Episode.49:忠誠ある選択は 〜最終段・ラーマ奪還作戦【急】〜
「”Raum, Flammen“」
ユリの詠唱と共に、彼女の前が火の海となる。彼女の手元には魔導の書が開かれている。
「”Verbrenne die Erde, Blut der Erde“‼︎」
地面が割れ、溶岩が溢れ出す。反乱兵達は為す術もなくその熱に溶かされていった。
「ひっどーい!! ワタシまでとけちゃうよー!!!」
「跳べるならなんとかなるでしょう、頑張りなさい」
「ユリおねえさんってこわい……」
兵士の頭蓋を蛇腹刀で砕きながら飛んでいるのは、紛れも無いナエだった。
引き寄せ、貫き、穿ち、切り裂く。ありとあらゆる方法で反乱兵を弑していた。
「”忍法・氷華ノ術“‼︎」
溶岩から離れた地に、氷の華が咲く。その花弁は兵士を貫き、兵士を凍らせた。
「えへへ、ワタシってやっぱすご────」
飛んできた三条の矢を、ナエは事もなげに躱す。
「えー、スズちゃんどーして私を狙うの〜?」
その矢が飛んできた先、一本の木の上にメイド服の彼女は立っていた。
────その木の上では、スズが頰を膨らませながら矢をつがえていた。
「ユリさんもナエちゃんもカッコイイの出してズルいのにゃ〜」
どうやら、二人が華のある技で圧倒しているのが羨ましいようだ。
「あんなにかっこいい事されたら、スズの居場所がないし……それに…………」
普段のスズの表情ではあり得ない、不敵な笑み。その翡翠の瞳はまさしく狩人だった。
「…………スズの射線に入ってもらっちゃ困るのにゃっ」
放たれた矢は放物線を描いて、ナエに凶刃を向けた兵士の喉を貫く。
ナエが気がついて振り向いた瞬間、さらに後ろの兵士二人が倒れる。
正確に喉笛を射抜かれていた。その間一秒も無い。
スズは非常に天真爛漫な性格で、戦いはほとんど好まない。だがしかし、彼女の父親は”グランドアーチャー“と冠される軍人、セルウィン=グランドハートだ。
「弓兵隊を探せ、別働隊を編成しそれを潰せ!!」
後方、反乱兵の指揮官は驚異的な弓兵達を早くに潰し、大勢を逆転させたかった。
「おー、なんか沢山出てきたにゃ〜」
陣形のうち百人程が、スズのいる樹に向かい始めた。その距離は八〇〇くらいだろうか。
スズは新たな弓をつがえ、狙いを済ます。
「このくらい、五〇本あれば簡単にゃ」
放たれた弓は正確に敵の胸を貫くと、後ろの兵の腹に突き刺さった。
怯まずに兵士達は進撃するが、ものの一分で彼らは沈黙せざるを得なかった。
こと矢の早撃ちにおいて、セルウィンとスズの親子に勝るものはどこにもいない。
王城を守る者の務め、スズはそう考えて人知れず鍛錬に励んできた。
「あとは、健人とアスカさんにお任せなのにゃ〜」
木から軽々と降りると、彼女は幌馬車に弓矢を取りに走っていった。
────人の首とはこうも美しく飛ぶ物だっただろうか。
右翼の反乱兵達はもはや戦意を喪失していた。その視線の先には、一刀にて舞う美しき猫が一人。
アスカの剣線に一切の迷いは無かった。目の前にある障害を全て斬るのみ。
血の臭いも硝煙の臭いも全て忘れそうな程にそれは美しかった。
「戦うのではなかったのか、健人」
その華がチラリと健人を振り向く。彼の手には聖剣デュランダルが握られている。だが、あまりにもアスカが美しすぎて、振るう事を忘れていた。
それ程までに心が高揚していた。彼女に対する、この感情。それが劣情に似たような物だと理解するのに時間がかかっていた。
「す、すみません……!」
不格好ながらも健人は剣を振るった。彼なりに必死に、身体に覚えのない剣技を再生する。
二人の剣士に、反乱兵達はゆっくりと後退していく。その先をようやく二人は見据えた。
「久しぶりだな、健人」
「大和……?!」
かつての友が目の前にいる。だが、健人は違和感を感じていた。
