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【100】ポンザレと別れ




ザーグ達は悪獣に対して最後の攻撃を仕掛けた。



まずポンザレが動いた。

ポンザレは悪獣の右側に、光の霧で壁を創り出した。

高くそびえる純白の壁は、今までにないほどの濃度で創られており、

もはや霧ではなく、本物の硬い壁がそびえたっているかのようだった。


悪獣はこれまでと同じように口を大きく開け、

暴風で壁を吹き飛ばそうとするが、霧の濃さを理解したのか、

その動作に時間がかかっていた。



このとき、マルトーは、悪獣よりももっと右側、霧の向こう側で

愛弓ナシートリーフに矢をつがえ、弦を引いていた。

左目で遠近感を調整しながら霧の壁の向こうの悪獣を狙う。

壁が立つ前の悪獣の場所は正確に覚えている。


今までの悪獣の動きから、どのように動くかを予測し、狙いをつけようとするが、

マルトーの額には汗が浮き、顔には焦りと不安が浮き出ていた。



「くっ難しいねぇっ!どう動くのかわかりゃしないよっ!」



そう言ったのと同時に、右目に着けていたミラの白い眼帯が輝いた。



「こ、これはっ!?」



マルトーの失われた右目に映像が映し出されていた。

それは黒い背景に残像を残しながら悪獣が動いていくもので、

ミラの眼帯が悪獣の少しだけ未来の動きを教えてくれていた。



「あぁ…。そうかい、そう動くのかい!ならっ!」



ナシートリーフは青く激しく光り、マルトーは矢を放った。

紫電をまとった三本の矢は、それぞれが別の軌跡をかきながら、

ポンザレの作った光の霧を抜けていく。




悪獣は迫る矢の気配を感じていた。

霧の向こう側は悪獣の感知が上手く働かなかったが、

今までと同じであれば矢が霧を抜けてからでも充分に対応できる。

悪獣は、口を大きく開けたまま、体をよじり分裂し、矢を避けようとした。



三つに捻じれて分かれた悪獣の体が矢を避けた瞬間、

矢は物理的な動きを無視して、ぐんと直角に曲がると、

分裂したそれぞれの部分に突き刺さった。

さらに追い打ちをかけるかのように、突き立った矢は、

バシンッと落雷の音を響かせながら雷を発して砕け散った。




《なぜ》《にくい》《どうして》《どうして》《ささった》《ゆるさない》《にくい》

《しびれる》《くるしい》《けずられる》《ゆるさない》《吸いたいだけ》

《なぜ》《どうして》《ゆるせない》《じゃま》《けす》



苦しみを内包した思念の波と一緒に、

形容しがたい叫び声が悪獣から上がる。

マルトーの攻撃は、悪獣に初めてまともに入ったダメージとなった。




「次は私ですねっ!」



間髪入れず続いたのは、いつの間にか、

悪獣の後ろに移動していたビリームだった。


ビリームは伝説の〔魔器〕みなぎる力の鎧を改造して作られた装備を、

身に着けている。両腕の小手と左腿から下の鎧の義足、右手のメイスだ。

これらの装備は、みなぎる力のメイスとして、人を越えた筋力と身体能力を

引き出し、高い攻撃力をもたらす。


ビリームは体を斜めにして、右足を一歩前に出すと、深く腰を落とした。

両腕の、左足の、そしてメイスの頭の、白銀の部分が、ギラリと

不穏にすら思えるような光を発する。



「ふんぬぅぅぅんっ!!!」



ビリームは気合と共に、義足の左足で地を蹴った。

石畳が爆発して飛び散った次の瞬間、ビリームの姿は悪獣の横にいた。


鎧を叩き固めて作られた、無骨で凶悪なメイスが悪獣に迫る。

悪獣はそれを察知して、体の表面を虹色の鉱物状に変化させた。

今までのビリームの攻撃は、全てこの鉱物状の表面ではじかれてきた。


しかし光が一段と濃くなったメイスは、悪獣を用意に打ち砕いた。

攻撃を防いでいたはずの鉱物状の部分も、微細な欠片となって宙に消えていく。

メイスで抉られたところから、次々に亀裂が広がり、連鎖的に悪獣の体を崩していく。


