【98】ポンザレと光の霧
ポンザレは闇の中にいた。目は開いているが何も見えない。
体の感覚はなく、意識だけの状態になっている。
やがて目の前に現れたのは、ポンザレの生まれ育った辺境の村だった。
数十人の村人が暮らす貧しい、山間の村だ。
村の子どもは労働力としてしか見てもらえず、ポンザレも同様だった。
優しいポンザレは、ただでさえ少ない食べ物を、自分よりも下の兄弟達に分け与え、
本当にいつもひもじい思いをしていた。それなのに、なぜかお腹は
ぽよんと出ていたので、多くの村人たちは、いつもポンザレを馬鹿にしていた。
記憶のどこを切り取っても、十四年の村の生活は灰色の景色しかなかった。
今では両親や兄弟の顔も思い出せない。
十四歳になって、三男という理由で村を追い出された。
相当に運がよければ生き延びるかもしれないが、ろくな食料もなく
村から出されたポンザレの行先に未来はなかった。
村を追い出されたポンザレは、たまたま依頼で村の近くまで来ていた
ザーグ達と出会った。この出会いがポンザレの全てを変えた。
ポンザレが生まれ変わった、自分という人生を始めることのできた瞬間だった。
数々の助言をもとに、森を抜け、街道に出て、生き延びることができた。
街道の盗賊の襲撃現場で指輪を拾った。街へとたどり着いたはいいが、
ひもじく、みじめな日々を続けた。やがてザーグと再会し、パーティに入った。
ポンザレの記憶は、ここから鮮やかな色がつき始めた。
ミラやマルトーは何も知らない自分に、文字や数学、常識…、
たくさんのことを教えてくれた。
ザーグやビリームが生きる術を、戦い方を教えてくれた。
それからはいつも必死だった。いっぱいいっぱいで駆け抜けてきた。
皆でいろいろな場所に行き、依頼をこなした。多くの人々に出会った。
数えきれないほど戦った。幾つも傷を負った。パーティの誰かが怪我をしたり
死にそうになったこともあった。それでも依頼を終えて、酒と山盛りの料理を
皆で食べているときは、これ以上ない喜びを感じ、体が震えた。全てに感謝をした。
『汚泥の輩』との縁がつながり、皆がさらに傷ついた。
ビリームが去り、ニコが加わった。
街々を巡る中で、ミラが去り…、再びビリームが加わり、ニコが去った。
高速で過ぎていくこれまでの日々に、ポンザレの心は熱くなる。
胸にはザーグ、ビリーム、マルトー、ミラ、ニコへの感謝の心で満たされていた。
自然、ポンザレの口が動いた。
(皆さん、おいらは幸せですー。本当にありがとうございますー。)
その言葉を受けてか、目の前には、照れくさそうに、にこやかに笑う皆の顔がある。
…突然、その顔が血まみれの首だけのものとなった。
輝いていた瞳が、生気のない灰色の玉になり、
鼻や口からはゴボゴボと濁った音を立てて血が流れ出す。
(いったい!?なにがっ!?)
ポンザレが叫ぶと、ザーグ達の首は消えて、周囲は闇に戻った。
新たな光景が映し出される。
今度はザーグが知らない冒険者と闘っていた。
相手の剣を受けて防いだザーグは、後ろから別の冒険者に斬りつけられて
血を噴き上げて倒れた。ザシュリ、ドウッ…斬られ、血に伏す生々しい音が
ポンザレの耳に残る。
続いてマルトーも、ミラも、ビリームも、ニコも、同じようにいろいろな形で
無惨な最期を迎える。そういった光景が何度も連続して映し出される。
その度にポンザレは喉を枯らし叫んだ。
(あぁ!なんでですかっ!!こんなの…やめてくださいっ!)
助けに行きたくても、意識だけで体もないため、どうしようもない。
そのくせ音や臭いも含めた光景は生々しく、ポンザレの精神を
がりがりと削っていく。
(おいらはっ…いやなんです!)
