表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/52

Episode.50:血戦に幕引きを




 先ほどまで、命のやり取りが行われていたこの平野は、一瞬にして凪いでいた。


「終の戦場はここに決めたか、緋色の剣士よ」


 落ち着き払った声が荒野に響く。両軍は二人を取り囲むように立っている。だが、凄まじい殺気の混じり合いの前には、息を呑んで立っていることしかできなかった。


「わらわを殺せる、そう思っているのか。面白き考えだな」

「そうか、俺は事実を述べたまでだ、許せ」


 ランベルトは穂先を天に向け、冷静にアスカを見据えていた。

 今まで、騎士団の一番槍として武功を上げてきた彼。叛逆に堕ちようと、その槍は鈍らなかった。

 掲げられた十字の穂先は、さながら磔刑たっけいに使われる十字架に見える。それほど禍々しいモノを纏っていた。


「わらわはお前を斬る。それだけだ」

「憎しみからか、それとも正義感からか? どの道、お前達に救いはない」

「いや、お前は少しわらわへの考えも間違えている」


 緋色のまなこが彼の目をじっと見据えている。眼を活性化させている為、今見えているのは、三秒後の世界だ。


()()()、それだけだ」

「やはり、相手にとって不足は無し、か」


 両者に微塵も動き無し、殺気すらもないその平野。


「────いざ、尋常に、」

「────勝負!」


 抜き打ち、槍兵を袈裟に斬りつける。鉄の打ち合う激しい音が、遠く一マイル先にまで聞こえる。

 決して間合いに入れぬ疾風の如き槍捌き、それを破らんとする迅雷の如き刀捌き。両者の打ち合いは二十合まで至った。

 だが、まだ足りない。至高の槍技をもってしても貫き得ぬ相手。この胸をも焦がす激情、ランベルトはここまでの僥倖を感じた事はなかった。


 剣線というのは生ぬるい。“剣層”が美しく重ねられていく。その一枚一枚に無駄はなく、剣層の花弁が、死合に華を添えていく。

 息の音すら聞こえぬ張り詰めた空気、互いの得物が打ち合う音だけがそこに在った。恨み妬みそねみ憎しみ、そんな負の感情は一切ない。

 ────斬るか貫くか。

 至極単純な決闘が繰り広げられている。


 アスカは鞘を投げ捨てたかと思えば、挑発するように口角をあげる。その妖艶さは彼女を化け猫たらしめる美しさがあった。

 “死を纏う槍(モルスラミーナ)”。ランベルトが持つ、禍々しい魔力を帯びた槍だ。傷をつけられれば、余程の事でない限り傷は癒えない。


 アスカとて、初めての立会いにてつけられた脇腹の傷は完治していない。“始祖の化猫”の元々の対魔力が功を奏してここまで治っている。

 だが、再び傷つけられれば助からない。二度はないのだ。


 今度の一手は“払い”だった。それをひょいと飛んで、そのまま正面から外れる。払った隙に袈裟で斬りつけにかかるが、で刀を止められる。


 だが、一瞬息を吸った。その呼吸が、アスカにとって悪手だった。


 脇腹を掠める呪詛の槍、小袖を裂くのみであったが、そろそろ、アスカの体力もつき始めていた。

 彼女はじっと下段で構え、相手を見据える。彼は槍を“投げ”────


「グッ……ハァッ?!!」


 鳩尾に叩き込まれた拳に、彼女は追いつかなかった。全く理解のできない境地に立った相手。もはや、奥の手を隠している暇はない。


「その技に尊敬を贈ろう。ただわらわには時間がない。ここで決めさせてもらう」


 悪鬼よけの呪文を使った後、彼女は祈りの言葉を捧げる

 



