【35】ポンザレと小鳥と敵
女の子の幽霊に導かれた次の日の昼過ぎ、
村の中央に一軒だけある宿屋の食堂で、
ザーグ達はテーブルに置かれた物を、眉にしわを寄せながら見ていた。
ポンザレが昨晩、汚泥の沼から回収したものだった。
午前中いっぱい、ポンザレが何度も何度も洗い、溝に詰まった
わずかな泥もていねいに落とし、綺麗になったそれは…
手のひらに収まるほどの水色の翼をたたんだ小鳥の形をしていた。
テーブルに置かれた、手のひらにすっぽり収まるほどの小鳥。
木なのか陶器なのか金属なのかもわからない、
わずかに光沢のあるその材質は、しっとりと手に馴染み、
ずっと触れていたいと思わせるほど気持ちが良い。
全身が淡い水色で、全体に不思議な文様が掘り込まれ、
可愛くつぶらな瞳だけが、艶のある黒に塗られており、
なんとも可愛らしかった。
「…これは、鈴?」
「ふーむ…鈴みたい…ですね。ですが、中に玉が入っていませんね。」
小鳥の上側のなだらかな曲線の真ん中、もし生きていたら背骨が
通っている真ん中ぐらいに、紐などを結わえるための半円状の
輪っかがついている。像の下側に脚はなく、お腹の部分はふっくらとした
丸みがあり、両端が円状になっている細長い溝のような穴が
開けられていた。
小鳥の中は空洞になっていた。
「これ、中まできちんと洗うの本当に大変だったんですー。」
ポンザレは、もぐもぐと口を得意げに動かした。
「…やっぱり、雰囲気は〔魔器〕っぽく感じる。」
「…で、ポンザレ、これはどんな効果があるんだ?」
「おいら、わからないですー。」
「もし鈴だとしたら、道具の特性としては、
音を鳴らして、何かを呼ぶとか知らせてくれるとかでしょうね。」
「うえ、もしかしたら、あの黄金の腕輪みたいに、
魔物を呼んじまったりしないだろうね?」
「中の玉がないので、音も鳴りませんし、
何かを呼ぶとかはないと…信じたいところですね。」
「…でも、この鳥かわいい。」
「そうかい?あたしは、もっとこうビシッして、
グハッとくる感じの方がいいねぇ。」
「…何を言っているか、わからない。」
皆の手を一通り回ってきた小鳥が、ポンザレの手に戻ってくるなり、
ピーヨ、ピーヨ、ピーヨと音を発した。くちばしは動いておらず、
小鳥の鈴そのものから音が響いていた。
「うわ!?な、なんですかー?」
「急に鳴いた?ポンザレ貸してみろ。」
ザーグの手に渡った小鳥は、ピタリと鳴くのをやめる。
「ん?なんだこれは?おい、ポンザレ、もう一回お前持ってみろ。」
ポンザレが受け取ると、再びピーヨ、ピーヨと鳴き始める。
「ポンザレ少年にだけ、反応しているのでしょうか?」
「これはいったい…」
悲鳴が聞こえてきたのはその時だった。
ザーグ達は、武器を取ると即座に宿から出た。
◇
ザーグ達の視線の先にいたのは、今まで見たことのない
奇妙な生き物だった。
それは全身泥で覆われた、人型の泥人形だった。
身長は人間と同じくらいだが、中には子供のように小さいのもいる。
表面はまだ濡れているものもおり、その手には錆びついた剣や、
木の棍棒などを持ち、遅い足取りでよたよたと歩いてくる。
関節などの可動部からは、動くたびにパリパリと乾いた泥が剥がれ落ちる。
目も鼻もなく、茶色くのっぺりとした顔が、薄気味悪さを増していた。
「ひぃやあああ~~っ!」
その泥人形に襲われたらしい二人の村人が、悲鳴を上げながら必死の形相で
こちらに逃げてくる。
その服は、血で真っ赤に染まっていた。
村の入り口から入ってきた数十体の泥人形は、
そのまま村の中央の宿屋、ザーグ達がいるところに、
ゆっくりと向かって来ていた。
悲鳴を聞きつけてやって来た他の村人も、
今まで見たこともない泥人形の群れに、顔を青くさせ、
体をすくませて、動けずにいた。
「村人は、こちらにきて、宿屋の中に入れ!」
「ポンザレ、お前は中に入って襲われた村人の治療をしろ!
