?
水中で倒すことで、何か変化が起きたりするのかもしれないね。
ま…普通は無理な話だけどね。アッハッハ。」
「あぁ、ギルドの職員も、街の冒険者達も、何度も何度も
どうやって倒したのか?って、聞きに来てたな。
〔魔器〕を持ってるからだとも答えられねえし、秘密とだけ答えたがな。」
「ザーグさん、この鱗、おいらも一枚貰ってもいいですかー?」
「…私も欲しい。」
「ハハッ、せっかくだから、一人一枚持つか。」
冗談で言ったザーグに、ミラとポンザレが喜んだ。
「なんか、皆でお揃いで持つの、嬉しいですー!」
「…うん、それはいい考え。」
「な…冗談で言ったつもりだったんだが…まぁ…そういうのもいいか。
街に戻ってビリームもいるところで、鱗は選ぶんだぞ。」
「はい、わかりましたー!」
ザーグが笑いながら、竜車の幌をあげて外を見ると、
遥か先に、自分たちの街ゲドブリバが見えた。