表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/104

【29】ポンザレと鉄腕猿



「ポンザレ少年、起きてください。動きますよ」


ポンザレは体が揺さぶられるのを感じ、目を開けた。

まだ辺りはうす暗く、日も昇っていない。


「ふぁい…なんですかー…?あ、おはようございます。ビリームさん。」


「ポンザレ少年、冒険者は疲れ切っても熟睡してはいけません。

見張り役の人間がいても、すぐ動けるようにしておきましょう。」


「ふぁい…すみません…。」


「荷物も重かったろうし、野営も続いてるからね。おいおい慣れていけばいいさ。」


マルトーのフォローが入る。

ポンザレは口を少しもぐもぐさせた後、革の水筒を取り出し、水を飲んだ。

落ち着くのを待って、ザーグが口を開く。


「昨晩から今までの間で、砦に動きや気配はあったか?」


ポンザレ以外の全員が首を横に振る。


「…私の眼帯でも、生命の気配は、確認していない。」


「よし、日が高くなる前に、今のうちに砦を調べるぞ。

たいした大きさでもねえ、午前中には調べ終えて、ここを離れる予定で動く。」


ザーグ達は荷物を点検しなおすと、斥候のミラを先頭にして砦へと向かった。





ほぼ消えかけた小道を進んだ先に砦はあった。

砦は周囲を壁で囲まれており、左右を見渡しても入口らしきものは見当たらない。


「大人二~三人分ってとこか・・・登れないことはないがな。」


ザーグはそうつぶやいたが、すぐに首を振り、


「まずは周囲を見回るぞ、安全が確認できたら中に入る。」


と皆の顔を見ながら伝えた。


ザーグ達は壁沿いに慎重に歩みを進める。

直角に作られた曲がり角を四回曲がると、大した時間もかからずに、

最初に着いた地点へと戻ってきた。


砦全体にめぐらされている塁壁は、四面から成るほぼ正方形の形状になっており、

正門があったと思われる一辺の中央付近の壁は大きく穴が開き、

そこからは、広い中庭と、二階建ての無骨な屋敷が見えた。

その屋根には小塔がついていたが、長い月日とともに塔の天井部分が

朽ちて崩れたのか、すでに見張りの塔としての役目は果たせそうになかった。


ザーグ達は正門跡から中庭に入った。


中庭は、ひどい有様だった。

そこかしこの地面がえぐられ、盛り上がり、壁も強い力で叩かれたかのように

所々へこんだり、今にも崩れ落ちそうな箇所もある。

そのえぐれた浅い穴の周辺には、ぺしゃんこになった鎧、

バラバラに飛び散った人間の一部と思われるもの、

穴の中心から放射状に巻き散らされた真っ黒に乾いた血の跡があった。

さながら巨大ハンマーで人間を叩き散らした様相だった。


その惨状に皆一様に息を呑んだが、それもつかの間、それぞれが状況分析に入る。

少しして、そこらじゅうに飛び散っている乾いた血の跡と、

人間の断片のおおよその総数から、全部で三人がこの中庭で何物かと戦い、

犠牲になったのだと判明した。装備などから鑑みて、冒険者だと判断できた。


「これは…たぶん鉄腕猿だな。だが…腑に落ちねえ。」


「そ、それはどんなヤツなんでしょうか。」


「そうだな…猿みたいな魔物だ。でかい腕と手をしていてな、

皮膚が金属のかさぶたみてえになっていて、恐ろしく固え。鉄並みだ。

それで人をぶん殴ると、こういう跡ができる…が、この跡から考えると

恐ろしくでかい…下手するとこの城壁よりも高いかもしれねえ。」


「ザ、ザーグさんは、そ、それを倒したことがあるんですか?」


「あぁ、以前の街にいた頃にな。二十人で取り囲んで、六人が死んで、

七人が冒険者をリタイアした。その時は、大人二人分くらいの大きさの

やつだった。」


「…。」


「あぁ…そうだな、あの時はまだ俺とパシャラが組んでいた頃だったな。」


懐かしい思い出が脳裏によぎり、ザーグの目が一瞬優しくなったが、すぐに戻った。


「…パシャラさんは無事でしょうか…。」


「この三つの死体は…死体と言える状態じゃねえが…パシャラではないな。