悪獣の三つにわかれた体のうちの一つ、腰から下の辺りが

ビリームの攻撃によって、完全に消し飛んだ。





再び、叫び声が悪獣から上がる。






「まだだっ!これも、喰らってけっ!」




左側に回っていたザーグが、黄金爆裂剣を振る。

緋色に輝く爆裂剣が赤い軌跡をかくと、

そこから凄まじい勢いで炎が噴き出された。


炎は、残った悪獣の体のうちの一つへと迫っていく。

悪獣は濡れた膜を形成し、炎を無効化しようとしたが、

その試みは失敗に終わった。


黄金爆裂剣から噴き出された炎は、今までにない程の厚みがあり、

その色も赤やオレンジではなく、白みがかった薄青色になっていた。

悪獣の膜は瞬時に蒸発して砕け、そのまま胴体も炎に巻かれていく。

獣脚や鳥脚が、ぎいぎいと勝手に動き、炭化して崩れ落ちると、

そこに残っていたのは黒く焼けた砂の山だった。


さらにザーグの炎は、悪獣の体の一つを消し去ってなお衰えることなく、

炎壁となってその場にとどまり続ける。



背面をビリーム、右側に光の霧とマルトー、左側にザーグの炎の壁と

追い込まれた形になった悪獣は、最後に残った頭と首だけの体に、

新たな脚を生やすと、正面で構えるポンザレの方へと走り始めた。



悲鳴の混ざった思念が、ザーグ達の頭を揺らす。



《どうして》《どうして》《どうして》《なにも》《してない》《なぜ》《じゃま》

《じゃま》《にくい》《やめて》《きえて》《どうして》《にくい》《消えて》《ゆるさない》

《消す》《うごかなくする》《にくい》《ゆるせない》《穴だらけ》



この時、ポンザレと悪獣の距離は、わずか十歩ほどだった。

そしてポンザレは勘違いをしていた。

この距離では、悪獣も自分も直接攻撃を仕掛けあうしかないと、

そう思い込んでしまった。



悪獣は、大きく開きっぱなしだった口から、

鋭い牙や歯を撃ち出してきた。でたらめに生えていた無数の牙や歯は、

爆発したかのようにポンザレへと襲い掛かる。

両者の距離はあまりに近すぎ、光の槍を突き入れる体勢を取っていたポンザレに、

避けることはできなかった。




(ごめんなさい…おいら、ここまでみたいです…。)




ポンザレは目を閉じた。











「ポンザレッ!!!」




誰かの叫んだ声が耳に残る。

ポンザレは、訝しみながら恐る恐る目を開けた。




「あれ、お、おいら!?」



「よかった。ポンザレ。無事だったか。」



目の前には、灰色の襟巻が広がっていた。

襟巻はその身を広げて、大きな盾のようにポンザレを庇っていた。

無数の牙が刺さった襟巻は、どこも穴だらけで、ほとんど千切れかけている。



「ウ…、ウィルマ!?なんでですか!どうしてですか!」



「ポンザレ!呆けている場合か、我よりも…悪獣を!早くっ!」



「う…、うぉおおっーーーーっっっ!」




襟巻が地面に落ちるのをまたぐようにして、

ポンザレは大きく踏み込んで、光の槍を突き出した。

槍の穂が霧をまとい光を発して、巨大化する。


ゆらめく光の刃は、悪獣の鼻づらを、口を裂いて、

無数に付いた赤い目を消滅させながら、悪獣を貫いた。

貫きながらも強大化を止めない霧の穂によって、

最後に残った悪獣の体も蒸発して消えた。



「ウ、ウィルマ…」



ズタボロになった襟巻をポンザレは、救いあげた。

〔魔器〕特有の存在感は消え、もはや襟巻とも呼べない、

ただの穴だらけの長い毛皮になってしまっている。

そしてポンザレの手の中で、ホロホロと崩れていく。



「ウィルマ…ご、ごめんなさい…お、おいらがっ…ダメだったんですっ!」



ポンザレは膝をついて、拳を握り締めながら呻いた。

地面に落ちたポンザレの涙が、染みを作っていく。


かすれたようなウィルマの声が届く。



「…泣くな、ポンザレ。我は主を守れた。以前はそれができなかった。

再びの役割を与えられ、それを全うして消える。あぁ、ポンザレ。我は幸せなのだ!

