【38】ポンザレと鎧の将軍
ポンザレは信じられない光景に目を疑い、思わず立ち止まっていた。
ザバッザバッザバッザバッ!!
大木が大きな円を描きながら、空を飛んでくる。
強い遠心力に振り回された茂った葉の、風を切り裂く音が遠くに聞こえ、
なぜかその様子はゆっくりとポンザレの目に映っていた。
その時、腰のベルトに付けた小鳥の鈴が、ピーヨ!ピーヨ!と
鳴くのが聞こえた。ポンザレはビクッと我にかえり、がむしゃらに前に走った。
ほんの数秒、走り抜けたところで、後ろで轟音が響く。
大木は、周囲の人間を轢き、跳ね飛ばし、地面を抉りながら、
何回転もして、ようやく止まった。
後には葉っぱと草と土煙が舞い上がり、バラバラになった泥人形と、
衛兵達が倒れていた。うめき声を上げている衛兵はまだ幸運なほうで、
ほとんどの者は、一目で亡くなったとわかる、見るも無残な状態になっている。
「これは…。」
ポンザレが青い顔をして、周囲を見回すと
こちらを見て口を開きっぱなしにしている石降りのニーサがいた。
ザバババッ
再び、大木の飛んでくる音がする。
小鳥の鈴が先ほどよりも大きく、せわしなく鳴きはじめた。
「ま、まずいですー!」
ポンザレはニーサに向かって走り始める。
◇
ザーグは指揮台の上から、空を飛ぶ大木が
防衛隊をなぎ倒していくのを見ていた。
飛んできた先を見ると、泥人形軍の中央にいたはずの、
白銀の全身鎧を着た男が、いつの間にか森の縁にいる。
男は、大人の胴体程の太さの大木を、両手で抱きかかえるように掴むと、
たいして力む様子もなく、上に持ちあげた。
ぶちぶちバキバキと根ごと引きちぎる音が、かすかにザーグの元まで
聞こえてくる。男は振りかぶり、戦場に向かって、無造作に大木を投げた。
「なんだ、あれは…」
ザーグは唖然として、その光景を見ていた。
古今東西、生えている大木を引き抜いて敵に放り投げるなど
聞いたことがない。出鱈目にもほどがある。
しかも、鎧の男が一本、ぶん投げるたびに防衛隊が十数人以上やられる。
あの男は間違いなく敵の最大戦力で、このままあの攻撃を続けられたら、
確実にこちらは全滅するだろう。
いつまでも呆けてはいられない。
ザーグは数舜で考えをまとめると、目標となる鎧の男を見据えた。
隣にいたミラは、目に強い意志を宿した、ザーグを静かに見つめていた。
「ポンザレは…どこだ?」
「…あそこ。」
隣にいたミラがすっと指をさす。
見るとポンザレは、大木を上手く避けたようで、戦場を走っていた。
「よし、あいつ、死んでねえな。よし。」
ザーグはふっと息を吐くと、続けてミラの目を見ながら言った。
「あのやばい奴は、たぶん俺しか相手できねえ。ちょっと行ってくるぜ。
お前はここで待機だ。戦況を見て、俺がもしやられたら、街に走って
情報を伝えろ。」
「…。」
それを聞いたミラは普段見せることのない複雑な顔をした。
怒るような、悲しむような…覚悟と不安の混じった表情。
ザーグを見返す目も、険しくなっている。
「…そんな顔すんな。俺はいつも無事に帰ってきてるだろ?」
ザーグは、ミラの頭を優しく撫でた。
「…無理はしないで。」
「無理はしないさ。じゃ、行ってくるぜ。」
ザーグは指揮台から飛び降り、走り出した。
◇
投げ落とされた大木によって、あっという間に凄惨な戦場に様変わりした、
その展開の速さについていけず、ニーサは立ちすくんでいた。
バッバッバッバッ
ニーサの耳が頭の後方、斜め上から聞こえる音を拾う。
身の危険を感じ振り返ったニーサの目に入ったのは、
自分めがけて飛んでくる大木だった。
「い、石よっ!!」
ニーサが叫びながら両手を上げると、地面に落ちていた十個の石が、
弾かれたように、凄まじい速さで大木へと向かっていった。
だが、石は弾かれるか、表面の樹皮を削るのみで、
大木の軌道は微動たりともせず、無情にもニーサとの距離は詰まっていく。
あぁ、だめね。私…死ぬわ。
ニーサは諦めて、目を閉じた。
