【97】ポンザレと悪獣と再会
ザザザザッ…
耳元で風を切る音が響く。
ポンザレは巨大な泥の獣の前脚を横にしながら落下していた。
空中でくるりと器用に体勢を変えて上を向くと、
小さくなっていくザーグ達に大声で叫ぶ。
「皆さんーっ!!おいらが下に着いたら!順番に飛んでくださいー!」
ポンザレはくるりと再び地面の方に体を向けると
腰に巻いていた灰色の毛をした長い襟巻を手に取り、呟いた。
「さっきは手放しちゃって…ごめんです。おいらと、皆を…助けてください。
よろしくお願いしますーっ!」
灰色の襟巻は、許してやろうとでも言うように端っこを丸めて、
ポンザレの頬を軽く小突き、ポンザレはその様子にホッと安心する。
民家の屋根や煙突が目線と水平に見えたと思ったら、次の瞬間には
石畳の地面が目前に迫っていた。
襟巻は、ポンザレの体よりも先に地面に当たると、
まるで生きているバネのように、たわみ、跳ね返り、ポンザレと自身を
何度もバウンドさせて衝撃を吸収しきった。
「ふぅーーー。ありがとうございますー!」
信頼はしていたが実際に試してみると緊張はしていたようで
足を着くと同時にポンザレは息を深く吐き出した。
「おぉ!すげえなっ!よし、じゃあマルトー、続け!」
上からその様子を見ていたザーグがマルトーの背中を軽く叩く。
「えぇ!?いや、怖すぎるじゃないかっ!」
「あいつが成功してるじゃねえか。ほら、がんばれ!」
「…ええいっ!ポンザレっ!襟巻っ!たのんだよ!」
マルトーは顔をくしゃくしゃに歪めながら、空中へと飛び出した。
「あぁぁぁーーーーーっっ!」
「お願いしますーっ!」
悲鳴を上げて落ちてくるマルトーに向けて、ポンザレは勢いよく襟巻を放り投げる。
襟巻は、マルトーに巻き付くとポンザレの時と同じように怪我させることなく
上手く着地させた。
「はぁぁぁあああーーーーっ。あぁぁ、生きた心地がしなかったよっ…
ありがとう、ポンザレ、襟巻!」
「ポンザレ少年!私も!お願いしますーっ!」
続いて降ってきたビリームも同じように、襟巻が受け止める。
「よぉし、最後は俺だな!ポンザレ頼むぜっ!」
叫びながらザーグが飛び降りる。
ザーグは、すらりと黄金爆裂剣を抜き放つと、落下しながら
巨大な獣の脚に剣先を突き刺し、吠えた。
「うぉりゃぁああーーーっ!」
ドン、ドンと派手な音と炎を上げて獣の脚が続けざまに爆発し、
噴き出す爆炎と共に、無数の乾いた泥の欠片がザーグと共に降ってくる。
「ようしっ!襟巻っ、頼むぜっ!」
ザーグが、投げられた襟巻に親しげに声を掛けるが、
その態度が気に入らなかったのか、襟巻は地面で三回ほどバウンドした後
大きく跳ね上がってザーグを空中に投げ飛ばした。
「うぉっ!って、なんで俺だけに冷たいんだよっ!」
ザーグは、焦りながらも民家の屋根に無事に着地する。
黄金爆裂剣を手にし、爆発と共に現れたザーグの姿は
おとぎ話の英雄かのように、ポンザレには見えた。
◇
「おい、あの爆発した黄金の剣…」
「竜殺し…悪竜殺しのザーグかっ!」
「間違いないっ!俺は前に見たことがあるぞ!あれは…ザーグだ!」
派手な登場をしたザーグの姿は遠くからでも見えたようで、
ザーグ達の周りには街に残っていた冒険者達が集まってきた。
ここミドルランは金持ちが湯治に訪れる街で、金持ちは護衛として各街の高位の
冒険者を雇う。雇われた冒険者も、ミドルランで戦いに疲れた体を癒すことが
できるだけでなく、実力と名声が高ければ街から破格の待遇を受けることができる。
そのため、ミドルランには必然的に強い冒険者が集まる。
強い冒険者とは、生き残る術に長けた、非常にしぶとい生き物だ。
街の通りでは、笑顔を張り付けた状態で多くの住人が亡くなっていたが、
冒険者達は悪獣の泥を上手くかわし、逃げ、時には近い人間を盾にしてでも
生き延びていた。
その冒険者達が、どの街の酒場でも聞く現在の英雄、それがザーグだ。