それでも、無情な光景は続いていく。
(もう…やめてください…。)
目鼻や口から泥を垂れ流して虚空を見つめるザーグと目が合う。
(おいらは、何もできないです…。)
(おいらは皆を守りたいです…、皆に笑っててほしいんです…)
(でも、何もできないです…)
『ポンザレ、あなたは、あなたが望めば…何でもできますよ。』
どこからか温かい声が聞こえた。
暗闇の中、いつのまにか目の前に木の指輪が浮かんでいた。
薄い茶色の指輪に、新緑色の瑞々しい新芽がついている。
ポンザレは、自分の左手の薬指についた、この指輪を知っている。
『あなたは何を望みますか?あなたの心からの望みを聞かせてください。』
(おいらは…)
(おいらは………したいです…)
『もっと、強く…想いなさい。あなたの全てを込めて、強く、願いなさい。』
(お…おいらは…)
『おいらは…おいらの命はどうなってもいいからっ!本当に、どうなってもいいから
おいらはみんなを守りたいんですっ!』
ポンザレの声が大きく響いた瞬間に、空間にピシリと亀裂が入り
ザーグ達の幻影ごと粉々に砕け散った。
柔らかな白い空間の中、ポンザレの目の前に女性が浮いていた.。
若草色に反射する銀色の長い髪、整った顔立ちに透き通るような白い肌。
目じりが少し下がった大きな目は、ポンザレを愛おしそうに見つめている。
薄桃色の厚めの唇は微笑みをたたえている。
「エルノアさん…。」
「はい、ポンザレ。」
「エルノアさん…。おいらにっ…おいらに、力を貸してください!
みんなを守るための力をっ!」
「!!」
言葉にならない衝撃がエルノアを襲った。それは歓喜の激流だった。
胸の奥底から震えがおこり、全身を満たして、なお止むことがない。
自分はなんのために生まれてきたのか?何をするのか?
悠久ともいえる長い時をかけて、人の世を流れ続けた。
どれだけ探しても答えは見つからなかった。
今、エルノアは、その答えを得ていた。
以前から、ポンザレは自分の魔力を引き出すことができていた。
それは、魔力の糸でポンザレと自分をつないだからだと思っていた。
実際にそれもあったが、それだけではなかった。
エルノアの使命。
それは人を守ること、人を守りたいという、その想いをかなえること。
過去、自分を手に入れた冒険者をはじめとする人間は、
火が出るように念じたり、幸運が訪れるように命令したり、
体を強くなるように願ったり…全て自分のことだけだった。
だがポンザレは、いつも人のことを想っていた。
その度に、少しずつ自分の魔力は引き出された。
『ふふ…ポンザレあなたの想いはいつも変わらず…、
そして答えは…もう出されていたのですね…。』
ポンザレの心からの想いを受けて、エルノアは覚醒した。
エルノアは自分自身の全てが、ポンザレとつながっていることを理解した。
人々を守るために、私ができること…
『ポンザレ、槍の声を聞きなさい。今のあなたなら…
いえ…、今のあなたと私なら、何でもできるでしょう。』
『わかりました!』
手足や体の感覚が戻っていることに気がついたポンザレは、
自らが握った光の槍に意識をむける。
手を通じて、槍から伝わる想いを受け取る。
『……うん!おいら…、できます。エルノアさん、お願いします!』
『はいっ!』
エルノアは花が咲いたような笑みで答えた。
◇
ポンザレは、自分の全身が緑色の光に包まれているのがわかった。
上も下も泥で埋まり、轟々と渦巻いているが、光が泥を通さないのか、
苦しくはない。
「では…お願いしますーっ!」
全身から、さらに光があふれ出した。
ポンザレが柄を強く握ると、槍はぶるりと震え、その穂を強く輝かせた。
シュウ…と小さく音が鳴ったと思うと、勢いよく光の霧を吹き出し始めた。
発光する霧がポンザレを中心に凄まじい勢いで渦を巻き、
周囲へと広がっていく。霧は、触れるそばから泥を消滅させていき、
ポンザレは石畳の地面へとストンと着地する。
周囲は光の霧で覆われている。噴き出す勢いは益々強くなっていく。
やがて霧は、ミドルランの街いっぱいまで広がり、その中にある泥を、
全て霧消させた。
◇
ザーグを始め、泥に飲まれた冒険者や生き残りの住人達は
永遠に冷めない悪夢を見ていた。
恐ろしい魔獣がでてきて自分の喉笛を食い殺す夢。
親しい人間が、魔物や悪人に殺され自分は何もなす術がない夢。
愛しい人間が笑いながら自分を刺し殺し、喰らう夢。
全身を蟲が這いずり、鼻や口から入り込んで自分を食い殺す夢。
自分の殺した人間が恨みを持って生き返り、自分を殺す夢。
闇の中で自分以外に人がおらず孤独にむせび泣く夢。
音も臭いも感覚もある悪夢が、何度も消えては浮かんでくる。
ザーグの夢の中では、ミラがあらゆる形で、魔物や悪党に殺され、
しかも毎回ザーグは間に合わなかったり、拘束されていたりして、
どうしても助けることができなかった。
