傭兵の日常 1
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日常というものは流れていくものである。ある時から始まって、毎日のように繰り返される普段通り。日常があるということとは、ごくあたりまえの生活を送っていることであり、平生を手に入れたということだ。そして、そういう日常の多くは国という形で集まっている。
多くの人が平生を送る国のひとつ、リャスカ共和国。レイハン大陸北東部に発展した人間と亜人が共生する国家である。
リャスカ共和国首都リャスカを東西に分断するメインストリート。通りに面した質素な見た目の宿屋カッツァルの三階奥の大部屋。とある男の自室として借りている部屋だ。
本来は数人が同時に宿泊できる大きさである。しかし今はほとんどが怪しげな道具で埋まっている。魔法には疎く使い方はおろか価値の見当もつかない。
何の気なしに眺めていると、ふと湧いた物珍しさから自然に手が伸びかけた。
「こういうのはいくらするんだ」
「団長、触れないほうがいいです。それらは魔法で保護されているようです」
動き始めた腕が止まる。行く先にある四方に皿の四つある天秤のような魔法道具。
通常、魔法が使えない者は目に見えない魔法に気づくことができない。
「こんな小物に保護の魔法か。貴重なものなのか」
「魔法を扱う者が使う道具としてはあまり高価ではないですね」
物珍しげにキョロキョロしていると部屋のドアが開き、見知った女が顔を見せた。
「お待たせしました」
彼女はメル・ハンクラナ。この国で屈指の実力を持つ長剣使いの女傭兵として、同業者を中心に有名な人物だ。
そしてここを訪ねた目的の――――もう一人の男が姿を見せた。
「待たせたようですまないな、アルテカ傭兵団のおふたりさん。リグル・ライモルだ」
一言で言えば、噂通りの小柄な男という印象だ。しかし、動きの随所に武芸者が垣間見える。
「ライモル、時間を割いてもらって感謝する。俺は――」
「――あぁ知ってるからいい。こっちは気軽にリグルと呼んでくれ。堅苦しいのは抜きだ。メルがいつも世話になっている。話は……そっちから聞けばいいか?」
まずは自己紹介と開いた口が役割をなくした。
隣の腹心がこういう場でいつもするように、軽く頭を下げる。
「本日はお時間をいただきまして、ありがとうございます」
「女は銃使いだって聞いてたが、持ち歩いてるわけじゃにないんだな」
どうやら形式的なやりとりをするつもりがないらしい。なんとも掴みづらい男だ。
「うちのは魔法戦士だ。ライモル、あんたと一緒でな」
訪れた一瞬の静寂。不気味に動いた男の口角が妙に気になった。
「詮索するのはやめませんか。影響力のある傭兵団を取り仕切る人間のやることではないと思いますが?」
彼女の言うことはもっともだ、と思う。争いの火種にしかならないことは暗に慎むべきである。火種を作ってはならない相手ならばなおさらだ。
詳しくはわからないが、リグル・ライモルとの間に無視できない火種を作り、恐ろしく大きな被害を被った者もいるという噂もあるほどだ。
「リグルさん。話を先に進めても構わないでしょうか」
隣でダリオが小さく嘆息をもらした。力量を推し量るよい機会だとでも思っていたのだろう。
「あぁ、それで。リャスカ最大勢力のアルテカ傭兵団でも人手不足か? それともお二人さんの個人的な依頼か? まさか今日は挨拶だけ、なんて時間の無駄な用事じゃないよな?」
話し始めたかと思えば、捲し立てるように話して答える隙を与えない。
「リャスカの傭兵団は人手不足とは無縁だ……お前のところ以外な」
「心配には及ばないさ。うちには数十人分の仕事をしたがる奴がいる」
恐らく。いやどう考えても、それはメルのことだ。
リグル傭兵団の名を巷で聞くようになって久しい。しかし団員の名前はすぐそこに座っている彼女、メル・ハンクラナの名前しか聞いたことがない。団長リグル・ライモルの存在が疑われるほどに。
「メルさんの活躍は私たちも知るところです。しかし我々は依頼がメルさん一人に集中することを好ましく思っていません」
誰かが口を開くより先に反応したのは、渦中のメル・ハンラクナ本人だった。
「どういうことですか?」
「ご存知の通り、リャスカには軍がありません。そのため魔物という驚異に対して、傭兵が非常に重宝されています」
魔物討伐を積極的に請け負う傭兵。彼らによって齎される不安定ながらも僅かに安定した治安は、この国にとってなくてはならないものだ。
「常に命の危険と隣り合わせ。しかし傭兵は替えの利かない個人です。優秀な傭兵が一人いなくなれば、全体としては今までできていたことができなくなる――――」
本題に入ろうとしたところで、横から話を遮られる。
「――――だから危険度の高い依頼は傭兵団単位で請け負えって話だろ。傭兵資格登録に組合に行ったとき聞いたよ。だが別に守らなきゃいけないってわけでもない。ルール的にはなんの問題もないわけだし、そもそもルール上問題があっても組合に傭兵を取り締まるだけの力はない。律儀に守る理由はないってわけだ。そうは思わないか」
おどけたように両手を軽く上げながら、そんなことを言う。
「それが、あなたが組合に参加しない理由ですか?」
「政治に関わりたくないだけだ」
思考するより早くに、その言葉が自然と口から漏れた。
「しかし、情報は欲しいのではありませんか」
「どういうことだ」
女は答えずに隣に目配せをした。団長である男から話すべき内容ということなのだろう。
「アルテカからはお前らにとって有益な組合に関する情報を提供する。そっちは組合を通してない傭兵メル・ハンクラナ宛ての依頼をアルテカに流す。もちろん、全部流せってわけじゃない。悪くない条件だと思うが、どうだ?」
「こっちが判断して流せってことだな。まぁ全部そっちに渡しちゃ、お前らも持て余すだろうしな」
組合を介さずにメルに直接来る依頼は、組合に持っていくと手続きと処理に時間が掛かる依頼。つまり迅速な解決が望まれ、なおかつ危険性が高いものが多い。
「いくつか条件はつけさせてもらう……だが、俺はお前らと仕事をしたことがないんでな、まずはひとつ依頼を任せる」
メルが丸められた一枚の紙を取り出して広げ、ダリオとルルアに見えるように置いた。
それに目を通したルルアが焦ったように声をあげる。
「街道近くの丘に住み着いたグリフォンの討伐…………これが、メルさん個人への依頼なのですか」
「だいたいそのくらいだ。逆に、これ以上のレベルの依頼は来たことがない。無事に依頼完了したら、俺かメルに…………二人とも居なかったら、ここの店主に伝えてくれ」
アルテカ傭兵団の二人は、しばらく顔を見合わせたりしながら逡巡する。
グリフォンは翼を持つ鳥の上半身に四足獣の下半身を持つ魔獣種であり、危険性がD級にカテゴライズされた魔物である。一般的にD級は、傭兵団一つが総力を持ってあたるべき危険性の依頼である。
「明日から数えて期限は四日だ」
「舐めるなよ、ライモル。三日で十分だ」
団長の男が立ち上がり、女がそれに習った。
「…………詳しい交渉はその時ってことで」
傭兵の一日は、他の傭兵との交渉、危険を伴う魔物討伐、あとは食う寝るくらいで終わる。これは、そんなありふれた日常の一日に過ぎない――――今はまだ。