人間は死ぬ時、今までの人生の記憶が映像として頭に流れる…
と聞いたことがあったが、ニーサの頭には、何も湧いてこなかった。
そっか、死ぬって、こんなものなのね…そう思った瞬間、
後ろから腰に大きな衝撃を受けて、ニーサは顔から前に投げ出された。
と、同時に地鳴りと嵐をあわせて倍にしたような轟音と激しい振動が
あたりを揺るがした。
体に響いていた衝撃が徐々に引き、
額から垂れてきた、ぬるりとした熱い血の感触で、
ニーサは自分がまだ生きていることを理解した。
擦りむいたらしい頬が熱をもって腫れてきている。
「…わ、私、生きている?」
目を開けたニーサの腰には、男の腕がまわされていた。
その腕の持ち主をそっと目で追ってみると、そこには、
ふっくらとした頬をふーふーと、さらに膨らませたポンザレがいた。
「あ…あぶなかったですー。」
慌ててポンザレは、ニーサから離れる。
「額と頬、切っちゃったみたいですー…大丈夫ですかー?」
立ちあがって、周囲を油断なく見回すポンザレの姿に、
ニーサの鼓動が跳ね上がる。
「おぉい!ポンザレッ!!無事かっ!?」
と、そこに息を切らしながら、走ってきたのはザーグだった。
「あ、ザーグさん!…はい、なんとかー大丈夫ですー。」
「おぉ、お前、石振りを助けたのか。でかしたぞ。」
「えへへ、ありがとうございますー。…でも、これは一体…」
「あぁ、森から木を引き抜いてぶん投げている奴がいる。
俺は、ちょっとそいつを倒しに行ってくる。ポンザレ、あれを貸してくれ。」
ポンザレはすぐに理解し、ベルトから取り出したそれを、ザーグに手渡した。
「お願いしますー。ザーグさん、気をつけてくださいー。」
「あぁ。お前は石振りを連れて下がっていろ。」
「はい、わかりましたー。」
息も整えきらぬまま、再びザーグは走っていった。
「では、ニーサさん、行きましょうー。」
「え、えぇ…。あ…」
「どうしましたー?」
「た…立てない…わ。」
ポンザレは、震えるニーサを背負って戦場を走った。
◇
ザーグは、全身鎧の男の前に辿り着くと、
膝に手をついたまま、頭をあげて鎧の男に話しかけた。
「はぁはぁ…はぁ…す、すまねえ、息が整うまで待ってくれねえか?」
「ふむ、構わんよ。」
何本目かの木を引き抜こうとしていた男は、その手を止めて、
張りのある声で答えた。
「はぁ…はぁ…よし。言ってみるもんだな、まさか本当に攻撃の手を
止めて待っててくれるとはな。」
「ふむ、木を投げるのは別にお前さんの用事の後でもできるからなぁ。」
「あっちでやりたいんだが、いいか?」
ザーグは親指でくいっと、森から離れた草原の中ほどを示す。
「ふむ、構わんよ。」
二人は森から離れて少しの間歩いた。
鎧の男は、背中に見たこともない大きな大剣を背負っている。
セオリー通りで考えるなら、障害物の多い森の中に引き込んで
戦う方が有利である。長い得物は木に引っ掛かり機動力も落ちる。
だがザーグは、大木を引っこ抜いて遠くに投げるような怪物であれば、
森に入ったところで、その滅茶苦茶なパワーで、かえってこちらが
不利になるように思えた。
また、鎧の男が森から離れる姿を見せることで、味方がその間に
少しでも落ち着いて体制を整え直せればいいとも考えていた。
「さて、ここらでいいかの?」
「あぁ、ありがとよ。」
「では、始めるとしようか。」
鎧の男は、その身の丈ほどの鉄の板とも思える大剣を、
重さをまったく感じさせない動きで、背中からガチリと取り出すと正眼に構えた。
「行くぞっ!」
男が踏み込んだ地面に放射状に亀裂が入り、草が舞い散る。
充分な距離が取れていたはずなのに、次の瞬間には男は目の前にいて、
右手に持った剣を横なぎに振ってきた。
その剣速は、今まで戦ったどの人間よりも、どの魔物の攻撃よりも早かった。
だが軌道が分かっているのなら、早くとも問題はない。
ザーグは、大きく一歩後ろに下がって避けた。
!返しが来るっ!
