【22】ポンザレ叱られる
この世界のどこでもなく、どこにでもある空間。
そこに、〔魔器〕であるエルノアがいた。
エルノアは淡く輝いており、その銀色の長く美しい髪の一本一本までもが
光を放っていた。エルノアが体を動かせば、光の粒子が尾を引いて移動する。
ポンザレの左手薬指にはまったエルノアは、
遥か昔に、樹海の種族の手によって作られた、
膨大な魔力を内包する木の指輪である。
今ではポンザレの心臓と魔力の糸を繋ぎ分かち難い存在となっている。
エルノアはその整った美しい顔に憂いの色を浮かべていた。
「…エルノア姉さま、今回はとっても危なかったです。」
赤く長い髪をした子供が、エルノアを見上げている。
〔魔器〕サソリ針のニルトである。
「ええ…本当に。」
ふぅ…とエルノアは小さなため息をつく。
一定以上の魔力が込められた〔魔器〕には意思が宿る。
ポンザレが持つ、膨大な魔力の込められた木の指輪エルノアと、
刺した相手を麻痺させるサソリ針のニルトも意思を持っていた。
〔魔器〕が意思を持つことを人間は知らず、
当然ながらポンザレも気づいていなかった。
「エルノア姉さま、あたしはポンザレの役に立てた?」
「ええ、ニルト。あなたはとてもよく頑張ってくれました。」
「へへへっ!よかった!頼りない持ち主だから助けないとねっ!」
それを聞いてニルトは、嬉しそうにくるくると回った。
その動きにあわせて、黒いワンピースがひるがえり、
火が踊るかのように真っ赤なが髪が揺れる。
道具である〔魔器〕は、基本的に持ち主の役に立つことに喜びを感じる。
ニルトは、今回ポンザレの役に立てたことが嬉しくてしょうがないのだ。
「…エルノア姉さまから声をかけられた時は、とっても驚いたけど、
あたしがまた持ち主の役に立てる日が来たのが嬉しいなっ!」
「…あなたに声をかけて良かったと思っていますよ。ニルト。」
〔魔器〕は魔力によって朽ちることも、錆びることもない。
また痛みや恐怖を感じないため、人間とは時間の捉え方や感情も異なる。
人間の役に立ちたいとは思っても、その持ち主に対して
特に強い思い入れを持つことはない。人間はすぐ死にゆく者であるし、
その使い手が変わることもよくあるからだ。
だがエルノアは違った。
エルノアは、何かの時のために膨大な魔力の貯蔵庫として作られた。
だが、その時は訪れず、自らを作った種族もいつの間にかいなくなった。
それがなぜ指輪だったのかは、もはやわからない。
自身を見出すことができないまま、悠久の時を生き、
人々の間を渡り歩いてきた。
そんなエルノアが、初めて感じた心地よい魂の波を持つ少年。
…それがポンザレだった。
エルノアはポンザレから離れたくなかった。
ポンザレと共に生きてみたかった。
そう願ったエルノアは、ポンザレが生存できる可能性を限りなく高めるため、
ポンザレとパーティに〔魔器〕を集めようと考えた。
目の前でニマニマと笑うニルトを見つめながら、
エルノアは少し前のことを思い出していた。
◇
〔魔器〕同士は人の知らぬところで会話などはできるが、
基本的にはお互い不干渉である。
初めてポンザレが、紅サソリのお婆ちゃんの家を訪れた時から、
エルノアもニルトも互いの存在に気がついてはいたが、
話しかけることはなかった。
だが、ポンザレのもとに〔魔器〕を集めると決めたエルノアは、
サソリ針のニルトに話しかけた。
『私の声が聞こえますか?』
『…はい!聞こえます!大いなる力を持つ方よ!』
〔魔器〕同士では、魔力量の多い方がより上位として敬われる。
エルノアを作った遥か古代の樹海の種族は、相当量の魔力を元々持っており、
その中でも更に優れた者、十数人分の魔力が込められている。
ニルトの何百倍もの魔力を持つエルノアは、最大級の敬うべき相手であった。
『あなたは…短剣でしょうか?あなたの力を私に教えていただけませんか?』
『あたしは…針です!あたしは刺した相手を痺れさせます!』
『あなたの持ち主は、そこの老齢の女性でしょうか?』
『はい、そうです!…でももう長い間あたしを使ってくれていません。』
『そうですか…。私はエルノアと言います。私は、持ち主である少年、
ポンザレをどうにかして守りたいと考えています。よければあなたの力を
貸してもらえませんか?』
『あたし、また役に立てるんですか!?…はい!お願いします!』
エルノアとニルトの間で話は成立した。
…とは言え、道具である彼女達にできることは少ない。
ポンザレが来る度にカタカタと動いたり、
持ち主のお婆ちゃんにその想いを送るくらいしかできない。
そしてその想いは、持ち主のお婆ちゃんへとしっかりと届き、
晴れてサソリ針のニルトは、ポンザレの手元へと、
やって来たのだった。
◇