…奴の髪は赤毛だった。パシャラのパーティの仲間かもしれんが、わからねえ。

何しろぺちゃんこだ。」


「て、鉄腕猿には…勝てるんでしょうか?」


「は?…戦う訳ねえだろ。…見たところ糞もねえし、

この砦を住処にしてる様子もなさそうだ。この様子を見る限り、

こいつらが殺されたのは少なくとも半年以上は前だろうな。

とはいえ、長居は無用だ。中をザッと確認したら、すぐにここを出るぞ。」


「わかりましたー。」


「ミラ、変わらず周囲と建物に反応はないな?」


「…今は何の反応もない。この眼帯で見渡せるギリギリの距離まで、

何も見えない。」


ミラは眼帯を左目にあて、周囲をキョロキョロと見回しながら答えた。


「よし、全員で館の正面から入って探索する。この館だったら、

たいして時間もかからねえだろう。行くぞ。」




館はシンプルな二階建てで、一階は兵士たちの寝所、厨房、食堂になっており、

二階は士官クラスの食堂や寝所、執務室があった。

ザーグ達はそれらの部屋を手早く調査していく。


それを発見したのは二階の広い執務室だった。


有事の際の作戦室も兼ねていたのであろう。

部屋の中央には、朽ちかけた大きな木の机が据え置かれ、

壁際には石組みの暖炉と棚がずらりと据え付けらていれた。

めぼしい物は既に持ち去られたのか、棚にも机にも何も残っておらず、

ただ埃だけが積もっている。


その部屋の隅に転がっていたもの、それはほぼ骨だけになった亡骸であった。


床には乾燥した大量の血の跡が黒くこびりついている。

鎧や装備ははぎ取られたのだろう、衣服以外、何も身につけてはいない。

その衣服も、ネズミなどの小動物に肉と一緒に齧られたのか、

ほとんど残っていない。パサついた赤毛がかろうじて頭蓋骨に残っていた。


「これは…。」


「あぁ、おそらくパシャラだろうな…。」


ザーグ達は、そっと目を閉じ頭だけを下げて黙礼をした。

ポンザレも真似をして同じようにした。

親しかった人間が亡くなり、葬式などができない状況下で行う簡単な弔いである。



ザーグはうつ伏せになったパシャラの遺体の近くに腰を落とし、

じっくりと見ていった。


「ここだな。背中側、斜め下から防具を避けて深く誰かに刺された。

刺して、さらにひねったな。あと、腕の骨も折れてるな。」


ザーグの指差した背骨と下側のあばら骨には刃傷がついており、

左腕の骨は粉々だった。


さらにザーグは、血が乾燥する際に床に固着してしまった遺体の一部を、

バリバリと剥がしながら、パシャラを仰向けにする。

パシャラはその手に丸めた毛皮を握りしめていた。


ザーグが、力を込めて手の指を一本ずつ開いて毛皮を引きはがす。

硬くごわごわした毛皮を広げると、おそらくは自分の血で書いたであろう、

パシャラの最後の言葉がそこに残されていた。


『なかま、ボジョムにやられた。てつわんざるからにげた、さされた。』



ザーグは、怒るような悲しむような憐れむような…

何とも表しようのない少しだけ寂し気な顔で、

パシャラと毛皮の血文字から目を離すと小さく呟いた。


「冒険者ってのは、なんだな…。救いがねえな。」




結局パシャラの遺体以外に、館に残されているものは何もなく、

ザーグ達の砦の調査は早々に終わった。


「よし、引き上げるぞ。もうここに用はねえ。」

そうザーグが言った時だった。


「…ちょっと待って。」


突然ミラが右手を上げる。

眼帯を左目にあてて右目を閉じたミラの顔は青ざめて強張っていた。


「…この陽炎は…鉄腕猿!?ザーグ、鉄腕猿がすごい速さで

この砦に向かって来てる!」


「なに!?よし、お前らすぐにここを…」


「…この形は…?人か何かを担いでいる?…ダメ、こちらが逃げるよりも、

先に来る!」



その時にはもう全員の耳に、微かな地響きと、

オロロロローと不気味な鳴き声が届いていた。


ザーグは素早く思考を巡らす。

戦うか逃げるか、逃げられるか、戦うなら外か館の中か、

そもそもどうやって戦う?担いでいる人ってのは何だ?