 一つ、今、我が身は窮地に立たされり。

 二つ、之は悪を打ち倒す死合也しあいなり

 三つ、之は自らの手を以て始めし死合也。

 四つ、之は無垢なる生命を屠る死合に非ず。

 五つ、之は我が命を賭した死合也。

 六つ、我は義に立ち悪を弑す者也


 七つ、我は只、信念を貫く者也。





 アスカの詠唱と共に、彼女の目は“反転”した。漆黒の瞳に緋色の眼。彼女の佇まいは、息は一切乱れず、平静の境地に立っている。


「これで、最後だ」


 アスカの凛とした声が、戦場に響く。開眼した彼女に隙はなかった。

 瞬きする間に四合、一呼吸に十合打ち合われる。その『剣劇』に、両軍の兵士は手出しはおろか動くことすらできなかった。

 突けば外され、払えば流され、動作終われば太刀筋が三条襲いかかる。槍兵はおろか、王国軍で一、二を争う実力の持ち主、ランベルトですら捌ききるのは至難の技だった。

 もはや、彼はで戦っている。そうでもしなければ、一秒後には首が離れている確率の方が高い。


 平野には、息遣いとかねの打ち合う音、土を踏む音しか聞こえなかった。そこに砲声銃声はおろか、風の音すらも聞こえない。

 数百合の打ち合いを経て、両者の間合いが一度離れる。

 アスカの打刀は欠け一つも見えない。

 ただ、そこに銀の刃があるのみ。一刀にて如何なる敵をも斬ってきた。それなのに、気風やら気概は、彼女の立ち姿から一切感じられなかった。

 ────ただ、剣の道を進む者。

 ランベルトは柄を握る手に力を込めた。鞘を拾い、刀を収めた彼女。それが抜かれた時、勝負は決する。


 かねの走る音、その刹那に華が咲いた。ランベルトはその美しさに見とれてしまった。美しき七条の花弁は、彼の前で咲き誇り、刹那に散っていく。

 その銀の花が散った所に、紅の華が咲き誇る。


 ランベルトに後悔はなかった。ただ、己では決してたどり着き得ぬ境地を、垣間見ることができた。それだけで、彼は十二分に幸福を感じていた。



***



「終わりましたね、アスカさん」


 優しく肩を抱かれ、アスカはようやく我に帰った。目の前には宿敵だったはずの男の亡骸が転がっている。

 なのに、一切実感がない。何も彼女の中には残っていなかった。


「わらわは、何のために……」


 健人は何も言えなかった。自分では、彼女の虚無を満たす事ができない気がした。

 そっと、朱鷺色の小袖の背中を優しく撫でる。

 だが、健人の意識が飛ぶ事はなかった。佇まいからは考えられない華奢な背中が、ふるふると震えている。健人は彼女の顔を直視しなかった。


 ────そっと、彼女を胸に抱き寄せた。

 少しばかり背の低い彼女は、決して目をあげようとしない。

 声を殺して、涙を流し続けている。健人の胸がじんわりと濡れ始めた。それを抑えるように、彼はぎゅうとその身体を抱きしめた。


 幾ばくかして、胸元で小さな鳴き声が聞こえ始めた。嗚咽にも近いその声は、悲しく響いていた。

 彼女は復讐に生きてきた。その復讐が果たされた今、この先の事は何も考えられなくなってしまったのだろう。

 彼女が進んできた道はどれだけ血にまみれているのだろう。

 彼女のしてきた事は必要悪だったはずだ。だがそれでも『悪』なのだ。


 優しく背中を撫で、ただただ抱きしめる。それだけでいいのかもしれない。健人は声をかけることもなくそうし続けた。


「わらわは、無が怖かったのかも知れぬ……」


 健人の腕の中で、そっとアスカは声を絞り出した。


「兄上がいなくなり、おかみを恨んだ。義父とうさんを虐められて、憲兵を恨んだ。メルクリウスを恨んだ。では……」


 しゃくりあげ、彼女はゆっくりと見上げた。その顔は、あの時目の前で死んだそっくりだ。


「今となってわらわは、誰を恨めば良いのだ……?」


 健人の心に深く突き刺さる問いかけ。