後頭部にチリッとひりつくような、痛みにも似た感覚を覚え、
ザーグは咄嗟に、地面にへばりつくように伏せた。
間髪入れずに頭の上を、水平に大剣が走る。
通り過ぎたと思った剣は、急角度でその軌跡を変え、
斜め下に振り下ろされた。
地面を大きく穿つこの攻撃を、ザーグは、そのまま真横に
転がって回避した。
「おお!わしの剣を三度躱すかっ!やるなぁ、お前!」
額に汗を拭きだしながら、ザーグは立ち上がって答える。
「おっかねえな…。こいつは骨が折れそうだ…。くそっ、まだ、
あの空飛ぶ軽口野郎の方が良かったかもしれねえ。」
「む?軽口…?あぁ、シュラザッハか。あいつは今、
隣街のニアレイに行っておるよ。おう、そうだ!
あいつが言っていたゲトブリバの街にいる強い冒険者というのは、
お前か?名前はなんだったかな、あぁ、ザーグだ。お前がザーグか?」
「…さぁ、どうなんだろうな。」
「わしは、ギガンという。傭兵ギガンという名前は聞いたことがないか?」
「すまねえ、聞いたことがない。」
「そうか、それは残念だ。まぁ、それでも構わんよ。
…そうだな、わしは今、この泥人形どもを率いておるから、
将軍ギガン、うんいい響きだ…将軍ギガンと呼んでくれ。」
「…。」
「ふむ、こちらが名乗ったのに名乗らんのか。まぁ、構わんよ。
では…行くぞっ!」
「ちっ!」
ダンッ!と強く踏み込んで、飛ぶように距離を詰めてくるギガンに
ザーグは舌打ちで答えた。
◇
ザーグは内心かなり追い込まれていた。
ギガンはその怪力で、大剣をまるでナイフのように軽々と、
そして恐るべき速さで繰り出してくる。
全身鎧を着て、その動きも視界も多少なりとも制限されているだろうに、
一分の隙も無い。
ザーグはいまだに自分の剣も抜いていない、正確には抜けなかった。
ギガンの大剣に合わせた瞬間、いかに〔魔器〕といえども、
砕かれるのは目に見えていたからだ。
「ふはははっ!おもしろい!よく避けている!なぁ!?」
「くっ…。」
戦いとは相互理解だ。
長引けば長引くほど、互いの理解が深まり、
ある一点を越えた時に決着がつく。
そういうヒリヒリする戦いが好きな戦闘狂もいるだろうが、
ザーグは嫌いだった。お互いの理解が深まらないうちに、
例えだまし討ちをしてでも、早々に決着をつける。
それがザーグが今まで行ってきた冒険者としての戦い方、
すなわち自分の命を大事にする戦い方だ。
だがギガンとの戦いは、充分に長引きすぎていた。
既に神速の大剣を三十振りは避けている。
ギガンはザーグと同じで、勝つためには何をしてもいいと考えるタイプのようで、
大剣を振るだけでなく、土を投げてきたり、剣で太陽光を反射させてきたり、
攻撃で振り下ろした剣を地面に放置したままタックルを仕掛けてきたりと、
戦いずらいことこの上なかった。
対するギガンも、ザーグが闘志を失っておらず、
まだ何かを隠し持っているのを理解していた。
とはいえ、懐に入れさせてやる義理はない。
そして、この状況が続く限りは自分が有利であることもわかっていた。
お互いの理解は進んでいく。
あと少しで、二人の戦いは終わりを迎えようとしていた。
兜の中のギガンの口角が片方だけ上がる。
円を描いて飛来した太い鎖がギガンの背中を打ったのは、その時だった。
◇
「遅くなりましたっ!」
鎖を体と左腕に巻いたビリームが駆け付けてくる。
「さて、私とも戦ってもらっていいでしょうか?」
「ふむ、構わんよ。もっとも、お前が立っていられたらの話だがなっ!」
ドンッと地面を蹴って、上段から振りおろされた恐るべき速さの大剣を、
ビリームはなんなく避ける。地面を抉った大剣を、その怪力を活かして、
ギガンは跳ね上げた。V字を描いた大剣をビリームはさらに横に避けて、
鎖を振ろうとしたところで、正面からギガンの前蹴りが飛んでくる。
左腕を前にして、その前蹴りを正面から受けたビリームは、
派手に吹き飛ぶが、ぐるりと一回転して立ち上がった。
事前に後ろにジャンプし、威力を押さえたためダメージはほとんどない。
鎖をじゃらりと鳴らして構えなおすビリームを見て、
ギガンが嬉しそうに言った。
「おお!お前も避けるのか!いやぁ、楽しい!む?
…そうか、お前がザーグか?」
「…どうでしょうね。」
「なんじゃ、お前も答えてくれんのか。よし、じゃあ、お前とあっちの男、
強かった方をザーグということにしておこう。フハハハ。」
戦いは新たな幕開けを迎えていた。