【30】ポンザレと鉄腕猿、そして〔魔器〕
ポンザレの手に握られたサソリ針を見たザーグとビリームは、
ほんの一瞬驚いたように目を開き、すぐに視線を合わせる。
ビリームは、左腕を振り切った姿勢のまま固まっている鉄腕猿に近づくと、
その両膝を狙って、叫びながらかすみ槍で突きまくった。
「うぉぉおおおッ!」
血しぶきが舞い散り、ぐずぐずになった鉄腕猿の膝は、
白い骨が見えている。
サソリ針の麻痺が解けた時には確実に歩けなくなるだろうが、
どれだけ膝を壊しても、まだ鉄腕猿は倒れなかった。
「ビリーム!肩を貸せ、飛ぶ!」
ビリームは背中を丸め、片膝をつく。
肩に感じた足の重みが力を増した瞬間、ビリームは勢いよく立ち上がった。
「これでもっ!喰らえっ!」
ビリームの補助を受けて、鉄腕猿よりも高く飛んだザーグは、
剣を下に構えたまま、鉄腕猿の口の奥深くに剣を突き刺した。
ザーグの剣は鉄腕猿の喉を、食道を、気道を存分に斬り裂いて、
深々と柄まで埋まった。鮮血が鉄腕猿の口から盛大に噴きあがり、
ザーグを真っ赤に染めていく。ザーグは剣を抜かずに、
鉄腕猿から降りてくると、肩で息をしながらビリームに伝えた。
「はぁ、はぁ、ビリーム、下がって距離を取れ、はぁ、そろそろ麻痺が解ける。」
ザーグとビリームは距離を取り、鉄腕猿の呼吸が徐々に
荒々しくなっていくのを聞いていた。
麻痺の効果が薄れてきた鉄腕猿は、ビクビクと動き始めるやいなや、
その場に大きな音と共に崩れ落ちる。
そして、切り裂かれた喉から濁った音を出しながら、
凄まじい勢いで転がり始めた。
ゴボッ!ゴボボッ!!!!
口から大量の血を拭き散らしながら転げまわる鉄腕猿。
その両膝は、完全に破壊され立ちあがることもできない。
喉の奥深くに刺さった剣は大量の血と共に気道を塞いでいた。
ゴボォッ!ゴボッッ…ゴボォオッ!!!!
徐々に動きが鈍くなり、残った右腕で激しく地面を打ちつけたのを最後に、
鉄腕猿は完全にその動きを止めた。
その口から、ごぼりごぼりと不快な音をたてながら血が流れ続ける。
◇
「ポンザレッ!」
二階から降りてきたマルトーが、
柱の下で横たわるポンザレのもとに駆け込み、そっと抱きあげる。
「あんた!大丈夫かい!ポンザレ!」
「い、痛いです、マルトーさん…。」
弱々しく返事をするポンザレの右腕は、骨が折れ、
本来曲がるべきところではない場所から曲がっていた。
全身を激しく打ちつけ、しばらくは動けそうになかったが、
しっかりと受け答えができ、命に別状はないことがわかると、
マルトーは、深いため息をついて、どさりとその場に腰を落とした。
近くにきたザーグとビリームも、その様子を見て、ふぅと大きく息を吐いた。
「生きてて良かったぜ、ポンザレ。お前のおかげであれを殺れた…。
礼を言うぜ。ありがとよ。」
「ポンザレ少年、本当に助かりました。…しかし、よくあのタイミングで
サソリ針を刺せましたね。」
「…よくわからないんですが…最初に避けたときに、サソリ針を握って、
横に構えておかないといけない気がしたんですー…。」
ポンザレとしては、咄嗟に頭によぎったことを、
考えずにそのまま実行しただけだった。
改めて考えれば、〔魔器〕のサソリ針であれば、
鉄のような鉄腕猿の硬い皮膚をも刺せるだろうと想像がつく。
だが、たとえそれに確信があったとしても、
大きなダメージを受けることをわかった上で、小さなサソリ針を構え、
敵に立ち向かうのは、容易にできることではない。
熟練の冒険者であればまだしも、ポンザレは少年で、
冒険者としてはようやく一人前となったどうかくらいの実力である。
それを体全体を強く打っているとはいえ、
片腕の骨折程度の怪我で成し遂げた。
ポンザレを吹き飛ばしたのが、マルトーの矢によって使い物にならなくなっていた
鉄腕猿の左腕だったのも僥倖だった。
ポンザレは、考え抜いたわけでも、勇気をもって挑んだわけでもなく、
なんとなくそうした方がいい気がするという理由で動き…、
結果、被害を最低限に抑え、最大の結果を引き出した。
「…も、もし」
ポンザレが呻きながら言う。
「もし…次、強いのと戦う時は、サソリ針とかすみ槍を、渡しますー…。」
それを聞いたザーグは、ハッとした。
同じパーティ内であっても自分の武器を人に渡すようなことは普通はしない。
それが冒険者の常識である。
今回の対鉄腕猿戦も、ポンザレを当たり前のように戦力外として作戦を立てたため、
武器を借り受けることすら、想像だにしていなかった。