だから、泣き顔で送るのはやめてくれ…」



ポンザレは、顔を上げて無理やり笑顔を作った。



「…ウィルマ、おいらを守ってくれて…ありがとうです。」



灰色の三角耳を動かしながら、ウィルマが笑ってくれたように

ポンザレは感じた。







《どうして》《やめて》《きえる》《自分》《なくなる》

《ゆるせない》《でも》《けされる》《にげる》

《にげる》《ちから》《ためる》




「ポンザレッ!まだ!」



弱々しくなった悪獣の思念がポンザレの脳を揺らし、ニルトの鋭い声が響いた。

顔を向けたポンザレの目が捉えたのは、数歩先の砕けた石畳の隙間から

大地へと沁みていく真っ黒な泥だった。



「悪獣がっ!!」



ポンザレは槍を掴んで立ち上げる。



「太っちょ!あたしを!使いなさい!!」



「ニルト!でも!麻痺はできないって!」



「やるわ!あたしのありったけの!全部の力で!

地面の中の、あいつを捕まえてみせる!エルノア姉さま!

お願い!力をちょうだい!」



「待ってくださいっ!そうしたらニルトはっ!?

ニルトはどうなるんですかっ!?」



「ポンザレ!ウィルマはやるべきことをした!あたしもやるの!

そうさせるのがポンザレなの!」



「…!」



「早くっ!」



「…うぅ、ニルト…お願いしますーっ!」



顔を歪めながら、ポンザレは腰から抜いたサソリ針を、

悪獣の最後の欠片が消えた場所に深く突き刺した。



「あぁあああああああーーーーっ!」




ポンザレの叫び声が、ニルトの雄叫びが、空気を震わせる。



サソリ針は茜色に強く輝き、地面がずんと揺れた瞬間、

ニルトの声が響いた。



「とめ…たっ…!!」



「ニルト!」



「エルノア姉さま、あとは…お願いします。」



「ニルト?」



「ポンザレ。あんた太っちょだったけど、一緒にいて楽しかった!