マルトーとミラは、扉の前で弓を持って警戒。逃げてくる村人を
誘導してやってくれ。」
すぐさま、ポンザレは負傷した村人の治療にあたる。
斬りつけられたらしい背中の傷を洗い、常備している薬草をつぶした
ペーストに魔力を込め、ていねいに患部に塗りつけていく。
ポンザレができるのは、あくまで冒険者として、
できる応急処置でしかないが、医者もいない小さな村では最善の処置だった。
ポンザレが治療している間にも、
村人がバタバタと宿の中に駆け込んできたが、幸いなことに怪我をしたのは
最初の二人で済んだようだった。
治療を終えたポンザレは、かすみ槍を手にして外へ出た。
◇
一方、宿屋の扉の前のザーグ達。
「マルトー、あの薄気味悪いのは何だ?魔物か?」
「あんなの見たことないねぇ。」
草原の部族の出身であるマルトーは、
ザーグ達と出会い、ゲトブリバに落ち着くまでは、
各地を旅しながら暮らしていた。
そのため、生き物や魔物に関する見解が高く、
今回のような得体の知れないモノと遭遇した時は、
マルトーの意見は重宝されていた。
「あの見た目通りの動きの速さなら、簡単に対応はできそうだが…
問題は数だな。…まずは試してみるか、マルトー!」
「あいよっ!それっ!」
構えた弓から、ドシュウと音がして、一直線に飛んだ矢が
一番先頭の泥人形の頭をもぎ取った。
頭部のなくなった首には白い骨が見えていた。
続いて放たれた矢が、泥人形の腕を飛ばす。
その腕にも、同じように骨があった。
汚泥の沼には百年以上前にこの地で暮らしていた
大勢の人々が沈んでいると言われ、泥人形たちがやってきたのは、
まさにその方向からだ。そして泥人形には、その骨格に
人間のものと思われる骨が入っているのは間違いなかった。
「…あれは、人間の骨?」
「そうみたいだね。沼で亡くなった人間の骨…とかなんだろうね。」
「なんとも、おぞましい魔物ですね…。」
頭を失った泥人形は、わずかに動きが鈍くなったものの
その歩みをとめることはない。
「ビリーム、どう思う?」
「そうですね。頭をつぶして止まらないのであれば、
手足を斬り落すか、つぶしていくしかないでしょうね。」
「だろうな。ビリームと俺は、少し出て様子を見る。
ミラとマルトーは、やばそうな時だけ射ってくれ。
矢も温存しておいた方がいいからな。ビリーム、囲まれるなよ。」
「わかっていますよ!」
ザーグとビリームは、泥人形の群れの中に走っていった。
ビリームは棘付きの棍棒で、泥人形の頭を、腕を、脚を、
ゴシンゴシンと力強く叩きながら、もぞもぞ動く不気味な泥の山を
作っていく。
手足を粉砕され、頭もなくなった泥人形はしばらく動くと、
徐々にその動きを止めていった。
負けじとザーグも剣を抜く。
金色の刀身は、縦横無尽の光の軌跡で、泥人形たちを細切れにしていく。
背中合わせの体勢になった二人は、
右回りに回転しながら、泥人形を片付けていく。
数十体ほどいたであろう泥人形は、あっという間に半分近くに減っていた。
宿屋の窓から見ていた村人達から歓声が上がる。
治療を終え、外に出てきていたポンザレも、
背中合わせでくるくると回りながら泥人形達を粉砕していくザーグ達を、
ポカンと口を開けながら、魅入っていた。
◇
二人は示し合わせたかのように攻撃の手を緩めて、
顔を見合わせると、泥人形の一群から、走って戻ってきた。
「ふん…もう一回行けば全部やれるな。」
「動きは遅いですから、たいしたことはないですね。」
「じゃあポンザレも行くか。お前は短槍だから、
首と腕、あと膝辺りを二~三回も突けばバラバラにできるぞ。」
「え、おいらも行くんですかー!?」
「当たり前だろう。何言ってんだお前。」
「えぇー、ザーグさん達だけで…」
聞き入れてはもらえないであろう抗議の声を上げかけた時、
ポンザレのベストのポケットに入った水色の小鳥が先程よりも、
せわしなく鳴き始めた。
ピヨ!ピヨ!ピヨ!ピヨ!ピヨ!ピヨ!ピヨ!ピヨ!