気を強く持ち、自分が今見ているのは悪獣が仕掛けた夢だと分かっていても、
それでも抜け出すことができない。
ある意味、抜け出すことのできないこと自体が一番の悪夢であったかもしれない。
それが、何か温かいものが流れてきたと感じた瞬間、唐突に終わった。
悪夢を見た割に、不思議と気分は悪くなかった。
内容は朧気ながらも覚えているが、感じていた現実感はなく、
本当に悪い夢をみていただけのような心持ちだった。
泥の津波に飲まれたと思っていたが、体は通りに倒れ伏して、転がっていた。
ぼうっとする頭をおさえて立ち上がると、周囲に泥は一切無く、自分の体にも
何もついていなかった。
「うぅ…。な、何があったんだ、いったい…。」
見回すと、わずかに光る霧がうっすらと漂う中、
大勢の人々が地面に倒れ伏していた。
ちょうどマルトーやビリームも起き上がるところのようで、
ザーグはホッとすると同時に、ポンザレの姿を探した。
◇
ポンザレは口を大きく開けて、呆けていた。
その前には、霧に映し出されたエルノアが立っている。
「ふふ。こちらでも、ようやく会えましたね。ポンザレ。」
「エ…、エルノアさん!」
「はい。」
「エルノアさん、ずっと、ずっと一緒にいて、おいらを助けてくれていたんですね。
本当に…、本当にありがとうございます!おいら、ようやく全部わかりました。
わかったんです!」
「いえ、お礼を言うのは私です。あなたがいたから、私は自分が
何をするために存在するのか…、探し求めていた答えを得ることができました。
ありがとう、ポンザレ。」
「い、いえ…えへへ。…あ!」
お礼を言われ赤くなるポンザレだったが、
急に不安な顔つきになり、周囲を見渡し始めた。
「どうしました?」
「ザ、ザーグさんや皆は!?」
「大丈夫です。皆無事ですよ。悪い夢は見たでしょうが、
まもなく目も覚ますでしょう。」
「あぁ…、ほ、本当によかったですーーーっ!」
大きく息を吐き出し、ポンザレは心から安堵した。
そして続けて疑問を口にする。
「そ、そういえば、どうしてエルノアさんの姿が見えるのでしょうー?」
「それは光の霧のおかげですね。霧に含まれている魔力で、
私の姿が映し出され、声も届けられているようですね。」
「そうなんですね。おいら、槍にもお礼を言わないとですね。
…えへへ、でも、おいら、なんだか嬉しいですー。」
「ふふふ。私もですよ。」
エルノアはさらに続ける。
「ポンザレ、皆が、あなたに会いたがっていますよ。
さぁ、名前を呼んであげてください。」
「え?…!あぁ!はい!」
ポンザレは、顔を輝かせて〔魔器〕達の名前を呼んでいく。
「ニルト!」
「はーい!って!呼ぶの遅い!」
燃えるような長く赤い髪に、黒いワンピースを揺らしながら
霧の中にニルトの姿が浮かび上がった。生意気そうなつり目と、
その中心にある大きな紫の瞳が、キラキラと輝いていた。
「ニルト、いつも、おいらや皆が危ないときに助けてくれてありがとうですー。」
「へへっ!役に立つでしょ?あたし。」
「はい、本当に助かってますーっ!」
「なら良し!これからも、太っちょなりに精進するんだぞ!」
「は、はいー、わかりましたー。」
ニルトの上から目線に、ポンザレは苦笑しながら…、でも元気よく答えた。
「はい、じゃあ、さっさと次を呼ぶっ!」
「わかりましたっ。スティラー、出てきてくださいー!」
「ピーピピーッ!」
聞きなれた小鳥の声とともに、青い小鳥が霧の中に現れる。
小鳥はポンザレの頭のまわりをぐるぐると回ると、エルノアの肩に止まった。
「スティラ、おいらが危ないときに、鳴いて知らせてくれてありがとうですー。」
「ピッ!」
小鳥は胸を反らして、小さく鳴いた。
その様子が何とも可愛くて、ポンザレの笑顔もさらに深まる。
「ウィルマ―、お願いしますーっ!」
最後に霧の中に現れたのは、ピンとはった三角の獣耳をもった
灰色の少女だった。濃い灰色のワンピースと、そこから伸びた白く長い手足。
整った細い顔についた長い灰色のまつ毛と、黒い瞳がポンザレを見つめている。
「ポンザレ、ようやく、きちんと会えたな。ふふ、何とも嬉しいものだ。」
「はい、おいらもですー!ウィルマ、いつもおいらを守ってくれて、
ありがとうございます!ザーグさん達も助けてくれてありがとうございますー!」
「ポンザレが望むなら、我はいつでも力を貸そう。これからも遠慮なく
使ってくれ。そのために我はあるのだから。」
ウィルマは耳を可愛く動かしながら笑った。
◇
ポンザレが、霧に移った〔魔器〕達と、
和気あいあいと話をしているところに、正気にもどったザーグ達が集まってきた。
そして、ポンザレが霧に映った女性達と楽しそうに会話をしているのを見て、
口をぽっかりあけて固まってしまった。
「お、おい、ポンザレ、いったい何が起こったんだ…。
そ、それは…誰だ?」
「あぁ、ザーグさん!ビリームさん、マルトーさん!よかったですー!