あたしを使ってくれて…ありがとうっ!…じゃあ…ねっ!」



「ニルト!?ニルト?待ってくださいっ!ニルトーっ!!!」



サソリ針は、乾いた音を立てて砕け散った。

手の中にあったサソリ針の感触が無くなり、

ポンザレの両手が、むなしく土を掴む。



「エルノアさん!!…ウィルマがっー!…ニルトもっ!」



ポンザレは、涙と鼻水を流しながら叫ぶ。

だがそれに返ってきたのは、落ち着かせるような優しいものではなく、

厳しさをはらんだ、少し硬いエルノアの声だった。



「落ち着きなさい。ポンザレ」



「でも…だって!おいらはっ!…おいらがっ…!」



「落ち着きなさい!!」



「…!!」



おそらくエルノアがポンザレに初めてあげたであろう鋭い声色に、

ポンザレは泣くのを止め、ぐっとこらえる。



「ポンザレ。あなたはとてもやさしい人。〔魔器〕である私達のために

涙を流すことのできる人。ですが、ポンザレ。私達〔魔器〕は、使うべきときに

正しく使われること…それは喜びなのです。その結果私達が消えたとしても、です。」



「うう…」



「ニルトとウィルマは喜びの中で消えていきました。

…それは、あなたがいてくれたからなのです。」



「は…はい。」



「ポンザレ、よく聞きなさい。まだ、終わっていません。

ニルトは、自身の存在をかけて、悪獣の動きを止めていますが、

一時的なものでしかありません。」



「え…、そ、それは…!?」



「ザーグ、聞こえますか?」



エルノアの声がザーグを呼ぶ。



「あぁ、聞こえている。」



取り囲んでいた悪獣が消滅したことにより、

ザーグ達はポンザレのもとまで集まってきていたが、

襟巻やサソリ針、ウィルマやニルトが消滅するところも見ており、

眉をしかめて複雑な顔をしていた。



「ザーグ、あなたは、毒消しの指輪を持っていましたね。

それをニルトの刺さっていた所に置いてください。」



「わかった。…これでいいか。」



ザーグははめていた指輪を、そっと地面に置いた。



「ポンザレ。あなたの光の槍の力ももらいます。同じ所に。」



「…は、はい。」



「では、ポンザレ。最後に…私を、そこに置きなさい。」



「え?」



「もう一度言います。私を外して、そこに置くのです。」



「エ…エ、エルノアさん、な、何を、するつもりですか?」



嫌な予感が胸を渦巻いてポンザレの声を震わせた。



「私は木の指輪です。今は無き大樹海の奥深く、

齢千年を優に超える大木の最後に宿った若枝から、私は作られました。

そして、悪獣は地に沁みた魔力。その性質は毒です。毒は、どれだけ薄くなろうとも

無くなることはありません。悪獣は今を逃すと、時間をかけて必ず復活してきます。

ですから私は…毒消しの指輪と、光の槍の浄化の力を借りて、

…木となり地より毒を吸い上げ、消し去りたいと思います。」



「エルノアさんはっ!…そうしたら、エルノアさんはどうなるんですかっ!」



「ニルトやウィルマと同じです。喜びの中に消えていきます。」



「いやですっ!」



「ポンザレ…。」



「いやですっ!いやですっ!いやですっ!」



「ポンザレ…先ほども言いました、〔魔器〕は使うべきときに、正しく使うのです。

それが私達〔魔器〕の幸せと喜びなのです。そして…私を使うときは、

今、ここしかないのです。」



「あ…あぁーーーっ、い、いやですーーーっ!」



ポンザレの頬を尽きることなく、涙が流れる。声は叫びすぎて、とうに枯れている。

自分の大事なものが、次から次へと失われていく喪失感に

ポンザレは泣き喚くしかなかった。


エルノアの言うやり方しかないであろうことは、ポンザレにもわかっていた。

それでもポンザレは泣き叫んだ。


「…。」



ザーグ達はもちろん、エルノアですらもポンザレにかける言葉がなかった。

だが時間には限りがあった。



「…ポンザレ!!急ぎなさい。もうニルトの力も持ちません…早くっ!」



「う…ぅ………。」



ポンザレは、左手の薬指にはまった指輪に手を添えた。