「荷物を降ろせ。俺とビリームは武器を持って外に出る。

ミラも外に出てすぐに隠れろ。もしもの時はお前が街に情報を運べ。

マルトーはそこの窓から弓だ。ポンザレはこの部屋でマルトーのサポートだ。」


皆が準備を即座に整え、ザーグとビリームが中庭に出たところで、

昇りかけた太陽を背に、鉄腕猿がドーンと降ってきた。

地面が揺れ、崩れかけた壁がガラガラとさらに崩れる。


壁の高さをゆうに越え、大人三人分ほどの高さの、

なんの冗談かと疑いたくなるような…巨大な猿の魔物がそこにいた。


赤く濁った目は、ギョロギョロと左右がそれぞれ異なる方向に動き、

オロロロロと小さく唸る口には、上下から長く鋭い牙が生えている。

赤黒い剛毛に覆われたその身体からは、生臭くすえた匂いが漂っていた。


何より最初に目につくのは、個体の大きさはもとより、

胴体よりもはるかに長いアンバランスな上肢で、両腕の肘から先は、

鈍色のかさぶたのような組織が重なり、

錆びついた巨大なハンマーのようになっている。


鉄腕猿は、握り込んだ左右の拳を目の前で勢いよく打ち鳴らした。

生物から聞こえてくるはずのない金属音が、ガシャイン、ガシャインと鳴る。


その音が開戦の合図だった。



初めに狙われたのは、ビリームだった。


鉄腕猿はたいした予備動作も見せずに軽くジャンプすると、

鉄塊の腕を上から振り落してくる。

地面がえぐれ、石がはじけ飛ぶがそんな攻撃にやられるビリームではない。


「ビリーム!リーチがでかい、間合いは広く取れ!」


ぶんっと水平に殴りに来た鉄腕猿の腕をかいくぐり、ザーグが叫ぶ。


「はい!わかっています!」


通り抜けた腕をザーグが起き上がりざまに、素早く斬りつけるが、

ギョギョンと間抜けな音が鳴るだけでかすり傷一つつけられない。


「だめだ、この毛は固すぎるっ!刃がすべるっ。」


「私のっ!棍棒も!全くっダメですねっ!」


「くそ、突きしかねえが、急所まで全く届かねえっ、マルトーッ!!」


叫んだ瞬間に館の二階の窓から、風を切り裂いて矢が一直線に飛び、

正確に鉄腕猿の延髄に突き刺さる。

…が、少しの間が空き、矢はポロリと落ちた。


「はんっ!固いねえっ!矢も刺さらないのかいっ!」


「シュ!」


矢によって注意の逸れた鉄腕猿の脛に、ザーグが呼気と共に剣を突き入れる。

刺し傷から少量の赤黒い血がプシッと噴き出す。


ゴロロロロッーーーーッ!!!


「くそっ!だめだ、擦り傷だっ…。」


ザーグの顔は強張った。

鉄腕猿の体に傷はつけられたものの、全くダメージになっていない。

それどころか、傷みを受けた鉄腕猿は激昂し、雄叫びをあげて、

ザーグとビリームに突っ込んできた。



ゴロロァッ! ゴロロァッ!