 この身体けんとと、このアスカは一切関係ない。だがケントとアスカは、家族であり、心を許せる相手なのだ。

 その心の内に残る闇、健人は力強く抱きしめた。


「恨むな、苦しいなら俺を頼ってくれ。だって俺は────」


 言葉が詰まる。この身体に、魂が残る事を許されないこの身体の想いを、健人は確かに伝えたかった。

 なのに、一切声が出なくて────


『コイツは、お前の事が好きなんだとよ』

「──っ⁈ だ、誰だ!」

『アスカ、久しぶりだな』


 身体がまた“魂”に奪われている。なのに、健人は何故か安心していた。


「あに……うえ……?」

『ああ、そうだ。この身体の代わりに思ってることを言いたくてな』

「本当に……兄上なのか……?」

『ああ、尻尾の付け根のホクロは無くなったか?』


 ゆっくりとアスカの頭を撫でながら、ケントは微笑んでいた。


「な、あ、兄上、それは秘密にして欲しいと──」

『まぁ、いい。アスカ、今この身体に何が起きてて、何が起こるか分かるか?』


 真面目な口調に、アスカは静かにケントの顔を見ていた。


「分からぬ」

『そうか、じゃあ、よく聞いとけよ?』


 ケントはアスカを座らせ、自分も隣に座った。太陽が落ち、星々が見え始めている。


『この身体は、別の世界の加賀谷健人、という男のものだ。だが、魂はこの世界のカガヤケントだ。元々はそうなるはずだった。だが、コイツは生きる事に執着しすぎた』

「どういう事だ……?」

『コイツは、臆病者だった。だから、“絶対に死にたくない”って思って引き寄せられたんだ。それで、魂も半分くらいついてきてしまった』


 健人はしみじみと、堕ちゆく陽を見つめていた。


『コイツの臆病な根っこはどうしようもできねえ、だが“この世界にいるのはお前の兄貴、カガヤ・ケント”だ。決してコイツじゃねぇ』

「そんな、酷いことを言わなくても……」

『いいんだよ。結局俺は、コイツの魂と一度統合されて、新たな“加賀谷健人”を作り出された。だから、ここまで戦い抜けたんだよ』

「兄上と……健人が……」


 アスカはゆっくりと、顔をあげる。そこには確かに故郷にいた“兄”の姿があった。


『もう時間だ。この儀式に失敗した以上、俺はこのままこの身体に呑まれる』

「…………兄上は、いなくなるのですか?」


 喉から彼女の嗚咽のような声が聞こえる。アスカは、何もできない自分が悔しかった。


『ああ、そうだ』


 昔みたいに呆気なく、サッパリとした返事が返ってくる。


「…………ぃ…………るぃ…………ずるいずるいずるいずるい!!! わらわは兄上を探してたのに!!! わらわは兄上の為に戦ってきたのに!!! どうして、どうして勝手にいなくなるんだ!!!!」


 感情が爆発した。こみ上げる物を抑えきれぬは剣士の恥。そう心に刻んできたはずだった。だけどこんな酷い話、どうして堪えられるのだろうか。

 ────でも、そうか。

 アスカはようやく、自分の存在意義に気がつけた。

 自分は、兄の為に剣を振るい続けてきたのだった。


『ごめんな』


 そっと、そっとアスカの頭に手を乗せる。彼女の剣呑とした性格、その奥底では誰よりも相手の事を思う性格。それを知っているのはケント(あに)だけだ。


『大きくなったな、アスカ』


 ケントは、戦場跡の草原に寝転んで月を見上げる。その頰に、雫が照らされていた。


「────ありがとう」


 アスカは隣にゆっくりと添い寝した。自分が作った血の匂い、土の匂いが漂う。

 哀愁漂う風の音に、耳を澄ませる。



「────────月が、綺麗だな、健人」



 ゆっくりと、滲む満月を瞳に焼き付けながら、彼女は意識を手放した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