Episode.5:外へ出ろ、前へ進め
「ううっ、寒いにゃ……」
「もう少し、もう少し我慢すれば大丈夫だ……」
健人とスズは、ヴィーナ行きの大カゴ馬車に乗っていたが、紅いツバメなる武装集団の襲撃を受け、山の麓の村に拘束されていた。どうやらここは紅いツバメの拠点の一つらしく、装填式のクロスボウや細身のライフルなどを持った人間がウロウロしているのが牢の小窓の外から見えた。
「今日の馬車は豊作だったな」
「ああ、ヴィーナに行くやつはみんな金持ちだからな、身元が分かったら身代金をふんだくれば軍資金になる。だから、生かしておけよ?」
「分かってるよ、"生きてれば"いいんだろ?」
男二人の会話が終わった後、隣の牢から若い女性の嬌声が聞こえてきた。
「けんとぉ、スズはこわいのにゃあ……」
スズは恐怖のあまり泣き出してしまった。
「大丈夫、俺がいるから、安心して?」
「ううっ、乱暴されたくないにゃあ、まだ死にたくないのにゃ…………」
泣きじゃくるスズを健人はひたすら慰め続けた。スズは尻尾を脚に巻き付け、耳をぺったりくっつけてすっかり怯えきっていた。
「ああ〜、いい女だった、次はここか、おっ、なかなか上玉じゃねぇか」
「おい、この男、”東方”の出身だぞ! アイツの身体の仕組みを調べた方がいいんじゃねえか?」
「よし、そうしよう、おい、ナイフ持ってこい!」
男は奥に声をかけながら戻っていた。牢獄の静けさはより重いものとなって、二人にのしかかる。死が一歩一歩近づいてきている。
────あの時と同じだ。
小さい頃の忌まわしき記憶。一面が炎に包まれ、健人の身体に大きな傷痕を遺したあの火災。あの時に…………あの時に…………
健人は何か大切なものを忘れている気がした。残ったのは傷と…………この蒼い鉱石のネックレスだけ…………だと思う。失ったものがなにか、そんな事は今はどうでもよい。
深呼吸して打開策を練り上げる。今までの読書で蓄えた知識を総動員する。
そして、閃いた。
「………………いやにゃ、けんとぉ、たすけてにゃ〜!!」
「………………スズ、耳を貸して」
泣きじゃくるスズに健人は耳打ちした。慣れない猫耳に戸惑いながら、何とか伝言し終える。それを聞いたスズは、
「いやぁ、ダメにゃあ、そんなことしたくないにゃあっ!!!」
健人の胸に顔を埋めて号泣し始めた。健人のシャツがびしょびしょになり、袖のシワがどんどん折り重なっていく。だが、健人はスズの頭を撫でて「大丈夫だから」と繰り返していた。
「ひぐっ、そんな事言わないでにゃあ、そんなことしたら死んじゃうにゃ!!」
それでもスズは泣き続けている。そんなスズを健人はそっと抱きしめた。
腕の中の華奢な身体は震えていた。健人は優しく、震える背中をさすってやる。
「よし、さて、女の方は覚悟できたか?」
見張り番がライフルを構えた。無機質な銃口が死への恐怖を効果的に高める。
「死にたくないにゃ!!いやにゃ!!」
「うるさいっ! 目をつぶれ!! じゃなきゃ男を殺すぞ!」
スズは何かを決めたかのようにぎゅっと目をつぶった。
健人の頭に穴があくのが先か、それとも───
「にゃああっ!!」
叫び声とともに男のうめき声と人が倒れるような音が聞こえた。急いで目を開けると、スズが男からマウントを取っていた。男は驚きのあまり、身動きがとれないでいた。
「スズ、行くぞっ!」
「に、にゃっ!」
健人はスズの手を引いてがむしゃらに牢の外へ走っていった。途中、スズの弓矢を回収し建物の外に出た。
「おいっ、脱走者だ、追え!!」
兵士達が、二人を捕まえようと迫ってくる。二人はひたすら逃げた。逃げて逃げて、逃げ続けた。
無我夢中で走っているうちに二人は森の中にいた。もう、追っ手はいないようだった。
「スズ、大丈夫?」
「うぐっ、うっ、うわあああああああん!!」
スズは逃げ切れた安心から、健人の腕の中で丸くなって号泣し始めた。
「よしよし、よく頑張ったな、偉いぞ」
「す、スズはすごくこわかったのにゃあ〜!!」
「もう、大丈夫だ、安心しろ、スズはよく頑張ったよ」
健人は、牢にいた時と同じようにスズの背中を撫でながら慰めていた。
────それにしても、あの紅いツバメという武装集団は何者なんだろうか……
落ち着いてきた健人は、この王国の現状について思考を巡らせた。
南部、アドリーナ地方を占領し、王国軍を各地で撃破している反乱軍。本拠地が未だにわからず、各地でゲリラ戦や破壊活動を行っている武装集団、紅のツバメ。この国はかなりの病巣に蝕まれている。
そんな病巣だらけの国を救わねばならない。救わなければ自分の命が危うい。だから極力戦闘に頼らず、平和的に解決したいが…………道のりはまだ見えてこない。
前の健人では有り得ない思考を巡らせつつ、健人はいつの間にか眠ってしまっているスズを背負って歩き始めた。
***
ヴィーナ郊外の古城、そのバルコニーから湖上の三日月を眺める女がいた。銀の髪を肩まで垂らし、物憂げな目つきでただ月を見ていた。しばらくすると、その傍に男が駆け寄ってきた。
「ミカエル様、偵察部隊からの報告で王都の武器商人からまた使いが来るようです。いかがなさいますか?」
片膝をつきうやうやしく話している。その様子が気に入らないのか、女はため息をつきながら傍らに置いてあったレイピアを手に取った。
「どうもこうもない、また始末するだけだ」
「かしこまりました、では手筈を整えま──
「その必要は無い」
女が気だるげに言い放つと、男はその場に倒れた。
女は紅く染まったレイピアを真紅のハンカチーフで丁寧に拭うと、また物憂げな目つきに戻って紅茶を味わい始めた。
***
「健人〜お腹減ったにゃ〜」
「お金も食べ物も何も無いんだ。この川を遡ったらヴィーナに着くんだぞ。だったらそこまで頑張ってくれよ」
二人は紅のツバメの拠点を脱出してから、通りすがりの人間にヴィーナへの道を教えてもらって以来歩き続けていた。しかし体力にも限界がある。スズはとうとうその場にへたりこんでしまった。
「もう歩けないにゃ〜」
「スズ、早く行かないと、あとちょっとで街につくよ?」
健人が引っ張ろうが撫でようが、スズはうにぃ〜と鳴きながら抵抗してその場から動かなくなってしまった。
「しょうがない、今日はここで寝よっか?」
「それも嫌にゃ〜」
「じゃなきゃ歩くか?」
「歩けないにゃ」
駄々をこねるスズを撫でながら、健人は考えていた。
「ん〜、このままだと王様にスズは頑張れませんでしたって言うしかない──
「頑張りますにゃ、だからそれだけはやめてにゃあ…………」
スズは急いで立ち上がった。泣きそうになっているスズがかわいそうに見えたので、健人は頭を優しく撫でた。
「ごめんな〜、その代わり街についたらいっぱい優しくしてあげるからな?」
「分かったにゃ〜、だからスズも頑張るにゃ〜」
スズは眠たげな目をこすりながら、ひたすら健人についていった。
月明かりに当てられた健人の首のペンダントは、淡い光を放っていた。
────その後ろには、銀髪の女が物憂げな目つきで静かに歩いていた。