ザーグは苦虫を噛みつぶしたような顔をして、頭を下げた。
「そうだな、これは最初にそうしなかった俺のミスだ。
すまなかったポンザレ。次からは貸してもらうことにする。」
ザーグとビリームもどっかりと地面に腰を落とし、
四人は緊張感を緩ませながら、疲れ切った笑顔を互いに向け合った。
◇
「ふむ…ミラが遅いな…。隠れてはいるはずだが…」
ミラの姿を探そうと辺りを見回していると、
太腿に矢が刺さったままの冒険者風情の男と、
その十歩ほど後ろで、男の背中に弓を構え矢を向けたミラが現われた。
「ミラ、そいつは誰だ?」
ザーグがミラに尋ねる。
ミラは矢から手を離すと、男に感づかれないように、
自分の首にかかっている眼帯を指で差した。
「…怪しい人間を見つけた、逃げようとしたから射った。…前へ歩いて。」
目の下に大きな隈を作った痩せぎすな男だった。
髪は埃と泥で固まり、武装はミラによって解除され、
薄汚い厚手の服しか着ていない。
男の右腕には、その出で立ちには似つかわしくない、
黄金の腕輪がピタリとはまって、陽光を反射し輝いていた。
男はミラに促され、矢の刺さった太腿を押さえながら、
よろよろと歩き出した。
男の目に、中庭の惨状が次々と映し出される。
えぐられた地面、崩れ落ちた壁、そこらじゅうにまき散らされた赤黒い血。
そして、血の海の中に息果てた鉄腕猿を見つけると、男の顔はさらに青ざめた。
立ち上がったザーグは、男に問いかけた。
ビリームが棍棒を手に取り、そのすぐ隣に立つ。
「…お前は誰だ?」
「あ、あぁ、お、俺は、パシャラのパーティにいたボジョムって言うんだ。
ザーグさん、あ、あんたが、この鉄腕猿を倒してくれたんだなっ。」
「…お前の顔に見覚えはねえが?」
「あ、あぁ、い、一年位前に一回だけ会ったことがある、
お、おれは、パーティの中でも、し、新参だったから…。
それより、な、何で、お、俺は射られたんだ!?くそ、痛ぇ…
す、座らせてもらうぜ、痛てて…。」
「あぁ、悪かったな、ボジョムっていったか、お前ミラに見つかった後、
逃げようとしただろう?だったら盗賊の斥候だと判断されても、
しょうがねえよな?」
「…あぁ、確かに逃げようと、くそっ、だからって射るこたぁねえだろう!
くそ、痛ててっ。」
「…幾つか質問をさせてくれ。終わったら手当をしてやる。」
「あ、あぁ…なんだ?」
「お前は、この鉄腕猿を知っているか?」
「あ、あぁ、こいつに俺らのパーティは襲われたんだ。」
「そうか…。どういう状況だった?」
「俺を入れて五人いた。ここで三人つぶされた。パシャラもやられたが、
俺と一緒に館の中に逃げ込んで…だがパシャラはそこで死んだ。」
「ふむ…。」
ザーグは、鉄腕猿の死体まで歩いていくと、その大きな口の中に
両手を突っ込んで、血にべっとりとまみれた剣を引き出した。
ごぼごぼと残っていた血が溢れだす。
剣も体も鉄腕猿の血で真っ赤に染まったザーグの姿は、
何よりも凶悪な魔物のようだった。
ザーグは再びボジョムの前まで来ると、血のついた剣を顔の先に
突き付けて言った。
「俺も仲間も死にかけてな。少し気が高ぶってるんだ。
お前が嘘を吐くようだったら、俺は何するかわからねえ。
そこを踏まえて答えてくれ。」
鉄腕猿の血の滴る剣を突き付けられて、
ボジョムは体を激しく震わせながら答える。
「あ…あぁ…わ、わかったよっ…」
「よし。パシャラを殺したのはお前か?」
「…。」
「答えろ。」
ザーグの剣がボジョムの肩にズブリと埋められた。
「があっ!痛ぇっ!わ、わかった、言う、言う!お、俺だ!
俺がパシャラを殺ったんだっ!」
「なぜだ?」
「俺とっ、俺の女が、パーティから抜けるのを認めねえどころか、
俺だけをパーティから外そうとしやがったからだよっ!だからよ、
俺と女で、依頼先のっ、こ、ここで、パシャラも、俺を外すことに賛成した
他のメンバーも殺っちまうことにしたんだっ、ぎゃあっ!」
刺した剣を捻りながら、ザーグが続ける。
「お前の女はどうした?」
「し、死んだよっ!そいつに殺られたんだ!」
ボジョムは傷みと恐怖に歪んだ顔を鉄腕猿に向けながら答えた。
「…ふむ。」
「では、一番肝心なことを聞くぞ?」
「もう、話すことはねえよっ!ち、ちゃんと話したぞっ!」
「…お前とあの鉄腕猿はどういう関係だ?」
「…!」
ザーグは抜いた剣の先をスッとボジョムの腹に滑らせる。
「あぁ、別に言わなくてもいいぞ。その時は、刺すだけだ。」
「わ、わかった、言う、言うから!…この、金の腕輪は〔魔器〕なんだっ!