…大丈夫ですか?気持ち悪いとか怪我しているとかありませんかっ!?」
「あぁ、それは大丈夫なんだが…その透けている人間は…?」
「ザーグさん達も見えるんですね!紹介します!おいらの指輪のエルノアさんです!」
「お、おう…え…?」
ゆらゆらと霧の中に揺れ動くエルノア達と、口を開けたまま固まるザーグ達。
始めに口を開いたのはエルノアだった。
「ザーグですね、それとビリームにマルトー、ここにはおりませんがミラとニコ。
私はポンザレの指輪で、エルノアと言います。皆様、ポンザレを守り、
育ててくれましたね。私は常に見ていました。皆様にはとても感謝しています。」
「あ…あぁ、え、いや、俺達の方がすごい助かってるっていうか…、
というか、エルノアさんか、あんた、いや、あんた達のおかげで、
俺達も何度も命を救われてきた。こ、こちらこそ礼を言うぜ、ありがとうな」
「何百回お礼を言っても言い足りないね。本当に助けられてばかりだよ。
ありがとうね。」
「ミラやニコの分も含めて…、本当にありがとうございます。」
「私はポンザレの望むことをしたまでです。そしてそれは、皆様がポンザレを
慈しみ、育て、共に進んできたからでしょう。」
最初は、とまどっていたザーグ達だったが、
実際に喋れる存在として目の前にいて、自分達の名前も、これまでの出来事も
知っているとなれば、信じるのは早かった。
そしてポンザレの重ねてきた不思議な行いと、その結果、
自分達にもたらされたものを考えると合点がいった。
「しかし…、何というか…。…〔魔器〕には精霊…精霊って呼んでいいのか?
が宿っているなんて知らなかったな。」
「こら!太っちょ!あたし達も紹介しなさいよ!」
ニルトの声にポンザレは「そうでしたー」と舌を出して
他の〔魔器〕の皆もザーグ達に紹介した。
「襟巻のウィルマさんだったかい、さっきは助けてくれてありがとね」
「あぁ、あそこから飛び降りて死なないってのは、すごい体験だった。」
「あなた方の役に立ったのであればよかった。
だが…なれなれしくはしないで欲しい。私の主はポンザレだ。」
ウィルマは照れくさそうに答えるが、
なれなれしくしないで~のあたりでザーグを軽く睨む。
「…わ、わるかったよ。つい…な。」
ザーグが鼻の頭を掻き、その様子をマルトーやエルノアが笑う。
「赤い髪は…サソリ針のニルトさんでしたか。いつも危ない時に、
助けてくれてありがとうございます。あなたの力は…すごいですね!」
「にへへ、そうでしょうー!あたし強いでしょー!そうだ!
あたしをもっと使うようにポンザレに言ってやって!」
ビリームが礼を述べるとニルトはにへらと嬉しそうに笑う。
「そうだ!ポンザレさ。あたしらの〔魔器〕にも、エルノアさんみたいな
精霊?がいるのかい?」
マルトーが愛弓のナシートリーフを手でさする。
「確かに…それは気になりますね。」
「おう、そうだな、俺も知りてえ。」
代わりに答えたのはエルノアだった。
「皆様の〔魔器〕には…今はまだおりませんね。ですが、私達のような存在が
生まれるための十分な魔力はあります。ですから、〔魔器〕使うべきときに使い、
皆様の心が、その奥底で〔魔器〕とつながれば、それぞれの姿となるでしょう。」
「ふふ…そうなのかい。それは…楽しみだね。」
「ふむ…精進しないといけませんね。」
「まだまだがんばってもらうぜ。頼むな相棒。」
三人共に自分の武器を愛おしそうに手を当てる。
その様子は〔魔器〕達にとっても喜ばしい光景であった。
ーーーーーーーーーーーーーッ!!!!
突然、思念の波が、皆の頭を貫いていった。
《ひどい》《吸いたい》《欲しい》《体、消された》《どうして》《吸わせて》
《小さくなった》《邪魔》《笑顔にする》《敵だ》《食べたい》《いなくなれ》
《消す》《いらない》《許さない》《敵》《強い》《力がある》《いらない》
《やっつける》《ゆるさない》《じゃま》《敵》《どれ》《魔力》《強いのもってる》…
「ポンザレ。」
「はい、エルノアさん、まだ終わっていなかったみたいです…。」