ニルトとの会話を思い出しながら、エルノアは、
今回ポンザレが強盗の頭目に殺されそうになったことに胸を痛めていた。
ポンザレが危険を回避でき、時に困難に打ち勝てるようにしなければ…
エルノアは眉を寄せる。
「…エルノア姉さま?あの眼帯は私達の仲間にならないんですか?」
その様子をみてか、ニルトが心配そうに声をかける。
「そうですね。私達の仲間、つまりポンザレが持つものにはなりません。
それにポンザレには向いていないように感じます。」
「う~ん、確かにそうかもです!」
「けれども、ポンザレの仲間…あの鋭い目と耳を持つカンの良い人間であれば、
眼帯を使いこなし、結果的にポンザレを助けることができるでしょう。
ポンザレはこの思いをなんとか拾い上げてくれて、渡してくれました。」
「あたし達の仲間…増えますか?」
「そうですね、まだまだ…ポンザレには必要なものがありますね。
私達もその為にがんばらないといけませんね。」
「はい!あたし、がんばりますっ!」
にこりと微笑んだエルノアの瞳は、強い輝きに満ちていた。
◇
強盗団を退治したその日の夜、
ポンザレは酒場でこってりとザーグに怒られていた。
強盗の頭目に蹴られたポンザレの顔は腫れあがり、
体も痛めているが、ザーグは気にしない。
「ポンザレ、お前は馬鹿だ。」
「はい…おいらは馬鹿ですぅー…。」
消え入りそうな声で答えるポンザレは、床に正座し、うつむいていた。
「一人で強盗団の頭目を追うのは危ないと思わなかったのか?」
「…何も考えていませんでした…」
「挙句、お前は死ぬところだったそうだな。何故だ?」
「何故と言われても…相手が強かったです…。おいらの突きとか
全部はじかれて全く通用しませんでしたー。」
「お前はどういう気持ちで突きを出していたんだ?」
痛いところを突かれ、ポンザレの顔がゆがんだ。
「おいらは…人を殺す想像ができませんでした。実感がわかなかったです。」
「ふん…それで突きも引きも鈍って、自分が死にかけたと。」
「…すみません。」
「いいか、こういっちゃなんだが、俺達の指導や訓練はかなり厳しい。
特に武器の訓練なんかは街の衛兵すらぬるいレベルでやっている。
そんな中で訓練についてきているお前は、今では正直、
なかなかの強さになっていると言って問題ねえ。なぁ、ビリーム。」
「…はい。ポンザレ少年に教えているのは、基礎を中心としたものですが、
毎日の練習量や、私達との組み手の数々を考慮すると…実際に対応力も
ついています。そこらの冒険者にはそうそうに負けないでしょう。」
「…とするとだ、ポンザレ。要はお前の覚悟のなさが問題だ。
頭目は殺す覚悟できているのに、お前はどうだ?!
相手の真剣さに対して、お前は真剣ではなかったってことだ。」
「…。」
正座をするポンザレのひざに涙がポツポツと垂れた。
だがザーグは構うことなく続ける。
「お前が闘いの中でどこまで何を考えたかはわからねえ。もしかすると、
お前は自分が死んだら…なんてことも想像してなかったんだろう。」
「はい…最後、頭目にナイフで止めをさされそうになって、
初めて自分も死ぬんだ、と思いました…。」
「まぁ、最初に出会った頃だったらな。お前がどこかで野垂れ死んでも、
俺達は、あぁ残念だったな…くらいにしか思わなかっただろう。
だが、今お前が死んだら俺達がどう思うか…
そういうことをお前は考えたことがあるか?あるのか?
いいか、お前は自分で勝手に死ぬことをもう許されてねえ。
生き抜く責任があるんだ。」
ザーグは酒をあおると、ぷはぁとわざとらしく息を吐きだした。
「…だから言っておく。次から命の危険があると判断した時は、
まずお前はその場から逃げろ。依頼の失敗が頭にチラつくかも知れねえが、
自分の命より大事なものはない。俺達も常にそれを徹底している。
それだけはここできちんと約束しろ。約束できねえんなら…
お前はパーティから外す。」
流れ落ちる涙を服の袖でゴシゴシとぬぐうと、ポンザレは顔を上げた。
ザーグの視線から目を逸らさずに、息を深く吸い、そっと吐き出すと、
声を震わせながら、ポンザレは答えた。
「はい、約束します。自分の命を大事にします。」
ふぅとため息をついて、ザーグは顔を上げると、少し声を張って
皆に言った。
「よし、今日は解散だ。うまい飯は明日以降だ。マルトー、ポンザレの
看病頼むぞ。」
「わかったよ。ほら、ポンザレ行くよ。その痣、今晩から腫れるからね。
さぁ、薬草湿布をあてたら寝ちまうよ。」
「あ、はい…でも…」
「でも…?」
「…あ、足が、痺れて、た、たてないですぅ…。」
マルトーに肩を支えられて、なんとか立ちあがったポンザレは、
しびれと痛さと、少しのくすぐったさを感じながら、
ぎこちない足取りで、家に帰るのだった。