泥人形との戦争を勝利に導き、悪竜を殺し、数千を超える魔物の群れから街を守る、冒険者のトップパーティ『悪竜殺し』。そのリーダーで、暗殺からも不死鳥のごとく蘇り、
黄金に輝く爆発する剣を持つザーグ。
負けず嫌いの冒険者達でも認めざるを得ない凄腕の冒険者。
「お、おい!あ、あんたっ!ザ、ザーグさんだろ!?何が起こってるんだ!」
たまらず、冒険者の一人が屋根の上のザーグに大声で叫ぶ。
「おぉ、さすがミドルランに集まった冒険者だ。けっこう生き残ってやがんな。」
「ザ、ザーグさんっ!?…あれは何なんだ!?」
「あぁ、あれは悪獣だ。」
「悪獣っ!?悪獣って、あのおとぎ話のか!?」
「いやいやいや、そんな、まさか…」
「悪獣ってバウキルワの伝説のだろ?まさか!?」
口々に冒険者達が疑いの言葉を発する。
実際に目の前に、巨大な泥の獣がいて、落ちてきた泥玉に大勢の人々が
襲われていても…あまりに非現実すぎて受け入れたくないという思いが出ていた。
「ザ、ザーグさん、あ、あんたっ、あれ倒せるのか!?」
「わからねえ。だが…やってみるだけだ!」
「に、逃げればいいだろっ!無理だろっ!あんなでけえの、
どうにかできるようなもんじゃねえだろっ!」
「俺もそうしてえがな。あいつはここだけじゃねえ、円環街道の街、全部襲うぞ。」
「なにっ!?」
「あんた、何でそんなことがわかるんだっ!?」
「俺達が、あの化け物の復活を企んでいた組織を追ってきたからだ。」
もともとザーグ達は戦うつもりはなかった。
ザーグ達も冒険者だ。実力のある冒険者は自分の命をかけてまで
何かを得ようとはしない。命をかけなくても、どうすれば手に入るかを考え、
実行し、どうしても手に入らないときは諦めるし逃げる。
命さえあれば、次の機会もあるのだから。
だから王城に入ったときも、少しでも危うければ逃げるつもりだった。
結果的に逃げることができなかったのは事実だが、
ザーグ達もさすがに、腹を決めていた。
覚悟が決まったのは「おいらは!こいつを倒します!」と、
ポンザレが悪獣の背中から飛び降りた、そのときだ。
「しょうがねえなっ…やるだけのことをやるしかねえな。」
小さく呟いて、ザーグは周りを見回して大声で冒険者達に叫んだ。
「おい、お前らっ!俺達に協力してくれねえかっ!?
そうだな…これは俺からの依頼だっ!報酬は、終わった後の美味い酒だっ!」
「…いや、ザーグさん、そんな俺達は何もできねえぞ…。」
「そそ、そ、そうだ、俺達はあんたほど強くねえんだ!〔魔器〕だって持ってねえ!」
「俺はまだ死にたくねえよお!」
泥人形との戦争の時に、ザーグは冒険者を街の防衛に参加させるため、
依頼という形で呼び掛けた。だが、ここは彼らの街でもなければ、
相手も巨大で、冒険者達の反応は鈍い。
また、強すぎるザーグの名声ゆえに、自分達とは完全に別次元の存在で、
親近感・連帯感を持ちづらい状態でもあった。
「俺はやるぞ!なんだってやる!何でも言ってくれ!」
尻込みをする冒険者達の中から、大きな声で進みでてきたのは
髭面の背の低い男だった。筋骨隆々で、背中には何かの魔物の爪でできた
ハンマーのような大型の武器を背負っている。
「私も、やりますよっ!」
もう一人出てきたのは、弓を片手に持った若い冒険者だった。
穏やかな表情と物腰だが、足音を立てないスムーズな足運びが
男の実力の高さを表している。
「おぉ!お前らは、ニアレイの…。」
「あぁ、元『赤神の斧』ボドゥルだ!ザーグ!久しぶりだなぁ!」
「はい、元『霧の弓』のパスカルです。お久しぶりです!」
「ん?元?」
「はい、『悪竜殺し』の皆さんとご一緒させていただいた後、
僕らはパーティを解散したんです。今は私がリーダーで、ボドゥルさんと
後ろの三人の仲間で『弓と斧』という新しいパーティを組んでいます。」
「でよう、、ミドルランに商人の護衛できたら、この事態になっちまった!