左右の赤い目はめまぐるしく動き、

鉄塊の腕は休むことなくザーグやビリームに振り下ろされる。


えぐられ、石や瓦礫の飛び散った地面は足場も悪い。

振り回される鉄腕を武器や盾で一度でも受けてはいけない。

武器もろとも投げ飛ばされ、叩きつけられるからだ。

ひたすら避け続けるしかないザーグ達は、有効な反撃手段がないことに焦っていた。


振り回される豪速の腕を寸前のところでかわしながら、

頭の片隅に、死という黒い影が静かに形づくられた。それは消えることなく、

ゆっくりと確実に、歩み寄ってきていた。




館の二階では、マルトーが煮詰まりつつある状況に苛立っていた。

最初の矢に続いて三本射ったが、どれも鉄腕猿の剛毛と筋肉に阻まれて

刺さらない。


大した痛みもなく、弓よりも煩わしく感じる存在が足元にいることで、

鉄腕猿はこちらを襲う様子は見せないが、いずれ下のザーグ達を片づけて、

こちらに向かってくるだろう。

いっそ自分も下りて戦うか、ポンザレはどうするか…

そう考えてマルトーが後ろを振り返ると、

ポンザレは三本の矢を床に置いて両手をかざしていた。


「ポンザレ!あんた!」


「はい、今魔力を込めてます!三本込めたら、ザーグさんかビリームさんに

かすみ槍を渡しにいってきます!」


そう答えるポンザレは、小刻みにぶるぶると震えていた。


マルトーは度肝を抜かれた。


手練れの冒険者である自分達がどうするかを考えあぐねている時に、

この少年は、恐怖に震えながらも、状況を読んで自分にできることを考え、

実行している。


これが上手くいったら、ふっくらとした頬に熱いキスの一つでもしてやろう…

そう思いながら、マルトーはポンザレに言った。


「わかった、ただ、下に降りたら中庭に入っちゃだめだ。わかったね。」


「は、はい、わかりました。でも、もしこの矢が刺さらなかったら、

すみませんー…。」


震えながらも、もぐもぐと動くポンザレの口を見て、マルトーは笑みをこぼした。


「大丈夫さ、その時はまた何か考えればいいさ。」


「はい、じゃあ、行ってきますっ!」



ポンザレは三本の矢をマルトーに渡すと、

片手でかすみ槍を掴み、部屋を走って出ていった。




「ポンザレの魔力の矢っ!ポンザレが、かすみ槍を渡しに行くよっ!」


マルトーは大声で叫ぶと同時に、三本の矢を撃ち出した。

ポンザレの魔力により貫通力が上がった矢は、鉄腕猿の左肩の同じ場所に、

三本全てが深々と突き刺さった。


ゴロァアアアッ!!!


凄まじい咆哮をあげて鉄腕猿が転がる。

肩の関節の奥深くに突き刺さった矢、そのやじり

絶え間ない激痛を与え、鉄腕猿の左腕は、もはやまともに動かなくなっていた。


痛みに転がる鉄腕猿を間合いの外側から見ていたザーグ達に、

ぜえぜえと粗く息をつきながら、ポンザレが声をかける。


「かすみ槍です!これなら刺さるかもですーっ!」


館の扉近くまで来ていたビリームが、

頷きながらかすみ槍を受けとった。


「ポンザレ少年、素晴らしい判断です!さぁ、あなたは下がっていてください。」


「は、はい!お願いしますー!」


ビリームはポンザレのかすみ槍を携えて鉄腕猿のもとに向かった。


鉄腕猿は激痛に顔を醜く歪めながら立ち上がると、

動く右腕と動かない左腕を振り回して、再びザーグ達を襲い始める。


ビリームは鉄腕猿の腕をかいくぐりながら、

下肢を中心に、かすみ槍でしつこく突きを繰り返した。

ゆらゆらと霞んだ槍の穂は、〔魔器〕ならではの切れ味を見せ、

鉄腕猿の体に刺しこまれては、抜かれ、周囲に血を巻き散らしていった。


「…くっ!まだ倒すには時間が!かかりそうですね!」


かすみ槍の穂の長さでは、根元まで深く刺しこんでも、

大きな傷を負わせることはできない。

片腕を使えなくできたことは大きいが、一撃でもまともに受けたら

即死する状況は変わっておらず、このまま鉄腕猿の体力が無くなるまで、

攻撃を行うのは難しいと言えた。





ポンザレは自分の手をにぎにぎとしながら、体の感覚を確かめる。

いまだに自分が持っている魔力量はわからなかったが、

鍛冶屋では半日以上込められたことから、まだまだいけると思った。


「ザーグさん!ザーグさんの剣に魔力を込めます!」


ポンザレは館の玄関脇から顔を出し、ザーグに叫ぶ。

そして、その声は怒りと痛みで暴れ狂う鉄腕猿にも届いた。


鉄腕猿の左右の目がぐるりと回って、ポンザレをぎょろりと睨む。

片腕を引きずり、膝や太ももから血を噴き出しながら、

鉄腕猿は凄まじい勢いでポンザレに向かって突っ込んできた。





ポンザレは目の前に来た鉄腕猿が右手を振りかぶるのを見ると、

自分から見て右、鉄腕猿の傷ついた左腕側へと思いっきり飛んで避けた。

後ろで館の玄関が石積みごと砕かれて、ズドドォンと派手な音が響く。


ゴガァルァァァアアアッ!!


一回転して顔を上げ、中腰で立ち上がったポンザレを襲ったのは、

二撃目で振り回してきた鉄腕猿の左腕だった。

ぶ厚い壁が全力で突進してきたかのような衝撃を体の右側に受け、

そして少しの空白があって、今度は背中が何かに叩きつけられた。


ゴガルァ!??


ドバンッ!!


鉄腕猿の叫び声が唐突に止むのと、

館のホールの柱にポンザレが叩きつけられたのは、ほぼ同時だった。



「「「ポンザレッ!!」」」



ドシャリと落ちたポンザレは、げぶっと血を吐いた。

意識を失いかける寸前だが、自分がやったことだけは二人に伝えねばと、

片手を弱々しく上げる。


…その手にはサソリ針が握られていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