木目の入った薄い茶色の指輪。瑞々しい黄緑色の新芽がついている。



「あぁー…。あぁ…。」



今までどれだけ外そうとしても外れなかった指輪が、

軽く手を添えただけで抜け始める。ポンザレは顔をくしゃくしゃにしながら、

指輪をゆっくりと外していった。自分の心臓から左手にかけて、

何かとても大切なものが一緒に抜け出ていく感覚が、

ポンザレの胸を余計に締め付ける。



「エ…エルノアさん……」




「ポンザレ、ありがとう。あなたと共にあったこと、私は本当に心より嬉しく、

誇らしく思います。あなたがいてくれたから、私は自分の使命を得られた。

ありがとう。ポンザレ…。」



「エル…エルノアさんーーーー…」



地面に置かれた木の指輪は、鮮やかな新緑色に輝き始めた。

隣に置かれた毒抜きの指輪と光の槍が、指輪の光に取り込まれて消える。


光の中、指輪の新芽が小さくふるえ、そのまま双葉へと変化した。

さらに双葉は、見る見る間に伸びて幹となり、枝が伸びり、葉が茂り、

若木へと変わっていった。



「…。」



誰も何も言わず、ただただ木を見つめていた。







皆が見守る中、木の高さがポンザレよりも高くなったところで、

まばゆいばかりの輝きが勢いを失い、成長が止まった。



「終わった…のか…?」


ザーグの呟きは、ポンザレの耳には入っていなかった。

エルノアの声はもう響いてこなかったが、ポンザレにはわかった。

今、エルノアは悪獣と戦っているのだと。



「エルノア…さん…。」



ポンザレは激しく瞬きを繰り返しながら、眉をしかめては、口を動かし、

木を見つめる。いつの間にか乾いた涙が、頬をひきつらせる。

少ししてポンザレは深く息を吸い込むと、天をあおいで目を閉じた。



「ポンザレ…、これは、どうなっているんだ?わかるか?」



ザーグの問いかけに、ポンザレは振り返った。

その茶色い目は、澄みきっていた。迷いや焦り不安などは微塵もなく、

決意の光に満ちていた。


ザーグはその瞳を見て理解した。

それがポンザレが初めて見せる、覚悟を決めた本物の男の目だったからだ。



「ザーグさん、マルトーさん、ビリームさん。おいらは、パーティから抜けます。

ここでお別れです。えっと…、その…約束を、守れなくてすみません。」


「あんた、急に何言ってるんだい!」


「皆さん、本当にありがとうございました。ミラさんとニコさんには

会えないので…ありがとうって伝えてくださいー。」


「どうしたんだいっ!本当に!ザーグ!?ビリーム!あんたらも何とか言いなよっ!」


「…。」


ザーグの真剣な様子に気づいたビリームも、

ポンザレの目を見て察した。


「リーダーの俺が認めていねえ。勝手にパーティ抜けるのは許されねえ。」


「…でも、おいらは抜けます。」


「…くっ。…戻ったら、お前を本気で殴る。」


「…。」


ポンザレは何も答えなかった。

マルトーも、どうにもならないことを理解し、言葉を重ねることはしなかった。





ポンザレは、一歩踏み出すと、弱々しく光る木に手を当てる。

その瞬間、木は再び新緑色の輝きを取り戻し、さらに黄金色を加えて、

より強く輝き始めた。




光の渦の中、まぶしさに目を閉じるザーグ達にポンザレの声が届いた。





「本当にありがとうございました。おいら…、幸せでした!」












この世のどこでもない白い空間。


エルノアは両手を前にして、苦しそうに顔をゆがめていた。

正面には黒いもやが、ゆらいでいる。



「こんなに…歪み、淀んだ魔力とは…。ニルトは…よく、この悪獣を、

大地ごと止めましたね。…私が、弱音を吐くわけにはいきませんね!」



エルノアの額を冷たい汗が流れる。



《なぜ》《おまえ》《じゃま》《する》《われ》《にげて》《ひとを》

《しあわせ》《ひと》《吸いたい》《じかん》《必要》…



「悪獣よ、それを許すわけにはいきません。

あなたは…人に害をなす魔物でしかありません。

私は…、人を守りたいと心から願う、あの人の願いを叶える〔魔器〕です!