ウハハ、全くついてねえ!商人も探したが見つからねえし、
俺達もいい加減逃げるかと思っていたら、空からあんたらが降ってきたんだ!」
「ザーグさん、私達は何をやりましょうか?」
「あぁ。見たところ、あの泥は勢いよく火が燃えている周りには寄り付いてねえ。
だから、燃やせるもの引っぺがして、広場に大きな輪を作って燃やしてくれ。
油たっぷりかけてな。逃げ遅れた住人を輪の内側に避難させてくれ。」
「わかりました!」
「すまねえな、助かるぜ。」
「いえ、僕達はザーグさんに受けた恩も返せていませんから。」
ボドゥルが、周囲の顔をした冒険者達に大声で呼び掛けた。
「おい!お前らっ!聞いたかっ!?言われた通りにやるぞ!
逃げてぇ奴ぁ、さっさと逃げろ!どっか隅っこで膝抱えて震えてな。
それで自分は冒険者だと誇れるんならな!」
〔魔器〕を持った圧倒的な力のあるザーグ達ではなく、
自分達に近い冒険者であるボドゥルの言葉は、彼らに実によく刺さった
「せやぁあっ!!」
少し先で、襲い来る大人サイズの泥玉を、ポンザレが光の槍で消滅させていた。
「見ろっ!あいつらはもう戦っている!…俺達は、俺達のやれることをやるんだよ!
しかもこれは依頼だぞ。あのザーグに酒を奢らせることができるんだぞ!
どうせなら高い奴をたんまり頼もうじゃねえかっ!」
少しの間が開いて、冒険者達は諦めたように声を上げ始めた。
「…あぁ、くそっ!しょうがねえ、やってやるよっ!」
「依頼を受けてやるよ!」
「ザーグさん!終わったら死ぬほど飲ましてもらうからなっ!」
「よしっ、俺は油を集めてくるっ!数人一緒に来てくれ!」
「じゃあ、俺は燃える物集めてくるぜ!」
「逃げ遅れた住人がいないか一緒に見に行くぞっ!」
数十人の冒険者達が即座に割り当てを決めあい、走りだす。
もともと各街の高位冒険者だけあって、腹を決めれば、その動きは早かった。
◇
「せいっ!」
ザーグが振った黄金爆裂剣から、炎の渦が噴き出し
泥玉が三つ、乾いた泥になって崩れ去る。
「ふんぬっ!」
縦に振られた、みなぎる力のメイスが、泥玉とその下の地面を放射状に潰す。
ビリームの周囲には、そんな泥の大輪の花が幾つも咲いていた。
「そらっ!」
紫の雷を帯びた矢が、通りを走ると、
その直線状にいた泥玉にまとめて穴が開き、泥玉は形を失ってつぶれていく。
マルトーはふんっと鼻を鳴らす。
「えいっ!」
ポンザレが光の槍を突き込むと、光の霧に触れた泥玉が瞬時に消滅する。
視界に入る全ての泥玉に向かってポンザレは槍を振るい続ける。
その様子を、多くの冒険者や逃げ遅れた街の住人達が見ていた。
巨大な獣が来て、大きな泥玉を無数に落とした。
泥玉は、人間にとりつき、人々を無理やりな笑顔にしてどんどん殺していった。
屈強な大人も、子供も、若い娘も、老人も…皆、笑顔で死んでいった。
逃げられてはいたが、いずれ自分の順番が来ると誰もが思っていた。
だが目の前で、泥玉を次々と消してまわるザーグ達の姿を見て、
人々の目に光が戻り始める。
いまだ上空には山のような、巨大な四足の泥の獣がいるが、それさえも彼らは
何とかしてしまうのではないか…誰もがそう思い始めていた。
大勢の人々が同じ思いを持つと、それは言葉を発さずとも、場に広がっていく。
人々は、戦うザーグ達を希望と捉えた。皆の心の中に希望が灯り、恐怖が薄れていく。
そして、それは泥の獣の逆鱗に触れた。
《どうして》《うすくなった》《まずい》《邪魔するな》《もっと食べたい》《吸わせて》
《おいしくない》《吸わないといけないのに》《幸せにする》《もっと欲しい》
《食べさせて》《邪魔だ》《吸う》《いなくなれ》《食べる》《ゆるさない》
《ここのはもういい》《ゆるさない》《じゃま》…
人の感情を何千、何万にも折り重ねて圧縮したかのような思念の波が、
周囲一帯にドンと広がった。思念波と共に強烈な頭痛が人々を襲う。
「うぁっ…!今のはっ、何ですかーっ!?」
痛む頭を押さえながら、ポンザレは悪獣を見上げる。
その目に入ってきたのは形を失った悪獣が、
巨大な泥の山として落ちてくる光景だった。
泥山は轟々と街を許し、津波となって、ザーグを、ビリームを、マルトーを、
人々を、そしてポンザレを飲み込んで、ミドルランの街を覆いつくした。