その鳴き声と同時に、ミラの鋭い声が飛ぶ。
「そこの奴!…止まれ!」
ザーグ達が振り返ると、動きを止めた泥人形達の後ろに、
いつの間にか背の高い男が両手を軽く上げて立っていた。
「いやいやいーや、すごいね!すごいね!君達!」
ウェーブのかかった銀髪を揺らしながら、
細い目をさらに糸のように細めながら、その男は陽気に喋り始める。
「君達、どこの街の冒険者?ここだと…ゲトブリバかな?」
太腿を狙って放たれたマルトーの矢が躱され、地面に勢いよく刺さる。
「すごいねぇ!躊躇することなく狙ってきたねぇ!おっと!」
胴を狙って放たれたミラの矢を、男が手で掴むとぽいと捨てる。
「一応聞くけどさー、まだ名乗ってもない、
どんな立場の人間かも、わからない僕に攻撃をした理由は何かなー?」
「あんた、なんで泥人形の近くにいて襲われていないんだい?」
「…いやな気配がする。」
「あと口調が怪しいな。顔も怪しいぜ。」
「あははははっ!でたらめだね、君達!」
男は銀髪をかきあげながら、首をくいっと曲げると
胸に手を当てて、もったいぶった口調で言った。
「いいね、気に入ったよ。名乗ろう。僕はシュラザッハ。」
その男の名を聞いても答える者はいない。
「あれぇ?名乗ったんだから、そっちも教えてよ?礼儀でしょ?」
「…お前は、何者だ?」
「なんか、わりと君達失礼だよね。まぁ、いいか、答えてあげるよ。
僕は何者か…うーん、端的に言うと君達の敵ではあるね。」
「敵だと?」
「うん、僕達は、世の中にね、悲鳴や恐怖や不安や絶望を
増やしていきたいんだ。だから、そのための活動を、
日々がんばっているんだよ。でも、そういう活動をするとさ、
たぶん君達は止めようとするでしょ?
だから敵になると思うんだ。あ、本当はさ、僕達のこと、
放っておいてくれたら、僕達も何もするつもりはないんだけどさ。
でも君達、泥人形を壊してくれたじゃない。
だから、敵ってことになるんだ。理屈は通っているでしょ?」
「ペラペラとよく喋るな。…で、そのヘラザッフさんとやらは、
そのまま帰れると思っているのか?」
「シュラザッハだよ。その挑発は上手くないね。…うーん、
君達強そうだし、全員で一斉にかかられたら、僕もやばいかもね。
こちらの準備も足りていないしなー。うん、今日はこれで帰るけど…
そうだね、一ヵ月後、ゲトブリバの街に、この泥人形が、
たっくさん攻め込むから、よろしくね。」
「…なんだと!?」
「そんなことは、させないよ!」
マルトーが、手にした三本の矢を、流れるような動作で立て続けに射った。
一矢目が払われたり、避けられたりしても、マルトーの予測した場所に、
第二、三の矢が射られる。今まで外したことのない、
マルトーの必中の矢、得意技である。
特にこの技は、シュラザッハのように、矢に簡単に対応できてしまう
手練れにこそ効く。飛び道具を前にした人間の行動には、
…れほど選択肢はないからだ。
だが、シュラザッハが見せた動きは、マルトーが、いや誰であっても
予測ができるようなものではなかった。
第一の矢をシュラザッハが、片足を空中に踏み出すような
不思議なステップで避ける。体勢が流れた右側には、
そのまま第二の矢が飛んでいたが、それをシュラザッハは、
空中を踏んでさらに躱した。
第三の矢は、二の矢のさらに右側の低い場所に突き刺さるが、
これは転がって避けた時のことを考えて射った、
マルトーの読み違いであった。
シュラザッハは、そのまま見えない階段を駆け上がるように
三段ほど空中を踏むと、もといた場所より後方に着地した。
「うわぁーっ!あっぶねっ!いやー、思わず見せちゃったなぁ…
これは内緒にしときたかったんだけどなぁ。使わされちゃったなぁ。」
シュラザッハは、ぺろりと舌を出しながら、
自分の履いている黒いブーツを指さした。
「んー…まぁ、いいか。…じゃあ、僕は帰るよー。
一ヵ月後だからねー!準備しておきなよー!」
シュラザッハは一目散に沼の上を走り去っていった。
空を踏めるのであれば、沼に沈むはずもない。
「なんだい…あれは…〔魔器〕かい?…反則じゃないか。」
マルトーが、ガリガリと金髪の頭を掻いた。
「ふーむ…とりあえず、残ったこいつらを片付けるか。
おら、ポンザレもいくぞ。」
シュラザッハが去ったためか、なぜか動きを止めた泥人形を、
ザーグ達は片付けていった。