「どうだ、元気にしてたか?」
「あ、ああ……お前は……誰だ……?」
「何を、ボクは鶴見大和だ、覚えていないのかい?」
昔のように、人を下に見た嫌味な喋り方を────アイツはするはずがなかった。
「お前は、誰だ。大和はな、頭が良いからこそ人には優しくしなければいけない。そう考えてる奴だ!!」
胸に激情が込み上げる。目の前にいる男は断じて旧友なんかじゃない。
「見破るとは流石だな……ボクの名前はね…………ミハイル=カストラーノって言うんだ」
剣を振るううちにたどり着いた処刑場に、冷たい風が吹いていた。
***
「私が、この作戦の指揮官ですから」
そう答えて、彼女は馬を走らせた。
隙とした一点を塞ぐのは、元から自分がやらなければいけない。
「全体、目標は三マイル先の反乱軍本隊です。ただ、それだけを駆逐するつもりで、駆けましょう!」
一〇〇人の精鋭騎兵が後に続いて行く。彼女にはもう迷いはなかった。既に、盤面は固まりつつある。
────駒を正しく動かし、敵の手を全て封じる。
姉や、父が戦いの度にやって来た事だ。今度は自分が果たす番だ。
ラーマの空に、轟音が三回立て続けに鳴り響く。海軍の援護射撃でも、機甲科大隊の砲撃でもない。
「報告っ、破城槌が門を突破したようですっ!」
「作戦に変わりはありません、ただ、前だけを見て進みましょう!!」
例え戦場が掛け値なしの地獄であろうと、もはや戦うしか道はない。
────ならば、私はみんなを守るために戦いたい……!
歯を食いしばって、手綱を操る。そろそろ、そろそろ接敵するはずだ。彼女は、そう踏んでいた。
「敵部隊、発見。予想通りこちらに来ます!」
「個の力に頼らないで、集団で確実に倒してください!」
敗走兵といえど、敵の規模はおよそ六千。自分達と六十倍もの差がある中で、彼女達は心を奮い立たせる。
────ここで、ここが正念場だ。
「第一隊、撃て!」
セリエの号令で騎乗ライフルが火を噴く。だが、一斉射撃ではない。
「続いて第二隊、撃て!」
“騎乗三段撃ち戦法”。リリキャットの技術力と、兵の高い練度の絶妙なバランスによって編み上げられた戦法。彼らを足止めするには、些か強すぎるものだった。
第三隊が撃ち終われば、既に第一隊は次弾装填を終えている。
「敵が分断されています、ですが、このままでは挟まれ────」
「ここは私の盤面ですっ、だから、信じて進んでください!!!」
戦場だからこそ奮い立つ、やはり軍人一家の血なのだろうか。
自らに飛んでくる鉄弾を、魔眼で“逸らしていく”。突き進んだ先の勝利を確信しているからこそだ。
「て、敵の機甲兵がっ、このまま進んだら────」
「貴方にはあの紅猫十字旗が見えませんか?!」
視線の先には、西から騎兵が、東から歩兵がやってくるのが見えた。
どちらも王国軍の旗を掲げ、燦然と進軍している。
西の騎兵が一瞬黒く染まったかと思えば、敵に矢の雨が降り注ぐ。矢の雨から逃れた兵士達は、計算された進軍をする歩兵の餌食となっていく。
「降参する兵士は殺してはいけません、あとは伝令を待つだけですっ!」
完全な包囲により、反乱軍は総じて戦意喪失していた。
「閣下、我々は……勝ったのですか?」
傍にいる兵士が、ゆっくりと呟いた。反乱兵達は、既に捕縛されつつあった。
「いえ、あと一手です……もう一手でチェックメイトです」
彼女が見つめるその碧眼は、確かに勝利を見据えていた
***
「やっと、ここまで辿り着いたか」
フロックコートを着た男がラーマの南、カラベラの丘に佇んでいる。その背中に一切の迷いはない。
カストラーノはあくまでも優雅に、健人に向き直った。
「君はどこまで知っている?」
「…………そうですね」
繰り返される夢、身体に刻まれた傷が全てを知らせていた。