…この腕輪をしたら、あの鉄腕猿が俺の言うことを聞いたんだっ!」
さすがのザーグも、そして他のメンバーも目を剥いて驚く。
魔物が人間の命令に従うなど聞いたこともない。
そしてそれが事実なら、この〔魔器〕は相当にまずい代物だ。
人が持っていいものではない。
「…それが本当なら…なぜ、お前は自分の女まで殺したんだ?」
「い、言うことを聞くって言っても、待てと殺せしか聞かねえんだよっ。
そして俺以外の人間は、全員敵になってるんだよっ!
それに気づいたのは、この腕輪をして、そいつが出てきて、
あっという間に!ここで!俺の女も含めて三人やられた後だったよっ!」
「お前は、その腕輪をどうしたんだ?」
「ま、街でフード被った年増の女に譲られたんだ。
困った時に着けてみろってな。お、女は、この腕輪を、
『孤独の守護者』って言っててよう、あは、あははは!
うははは!孤独の守護者だぜ、その通り、俺は孤独になったんだよ…
…うぅ…あぁ…」
ボジョムは大粒の涙をぼろぼろと落としながら、大声で泣き始めた。
「な、なんのけなしに、う、腕輪をつけてよっ、『やるか?』って、
頭の中に声が響いたからよ、やるって答えちまったんだよ…
ちょっとしたら、鉄腕猿が走ってきてよぉ、さ、最初につぶされたのは、
お、俺の女だったんだよ。目、目の前でよ、あ、頭をよぉ、お、ぉ…。」
ボジョムはむせびながら続ける。
「あっという間に三人つぶされてよぉ、待て待て待て!って叫んだら、
鉄腕猿が止まってよぉ…パシャラと館の中に、に、逃げてよ。
…俺がこんなざまになってるのは、そもそもこいつのせいだと思って、
パシャラを見てたら、気がついたら刺してたんだ…うぅ。そのあと、
せめて街に、家に戻ろうかと思ったらよ…鉄腕猿が俺から…
離れねえんだよっ!…腕輪も取れねえんだよっ!
…ど、ど、どうしろってんだよっ!」
「で、お前は街に戻れず何してたんだ?」
「腕を切り落とそうかと思ったんだけど、それもできなくてよぉ…。
竜車や盗賊を鉄腕猿に襲わせて、生き延びてきた…。
なぁ、ザーグさん、て、鉄腕猿を倒してくれてありがとよ。」
「…。」
ザーグも皆も何も言わなかった。
「…な、なんで黙ってるんだよっ!」
「いや、お前はやっぱり生かしておけねえと思ってな。」
「しゃ、しゃべっただろう!あ、あんたは助けるって、
言ってくれたじゃねえかっ!全部!俺は正直に喋ったんだ!」
「助けるとは言ってねえが…。だがよ、結局お前は、
自分の意思でパシャラを殺し、そして俺達を襲った。
盗賊は、まぁいいにせよ、行商なんかの竜車も襲ったんだろ?」
「いや、そ、それは…ぐぶっ!」
ザーグは血まみれの剣をボジョムの胸にずんと沈め、
引き抜いた剣から滴り落ちる血をボジョムの汚れた服で拭って鞘に納めると、
振り向いて言った。
「誰か、水をくれねえか、さすがに顔と頭くらい洗いてぇ。」
◇
ザーグ達は遺体や残骸を中庭に集め、
そこいらにある燃えそうなものを集め、油を撒いて火をつけた。
鼻が曲がりそうな嫌な臭いと濁った色の煙が辺りを覆う。
火の勢いが充分なことを確認すると、そのまま砦を後にした。
ビリームは、かすみ槍で無理やり解体した鉄腕猿の腕を一本背負い、
ザーグとマルトーがポンザレの荷物を分けて背負っている。
ポンザレはかすみ槍を杖代わりにしながら、全身に脂汗を浮かせ
よろよろと歩いていた。折れた腕は、ビリームに応急の処置をしてもらい、
添え木を当て、布で巻いて固定し、首から吊っていた。
森を抜け、平原を抜け、街道に戻る。
街道を歩く途中で、通りがかった竜車に乗せてもらい、
砦を出て五日後に、ようやくザーグ達は街に戻ることができた。
その後、旅の疲れを落とすこともせず、
自分のベッドに倒れこんだポンザレは、そのまま丸二日泥のように眠った。
左手の指輪が、ポンザレを癒すように優しくふんわりと緑色に光っていた。