ゆえに、私の全てで、どれだけ時間をかけようとも、あなたをここで滅します!」




《やめて》《ひと》《もっと》《やめて》《すいたい》《消えたくない》

《やめて》《やめて》



《あ》


《あ》



《あ》


《…》



《…》



《ちから》



《吸う》《もらえる》《ちょうだい》《ふやせる》

《すえる》《ちょうだい》《ちから》《すえる》《ちょうだい》




「…!」



エルノアの目が大きく見開かれる。

美しく伸びたエルノアの指の爪が、紫色に変わり始めていた。




〔魔器〕として、現実世界で戦うのであれば、

例え悪獣であっても他の〔魔器〕の魔力を浸食することはできない。

だが、今両者は〔魔器〕同士がつながる特別な空間にその身を置いていた。


エルノアは、相手が形を持たず、存在の境界線が曖昧な大地であったため、

この空間を通じて、悪獣を取り込みつつ消滅させるつもりだった。

自身も最初から消える、つまり元の〔魔器〕として戻ることもないため、

そういう手段に出た。


この空間は、〔魔器〕同士を繋げるために、現実世界で戦うよりも

互いの存在に影響を与えやすいようになっている。

つまりエルノアの力も悪獣の力も通じやすい。

エルノアはそれも理解した上で、自身の絶対的な魔力量があれば、

弱った悪獣をどうとでもできると思っていた。



ここで誤算が生じた。



確かに悪獣の魔力は、ポンザレ達の攻撃により、極端に減っていた。

だが、問題だったのは、その魔力の質だった。

悪獣の魔力は、人の負の精神と命を吸い続けてきた結果なのか、

どろりとした重たいもので、それはどんな〔魔器〕が持っているものとも異なっていた。


絶対的な魔力量に、毒消しの指輪と光の槍の力を加えたエルノアであっても、

悪獣の魔力をすぐに滅することができずに、わずかずつしか進められなかった。

どれだけ長い時間をかけてでもやるしかないと、腹を決めたところで

気がつけば悪獣の魔力に侵食され始めていた。



エルノアは悪獣をにらむが、ゆっくりと状況は悪化していた。

その証拠に、既にエルノアの手首のあたりまでが紫色に染まっていた。




「ポンザレ…」



エルノアの目がゆがむ。

自らの全てを懸け、人を守りたいという想いを叶える。

そこに自身の喜びがあり、それを全うできると思っていた。

それが叶えられそうにないことが悔しかった。

想いを叶えられないことが、こんなにも悔しいものだとは思っていなかった。



「ポンザレ…」



ふくよかな少年と初めて出会ってから別れるまでのことが、

エルノアの脳裏をよみがえる。




少年のひたむきさが好きだった。

少年の素直さが好ましかった。

少年がどんな小さなことでも、いちいち喜ぶのが微笑ましかった。

少年から送られる風が心地よかった。

少年の成長は、すなわち自身の成長だった。

少年の想いが流れてくるたび、自分も熱くなった。

少年のおかげで自分の存在を、使命を理解できた。




「ポンザレ…。」



少年の願いを、叶えたかった。



「ポンザレ…。」




エルノアの腕は、既に肘よりも上まで紫色になっている。

浸食される腕は、すなわちエルノアの心を蝕んでいく絶望だ。





涙がエルノアの頬を流れていく。





「ポンザレ…。」








「エルノアさん、泣かないでくださいー。」





妙に間延びした、少年の声が後ろから聞こえた。

後ろから抱きしめられるように、ふくよかな手が添えられる。

触れた手から温かい何かがエルノアの中に入ってきた。



「ポ、ポンザレ…な、なぜ!?なぜ、あなたがここにいるのですかっ!?」



「えへへ…、おいら、きちゃいましたー。」



「なぜですかっ!あなたは…、来てはいけなかった!なぜですかっ!?」



エルノアは、動揺していた。落ち着いてなどいられなかった。

〔魔器〕の世界に、ポンザレがその意志を持って入ってきたということは、

ポンザレ自身が、人間としての括りを捨てたということに他ならない。

そんなことは自分とつながっていたポンザレには分かっているはずだった。


「あなたが!あなたが、ここにいるということは…あなたは、もう…

もう戻れないのですよ!」



「はい、わかっていますー。でも…」



「…でも?」



「エルノアさん泣いてましたー。」



その時になって、エルノアは初めて自分が泣いていたことに気がついた。

〔魔器〕である自分が、人間と同じように泣いていた。



「そ、それは…。」



言葉に詰まるエルノアに、ポンザレは言葉を重ねる。



「エルノアさん。エルノアさんは、おいらに会う前はずっと一人でした。

おいら…何度も何度もエルノアさんに助けてもらいました。」



「…それは私が〔魔器〕だからです。」



「そうかもしれないです。でも助け続けてくれたことは事実ですー。

でも…エルノアさん、最後に一人になっちゃおうとしてましたー。」



「それは私の使命で、私の存在する意味だったからです。」



「おいら、それが寂しいって思いました。だから来たんですー。」



「私は〔魔器〕です。ポンザレ、あなたは人間なのですよ。」



「関係ないと思いますー。それにもう…ザーグさん達にも、

お別れしてきちゃいましたー。」



「ポンザレ…。」



「何でしょうー?」



「ポンザレ…あなたという人は…」



エルノアの目に涙が光る。

それは先ほどの涙とは異なる、輝きに満ちた喜びの涙だった。



「しょうがありませんね…。ポンザレでは、一緒に…。」



「はい、エルノアさん。ずっと一緒ですー。」



「はい!」


温かな気持ちがエルノアの胸を満たし、溢れ出てくる。

それは、悠久の時を流れてきたエルノアが、初めて感じたものだった。

熱く、温かく、鮮やかで、柔らかい…形容する言葉はどれをもってしても足りない。

人や〔魔器〕など関係のない、本当の意味で自分を認めること、相手を認めること、

そして…互いを認め合うこと。そうすることで、無限に湧きおこる気持ち、力。



エルノアは幸せだった。



「…ポンザレ。あなたが好きです。」



「お…、おいらもですー。」



エルノアとポンザレは手をつなぎあい、もう片方の手を前へと伸ばした。

もう言葉はいらなかった。すでにエルノアの腕から悪獣の毒は消えている。


二人の体が光り輝き、そこから風が吹いた。

悪獣の黒く淀んだもやを、塵にして消していく。



《やめて》《けさないで》《きえたくない》


《ひと》  《しあわせに》  《なくなる》


《やめて》  《きえる》


《けさないで》  《  》

 


 《 》







悪獣が消えた白い空間に、二つの人の形をした光が浮いていた。

新緑色の女性の光と、黄金色のふっくらとした男性の光は、

互いを愛おしむように密着させ、混ざりあいながら、空間に溶けていった。






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