この身体は“加賀谷 健人”の物ではない。自分がいた世界と全く違う、だけれども境遇の似た“カガヤ ケント”が遺したモノだった。
「俺は“失敗作”なんだろ、誇り高き騎士が、命を繋ぐ為に使った“護リ手ノ石”。元々は”無い物を補い合う物”だったはずの儀礼呪法に、“俺”は失敗した」
「その知識は君ではなく、”カガヤ大尉“からインプットされたモノか。まぁいい。とにかくこの世界の”カガヤ大尉“の魂と、向こうの世界の君の身体。これらが交換されるはずだった」
『だが、オレは失敗した。この身体に入っていた魂を抜くことができずに、そのまま交換してしまった』
突然、ゆっくりとした口調に変わった。”ケント“の目は、獲物を見据えたかのように落ち着いていて、獰猛な目つきをしていた。
『まさか、ここまでビビりな野郎だとは思わなかった。色んなことを考えたさ。コイツの眠った戦意を刺激したり、オレ自身が表層に出て戦ってみたりしたさ』
「ほう、大尉が表層に出るとは、中々信じがたい話だが……」
『ああ、そうだろ? だが、結果はダメだった。オレが表層に出れば、コイツは自我を保てないどころか発狂する。戦意を刺激したところで、戦いやしない』
「そんな事はない、その身体の君はそう言いたいようだね」
────ああ、そうだ。
この身体を無くしたくない、健人は必死に食らいついてきた。この身体に食らいついてきた。そんなの当たり前じゃないか。
「この先の真相を教える事はできない。それは君が辿り着くべき結論だからだ。だが────」
カストラーノはじっと、健人を見据えた。
「ボクはこの王国の為に戦ってきた。それ以上でもそれ以下でもない」
丘に吹く風は、緩くも空気を締める風だった。一息、一息吐いて、カストラーノは顔を引き締めた。
「ボクが話せる話はここまでだ、あとは君に託したい。その、最終試験だ」
カストラーノは振るっていたタクトをゆっくりと構えた。いつのまにか細刃剣に姿を変えている。
「ボクはキミを殺す。だから君は全力でボクに勝ってくれ」
彼の目は、宰相でもなく、戦略家でもない。一人の化け猫として真剣な眼差しをしていた。
「…………分かりました。全力で行かせていただきます……!」
健人は、目の前の相手を見据え足を踏み出した。相手は呼吸を乱さず、正確に刺突を繰り出してくる。
細い細い一点の刺突が、彼の剣筋を狂わせる。まともに剣を交えさえすれば、力で押し切れる。その利を活かしたいが為に、健人は正面に相対し剣を振るう。
だが、カストラーノはそれをも見通している。正面から外れるように、身を交わして斜に刺突を繰り出す。
懐のうちに入れば勝負は決する。だが、それには正面に入らなければいけない。
正面から叩き切れば勝負は決する。だが、それには間合いを正確に捉えないといけない。
互いの思惑が交じり合いながら、一騎打ちは続く。
『くそっ、そろそろ限界だ、お前戦えるか?!』
心の中のケントが決死の叫びをあげる。健人は、歯を食いしばり剣を振るう。
「ぐっ、うううう……」
『耐えろ、テメェはもう“戦士”だ、耐えろ!!』
頭の中に響く声。一本のレーザーが反射しているように、自分の思考が焼き尽くされていく。
「…………そうですね」
ボソリと呟かれたのは、健人の声。彼は一歩下がり、下段の構えで刃を後ろに流している。
「そうか、ここで決める算段ですね」
カストラーノも、一歩下がり優雅に構える。
一瞬、一瞬だけ風が吹いた。
剛の刃が、渾身に力をもって薙ぎ払われる。しかし柔の刃も、喉元めがけて飛んでいく。
逆袈裟に、彼は両断された。
────ああ、負けたのか。
ゆっくりと覚醒し、勝利者を見つめる。
この国を、化け猫達を守るのは彼の役目、そう告げられた気がした。
「合格……だ。あとは……任せるよ……」
最後まで彼は優雅に、微笑みながら倒れていった。




